第2話 岩崎秀臣 本多勝 環境に合わせるな

 東京タイタンズ。あるいは巨神タイタンズ。

 西のライガースと共に最古の日本のプロ野球球団であり、そして球界の盟主などと呼ばれたこともある。

 ドラフト二位で指名された白富東高校出身のピッチャー岩崎は、一年目は一軍登板はなし。

 二軍の試合ではそれなりに出場機会があったが、一年目から層の厚いピッチャー陣で一軍入りすることはなかった。

 だがそれはジンからも聞いていたことだ。


 タイタンズが上位指名する選手は、二三年は二軍にいても、そこから10年はチームの看板を背負えると思える選手である。

 あるいは知名度が高く、人気が取れそうな選手。

 あの年も当然のように、一位指名は大介であった。

 そして二位で入ったのが岩崎であるのだが、前年リーグ二位だったタイタンズは、ウェーバー制により二位の選手指名は、かなり後の方であったのだ。

 それでも二位は二位であり、それなりに期待されることはあった。


 だが岩崎はこの球団は、自分には合っていないのではなかと思った。

 入団選手を集めた記者会見や、入寮時のマスコミの扱い。

 それは大きなものであるが、なんだか野球に取られる時間より、他の時間の方が多いとさえ思える。

 新人の合同自主トレでも、他の新人は何も思わなかったのかもしれないが、岩崎には違和感がある。

 設備は素晴らしいし、コーチなども実績はあるし、別に変な決まりがあるわけではない。

 だが求められるものが、変に枠に嵌ったものであるように感じる。


 一年目、当然のように二軍で過ごした岩崎は、イースタンリーグでは何試合かに登板した。

 そして大介がオールスターに出る頃からは、自分なりに工夫して練習をするようになった。

(FA補強とかどんどんしてもなかなか優勝できないの、こういうところに問題があるんじゃないか?)

 そんな岩崎が一番多く組んで練習をするのが、一年上のドラフト一位、高校時代の対戦経験もある本多であった。




 名門帝都一で、四番とエースを同時にやっていた本多は、明らかにその年のドラフトの中でも、最上位の素質を持っていたはずだ。

 実際に競合し、そこからクジでタイタンズに選ばれて入ってきた。

 しかし一年目には全く結果が出せず、基本的にピッチャーであるはずなのだが、一気にコントロールが悪くなっていった。


 ドラフト一位というのは素材としては一位なわけで、当然ながらコーチ陣も、どうにか大成させようとする。

 しかし本多の調子は上がらず、野手転向まで考えられていた。

 元々打撃だって悪くはないどころか、センスはこちらの方が上かもしれないとまで言われていた。

 しかし二軍のピッチャー相手ならばともかく、一軍では成績が出てこない。


 そして二年目になる今年は、改めてピッチャーとしての育成が考えられていた。

 だがどうも二軍の試合でもピリッとしない。

 上からは大事に、しかしどこか過剰に構われ。

 下からはやや近寄りがたいと思われていた本多。

 そんな本多を、岩崎は誘ったのである。


 二軍にも休みというのはある。

 そんな暇もなく練習するという者もいるのかもしれないが、基本的にちゃんと休息を取らないと、体は成長しないしトレーニングも無意味になる。

 本多はちゃんと休んではいたが、それでも最低限のトレーニングなどはする。

 しかしそこへ、岩崎は誘ったのだ。


 タイタンズの選手寮は神奈川にある。

 そこから程近い場所へ、電車で向かう二人である。

「それにしてもお前、どうして俺を誘ったんだ?」

 本多と岩崎は、同じタイプである。

 右の本格派で、先発完投型。つまりはローテを争う選手である。

「単純に真面目に上手くなることを考えてる人で、俺よりも既に全体的に一回り上手いからですけど」

 そう言われても首を傾げる本多である。


 本多にとって岩崎は、不思議な人間である。いや、選手であると言うべきか。

 全国レベルでもエースの力を持ちながら、チーム内では二番手だった。

 これが左と右で分かれていたりすると別なのだが、同じ右で二番手だと、萎縮して伸びないことがあるらしいのだ。

 もちろんそこから奮起する者はいるし、岩崎もまたコツコツと努力をする方だったのだろう。

「あとはやっぱり、こういうことを一緒にするなら、あんまり染まってない人がいいなって」

「染まる、か……」

 本多はその言葉の意味を、正しく理解したらしい。




 現在のタイタンズには問題がある。

 それは長期間安定して成績を残せる選手が減ってきていることだ。

 入団一年目から成績を残す者、一年目を二軍で努力して、一軍に昇って行く者。

 様々な過程の選手がいるのだが、それがスポイルされる傾向にある。


 球団としては毎年、優勝争いに絡むチームであることを求める。

 それだけ育成にも補強にも金をかけているのだが、ここ最近のデータを見る限りでは、育成がいまいち上手くいっていない。

 それでも外国人やトレードなどで選手を集め、それなり以上の戦力にはする。

 すると生え抜きが育ってこないのだ。


 ただ、本多の場合はそれとは全く別の問題に、岩崎には思えた。

 誰もが本多に、教えたがりすぎるのだ。


 高校時代に比べると、今の本多は明らかに精彩を欠いている。

 本人もそれは分かっているのだが、周囲は違うところを見てしまっている。

 適切な練習を合理的に教え込まれた岩崎には、現在の本多は試行錯誤の中、過去を確認する前に、そのまま次の試行を行っているようにしか見えない。

 まだ固まっていないところへ、次から次に積み重ねていけば、それは歪なものにもなるだろう。




 そしてやってきました、セーブ・ボディ・センター。

 首都圏に三つの施設を持つこの会社は、アマチュアトップレベルやプロの選手の、トレーニングについての相談に乗る会社である。

 土地を確保するために首都圏からは外れているが、実は神奈川でも少し郊外に近いところにある。

 施設を充実させるためには、それだけの土地が必要だったのだ。


 ここにやってきた二人は、事前に既に様々な映像を送ってある。

 まだ若い眼鏡をかけた男性が、二人の担当になる。

 本来は一度に一人ずつ見るのだが、あえて今回は二人一緒である。

「ええと、本多さんは典型的な、教えられすぎ状態ですね」

 そして現在と、残っていた高校時代の映像などを比較する。


 体格は今の方がいい。一年間を戦えるだけの体力が必要なのだ。

 ただ元々本多は、馬力はあるタイプなのだが。

「高校時代はフィニッシュで右足が高く上がっていましたが、今では上半身が立ったままです。コントロールが悪くなる原因でもありますが、これだと近いうちに故障したでしょうね」

 故障。それはプロにとって最も恐ろしい言葉である。


 映像で見れば一発なのだが、確かに今の本多は、柔軟性を欠いているように思える。

 ただ球速自体は落ちていない。

「コントロールではなく、バランスの維持に筋力を使ってしまってるんですね。上半身の筋トレですが、半分に……いや、三分の一に減らしたほうがいいです」

 そこから本多の現在の練習メニューなども見て、データを入力した上で、今度は計測となる。

 各種機器を全身につけて、またカメラでの撮影と、体重移動を数値化しながら、トラッキングシステムで投球動作を計算する。

 これは実際にボールを投げてもらうわけだが、とりあえずはストレートと、他の変化球である。

 本多と言えばフォークが決め球なのだが、最近はあまりこれが落ちていない。


 計測されたデータはその場ですぐに見られる。

 そして各種数値を他のピッチャーの平均値と比べて、どこが異常値になっているかを比較するのだ。

 この時大切なのは、異常値であってもそれが悪いとは限らないことである。

 だが本多の場合は、明らかに悪い異常値が出ていた。

「無駄な筋肉の付けすぎで、股関節の駆動域が狭くなってます」

「マジか」

「マジです」

 そして言われたのは、走り込みを減らすこと。

 ジョグ程度ならいいが短いダッシュまで減らした上で、跳躍系のトレーニングを行うこと。

「50cmぐらいの高さにジャンプして飛び乗り、そこからすぐに降りるとか。まあ事前の準備運動が必要ですが」

「あ、それ高校時代はやってました」

「今はどうしてやってないんです?」

「コーチに渡されたメニューをやってると、そっちまで手が回らなくって……」

「う~ん……このメニュー見た感じだと、コーチの人って足が短くありませんか?」

「ぶ、確かに」

「今の本多さんは中学高校と延ばしてきた部分を放っておいて、それを阻害する部分を延ばしてる状態なんですよね……」

「マジか」

「マジです」


 プロ野球のコーチなどというものは、五人いたら三人潰しても二人を大成させたら立派と思われる。

 それも成功の割合から言えば間違いではないのだが、実際のところは三人には合ってない練習をさせて潰していることが多いのだ。

 あとは体質的に、そもそもプロの環境ではもたない体であるという場合もあるが。

「監督もコーチも、教えることが多い人間ほど、ダメなコーチと言ってもいいですからね。ぶっちゃけ一番いい体の使い方は、自分でも分かってるはずですし」

 プロ野球の監督は、勝つことが仕事である。

 コーチは采配の補佐と、選手管理が仕事だ。

 育成は二軍の仕事になるのだが、下手なコーチほど教えたがりである。


 本多の場合はコーチが下手と言うよりは、色々な人が口を出すことが問題らしい。

 このメニューだけをやっているなら、ここまでひどくはならないはずなのだ。

 一位指名の高卒新人ということで、色々と周囲に言われたのがまずかったらしい。

「あとチームの先輩ピッチャーからアドバイスとかもされてません?」

「う~ん、ツーシームの投げ方とかぐらいで、それは別におかしくないような」

「そのせいで球が上手く指から抜けなくなってるのかもしれませんね。フォークが落ちなくなった原因です」

 沈黙する本多であるが、確かにツーシームを本格的に投げ始めたのと、フォークが落ちなくなったのは同じぐらいの時期に思える。


 今の本多に必要なのは、アドバイスを無視する勇気だ。

 元々本多は天才で、自分の体に必要なことを取捨選択出来ていた。

 だがプロの世界まで来ると、さすがにその才能を上回る者は多く、だからこそトレーニングも練習も、新しいやり方を欲したのだ。

 それが全てマイナスになっている。

「新しいやり方を試してみて、二ヶ月たっても成果が出なければ、だいたい他のことをやった方がいいらしいんですけどね」

 トレーナーの言葉に、声もない本多であった。




 岩崎の場合はずっと軽傷である。

 と言うよりは、プロになってからも高校時代のメニューを中心にやっているので、悪いところはあまりない。

 なので欲しいのは、決め球となる球種である。

「フォーク使いたいんですよね」

「え、お前スプリット投げてなかったっけ?」

「それでもいいですけど、落ちるときと落ちないときがあって」

 ちなみにフォークとスプリットは、アメリカでは同じスプリットである。

 ただカーブでも、スローカーブやドロップカーブなどがあるように、球速や落差で適当に分別しているのが日本である。


 本多としても今日のことは、かなり借りだなとは思っている。

 なので教えるのもやぶさかではないのだが。

「まあこんな感じで投げてるんだけど」

 本多の握りは、スプリットである。

「え? スプリットの握りですよね?」

「だけど回転が少なくなるし落差も大きいから、フォークって言ってるだけ」

 衝撃の事実である。


 スプリットが落ちない岩崎がフォークを投げている本多に相談したら、本多が投げているのはフォークではなくスプリットだった。

 何を言っているのかわからないと思うかもしれないが、プロ野球の変化球あるあるである。

 たとえばカーブとスライダーにしても、両方の特徴の中間の持つスラーブなどがあるし、スライダーとカットボールにしても、両方の特徴の中間のスラッターというものがある。

 チェンジアップにも色々投げ方や変化はあるが、全てチェンジアップでまとめてあったりもする。

 実際は握りが全く別であったりするのに。


 さすがに気の毒に思ったのか、本多も解決策を考える。

「チェンジアップの握りを変えたらどうだ?」

 そして見せたのが、サークルチェンジである。

 チェンジアップも定義的には、ストレートと同じ手の振りで、ストレートより遅い球が来ればいいというもので、ようするにタイミングを狂わせる球である。

 だがそのためにかけた変化で、スコンと落ちるものがある。

 岩崎のチェンジアップは、少し落ちるタイプだ。それなりに空振りは取れるが、チェンジアップにヤマを張られたら打たれるレベルの球である。

 そしてこの日から、二人はフォーム調整や新球種の練習など、組みながら試していくことになる。

 



 三年目の本多よりも、二年目の岩崎の方が、このシーズンは先に一軍で先発をすることになる。

 ただし本多もその後すぐに一軍に上がり、当初の予定とは全く違うが、セットアッパーやクローザーの役割を多く果たすことになる。

 そしてその中で使われるのが、伝家の宝刀とも言えるフォークになるのであるが、二度目の対戦であっさりと大介に打たれたりするのである。

 変化球やフォームの調整など、プロの世界でのピッチングの試行錯誤は、激しいものである。

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