第12話 受難

二回の表、シャインズの攻撃は七番の唐木からだ。初球はストレートを見逃してワンストライクを取られる。これで前の回から数えると、十一球連続でストレートということになる。


(球の伸びがハンパじゃないな。百年に一度の怪物っていうのは伊達じゃないらしい……)


唐木は去年の夏の甲子園を思い出していた。記念すべき第百回大会に現れた怪物、成沢涼は、決勝初の完全試合という記録を筆頭に、防御率、奪三振など、それまでの数々の記録を塗り替えてしまった。文字通り『百年に一度の怪物』というわけだ。


成沢が投じた十二球めもストレート。唐木はこれをファールし、ツーストライクに追い込まれた。


(しかし、ここまで全球ストレートとはありがたい。速球打ちは俺の十八番(おはこだ))


成沢が振りかぶるのに合わせて、唐木がテイクバックをとる。ストレートのタイミングは今までの球で計ることができた。あとはコースに合わせてミートして当てるだけ。


『ストライク! バッターアウッ!』


球場にむなしく響く風切り音。これで前の回も合わせて四者連続の三振となった。


「フォークか?」


ネクストバッターズサークルで準備をしていた峰が、すれ違い様に唐木に尋ねる。唐木は悔しそうに小さくうなずいた。


「峰さん、気をつけてください。あいつのフォークは“落ちる”んじゃない――“折れる”んです」


     ◆


この回から、成沢は変化球も交えた投球に移行した。スライダーやカーブでカウントを整えつつ、最後は唐木に“折れる”と言わせたフォーク、そして150キロ前後のストレートを武器に三振の山を築く。ストレートだけでも手を焼いていたシャインズに、今の成沢が打ち崩せるはずもなく、ただアウトカウントが増えていくだけだった。

一方で守備面でも、梅川が二発のホームランを浴び、後続の投手も打ち込まれるなどで八回までに失点が十一。すでに試合は決まっていた。


「あ〜ぁ、今日の試合ボロボロじゃん。やっぱ二軍のやつらにはまだ早いってことだな」


「これじゃあ、入れ替え戦もやる意味ないんじゃないの?」


「言えてる」


ベンチ内でそんな話し声が聞こえる。おそらくミーティングのときでもやる気のなかった一軍の選手たちだろう。


「あいつら……」


清和が立ち上がろうとしたが、隣の村野が肩を掴んで制止させた。


「気にするな、言わせとけ」


清和は声の方向を睨みつけていたが、しばらくしてまた座りなおした。

悔しいが、実際に二軍の選手たちはまったくその仕事ができていない。村野は未だマウンドに立っている成沢の前にノーヒット。清和にいたっては、全打席三振という不甲斐ない結果に終わっているのだ。

それだけならまだいい。スコアボードに表示されている二本のヒットは、いずれも先発の市丸からのもの。最悪なのは、ここまで誰一人として成沢からヒットを打っていないことだった。

一回の表、ノーアウト満塁の場面から登板した成沢に、八回までヒットがゼロ。仮にこの九回の表もノーヒットで抑えるとなると、27人の打者を完璧に抑えることになる。それは実質、完全試合と同じことなのだ。

そのことを分かっているのだろうか、観客もすでに大差がついた試合だというのに、なかなか帰ろうとしない。視線は一斉にマウンドの成沢に注がれていた。


(なんとかしないと……)


この回の先頭打者は伊田。ここまで三振が二つ。ファールすらできていない。


(ここは――)


伊田は初球セーフティーバントを試みる。しかしバットの上っ面に当たったボールはキャッチャーフライになった。

続く二番、駒井からは成沢が今日十五個目となる三振を奪いツーアウト。

観客席のボルテージが最高潮になる。今はどちらのファンも関係なく、成沢の偉業達成の瞬間を見届けたいようだ。


『三番、サード、村野』


村野がゆっくりと打席に向かう。その視界に捕らえているのは、成沢ではなく、タイタンズの捕手だった。三年目の若手だが、タイタンズ有望株の選手である。


(確かに成沢はすごい。だが、結局サインを出してるはキャッチャーだ。俺がもし成沢をリードするとしたら、初球は低めのストレートだな)


しかし、成沢の初球は外角のフォーク。村野はこれをかろうじてファールする。

続く二球目、村野はまたストレートに的を絞っていたが、今度は外に逃げていくスライダー。村野のバットが空を切ってこれでツーストライクに追い込まれた。


(次はフォークで三振狙いか)


三球目はさっきと同じようなコースにまたスライダー。これは見逃してボールとするが、村野の予想はまたも外れることにり、思わず苦笑する。

――どうやらこのキャッチャーと俺の相性は悪いらしいな――

一度だけ大きく息を吐いて気持ちを切り替える。もし自分のリードなら勝負球はフォークだ。そのほうが打ち取れる確立は高い。だが、もうそんな予想はあてにならない。

この若いバッテリーが思い描いている最高の打ち取り方はなんだろうか? 明日のスポーツ紙の一面を飾るに相応しい、最高の写真は――。


(やっぱりストレートで三振……だろうな)


村野は一度だけベンチの方を見ると、『三振したらすまん』と心の中で謝った。

運命の一球。

予想通りのストレートは村野のバットをへし折った。

その瞬間、誰もが成沢の偉業を思い浮かべただろう。

しかし、バットを振り抜いたのがさいわいしたのか、力ない打球はポトリとセンター前に落ちた。

溜め息が球場を包む。唯一、シャインズベンチだけが歓声をあげていた。そんなベンチを見て、村野は一塁上で小さく拳を握った。



その後、成沢は清和を三振に打ち取りオープン戦初日は終了した。終わってみればチームは大敗。しかもルーキー相手にヒット一本という結果だ。おそらく明日からは打線も大きく組み替えられるだろう。


「はぁ」


溜め息を吐きながら、村野は監督室に向かっていた。

清和から飲みに誘われていたが、そんな気分にもなれず、今日は帰ろうかと思っていたところに監督からお呼びがかかったのだ。


「ん?」


監督室の扉の前で見覚えのある小さな背中が見えた。


「能美も呼ばれたのか?」


「え! あ、はい。後で来るようにって……」


「だったらさっさと入れよ」


「いや……もしかしたら怒られるんじゃないかなっ……て」


俯いて話す能美の頭を村野が軽く叩いた。


「安心しろ。今日のお前はよくやったよ。怒られるんなら、俺たち野手陣の方だしな」


苦笑いして部屋に入る村野の後ろを、能美がついて行く。


「――はい。よろしくお願いします――おお、来たか」


電話中だった古家は、二人が部屋に入ったのを確認すると、携帯を切ってポケットにしまった。


「監督、俺たちに用ってなんですか? お説教なら、俺一人で充分ですよ」


「はは、そんなことはせんよ。今日はもっと大切な話だ」


急に二人を見る古家の目付きが真剣になる。それはシーズン中に指揮をとっている時と同じように村野は感じた。


「村野、今シーズンお前にはキャッチャーをやってもらう」


「は!?」


予想外の古家の発言に、村野の声が思わず裏返る。その横では能美が小動物のように、古家と村野の顔を見比べていた。


「ちょ、ちょっと待って下さいよ! できる訳ないでしょ。いきなりキャッチャーなんて!」


「そうか? 今日の試合、いいリードしてたじゃないか」


「あれは能美のコントロールが良かったからですよ。あれだけのコントロールがあれば、誰だって……」


その言葉を聞いた古家は、にやりと笑った。まるで待ってましたと言わんばかりに。


「なら、能美だったらいいんだな?」


「どういうことです?」


「なにもシーズン通してキャッチャーをしろと言っているわけじゃない。わたしがお前にしてほしいのは『能美専用の』キャッチャーだ」


今度は能美も驚いたようだ。「え!」といつもより大きな声が出た。


「詳しいことは足利監督に聞いてくれ。もう指示は出しておいた」


古家は右ポケットを二度叩く。さっき話していたのは足利監督のようだ。受話器の向こうの狐顔が村野の脳裏に浮かんだ。


「拒否権は……?」


「ないな。これは監督命令だ」


それを聞き、村野は頭を掻くと盛大に溜め息を吐いた。


「能美はいいのか? 俺がキャッチャーでも」


能美が俯く。やがて小さく絞り出すような声で


「僕は、村野さんでも、いいです……」


もう一度、村野は息を吐く。最後の逃げ道もこれで断たれたか。


「……わかりました。やりますよ、キャッチャー。どうせ残り少ない野球人生ですから」


「任せたぞ、村野! あ、二人には明日から二軍の方の練習に参加してもらうからな」


「ってことは、向こうにトンボ帰りですか?」


笑顔で頷く古家を見て、二人はこれから続くであろう受難を感じずにはいられなかった。

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