第3話 ウルズ×報告
7年前にプレゼントした熊のぬいぐるみの傍らでウルズが立っていると、ガチャッとドアが開く音がした。
そちらの方を振り向くと、着替えたアイシャが隣の部屋から出て来て、
「ウルズもクマさん好きなの?」
ぬいぐるみの横に立っているウルズを見て、嬉しそうに尋ねてきた。
当然ウルズは、
「んなわけないやん」
と否定し、慌ててぬいぐるみから離れる。
ウルズのそんな様子にアイシャがクスクス笑っていると、
「失礼致します」
侍女が紅茶を運んで来た。
アイシャは侍女からトレーを受け取り、
「ありがとう」
と言って下がらせると、
「どうぞ、先に飲んでて。私まだ準備があるから」
テーブルにティーカップを置いて、ウルズに茶を勧めた。
少し経ってから学校の準備を済ませたアイシャも席に着いて、紅茶を口に含む。そして、
「その子ね、一番気に入っているの」
ウルズの正面に座っている熊のぬいぐるみを見つめて微笑んだ。
「へぇ……」
ウルズはどうしてなのかその理由を知りたかったが、やはり聞く事が出来なかった。それでも一番のお気に入りだと知って嬉しく思う。
そこにハンスが準備が整ったと呼びに来て、2人は立ち上がった。
「学校で報告を済ませたら、ウルズさんだけ馬車に戻って来て下さい。その後は一度、こちらに戻って来ます。それから護送用の馬車と一緒にサクス山へ向かいましょう」
廊下を歩いている間にハンスから、この後の一連の流れついて説明される。
黙って話を聞いていたアイシャだったが何かを思い出したらしく、「あっ」と声を上げると近くにいた侍女に駆け寄った。
それから侍女に耳打ちをして、駆け足でウルズ達のところに戻って来る。
馬車は玄関先のポーチに止められており、
「どうぞ、お乗りください」
ハンスは馬車の扉を開いた後アイシャに手を添えて、彼女を馬車に乗せた。それから、
「ウルズさんもどうぞ」
と、ウルズに乗車を勧める。
それに従って馬車に乗ろうとしたウルズだったが、扉の上にある紋章に気が付いて足を止めた。
扉の上のプレートには、背後に2本の剣が交差している獅子の紋章が彫られており、その紋章を囲む形でサンプを代表する花も彫られていた。
「ウルズ? どうしたの?」
アイシャが不思議そうに声を掛ける。
「ん? あぁ……この紋章格好ええなと思って」
ウルズが紋章を指さして言うと、
「ありがとう、私も気に入ってるんだぁ」
アイシャは嬉しそうに笑った。
(それにこの馬車、アイシャんとこの馬車やったんやな)
今乗り込もうとしている馬車は、毎朝通学路で目にしていたあの立派な馬車だった。一度は中を見てみたいと思っていたが、見るどころか実際に乗れるというわけである。
ウルズが乗るとハンスが扉を閉め、馬車はすぐに動き出した。
ベンチシートには上質なクッション素材が使用されていて、疲れにくい事間違いなしの座り心地だった。
椅子の枠や座面の側面には沢山の花が彫り込まれ、さり気なく置かれているクッションやひざ掛けはとても触り心地が良い。
マカボニーを基調色とした馬車の内装は、狭い空間ながら一流ホテルのような淑やかな雰囲気に包まれていた。
(ミリーナがおったら、興奮して煩かったやろうな)
妹のミリーナを思い出して口角を上げる。それから妹繋がりで、保護を頼んできた時のゾロの真剣な顔を思い出す。
(ゾロの妹か……)
ウルズは、遠くにある山を見つめた。
久しぶりの学校は、授業中のため静かだった。
「ウルズさん、こちらでお待ちしておりますので、報告が終わりましたらいらして下さい」
ハンスが馬車を降りたウルズに声をかけ、「行ってらっしゃいませ」
と、2人を見送った。
ウルズとアイシャは校長室に向かい、校長に依頼終了の報告をする。
「……というわけで、途中アクシデントはありましたが、無事お孫さんにプレゼントを届けました」
ウルズが含みを持たせてそう言うと、校長は驚いた表情を見せて、
「バ、バレてしまいましたか……。そ、そうですよね」
と、苦笑いを浮かべた。
それから顔をアイシャに向けて、
「とんでもない事件に巻き込まれてしまったようですが、怪我はありませんか?」
と、心配そうに尋ねる。
端からアイシャを依頼に出したくなかった校長は、伯爵令嬢に何かあったらと気が気でないようだ。生きた心地がしなかった日もあっただろう。
アイシャは、そんな校長を安心させようとニコリと笑い、
「大丈夫です。ウルズさんのおかげで怪我もありません」
キッパリそう答える。
実際は所々に打ち身があるのだが、それを正直に報告しようものなら、今後の依頼に参加出来ないどころか、学校を辞めさせられる恐れがある。
それが容易に想像出来たので、ウルズも黙って聞いていた。
「ウルズ君、本当にご苦労様でした! ですが、もう少し穏やかに済ませて貰えたらもっと……い、いえ、何でもありません。とにかく2人が無事で本当に良かった」
校長はそう言うと、2人の生徒手帳にポンポンと軽快に判を押した。
「あの、成績下がったりしますか?」
理由が理由なだけに大丈夫だとは思うが、念のためにウルズがそう質問すると、予定日を大幅に超えたが、校則通り経過報告の手紙を出しそれを証明するバーチ管理主の一筆もあるので、成績に影響はないとの事。
ホッと胸を撫で下ろす2人に生徒手帳が返されて、アイシャが、
「校長先生、これなのですが……」
と、今度はハンスが用意した書類を校長に手渡し、ゾロの妹の保護の件について説明し始めた。
アイシャの隣で静かに話を聞いていたウルズだったが、
(あ……)
と、校長の真っ黒フサフサ頭を意識してしまった事で、校長のカツラ疑惑が再浮上する。
灰色がかった青い目を細め、校長の頭を観察しようとウルズは頑張るが、校長はアイシャの話にウンウンと頻繁に相槌を打ってじっとしてくれない。
(相槌打ちすぎやろ、じっとしてーや)
ウルズは校長の頭を押さえ込みたくなった。
「分かりました。ではウルズ君、あとの事は頼みましたよ。報告は明日でも大丈夫ですからね」
アイシャはついて行かないと聞いてニコニコ顔の校長が、ウルズの肩に手を乗せる。
結局今回も、校長の頭がカツラなのか分からず仕舞いとなってしまった。
校長室から出ると、扉前に2人の男女が立っていた。
2人はウルズとアイシャの担任で、ウルズ達は自分の担任をそれぞれに見る。
先に声を掛けたのは男性教師で、
「2人とも依頼ご苦労だったね。随分帰りが遅かったが、どうかしたのか?」
そう言って2人に近付く。
彼はアイシャの担任のコートルで、剣士科の教師らしいがっちりとした体格をしている。大剣を問題なく使い熟しそうなその体型をウルズは羨ましく思った。
一方ウルズの担任は、おっとりとした雰囲気の若い女性だった。スーツ姿でなければ生徒と間違えられる外見だが、これでも国から望まれて教師となった優秀な魔法使いだ。
肩の上にいるハムスターはテトと言い、能力の高い魔法使いしか持てないとされている使い魔だった。そのテトはウルズと目が合うと、「チュッ」と挨拶のひと鳴きをした。
「校長先生からお話があると思いますが、途中色々ありまして。あ、でも、無事に依頼を終わらせましたので、大丈夫です」
アイシャが簡単に担任の2人に説明する。
それを聞いてセーラは頷いて、
「今度ゆっくり聞かせてもらうわね。とりあえず教室に戻りましょう」
と、教室に行くように促した。
それに対してウルズは首を横に振り、
「俺まだやる事があって、授業は明日からになったんよ。詳しい事はアイシャか校長先生に聞いて」
そう手短にセーラに言うと、「それじゃぁ」と早足で廊下を歩き出した。
そんなウルズの背中に、
「気をつけてね!」
と、アイシャが声をかける。
ウルズは右手を上げて答えたが、何を思ったのかおもむろに横を向いて、開いている窓に近付いては躊躇なくそこから飛び降りた。
ウルズ達が居るのは2階だったので、
「ウルズ!」
「ウルズ君!」
アイシャとセーラが短い悲鳴を上げて、コートルと3人で慌てて近くの窓に駆け寄った。
どうやら浮遊術を使ったようで、ウルズは何事も無かったかのようにタタタと走っている。当然、
「こら! ウルズ君! 危ないでしょ!」
と担任のセーラは叱ったのだが、ウルズからは楽しそうな笑い声が返って来た。
それで自分達を驚かせる為にやったのだと分かり、
『もう……』
アイシャとセーラは声を合わせてため息を吐き、顔を見合わせてから、『ねぇ』と言って笑い合った。
続く。
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