第4話 波乱の春キャンプ

二月一日。この日、十二球団は一斉に春季キャンプを開始した。どの球団も例年通り、本州を離れ、温暖な沖縄や晴天日の多い宮崎にキャンプ地を置く。

白陽シャインズ二軍の面々も、球団バスで沖縄にある球場へ向かっていた。


「ったく、ガキの旅行じゃねぇんだぞ」


一番後ろの席で、コバルトブルーの海を眺めていた村野の耳にそんな声が聞こえてきた。


「どうした、清和(きよかず)」


村野の問いかけに、白陽シャインズ二軍の主砲、清和博(きよかずひろし)一塁手は、ため息を吐きながら、バスの中央の辺りをあごで示した。

清和は村野と同じ三十六歳。二軍選手の中では村野と並び、最年長者である。

過去に一度だけ、一軍でホームラン王のタイトルを獲得したことがあるが、その後は度重なるケガやスランプのせいもあり、ここ数年は二軍生活を続けている。

村野はその先に視線を移す。そこには若手の選手たちがトランプをしている姿があった。村野も思わず息を吐き出す。

これじゃあまるで高校生の修学旅行だ。


「まぁ、そんなにムキになるな。向こうに着いたら、いやというほど練習させられるんだから」


村野はそうなだめながら、清和の広い背中を叩く。選手の中でも、清和と対等に話ができるのは村野だけだった。並の若手選手であれば、その大きな体格と常に眉間によったしわを見ただけで、言葉を失ってしまうだろう。


「プロ意識の低い連中だ。……ところで村野、お前のところにも監督から電話かかってきたか?」


「ん? あぁ、あれか」


それは二週間ほど前のことだった。足利喜代彦(あしかがきよひこ)二軍監督は、いつものようにゆったりとした関西弁で『今日からしっかり体つくっとけ。春季キャンプは初日からとばすからなぁ』という指示を選手に与えていた。

確かにキャンプ前には各自が調整や、ケガ防止のために自主トレーニングを行うのは普通だ。しかし、今回のように監督からわざわざ電話でトレーニングの指示を出すなど今までないことだった。


「今年のキャンプはとばしていく……ねぇ。なに考えてんだ、監督」


腕組みをしながら首をひねる清和に、村野は笑って返す。


「変人・足利監督のことだ。実はなーんにも考えてなかったりしてな」


「もしそうだったら、やめてほしいな、まったく。それでケガしたらどうする。こっちは今年がラストチャンスだってのに……」


独り言のように吐き出した呟き。村野は励ましてやろうと出した手を途中で止め、再び窓の外に目をやった。

――ラストチャンス。その単語が村野の心に響く。しかし、その重みは自分と清和ではまったく別物だろうと考えていた。

来年の就職先が決まり、このままシーズンを過ごすのが目標の男と、死に物狂いでこのシーズンを勝ち抜いていこうとしている男。そんな男の前で、自分が軽はずみにその言葉を口にしてはいけない。じきに、清和にもオーナーから話しがあるだろうが。

今は自分のことだけ考えよう。無事に生涯最後の現役を終えるために。


     ◆


バスが球場に到着すると、選手たちはすぐにロッカールームで着替えを済ませ、グラウンドでストレッチを始めた。練習するには絶好の日和だ。

外野の芝の上で仰向けに倒れた村野の目には、沖縄の雲ひとつない青空が広がっている。ほんの数百メートル先に海があるせいか、かすかな磯の香りが鼻をかすめた。


「やあやあ諸君、ごくろーさん」


晴天の空の下、小柄な老人、足利監督がはげた頭をかきながら現れた。

開いてるかどうかもわからない切れ長の目、太い眉毛はハの字に下がっている。それに加えて、いつも口角があがっているものだから、終始笑っているように見える。

動物に例えると、狐、といったところだろうか。しかし、その顔にだまされてはいけない。


「えー、まぁ、なんや。今年もこうして、みんなが揃ってキャンプを開始できることを感謝してやな……」


「監督、前置きはいいですから、早く新人紹介にいきましょうよ」


足利の話しを遮って、一人の選手が手を挙げる。

それに対して、足利はなおも笑顔で、


「なんや伊田ぁ、監督の話はしっかり聞くもんや。特にお前は去年三振が多かったやろ? 目がしっかり使えん分、耳を使わんかい、耳を」


伊田と呼ばれた男は、挙げた手を申し訳なさそうにおろす。そう、足利はその顔とは裏腹に、超がつくほどの毒舌家なのだ。その顔に油断していると、文字通り『化かされる』。


「まぁええわ。わしも長い話は好きやないしな。ほな、新人は前に出て挨拶な」


足利の号令で、新人選手四人が前に並ぶ。そこにはもちろん能美もいた。周りの選手と比べれば、背丈が小さく、なにより挙動不審であった。


「能美心です……えっと……い、一生懸命がんばるので、よ、よろしくお願いしましゅ! ……あ」


選手から起こる大爆笑。能美は恥ずかしさで顔を赤くし、なかなか下げた頭を起こすことができなかった。

そんな中、村野と清和の二人だけは、新人選手を見ながら話しをしていた。


「どう思うよ、あの新人」


清和が尋ねる。


「身長は一七〇センチってとこか。投手としてやっていくのには多少不利だな。唯一の救いは左投手ってとこか」


「俺から見れば、プロ野球の選手って感じがまったくねえな。高校生どころか、中学生にだって見える。俺はドラフト二位の梅河(うめかわ)って奴がいいと思うがな」


そう言って、自己紹介をしている男を指差す。

地元の白陽大学出身の梅河は、一四〇キロ後半の直球と、スライダー、シュートで打者の内外角をつくピッチングを得意とする投手だ。運悪く、大学の野球部は貧打のチームだったので、リーグでは上位に入ることはなかったものの、梅河に対しての各球団スカウトの評価はなかなか高いものだった。


「俺は、三位の唐木(からき)は将来性があると思う。あの武蔵野自動車のクリーンナップを打っていた男だからな」


村野が視線を送ったのは、社会人野球の名門、武蔵野自動車で三番を打っていた唐木だ。体格にも恵まれ、打者としては申し分ない。


「まあ、どっちにしろ今年の新人は粒揃いってわけだ。抜かれないようにがんばらんといかんな」


「特に唐木はお前と同じファーストだからな、気を抜いたらすぐにレギュラーとられるぞ。二軍だけどな」


村野が清和をちゃかす。


「唐木はサードも守れるんだ。危ないのはお前も一緒だろ」


「ははは、違いないな」


新人の挨拶が終わったところで、監督が手を叩いて選手の注意を集めた。


「よっしゃ。新人の挨拶も終わったことやし、早速メンバーを発表するで」


(メンバー?)


村野は首をかしげる。例年なら、キャンプ初日は選手全員でキャッチボールや軽めのノックなどで汗を流す。その翌日から投手と野手が別れてメニューをこなすはずだ。


「監督、メンバー発表っていったいなにをやるんですか?」


選手の一人が尋ねる。


「あぁ、すっかり忘れとったわ。今から紅白戦やるからな」


とたんに選手の間から上がる驚きの声。キャンプ初日から紅白戦というのは異例中の異例だ。通常、紅白戦や練習試合は調整のでき始めたキャンプ中旬から下旬にかけて行うものだ。


「監督、初日から紅白戦なんて、ケガでもしたらどうするんスか?」


「そうならんように、二週間前に全員にわしがじきじきに電話したんやろうが。まぁ、まさかそれをさぼった選手はおらんとは思うがな」


足利の満面の笑み。その場にいた誰もが背筋にゾッとしたものを感じただろう。


「そうは言っても監督――」


『私が頼んだんだ』


球場の風に乗って響き渡る声。選手たちが声のほうを向くと、一塁ベンチに一軍監督の古家が立っていた。

古家はゆっくりと選手のほうへ歩いていく。


「なんで一軍の監督がここに……」


「今日の紅白戦は私が足利監督に申し出たことだ。みんなには急なことで申し訳ないと思っている」


古家は一度頭を下げた後、話しを続ける。


「今年のチームの目標は『若返り』だ。今まで暗黙のうちに根付いてしまった、年功序列といってもいいような退廃的な制度を見直し、若手でも実力があればどんどん一軍に合流してもらう。そのために、早いうちからみんなの今の力を見極めておきたいんだ」


「まあ、そういうこっちゃ。わかったところで発表するで」


そう言って、足利はポケットの中からメモ用紙を一枚取り出した。


「まず紅軍、先発は……能美、お前や」


紅軍の先発はいきなりルーキーの能美。今年のキャンプは波乱含みで始まった。

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