第3話 吉村吉兆 自分を削って前に進む
運命の歯車が上手く回りだしたと思ったのはいつの頃だったか。
少なくとも小学校から中学校の、生ぬるいリトルシニアの時代ではなかったと思う。
あの監督が、うちの学校に来ないかと言った。
そして一年の春から公式戦に出た、あの頃からだったろうか。
いややはり、故障からようやく復活し、夏に向けてシードを取ろうとチームがまとまっていたあの時。
その雰囲気に冷水をぶっかけるように、なぜか進学校の公立に負けて、シードが取れなかった時だ。
敗北が、逆にチームを強くさせた。
夏のトーナメントは苦戦の連続であり、春に土をつけられたチームとの対戦は、後半にはもう体力の限界がやってきていた。
それでも勝ててしまえるのが、高校野球ということだろうか。
負けていたはずの試合を勝ってしまったことで、甲子園でも負けられないと思った。
ほとんど運で勝ってしまったのだから、あいつらの代わりに甲子園でも活躍しようと。
一戦一戦を勝ち進み、そして絶対王者と対決して敗北。
それでも甲子園のベスト4まで残ったからこそ、顔が売れた。
次の年には県大会で負けていたが、前年の活躍からワールドカップのメンバーに選出された。
そしてそのワールドカップが予想を超えた盛り上がりを見せたことにより、そのメンバーはより高く評価されることになった。
運命のドラフト会議で引き当てられたのは、一年生の頃から目をつけてくれていたスカウトの球団であった。
「甲子園であんなに活躍しなかったら、もっと低い順位で取れたんだけどな」
冗談とも思えない真顔で、契約の時には言っていた。
先発ローテの故障や外国人のハズレにより、いきなりルーキーの年からチャンスが回ってきた。
その自分の前に、あのスカウトはまた現れて、苦々しく言ったものだ。
「早すぎる」
その言葉の意味は、プロ三年目となった今なら、分かる気がする。
最初の年には、先発ローテ陣に怪我人が出たこともあって、いきなりローテに組み込まれた。
そしてそこで10勝はしたのだが、肘に違和感があって一ヶ月以上の離脱もあった。
二年目はさらに勝ち星は増やしたが、貯金はむしろ減った。
それでもイニングが多くなり、ほぼローテをしっかり回して貯金を作ったということで、年俸はさらに上がった。
そして三年目の今年、開幕から少しして、肩に張りがあって一度ローテを飛ばされる。
次にはまた肘の炎症で、二週間の離脱。
自分の体は、プロのローテを一年間完全に守るほどの耐久性はない。
だが力を抜いて投げたり、技巧を尽くして負担を減らすことも、今の段階では出来そうにない。
化け物だらけのプロ野球界で、将来のことなど考えていたら、おそらくまともにローテも回せない。
肩や肘は確かに消耗品だが、それをどうやって爪あとを残すかは、自分で判断するしかないのだ。
そんな吉村は、交流戦が終了するまで、どうにか勝ち星先行できたのだが、どうにも調子は悪い。
満足なピッチングが出来ていない今年、内心は忸怩たる思いがある。
ドクターストップで数日のお休みとなって、吉村はこの機会に、母校を訪れるのであった。
春季大会も終えたこの時期、勇名館は夏を迎えて最後のスタメン争いも激化している。
そんな中に愛車のクラウンで、吉村は乗り込んだわけである。
吉村が今年でプロ三年目ということは、既に後輩たちも全員が卒業しているということだ。
よって面識のある者は、監督の古賀ぐらいとなる。
「トシちゃん、おっす~」
プロに行っても、恩師の前では直立不動などという学校もあるが、勇名館はいい意味でそのあたりは緩い。
まあ特別に吉村が緩いということもあるのだが。さすがに黒田などはもっと遠慮した態度をとる。
部員とマネージャーを入れて78人分のアイスに、自分と古賀の分も買ってある。
そしてアイスを堪能する後輩たちを見ながら、クソ暑いベンチに座って、語り合う二人である。
「で、どうなん今年は?」
春の大会は白富東に負けていたが、関東大会ではベスト8までは勝ち残っていた。
去年の秋もベスト8で、センバツまではあと一歩だったのだ。
古賀は声を落として、溜め息をつく。
「今年もまだ厳しいな。来年は手応えを感じていたんだが、またあそこに一年生が入ってきて」
監督としての古賀は、選手とは相容れない部分がどうしてもある。
それは三年にとっては最後の夏でも、古賀にとっては何度もある夏ということである。
吉村がそれを分かってきたのは、プロでは毎年負けたとしても、来年を狙えるという感覚を味わったからだ。
監督はその年が無理でも、何年かの期間の中で、結果を残さなければいけない。
レックスは今年もやや成績は良化しながらもBクラスであり、ライガース一強の状態を崩せていない。
援護が薄いのだ。レックスは。
それにキャッチャーにも、やや不満がある。
選手起用などというのは首脳陣の考えることだし、今の正捕手の丸川以外に、傑出したキャッチャーがいるというわけでもない。
だがピッチャーの揃ってきたレックスがAクラス入りを安定して狙うなら、どうしてもキャッチャーがいる。
先発やクローザー、それに主砲などは、外国人の助っ人でどうにかならないこともない。
だがキャチャーだけは、やはり日本人でないと無理だ。
一シーズンだけでなく、長い期間をかけてピッチャーとの間の関係を築く。
それは別に信頼関係だとか、そういった耳にいい言葉ではなくてもいいのだ。
勝つためのキャッチャーがほしい。
もっともそれは、どの球団でもほとんど言われていることだ。
吉村の話を聞きながら、古賀は吉村も成長したな、と感慨深いものがある。
自軍の監督に噛み付いていたあの山猿が、プロの球団でエース級の活躍をしている。
だが吉村の話は、もう少し深刻なものだった。
「俺、たぶんプロでいい成績残せるの、せいぜい20代くらいかなって思うんだよね」
古賀の驚いた顔に、吉村は苦笑いを浮かべる。
「なんつーか、俺は確かに天才だけど、ちょっと肉体の耐久力が足りてないんだわ」
一年目も、二年目も、そして今年も。
深刻なものではないが、吉村には故障が付きまとう。
体を削りながら投げている。
それが切実に分かる。
プロの世界の深いところは、古賀にも分からない。
吉村の存在は、もはやうかがい知れない高みにあると思っているからだ。
確かに高校時代も、吉村は故障していた。
だがそこまでしないと、プロの世界では生き残れないのか。
吉村はかなりの高所得者である。
だがそれも、肉体から生まれる財産だ。
一番の財産である肉体が潰れてしまえば、吉村には何も残らない。
天才肌であるだけに、人に教えるのも難しいだろう。
プロに入って、その中でもトップレベルの成績を残しているのに、それでもまだ足りない。
分かっていたつもりではあるが、そこまで厳しい世界なのか。
古賀は監督としてではなく、一人の指導者として、吉村に声をかける。
「肉体改造をする必要があるんじゃないか?」
目をぱちくりとさせる吉村である。
千葉県の某所、著作権に厳しい遊園地の近くに、その施設はある。
古賀も噂でしか知らなかったが、調べればそこそこネットの情報にも出ているのだ。
プロか、アマチュアでもトップレベルの選手たちが利用するという、そのスポーツジム。
セーブ・ボディ・センター。
肉体を守る。まさに今の吉村にはぴったりの名前である。
本当は球団寮のある埼玉にも、同じ施設はあるらしい。
だがとりあえずは、同じチームの人間と顔を合わす可能性が少ない、この場所を訪問した。
なにしろ埼玉はレックス以外にも、ジャガースやマリンズといった二軍の寮が多いのだ。
事前の連絡はしてあったので、話はスムーズに進んだ。
測定と言うよりは実験動物になった感じで、血液検査までされる。
スポーツドクターがすぐその場で、施設を使って行うらしい。
スピードはマネー。
その感覚でやっているのだと、トレーナーは笑っていた。
そしてそのトレーナーとスポーツドクターが一緒になって言う。
「フォームを少し変えた方がいいですね。今のままだと五年以内にトミー・ジョンかと」
また遠慮のないことを言ってくれる。
それにシーズン中にフォームをいじるなど、無茶なことである。
「あと、骨密度がもう少しほしいですね。靭帯や腱、それに筋肉はいいんですけど……」
トレーナーではないスポーツドクターは、怪訝な顔をする。
「何回かあちこち痛めてませんか?」
その通りである。
吉村の体は、生来栄養吸収の効率がいまいちである。
高校時代もプロになってからも、ちゃんと食事はしているのだが。
だがどうも、食事だけで必要な栄養素を摂るのには限界があるらしい。
サプリメントの摂取など、食生活に関しては寮に住んでいる以上、充分なはずであった。
だが体質的に、どうしても消化吸収が追いつかない人間がいるらしい。
食事と併用してサプリメントを利用することで、とりあえず故障の可能性は低くなる。
そして次に行うのが、体質の改善だ。
これはシーズンオフの期間に、時間をかけて行う。
プロ野球選手はシーズンオフでもオフではないと言われるが、確かにシーズン中にそんなことをやっていられるのは、二軍の選手ぐらいである。
だから「早すぎる」であったのだ。
二軍でしっかりと体を作った上で、一軍に上げる。
下手にエンジンが優れていたために、一軍でも通用してしまった。
だからボディではなく、そのシャーシがまだ充分に鍛えられていない。
吉村のやることは決まった。
今年は無理をしない程度にシーズンを過ごし、秋季キャンプからのシーズンオフに、肉体を一段階強靭なものにする。
ならば少なくとも、30代の半ばの、普通に衰える頃までは通用するだろう。
ここの職員は遠慮がないなあと思う吉村である。
だがそれだけに、嘘はついていないと分かる。
施設を出た吉村が見たのは、駐車場に入ってくるレクサスである。
やはり金持ちのスポーツ選手が多いのかなと、自分もそうである吉村が思っていると、知った顔がひょいと出てきた。
「あれ、サブちゃんじゃん」
「サブって言うな」
千葉ではいまや、ナンバーワンのスター選手とも言える織田である。
なるほど千葉の選手であれば、ここの施設を利用していてもおかしくはない。
神奈川にもやはり施設はあるらしいが、そちらはそちらでスターズの選手がいそうである。
「なに、吉村もここの会員になるわけ?」
「そのつもりだけどね。織田はここ長いの?」
「まあ出来た頃から使ってるからな」
立ち話が始まってしまった。
織田は高校時代から、メジャー志向があった。
そのため肉体をメジャー級にまで鍛えるため、ルーキーイヤーから独自にトレーニングをしていたのだ。
それがこの施設の前身であったらしい。
「アマチュアでも使ってるからな。ほら、お前も知ってるあの白富東の金髪女監督が、ここに出資してるんだよ」
吉村としてはおかしな気分になる。
白富東には最後の夏を潰され、甲子園に行けなかった。
だが二年の時に白富東から、運のいい勝利を得たことで、甲子園に出場したのだ。
だから別に、恨みを持っているわけでもない。
織田は吉村とは違う。
吉村がプロの中で生きていくために必死になっているのと違い、もう明確にMLBを意識している。
自分が肉体の耐久力を上げて、ローテを一年中守れるピッチャーになったとして、MLBへの挑戦を意識するだろうか。
いや、しないだろう。
人間には限界がある。
才能とか努力とかではなく、吉村の場合はMLBのピッチャーのローテでは、絶対に体がもたない。
ここが自分の限界だ。そして織田の限界は、もっと先にある。
キャリアが見えてしまった。
だがだからと言って、他に進むべき道もないのだ。
(俺は日本で、唸るほど金を稼ぐ)
吉村はむしろこれで、開き直ることが出来た。
(そんで家を立てて嫁さんもらって、出来るだけ長く現役で投げる)
先発として無理になっても、吉村はサウスポーだ。
左打者対策として、つぶしがきくのだ。
同じプロ野球選手でも、その目指す先は違う。
交流戦や日本シリーズで出会ったら、対決する相手である。
しかしこの年代には、不思議な連帯感がある。
それはもちろん、あのワールドカップがもたらしたものであるだろう。
吉村吉兆、21歳。
彼のプロ野球人生は、自分で思っていたよりも、随分と長くなるのかもしれない。
×××
人気投票もかねて群雄伝の次のお話を誰メインにするか決めようと思います。
ここでもいいですし他の第四部でもいいですが、好きな順番にキャラを三人挙げてください。基本は男キャラですが、女キャラでもいいです。
三点、二点、一点の順番で点数化して、今後の外伝を書く参考にしたいと思います。なお、作者が完全に忘れていて、未来を考えていないキャラもいると思います。
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