第9話 鬼塚英一 果てしなく遠い彼方
一月。
プロ野球選手にとってはオフシーズンであるが、若手の中にそんな言葉は存在しない。
むしと試合をしなくてもいいこの期間に、鍛えるのだ。
それこそ全力で、まるで高校時代の冬場のように。
この自主トレは一人で行ったり、仲のいい者で行ったり、誰かに弟子入りしたりと、様々な形態がある。
ある程度ペースがつかめているベテランなどは、トレーナーの指示に従って、自分の肉体を試合用にして、技術の維持を行う。
はっきり言って30代も半ばになると、それ以上の成長は難しい。
もちろんベテランでも、若手と一緒に行い、自分の技術を伝授したりすることもある。
鬼塚の場合は、先輩と一緒にすることになった。
ただその先輩というのは同じ球団の先輩選手ではなく、高校時代の先輩である。
大介に、それと関わりがあり、オフシーズンは関東で過ごすことが多い選手。
そもそも大介がまだ三年目なため、メンバーが決まっているわけではない。
今年の場合は、千葉の先輩である織田に武田、大京の豊田、大阪からは大原といったところである。
千葉の織田と武田は、出身は違うが地元球団であり、豊田と大原は千葉県出身だ。
大京の吉村も千葉ではと思うかもしれないが、彼は元々は東京出身である。
あとは別に千葉が全員集まっているということもなく、大介と同じ球団の黒田などは他の集団と一緒にやっているし、同窓である岩崎も同じだ。
同じリーグの対戦する相手さえいるが、同じ球団でポジションを奪い合う相手はほとんどいない。
ピッチャーも二人いるし、キャッチャーもいる。そして外野が二人と内野が一人。
この外野二人が、まさに例外的にポジション争いをする織田と鬼塚なのだが、現時点では差がありすぎて、織田は問題にしないし、鬼塚は学ぶことしかない。
とりあえず織田が考えたのは、チームの強化である。
だから球団の後輩の鬼塚を一緒にして、鍛えているということだ。
おそらく鬼塚が千葉の主力と言えるようになる頃には、織田もポスティングで日本を離れることになるだろう。
それは遠い先の話ではあるが、織田にとっては人生設計どおりのことである。
千葉にあるセーブ・ボディ・センターが、この六人の拠点となっている。
設備も揃っているし、トレーナーも優秀。
何より色々と、プレイ以外に関係する情報まで入ってくるのだ。
とりあえずそれに参加して鬼塚が思ったのは、飛ばしすぎだろうということだ。
二月の球団のキャンプ入りまでに、若手のうちはもう動けるようになっていないと話しにならないのだが、それでも大介と、そして織田は飛ばしすぎだと思う。
なぜそこまでとも思うが、二人は三月に行われるWBCに出場する予定のため、普段よりも一ヶ月早めに体を作っておきたいのだ。
それにしてもと鬼塚が思うのは、この先輩連中の、馬力の大きさである。
武田だけには足で勝てるが、豊田や大原も、根本的にパワーが違う。
織田の場合はパワーはそこそこ、テクニックの部分がおおきいのだが、それでもプロの平均値よりは、はるかに高いパワーを持っている。
野球におけるパワーというのは、基本的には瞬発力だ。
ピッチャーの投げる動作も、バッターの打つ動作も、ほとんど瞬発力しか必要としていない。
走る動作には少しだけスタミナはいるが、それでも全力疾走するのは、一塁からホームへ帰るまでの、短い距離でしかない。
もう一つのスピードというのは、判断の早さである。
野球は動きの止まるタイミングが多いスポーツだが、走塁が絡むと内野などは、咄嗟の判断が求められる。
そしてそれは普段とは違う頭を使うことが必要になる。
織田の場合は特に、走塁において判断が早い。
ベースを蹴りながら加速して、普通なら間に合わないタイミングをセーフにしてしまう。
大介の方が50m走などは速いのだが、織田の場合は判断するのが上手いのだ。
なので盗塁の数は負けていても、ホームを踏む回数は伸ばしていける。
このあたりは打順の関係もあるのであろうが。
鬼塚が求められているの、それはまず一シーズンを戦い抜く長期的な意味での体力と、打撃力だ。
オラオラ系に思われる鬼塚であるが、基本的な技術はしっかりと磨き上げられている。
そこに上積みしたいのが、まず故障をしないこと。
怪我はだいたい、気が抜けた時に起こることが多いので、集中力を保つために、体力が必要となる。
そして何より必要なのは、打撃力だ。
鬼塚はユーティリティプレーヤーであるが、やはり向いているのは外野守備である。
打球の見極め、守備範囲の広さ、そして捕ってから投げるまでの早さなど、必要な要素は比較的少ない。
それだけに身体能力には優れていないといけないし、外野はある程度コンバートされるので、打てることが重要になってくる。
打つことに関しては、大介は全くお手本にならない。
基本的なバッティングの技術を無視したスイングをしたりしても、ホームランが打てるからだ。
あれこそまさに力任せのもので、もちろんミートの技術や打った瞬間の力の入れ方にコツはあるのだろうが、天才でないと出来ない。
なので鬼塚が学ぶべきは、織田ということになるか。
甲子園でホームランも打っている鬼塚は、長打力がないわけではない。
ただし織田も甲子園では打っているし、場面によっては長打を狙っていく。
織田のバッティングを見習うべきかと言うと、それも違う。
織田は織田で、ピッチャーによってフォームなどを微調整するからだ。
それがまた天才であるがゆえなのだが、鬼塚には出来ないことである。
「まあ上背考えたらもっと体重増やして、スイングスピード上げるしかないんじゃないか」
大介は簡単に言うが、問題はミートなのではないかと鬼塚は思う。
上杉の170kmなど、鬼塚は幸いにも対戦したことはないが、何かの技術で打てるようになるとは思えない。
160kmオーバーで手元で曲がるというだけで、もうフェアグラウンド内に打ち返すのも難しく、それが凡打にならない可能性も低い。
そんな鬼塚を相手に、豊田や大原はバッピをしてやったりする。
基本的に天才だらけのプロの世界では、まだ鬼塚のバッティング技術は大人しい方だ。
なので普通に空振りしてくれて、自分の自尊心を癒すことが出来る。
ただ鬼塚としても二人に交互に投げてもらうのは、高校時代を思い出しで楽しくもある。
そして同じ右の本格派でも、やはり違うのだなと思わざるをえない。
これに岩崎でもいてくれたら、もっと比較の対象が増えただろうに。
しかしそんな鬼塚を見ていて、キャプテン経験者の織田や武田は、その選手としてのスタイルの、完成形をイメージすることが出来る。
スラッガーではない。そこまでの筋肉をつけたら、守備での柔軟性が損なわれるし、怪我もかえって多くなるだろう。
安打を量産するタイプでもない。天才の持つ天性の当て勘というのを鬼塚には感じない。
鬼塚が伸ばすべきは、しぶといバッターだ。
小技も今の時点で使えるし、足もそれなりに速い。
なんとかランナーに出られたら、けっこう厄介なことになる。
出塁率を高めるのだ。
そして三振を減らす。
アウトになってもそれまでに、ピッチャーに球数を投げさせる。
打率もある程度は必要だが、まずは塁に出ること、後ろにつなぐことを考える。
高校一年生の時に入っていた、二番打者という打順が合っていると思う。
ちなみにこの中で、一番バントの上手いのは、実は大介である。
中学時代には散々転がせと言われていただけに、バントをしても自分も生き残ることを考えていたのだ。
織田の場合は下手にバントをするより、打球を地面に叩きつけて、内野安打にする方が得意だ。
かつて二番バッターというのは、中途半端と言うか、便利屋な側面の能力を持つ選手が多かった。
出塁率の高い一番が出たときに、確実に塁を進めていくためのバント。そして前にランナーがいなければ、自分が出て次の塁を窺う。
ただそれも時代により変遷している。
MLBでは四番よりも三番にホームランを打てる選手が多くなり、その選手は打率までも求められたりする。
また二番に最強の打者を置くチームまである。
単純な考えで、一つでも前の打順に置いた方が、一つでも多く打席が回ってくる。
一番いい打者が一番多くの機会をもらえるようにすすのが当然だ。
ただ得点力を増すために、出塁率の高い選手を一番には置いておきたい。
野球の世界も進化している。
ムービング系の全盛、ピッチャーの完全ローテ制と、球数制限による継投。
フライボール革命により、全てのバッターはホームランを狙うべきだという極端な意見も出てくる。
その中で鬼塚は、基本的には出塁重視、進塁打も打てて、自分でもそれなりに打てて、状況によっては長打も狙える。
そんな贅沢な選手になるべきだというのが、天才ともの意見であった。
それは、言いたいことは分かる。
分かるのだが、それが可能かどうかは話は別だ。
「可能不可能は分からないし、それこそどうでもいい。大切なのは、やるかやらないかだ」
大介にしては珍しい、格言っぽい台詞が出てきた。
だいたい天才と言われるような人間は、結局やるかやらなかったかの差でしかないのだ。
いや素質というものは確かにあると言う人間もいるだろうが、どこでその素質を見極めるのか。
「高校に入学してすぐに、ガンからホームラン性の打球打ったのが、きっかけだったしなあ」
大介はそんな発言もする。
若い日は皆、何かをめざせばいいのだ。
秘めた力というのは自分では分からないのだから、夢は大きく持っていい。
現実に則していくのは、それをもっとずっとやってからだ。
「つーかプロの世界に来れた時点で、ある程度の才能があるのは確かなんだからな」
織田も自分が天才であることは疑わないが、色々と試行錯誤は繰り返している。
最初から正解が見えている人生など、存在しないのだから。
天才は天才で、もっと上の悩みを持っている。
大介などは、どうやってピッチャーを自分と勝負させるか、それが一番の悩みにさえなっている。
「お前ってドカベンの岩鬼的存在になってないか?」
大原の心無い言葉に、傷つく大介である。
ピッチャーが勝負してくれないのは、自分の責任ではない。
ルールの改正を要求する!
確かに全打席敬遠などが常態化すれば、何かルールが変わってしまう可能性はある。
あとは過激なライガースファンが、相手チームの監督やピッチャーを襲いかねない。
「本当ならデッドボールの球まで打っちゃうんだからなあ……」
大原の指摘に、大介以外の全員が頷く。
若者たちはかくして、厳寒の一月を過ごしていく。
この年の鬼塚は、ルーキーイヤーよりもずっと多く、一軍での出場機会を与えられることとなる。
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