第5話 鬼塚英一 がむしゃら
才能とか努力とか根性とか、そういったものは確かに必要であるのかもしれない。
だが誰の才能が、どれだけの努力と根性を追加すれば、世界に通じるものになるのか。
そんなことが分かっている人間は、そうそういないだろう。
だからチャンスがあれば、ひたすらにやってみるしかないのだ。
「また無茶なことをして。けれどまあ、選手生命までには至らなくてよかったけれど」
球団の広報である三好真紀は、同時に選手たちのマネジメントも務めている。というかそれが広報の一環なのだが。
鬼塚の亜脱臼は、レフトフライを追いかけて取ったためのものである。幸いと言うべきか、打ったのは左肩である。
亜脱臼とは言うが捻挫に近く、二週間の絶対安静と、様子を見つつ二ヶ月のリハビリを申し渡された。
「なんか出来るトレーニングないですかね?」
そんなことを言って医師を呆れさせたものである。
二週間は絶対安静とは言われつつも、右の握力などは鍛える鬼塚である。
そして真紀は鬼塚に対して、山ほどのトレーニングの本を持ってきてくれた。
これは彼女が選んだのではなく、球団が自然と集めてあるものだ。
左肩をガチガチにテーピングで動かないようにしてあるので、意外と動くことは出来る。
ただ下手に動く場所に筋肉をつけると、バランスを崩して逆に危険だとも言われた。
そんな鬼塚はこの際にと、より効率的なトレーニングの勉強をしようと思ったのだ。
「なんか……高校時代のメニューの方がいいような……」
「そうなの?」
鬼塚は頷いて、しばし考え込む。
残念なことに野球においては、才能というものが確かに存在する。
鬼塚の知る限りでも、直史の空間認識能力と肉体制御能力は、天才であった。
また大介の軌道予測とミートもまた、天才の持つものであった。
そこまで分かりやすくなくても、武史の純粋に球が速いという才能、アレクの体のバネという才能、様々な才能を見てきた。
自分にも、最低限の才能はある。
体格、筋力、動体視力、瞬発力に咄嗟の判断力など、ある程度の才能はあるのだ。
だがそれが、才能だけでどうにかなるというほどではないわけで。
高校時代の練習やトレーニングは、確かにキツイものだった。
だが限界までやっていたかというと、そこまでではなかった気がする。
プロへ行くと決めた時、秦野は言ったものだ。
「俺はプロに行ったわけじゃないから、こういうのもなんだが……白石はともかくとして、実城や本多でさえ、通用してない世界だってことを忘れるなよ」
あれは効いた。
自分が一年生だったころ、関東大会で見た帝都一の本多や、神奈川湘南の実城。
どちらも高校野球史上に残るような選手であったのに、二年目でもまだ際立った成績は残していなかった。
同じ年代にしても、自分がアレクに優るような部分は、何もないような気がする。
強いて言えば内野も守れるといったところか。あと、アレクは一番バッターと言うよりは、0番バッターとでも言うべき、好きな時に打ってしまう習性がある。
一つ上の年代で見ても、高卒でいきなり一軍定着というのは、大介の他には上杉弟と島ぐらいであった。
後半にそこそこ試合に出てきたという点では、井口もそうだろうか。
とにかく怪我の間は、握力を鍛えるぐらいしかやることがない。
そこで怪我について調べてみたり、現在のセイバーが何をしているかなどを調べたら、色々と背筋が怖くなることがあった。
野球選手にとって、一番壊れたらダメなのは、肩でも腰でもなく、ふくらはぎだとか。
肩の故障はかなりの問題で、今回の怪我もけっこう危なかったのだとか。
考えてみれば知り合いの中でも、怪我で選手生命を絶たれた者はたくさんいる。
だが怪我を恐れて控え目に練習をして、それで通用するほどの才能が自分にあるとは思えない。
ならばどうするか?
簡単だ。適切な練習を教えてもらえばいい。
高校時代の練習とは、プロの練習はやるべきことが違うはずだ。
白富東は短時間で効率よくをモットーにしていたが、プロはとにかく全ての時間を野球のために使える。
中途半端にお勉強の出来たこの頭で、最適の未来を導き出せ。
そして鬼塚は、結局高校時代の伝手を使う。
選ぶことなどおこがましく、自分に出来るのはとにかく他人では出来ないことをするだけだ。
本格的なトレーニングに入る前に、鬼塚は調べ物をしっかりとしていった。
二週間の安静の後、リハビリで肩の駆動域と、腱や靭帯の様子を見る。
軟骨組織の損傷もなかったのは、本当に不幸中の幸いである。
関節を守るために必要なのは、腱や靭帯の柔軟性と、インナーマッスルである。
およそ一ヶ月で早めに完治と言われて、鬼塚はグラウンドに復帰する。
休んでいる間に後半戦が始まり、千葉はなんとかAクラスを維持している。
まだ鬼塚はいてもいなくても、チームに影響を与えるような選手ではない。
そう思っているのは本人だけで、金髪のハッスルプレイはそれなりにチームにいい影響を与えたのだが。
この短い間にも、選手の移動が行われている。
トレードなどもあったし、水野が一軍の試合で投げたりもしていた。
あとは同期では大卒の梶原が、ほぼ一軍帯同となっている。
だがこの時期話題になっているのは、セ・リーグのことである。
交流戦が終わった後のパ・リーグは関心度があっという間に落ちていた。
それは鬼塚にとっても訳の分からない存在であった、高校時代の先輩白石大介の今年の成績が原因である。
「なんぞこれ……」
四割。
ここからまだ落ちていく可能性はあっても、異次元過ぎる打率である。
ヒット狙いで打率を稼いでいるわけではなく、OPSも去年と同じ水準を維持している。
考えたくないことだが、一年間プロでやって、もうこの水準に慣れてきたのだろうか。
いや去年だって上杉から170kmをホームランにしてたりしたので、これぐらいのスペックはあったはずだが。
「……あの人は同じ人間とは思わないでおこう」
そして鬼塚は、地味に地味に、ひたすら地味に鍛え始める。
夏の終わりには、二軍戦でかなり打てるようにはなってきた。
しかし甲子園の強豪レベルの投手がゴロゴロしているこの状況、そうそうには慣れるものではない。
まあこの人たちも大介の前には雑魚扱いで打ち砕かれるのだから、高校時代にああいう理不尽な存在が間近にいたのは、やはり良かったと言えるのだろう。
プロの世界でも変化球に関しては、問題なくついていける。
ごく一部には、魔球としか言えないようなボールを投げてくる者もいるが、それもどうにかカットする。
そして速球に関しては、明らかに打ち返すのが簡単だ。
いわゆるムービング系の手元で曲がる球を、カットしたり強くグラウンドに叩きつけたりと、内野安打を上手く稼げる。
鬼塚は背が高いためパワーヒッターと思われるが、実のところプロでは中距離打者であった。
いや、もちろんホームランも打てるのだが、それよりは足を活かして内野安打や盗塁を狙った方がいい。
パでは一年目からアレクが盗塁王争いをしていたりするが、鬼塚もあそこまではなくとも、足はかなり速いのだ。
確実に出塁率を上げる。そのためにはボールを選ぶ選球眼が必要だ。
そして塁に出たら、次の塁を執拗に狙う。
だいたい他のチームの選手も、この頃になると鬼塚が外見とは違い、フェアではあるが泥臭いプレイをしてくることを理解していた。
だが舐めたことをされて乱闘になることはあった……。
罰金50万である。泣きそう。
そしてこの年、千葉はかなり終盤まで、三位争いを続けていた。
三位と四位ではクライマックスシリーズに出られるかどうか、全く扱いが違う。
なお本日の対戦相手である二位のジャガースともあまり差がないため、お互いの戦力の削りあいとなってくる。
そうなると当然ながら、消耗して調子を落としたり、致命的ではないにしろ怪我をする選手が出てくる。
その中で鬼塚は、今年二度目の一軍昇格を果たした。
選出基準は、気合が入っていて、腑抜けたプレイはしないであろうやつとのこと。
(まあ今年は日本シリーズには進めないだろうな)
スタメンで七番レフトとして出場しながら、鬼塚は冷静に思考していた。
怪我人が多すぎて、チームの戦力が維持できていない。
どうしてこれでAクラス争いが出来ているのか不思議である。他のチームもそこそこ怪我人は出ているが、千葉ほどひどくはない。
勢いというものなのだろう。
怪我をするということは、それだけ無茶なプレイもしているということだ。
もちろんプロとしては怪我は一番ダメなのであるが、気合で相手を上回れば、それなりに勝てる程度に実力差は小さい。
ただキャッチャーが二枚怪我をして、三年目の武田がマスクを被っているあたり、本当に人材不足ではある。人数不足とさえ言っていい。
だが唯一の利点としては、若手に多くのチャンスが与えられるということだ。
武田はどうやら、ピッチャーとの相性が強く出てしまうタイプのキャッチャーなのだ。
ローテに仕方なく入ってしまった水野などとは、とても相性がいい。
だが水野と同期でも大卒の梶原とは、全く合わない。
傍から見ていると鬼塚にしてみれば、武田のリードは消極的というか、沈着冷静なピッチャーとは相性がいいのではと思う。
あるいは何も考えていないピッチャーか。
試合は両チームが打ち合う展開で、九回にまでもつれ込む。
現在のジャガースはクローザーが安定していない。
去年に続いて先発とリリーフにはピッチャーがそろっているが、クローザーというのはなかなか適性が難しいのだ。
鬼塚にとって見れば、直史のような存在が理想である。
あれはクローザーと言うのとも、ローテーション投手ともちょっと違う。
アレはエースだ。あれこそがエースだ。
それに比べると目の前のピッチャーは、安定感に欠ける。
スコアは9-8でジャガースがリードしているが、先頭打者をフォアボールで出してしまった。
次のバッターがキャッチャーの武田だったのだが、ここでベンチは打たせていき、結局は最低限の進塁打になった。
ワンナウト二塁で、七番の鬼塚である。
今日はまだ打てていないし、代打が出てくる可能性も考えたが、ベンチに動きはない。
打たせてくれるのか。
一軍での打撃成績は、二割台の半ばと、確かにそう悪くもない鬼塚である。
むしろ七番としては合格点なのだろうが、ここまで長打があまりない。
(さて、考えろよ)
鬼塚はその外見からは想像もつかないが、偏差値68の高校に入学し、そこで野球の思考をきっちりと教え込まれた。
九回の裏で一点差のリード。出したランナーはフォアボール。
七番の鬼塚はこれまで、そこそこ打ってはいるがまだスタメン確定というほどの成績は残していない。
順位争いで厳しいこの状況、最低でもランナーを三塁に進めたいと考えるはず。
外角に投げたら、そのまま右方向へ打ってくる。
少し変化をつければ、それで内野ゴロに出来る。
(そんなとこかな)
勝負は初球。
おそらくフォアボールがあったので、外角でもぎりぎりは狙ってこれない。
そして投げられたボールを、鬼塚は掬い上げる。
(ドンピシャ!)
鬼塚のパワーは、プロレベルでは確かに中距離バッターだ。
だが手足が長いということは、遠心力を使ってフルスイングすれば、飛距離だって出るというものだ。
打球は切れそうではあったが、そこはマリスタの風がある。
ほんのわずかの差で、ボールはライトスタンドに飛び込んだ。
プロ初ホームランが、逆転サヨナラのホームラン。
たとえ鬼塚の才能がプロにおいては平凡であっても、今日の試合の主人公は、この金髪のルーキーであったらしい。
鬼塚は一年目、チーム事情もあり一軍の試合に50試合出場することになる。
打率は0.250と、丁度四本に一本の割合でヒットをうつことになった。
ただ出塁率は打率と比べても高く、外野のどちらかを守ることが出来るため、それなりに出場機会は増えていった。
そしてこの一年目、打ったホームランは二本。
だがこのたった二本のホームランは、両方ともサヨナラのホームランであったのである。
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