第13話 日本の主砲

オープン戦一戦目を終えた翌日、能美と村野の二人は二軍の練習場がある高知へ向かった。その途中、新幹線の車内で、村野は売店で買ったスポーツ新聞を広げる。一面はもちろん昨日のオープン戦の話題だった。

最後の打者、清和を三振に打ち取りガッツポーズをする成沢の写真が、『怪物・成沢!! あわや完全試合!!』という見出しとともに映し出されていた。記事の内容は、成沢の投球を褒めるものがほとんどだったが、中には「相手が万年最下位のシャインズ、しかもスタメンのほとんどが二軍メンバーだったのがその要因で、実際に一軍で通用するかはまだわからない」という、見るだけで苦笑いしてしまうようなものもあった。

村野は一通り記事を読み終えると、新聞をカバンの中にしまった。とりあえず、成沢の形式上の完全試合を阻止できたのはよかった。もし、自分が打ち取られていれば、今日の記事はもっとセンセーショナルな見出しが書かれていたはずだ。そうなればファンや球団関係者に申し訳ない。


「ふぅ」


村野は安堵のため息を吐くと、昨日の打った感触を反芻するように、両手を繰り返し握った。昨日のヒットは、バットを折られたし、本当なら打ち取られていたのだ。たまたま飛んだコースがよかっただけだが、それでも結果オーライというやつだろう。

ふと、隣の能美を見る。能美はすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。無理もない。能美の性格では、昨日の試合は肉体的にも、精神的にもきつかったのだろう。新幹線に乗る前にも「昨日はあまり眠れなかったんです……」と言っていたっけ。

能美の寝顔を見ながら、村野はあの沖縄キャンプの話を思い出していた。


「父親との思い出か……」


能美は父親との思い出はあまりないと言っていた。それでも、甲子園に連れて行ってくれた思い出を話していた時の能美は、とても嬉しそうだった。そして、父親を深く尊敬していることも伝わってきた。能美にとって、自慢の父親だというのがひしひしと感じられた。

自分は、息子たちになにか思い出を残してやれているのだろうか。シーズンオフには家族旅行にいったり、遊園地や動物園に行ったり、家族サービスはしている。でも、それだけでいいのだろうか。本当に残してやりたい思い出は、そんなものではないはずだ。


「一軍で活躍すること、か」


父親が野球選手であることの証明。そして、自分が自分であるための証明。それが、息子たちに残せる一番いい思い出なのではないか。

プロで十八年間、鳴かず飛ばずだった自分が、この一年でそれが達成できるのだろうか。そんな不安が一瞬よぎったが、それを打ち消すように、目的地に到着したことを告げる放送が車内に響き渡った。

   ◆

駅を降りた後、球団の車で練習場に向かう。するとさっそく、その入り口で足利がいつもの笑みをたたえて出迎えた。


「なんやぁ~、もう戻ってきたんかい」


「また二軍にトンボ返りですよ、監督」


村野が自嘲気味に笑うと、


「そらトンボに失礼やで」


と、足利はいつものように毒を吐いて答えた。

その後、二人は練習着に着替えると、足利の指示で練習場の端にあるブルペンに連れて行かれた。そこで軽いウォーミングアップを済ませると、足利が口を開く。


「まず村野、お前には時間がない。キャッチャーは野手の中で最も特殊や。せやから本来、一朝一夕で技術が習得できるポジションやない。それを、古家監督は『オープン戦が終わるまでになんとかしてほしい』と言いよった。ほんま、けったいな話や」


足利は呆れたように溜息をついたが、すぐに「……まぁ」と付け加えた。


「上から頼まれたもんは仕方ない。超特急でキャッチャーの心構え教えたるから、覚悟せぇよ」


「はい!」


「それと能美!」


「は、はい!」


いきなり名前を呼ばれた能美はびっくりしたのか、うわずった声で返事をした。


「お前はそのびくびくする癖をなんとかせんかい。ええか? ピッチャーっちゅうのは、お山の大将や。王様や。マウンドの上でどーんとあぐらかいとったらええねん。バッターに対しても、『打てるもんなら打ってみぃ!』くらいの気迫で向こぉていかなあかん!」


足利が熱弁をふるう。いつの間にか、いつものおっとりした口調や、狐顔の笑みは消えていた。


「わしは精神論は好かんけど、これだけは言えるで。ピッチャーは気持ちで負けたらあかん! 気迫で負けたらあかん! そこで負けるような奴は、勝負する前から負けやからな」


「はい!」


能美は力強くうなずいた。


「よっしゃ! それじゃ今回は解散!」


「え!?」


いきなりの肩透かしに、二人とも唖然とした表情を浮かべたが、足利は意に介さない様子で笑い声をあげた。


「なんやノリ悪いなぁ。ここは新喜劇やったらこけるとこやで」


「いや、てっきりこのまますぐに練習だと」


村野の問いかけに、足利ははげ頭をなでながら言う。


「アホか。わし二軍“監督”やで。今から二軍のオープン戦やんねん。お前らのしごきはその後や」


そう言う足利は「しっかり準備しとけ~」という言葉を残し、ブルペンを出て行く。体の芯にあった熱が急速に冷めていく感じがした二人は、光の加減でちょうど後光のように見える足利の頭を黙って見送るしかなかった。

   ◆

「それにしても、足利監督のいい加減さには困ったもんだな」


「はは、そうですね」


村野が呆れたように呟く。能美はそれに笑って答えた。

少し遅い昼食を済ませた二人は、二軍の試合が終わるまで宿舎の部屋で待機していた。ちなみに春季キャンプ同様、一部屋に二人ずつが割り当てられる。今回は能美と村野が自動的に同じ部屋になった。

村野が部屋のテレビを点ける。ちょうどお昼のワイドショーが画面に映し出された。


『昨日のプロ野球オープン戦、タイタンズは初回のノーアウト満塁のピンチに、注目のルーキー、成沢が緊急登板。三者連続三振でピンチを切り抜けると、オープン戦ながらそのまま九回まで投げ、打者28人に許したヒットはわずかに一本。怪物の片鱗を見せつけてくれました』


画面には、昨日の試合のダイジェストが流れている。映像の最後には村野のあの打席が映った。


「バットへし折られて、どん詰まりのヒットか。かっこつかねぇな……」


思わず苦笑いをこぼした村野の横では、同じ画面を能美が食い入るように見つめていた。たぶん、能美のことだから、自分の活躍よりも純粋に憧れの同級生の投球に見入っているのだろう。


「能美、口が開きっぱなしだぞ」


「え! あ、すいません!」


ほんとに、どうしてこんなのがプロ野球選手になれたのかと、村野には不思議でならなかった。確かにコントロールは超一流――いや、そんな言葉さえ陳腐に感じるほどのものを持っている。しかし、それだけではダメだ。それは昨日の試合でも証明されている。

少ししか付き合っていない村野にもわかる。能美の気弱な性格、ノミよりも小さい心臓はピッチャーには向いていない。すぐに精神的に押しつぶされてしまう。あのコントロールが見る影もなくなってしまう。そうなれば、もはや能美は凡人以下のピッチャーだ。

そんな選手の女房役を村野はしなくてはいけない。ルーキーで、すでに戦力外ギリギリの選手のだ。もしかしなくても、とんでもない任務を安請け合いしまったようだ。


『続いては今日の特集です。今日は、いよいよ世界大会を一週間後に控えた、野球日本代表の選手たちのインタビューの模様をお送りします』


画面が切り替わった。何人もの選手の練習風景や談笑している映像が流れる。全員が青地のユニフォームの真ん中に、「Japan」という赤いロゴが金の縁取りで書かれている。どの選手も誰もが知っているような有名選手ばかりだった。

野球世界大会は、世界各国16の国と地域が参加して行われる大会だ。四年に一度行われる大会は、今年で三回目になる。第一回目の大会はキューバが、二回目は主催国のアメリカが野球世界一の栄冠を勝ち取っている。日本は第二回大会の準決勝でキューバに破れ、三位という結果に終わってしまった。そして長い四年の月日を経た今年、前回の雪辱を晴らすべく、12球団から精鋭メンバーが結集されたのだ。


「あれ、でも東城さんがいないですよね?」


「あー、それ本人の前で言うなよ。結構気にしてるみたいだから」


村野に諭され、能美はハッと思い出す。そういえば、いつかテレビで聞いたことがあった。東城は去年のオフに怪我をした。すでに選抜の候補として名前が挙げられていた東城だったが、大事をとって東城自身が選抜メンバーを辞退したのだ。その時の会見で東城は気丈に振舞っていたが、その瞳は微かに濡れていた。


「ま、そのおかげでうちからの代表選抜はゼロだけどな。球界のお荷物球団には用はないってことだ。な」


村野の問いに、能美は返事の代わりに曖昧に笑った。


『それでは、今日はタイタンズの四番であり、日本代表の若き主砲、諸星隼人(もろぼしはやと)選手にお越しいただきました。諸星選手よろしくお願いします』


『おねがします』


練習風景が一旦終わり、どこかの部屋に画面が切り替わった。真ん中に簡素なつくりのイスが二つ置かれている。右側には若くて精悍な顔つきの選手が座り、反対側に座った女性キャスターからインタビューを受けているようだ。

諸星隼人。プロ年数わずか五年で球界の至宝とまで言われている超一流選手だ。プロ二年目でいきなり本塁打・打点の二冠を達成し、文句なしで新人王を獲得すると、そこから四年連続で数々の野手タイトルを総なめにしてきた。今年の世界大会、最も期待されている選手の代表だ。

常勝タイタンズの原動力。この選手を攻略しない限り、日本一など夢のまた夢なのだ。


『諸星選手は今回初の代表となりますが、プレッシャーは感じていませんか?』


『プレッシャーがない……と言えばウソになります。けど選ばれた以上は、優勝に向けて自分の持ってる力全てをだすつもりです』


言葉の一つ一つが力強い。日本の主砲という大役でも、この選手ならやってくれるだろうという期待を感じさせるだけの迫力が、画面越しに伝わってきた。


「俺なら尻尾巻いて逃げだすな……」


村野の呟きをかき消すように、突然部屋の電話が鳴った。近くに座っていた能美が受話器を取る。


「はい、もしもし。あ、はい。……誰ですか? え? はい。わかりました」


受話器を戻した能美はなんだか不思議そうな顔をしていた。


「なんだって?」


「フロントからだったんですけど、僕たちにお客さんが来てるらしいです」


「客? いったい誰だ?」


「それが、呼んでくれたら分かるからって……」


二人は不審に思いながら、一階のロビーに向かった。エレベーターが一階に到着し扉が開いた瞬間、視界に二人のよく知る人物が立っているのが見えた。


「諸星!」


「お久しぶりです、村野さん」


そこにはさっきまでテレビに映っていたあの選手、諸星隼人は立っていた。ユニフォームを脱ぎ、ラフな格好でこちらに向かって軽く会釈している。日本代表の選手がこんなところにいるのも驚きだったが、さらにもう一つ二人を驚かせたことがあった。


「成沢……くん?」


諸星の横にはあの怪物、成沢が並んでいたのだ。

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