第4話 織田信三郎 走り続ける。限界まで

 子供の頃からプロ野球選手になることが目標だったし、それが難しいと思ったこともなかった。

 実際に地元の名門校に入ってからも、常にレギュラーで使われて、先頭や三番などを打ち、一年の頃からスカウトの注目を浴びていた。

 一度だけ心が折れかかったのは、あのピッチングを見てからか。


 三振を取って当たり前という、160kmを平気で投げてくるピッチャー。

 だがあれから二本もヒットを打ったということで、高校最高のアベレージヒッターと言われるようにもなったと思う。

 最後の夏の甲子園は、いささかならず不本意なものであったが。


 もっとも人生を大きく変える機会が訪れたのは、その後のことである。

 ワールドカップでベストナインを取ったが、それとはまた別方向の野心が芽生えてきた。

 MLBという舞台。

 そこに挑戦することは、自分の中でも決定事項となっていた。


 球団が弱いことは、むしろチャンスを得るという点では有利であった。

 一年目から三割を打ってリーグ新人王。

 二年目にはさらに記録を伸ばし、チーム打率一位となり、外野の広い範囲を大きく守る。

 絶対に故障しないという強い決意を持って、自分の才能はあくまで努力あってのものだと、ずっとずっと言い聞かせる。


 別に努力を隠してはいない。普通のことを、普通にしているだけ。

 ただ普通ではないこともしないと、化け物だらけのこの世界では、生き残ってはいけない。

 三年目の今年は、首位打者かトリプルスリーを狙う。

 そうは思うのだが、チーム状態が悪いと上手くいかない。




 高卒は四年目までは寮住まいというのが千葉の決まりではあるのだが、織田は例外である。

 完全に一軍に定着していて、埼玉の寮からマリスタに通うなどというのは、現実的ではない。

 だから球団も寮に近いような宿舎を用意してくれて、普段はそちらに泊まりながら、マリスタで練習を行う。

 なんだかんだ言って、やはり家事や、特に料理関係は、自分では手に負えない。

 食事がどれだけ大切なことかは、スポーツ選手であれば必ず分かっている。


 織田は元々実家も金で苦労したことがないだけに、金には特に執着しない。

 正確に言えば、使うべき時には使うべきだと知っている。

 本格的に一人住まいになれば、ハウスキーパーを雇うことになるだろうなとは思うが、とりあえず今は球団の方針に従う。


 こんな織田は同期や先輩がいても、二軍のグラウンドに戻ることはほぼない。

 それが二軍と交流することがあるとすれば、イースタンの二軍の試合を昼間に行い、夜に一軍の試合を行ったりする場合である。

 織田はそこそこ油断しないタイプなので、二軍であっても要注意の選手がいるとか聞くと、自然とそれを見に来てしまう。

 しかもこの日の対戦相手は、二軍ということもあって、本来なら当たらないセのタイタンズであったりする。

 タイタンズなら向こうのドームを使えよとも思うのだが、ドームはドームで色々と使われることも多いのだ。


 織田は一年目からプロで活躍した、珍しい高卒選手である。

 大介がおかしいだけで、織田のような活躍でも、世間では大きく報道されるものだ。

 まあ千葉はマイナーなパの中でも最もマイナーと言えるので、はっきり言って白富東が行った県大会決勝の方が、よほど多くの観客を集めたものであるが。

 仕方がない。客を集められれば偉い。

 プロとはそういう世界でもあるのだ。




 そんなタイタンズのメンバーの中に、本多がいる。

 織田とは同期であり、ワールドカップの戦友でもあった。

 高校時代の対戦成績は、チームとしてはやや負け越したか。

 ただ向こうは二年間調子を崩し、ようやくこのところ二軍の試合で結果を出してきているらしい。

「本多か……」

 実城、西郷などとタレント揃いのあの年代、投打に優れた選手という点では、本多が一番ポテンシャルは高かったのではないか。

 その本多がまだ一軍に出てきていないのだから、プロの世界というのは恐ろしいものだ。


 本多が調子を落とした原因は、なんとなく織田にも分かる。

 去年のキャンプのオープン戦、織田は本多の練習風景を見ていた。

 監督や二軍監督、バッテリーコーチにピッチングコーチ。

 それぞれがバラバラのことを言っていた。

 あれが恐ろしいと言われる、タイタンズの派閥問題であるのか。


 タイタンズは長く球界の盟主として、日本のプロ野球を支えてきたとも言える。

 だがそれは選手のタイタンズ志向を強いものとし、タイタンズでなければプロには行かないなどと言ったものも出ていた。

 確かに年俸にしても、タイタンズは表に出てくるもの以外に、色々な特典が今でもあるのだと聞く。

 しかしタイタンズの規模など、MLBに比べたらたいしたものではない。

 アメリカへ渡るという選択肢が生まれたとき、タイタンズの王座は失われたと言っていいだろう。

 もちろん今でも金持ち球団で、選手を集めるのに貪欲ではあるのだが。


 そんなコーチたちの政治的なバランスの中で、本多は調子を崩したのだと思う。

 本多もまた間違いなく天才だ。自分のすべきことは自分で分かっていたはずだ。

 そこにプロで巨大な実績を残した者から何か言われれば、じゃあそれを試してみようかということにもなるだろう。


 本多は二年間を無駄にした。

 だがそれが無駄だったことを悟り、ここから自分の道を進んでいけるなら、それは反面教師としての経験となる。

 ちょっと対戦してみたい気もするが、今の自分は一軍のスタメンだ。

 わざわざ言うわけではないが、本多とは大きな差がついている。




 タイタンズと試合をする自球団の二軍に、織田は派手な金髪を見つけた。

 今年のドラフト三位で入団した鬼塚のことは、織田も良く知っている。甲子園では対戦した。

 だがあの時はあまり印象に残っていない。もちろん金髪なのでその印象は残っているのだが。

 白富東で最後の年は四番を打ち、甲子園でもスタンドに放り込んでいたはずだ。

 ただ選手としての実力は、まだまだといったところだ。

 しかし一軍の織田にも聞こえてくるほど、練習熱心だとは言われている。


 ベンチの裏に顔を出すと、二軍の首脳陣がいる。

 織田は一気に一年目開幕から一軍に帯同していたが、短い期間は一緒にいた。

 ただその時と今では、顔ぶれがだいぶ変わっている。

 最下位を走るチームというのはそういうものなのだ。


「よ~う金髪、試合出るのか?」

「ちっす。いや、分からないっすけど」

 織田と鬼塚はほぼ同じ身長で、体格も似ている。

 今の千葉はどのポジションも、織田のセンター以外は固定されていないので、いくらでもチャンスはある。

 主に外野を守っているが、内野もだいたいは守れるという、ユーティリティプレイヤー。

 ただショートやセカンドは、あまり身長の高い選手には向かないとも言われている。


「何打席でどれぐらい打ってる?」

「38打席で16安打っす。ホームランは二本」

「それだったら近いうちに一度は上がってくるかもな」

 二軍でそれだけ打っていれば、今のチーム事情からすると、かなり早めに一軍で試されるかもしれない。

 さすがにそこで実績を残すのは難しいが、高卒が一年目で一軍を経験できれば充分だろう。


 今日の試合は主にタイタンズの様子を見にきたのだが、どうやら自軍の中でも、注目すべきところはありそうだ。

 織田はチーム状態が悪くても、モチベーションは途切れないが、さすがに負け根性の染み付いたチームにはいたくない。

 自分にまで影響が出てきたら困る。

 この金髪は、それを打破する一撃となってくれるのか。




 オープン戦で、タイタンズは岩崎を先発に出してきた。

 これも織田にとってはお馴染みというか、甲子園で争った相手だ。

 去年の二位指名であるが、まだ一軍での登板はないはずだ。


 だが軽快なピッチングで、こちらの一番と二番を内野ゴロにしとめた。

 三番には外野まで飛ばされたが、これも平凡なフライだ。

 丁寧なピッチングの後に、力のある球でフライに打ち取ったというところか。

 

 千葉は水野は投げないかなと思ったが、他にも色々と試したい選手はいて当然だ。

 打ったり打たれたり、打たれなかったり打てなかったり、ぼちぼちと試合は進んでいく。

 岩崎は三回でマウンドを降りたが、その前に鬼塚との対戦があった。

 七番のレフトに入っていた鬼塚だが、バッティングフォームは小さくなっている。

 やはりプロの壁に当たり、まず当てることを重視しているのか。

 内角を攻められて内野ゴロと、まあそれぐらいかという程度の打撃であった。


 記者席から見ていた織田であるが、鬼塚はまだ交代はしないらしい。

 外野で走って打球を取る様子は、やはり本質的には外野が向いているのだろうと思わせる。

 身体能力は今でもそれなりに高いが、もう少し瞬発力がほしいか。

 ただ筋肉は付け方を間違うと、体の柔軟性を損なわせ、むしろスピードを落として怪我もしやすくなる。

(外野の守備は上手いな。肩もまあ及第点か)

 レフトの肩はライトに比較すると、重要度が低い。

 もちろん強い方がいいのは間違いないが、それよりも足の速さと守備範囲の広さは、一軍でも使えるレベルだ。

(割と早く一軍に上がってくるかな)

 鬼塚のプレイする姿は泥臭い。

 だがその泥臭さが、今のチームに欠けていることだと思う。


 鬼塚の二打席目。

 小さなフォームで粘っていったが、フルカウントになったところで逆に構えが大きくなる。

 追い詰められたことで開き直った? いや、そんな殊勝なやつじゃないだろう。

(自分で自分を追い詰めたのか?)

 見た目はヤンキーだが、どうやらマゾ気質らしい。

 まあ野球選手など、多かれ少なかれほとんどはドMであるのだが。


 鬼塚は厳しく入ってきたスライダーを、長い腕の遠心力を使って高く打ち上げた。

 この日のマリスタは、あまり風の影響がない。

 ライトスタンドに、右打者の鬼塚が打ったホームランであった。




 この夜も織田は、シーズン三回目となる猛打賞である。

 だが彼が一人で奮戦しても、他のバッターが打てないと試合には勝てない。

 別にそれはそれでいい。織田の目的地はMLBだ。

 ただ、負ける癖がつけば、それはいやである。


 どうやったら勝てるようになるのか。

 織田はずっと、子供の頃からいわゆる名門のチームでプレイしてきた。

 なので今の千葉のような、最下位に甘んじる状態から、チームを立ち直らせる手段は知らない。

 ただ、選手たちの姿を見ていて、絶望的な気分にまではならない。

 負けた試合で沈んでいる間は、まだマシなはずなのだ。


 本当にチームが終わるというのは、負けた試合でへらへら笑っている時だ。

 織田は自分のチームではそんな姿は見たことはないが、高校時代もシニア時代も、対戦相手が負けて笑っているのは見てきた。

 それも全力でプレイしたから、悔いがないという笑いではない。

 そもそも本気でやっていて、それでも負けたとしたら、笑うにしても歯を食いしばっているはずなのだ。


 まだこのチームは、負けることに慣れきっていない。

 誰か、何か特効薬を持っていれば、どうにかなるはずなのだ。




 そんな織田の考えは、首脳陣も持っていたらしい。

 まだシーズン絶望するには早い六月に、鬼塚が一軍に上がってきたのだ。

 二軍ではいい成績を残していたが、さすがに早いのではないかと思った。

 だが実際に一緒に練習をしてみると、バッティングに走塁に守備と、かなりのパフォーマンスを発揮する。


 試合に出ないからこそやれることなのかもしれないが、やりすぎるほどに練習をしている。

 止めるべきコーチたちは止めない。

(まさか、こいつを起爆剤に使う気か?)

 ここまで練習する姿を見て、確かに一軍の雰囲気が変わったとは思う。


 だが、まだダメだ。

 こいつをこんなところで壊してはダメだ。


「おい」

 早朝からクラブハウスで食事をし、筋トレをした後また食事をしている鬼塚に、織田は話しかける。

「鬼塚、お前つぶれる気か?」

 織田が鬼塚を名前で呼んだのは初めてであった。

「無茶やってる自覚はありますよ」

 そうか、その自覚はあったのか。

「でも俺は、限界までやらないと、とてもついていけない」

 いや、今の千葉の状態なら、一年もすれば上がってこれるとは思うが。


 こいつは、己に求めるものが大きい。

 そしてただ大きいのではなく、それに対する力のかけ方を知っている。

「一応、ぎりぎり潰れないはずの練習ですから」

 ああ、なるほど。

 鬼塚が練習をやりすぎるというのは、キャンプの頃から聞いていた。

 それでも、ちゃんと自分なりの基準は持っていたのか。


 鬼塚の目の前に座り、織田はこいつならいいかな、と思い始める。

「鬼塚、俺と一緒に下克上してみるか?」

 そう言われた鬼塚は、訝しげに眉をひそめる。

「俺はともかく、織田さんはもう上でしょう」

「もっと上だ」

 織田だって、別にチームが本当にどうでもいいわけではない。

「天下布武だ」

 それはまさに、織田を表している言葉であったろう。




 この後、鬼塚は下位打線のスタメンとして、数試合に出ることになる。

 粘り強くファールでカットし、なんとしてでも塁に出る生き汚さ。

 そして守備におけるファールグラウンドへも全力でフライを捕りにいく姿などは、まるで高校生の懸命のプレイを見ているようで、ファンの間ではちょっと話題になったりもする。


 バッターボックスでは、とにかく三振をせずに、出塁率を上げていく。

 あまりに甘い球を投げると、長打まで打ってくる。

 そんな鬼塚の姿は、やがてチーム全体に戦意をもたらしていくことになる。


 最下位ではあったがトップや五位とのゲーム差をどんどんと詰めていく中、やはりファールグラウンドに飛んだ打球をキャッチした鬼塚は、そのままフェンスにぶつかって肩を亜脱臼。

 さすがにそんな状態で一軍においていくわけにはいかず、また二軍に落とされることになる。

 だがこのプレイは、確実にチームに火をつけることになった。


 怪我はダメだな、と冷静に評した織田であるが、鬼塚は確かに限界まで走っていった。

 それぐらいやらなけば、天才の中でも凡人である程度なら、とても本物の天才にはかなわないだろう。

 自分の中の限界に、鬼塚は挑戦していた。

 自分はどうだ?

 下手に一年目から成功しているだけに、それに満足してしまってはいないか?

 このまま順調に成績を伸ばして、それで都合よくポスティングか?


 目をかけていたつもりが、自分まで影響を受けていた。


 織田は華麗なミートバッティングが持ち味の天才であったが、この頃からフォアボールを選ぶことと、場面に合わせた長打を使い分けていくことになる。

 プロ入りして三年目。

 パ・リーグの首位打者争いに、突入していく織田の前日譚である。

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