第38話 アイシャ×頑張る
ゴーシュにはアルトを陥れる理由がない。
そう言い切ったのはアイシャだった。
「何を……」
アルトが足を一歩前に出し、ウルズがアイシャを庇うようにして立つ。
「今朝リット様から伺ったばかりの話なのですが、リット様は以前からゴーシュ様に大きく期待をかけ、信頼されていたそうです。ですが若さゆえの問題があり、アルト様とゴーシュ様のお2人に仕事を手伝わせて、ゴーシュ様にこれからのバーチを任せても良いのか、アルト様の仕事ぶりと比較して見極めていたらしいのです」
アイシャはアルトに、リットから聞いたばかりの話を伝える。
アルトはアイシャの話に、信じられないとばかりに首を横に振り、
「私は……候補者では無かったと……?」
震えた声で聞いた。
「いえ。もしゴーシュ様が管理主になる器では無いと判断された場合、アルト様に任命されるおつもりだったので、アルト様も候補者でした。ただ……」
アイシャはそう言うと一旦言葉を切り、ゴーシュに青い瞳を向ける。
「ただゴーシュ様は、最初こそ粗があったものの仕事を問題なくこなす様になり、あとは精神面の問題だけだったようで、それさえクリア出来れば……と、リット様はずっとゴーシュ様を見守っていらしたようです。そして最近、その精神面の不安要素も薄らいでゆき、公表するのに良いタイミングを見計らっていたところだったと仰っていました」
そうやってアイシャによってもたらされる情報に、「本当なのか?」と、周りが騒つき始める。
アルトはそれらの反応に乗じて、
「そんな話、リット様から聞いていない。そうだろう?」
他の者達に同意を求めた。それは本当らしく、兵達全員が頷く。
アイシャは、ハロルドに身体を向けて、
「ハロルド様、私は今朝リット様から、この件が片付いたら管理主の代替わりの証人を私に……と頼まれました。印章が盗まれていなければ既に陛下にお知らせして、立会い人を立てて儀を執り行う予定だったと」
と、話し出した。それからそっと両手でハロルドの手を取り、
「私は証人となり、見届け人の印を押すとお約束しました。ハロルド様、リット様はこう仰ったのです。あなたとゴーシュ様の2人が力を合わせれば、ゴーシュ様が若くても立派にリット様の代わりを勤められるだろう……と」
そう述べるアイシャの言葉にハロルドは顔を上げた。それに対して、
「アイシャ様……」
ハロルドが何かを言おうとしたが、
「納得できん!!!」
アルトの怒鳴り声が遮った。
「私の方が、能力や地位、経験、全てがゴーシュよりも上だ! なのに何故、何故なんだっ!!」
アルトが必死の形相で喚く。そこにはもう、心優しい貴族の姿は無かった。
その憎しみ混じりの怒声に、アイシャはビクッと身体を震わせて振り返る。そして、前に立つウルズの袖を掴んで、アルトの様子を伺った。
本当は怖いのだろう。頑張って耐えているのがその表情から伝わってくる。特に人の悪意に敏感なアイシャには、きついはずだ。
そんな様子が見て取れたので、ウルズはエールを送るつもりで、アイシャの白い手を握った。
ノースの家族達がいざという時にしてくれた、御呪いみたいな行為だ。1人ではない、応援してくれる者がそばに居る––––そう思う事で出て来る勇気が有るのだと、ウルズは大家族の中で教わった。
握られた手を見たアイシャは意を決したように小さく頷くと、眉尻をキッと上げてアルトの敵意に満ちた視線を受け止めた。それから「ゴーシュ様」と、ゴーシュの名前を呼び、
「リット様が任命を決められたのは事件前ですので、ゴーシュ様も事件前にリット様から知らされていた。違いますか?」
と尋ねる。
そして他の者達が注目する中、「その通りです」とゴーシュは頷いて肯定した。
「ですので、ゴーシュ様が管理主の座を狙って、アルト様に罪を着させる必要は全く無かったのです」
アイシャは声を張って、ゴーシュは無実であると主張した。
それから少しの沈黙の後、
「……分からない……」
アルトがボソリと呟いた。
首を横に振って理解に苦しむアルトを、アイシャは憐れむように見つめ、
「私も分かりませんでした……」
と、静かに同意する。
「リット様のお話を伺った時は、私にも分かりませんでした。ハロルド様がゴーシュ様と親しい間柄なのは分かっていましたが、貴方とも親しくされていたので。それに……」
階段から流れ込んできた風が、アイシャの赤毛を揺らす。
「それに総合的に考えると、アルト様の方が適任のように思えました。なので通例通りに行けば、アルト様が次期管理主に選ばれるはず……。そう不思議に思いながらも私は、リット様がお決めになったのであれば……と、証人の件をお引き受けしたのです」
アイシャはそこまで言うと、一呼吸置いて、
「けれど、今は違います。不思議ではありません。今になってやっと分かりました。いえ、今だから分かったのです。ハロルド様は、ゴーシュ様が管理主でなく別の仕事に就くと言うのなら、それに着いて行く覚悟がおありなのだと。お2人はそういう関係で、それがリット様がゴーシュ様を次期管理主に指名する決め手になったのだと、ついさっき分かりました」
そう言い切るアイシャの姿には、普段ののほほんとした面影は見えない。
しかし、
「そのような言葉を濁したような説明では、本当に任命されるのか怪しいものだな」
と、アルトに鼻で笑われてしまった。
その言葉を受けてアイシャは、様子を伺うようにしてハロルドに目を向けた後、俯いてボソボソ呟いた。
その呟きが聞こえて来たウルズは思わず、
「え!? それホンマなん? えぇっ!?」
驚きの声を上げて、アイシャとゴーシュ、それからハロルドの順で見た。
アイシャが呟いた内容は、ハロルドは女性で、ゴーシュの婚約者だというものだった。
おそらくハロルドを支えた時に、体付きからハロルドが女性だと分かったのだろう。『婚約者』がどこから来たのか、ウルズには全く判らないが。
アイシャの呟きが聞こえていなかったゴーシュは、何かあったのか?という顔をしているが、ハロルドはウルズと目が合うと、ゆっくりと頷いた。
どういうわけなのかハロルドは、ずっと男の振りをして過ごしていたようで、性別についても婚約についても否定しなかった。
アイシャは振り返り、ゴーシュを取り押さえているアルトの護衛兵達に顔を向けると、
「とにかく次期管理主はゴーシュ様と決まっていて、ゴーシュ様もそれをご存知でした。なのでゴーシュ様がアルト様を陥れる必要は、全く無かったのです。さ、これでゴーシュ様が犯人でないと分かったでしょう。その人から手を放しなさい」
と、アルトの護衛兵達に解放するように促す。
ところが、これまでの話を聞いていても護衛達は判断し兼ねているようで、なかなかゴーシュを放そうとしない。
今の話を真実とすれば、これまで仕えて来た心優しい主人が首謀者となる。頭で理解していても、心が受け入れられないのかも–––。ウルズがそう思いながら見ていると、
「もし違えば、私がその責任を取ります」
アイシャが手を胸に当てて言い放った。
そうしてようやくゴーシュは自由の身となり、
「ゴーシュ様!」
ハロルドがゴーシュの元に駆け寄って、彼の身体を気遣った。
それでも尚アルトは認められないようで、
「私は……、私はリット様から何も聞かされていない。貴女の言っている事は、全くもって納得がいかない。貴女が納得したからといって、彼が無罪という理論は成立しない!」
そうアイシャに強く抗議する。
信じられないのと、捕まりたくないが為の反論だろうが、こじつけに近くなって来ていた。
自分の発言を客観的に見られなくなっているアルトに対してゴーシュが、
「いい加減に諦めたらどうだ」
と言い放ち、アルトは彼を睨み付けた。
ハロルドはゴーシュを見上げ、2人は頷きあってから、
「リット様から管理主任命の話があったのは、印章が無くなる前日の事。次の祝日を選んで全てを発表する予定だった。エイリン家にもすぐに知らせが行く手筈だったが、印章が盗まれてしまい出来なくなった。貴方が何と言おうとも、私にはあれを盗み出す必要は無かった」
ゴーシュが、次期管理主に任命される事を知らされていたと教える。それから、
「管理主がなかなか決まらず豪を煮やしたのかもしれないが、このような事をするとは……。貴方がこのような犯行に走るなど、想像したくもなかった……。実に……実に残念だ……」
ゴーシュは、悲痛な面持ちでアルトを見た。
長く共に仕事をこなし、プライベートな付き合いもあった間柄だ。アルトとは良い思い出もあっただけに、その胸の痛みは人知れない。
アイシャは、言葉が詰まったゴーシュに代わって、
「リット様とお話をすれば、嘘かどうか分かるでしょう」
と言い、周りの者達にリットへの使者を出すようにと勧めた。それを、「待て!」とアルトが止める。
そして、
「貴女が納得した理由を聞かない限り、この場にいる兵達も行動出来ないのでは? 貴女方の間では通じているようだが、相変わらず曖昧な説明のままだぞ」
と、しつこくアイシャに食い下がってきた。
たしかにアルトの言う通り、この場でゴーシュとハロルドの関係を知っている者は、この2人を除くとアイシャとウルズだけだ。アイシャの話に合点がいかない事もあるだろう。
「それは……」
アイシャは、言って良いものかとゴーシュ達をチラリと見て、
「ゴーシュ様のご婚約が決まったからです」
簡潔にまとめて言った。
「婚約? 一体誰と? リット様には未婚の女性のご家族はいないはずだが?」
ハロルドが女性だと知らないアルトが眉を顰める。
「そのお相手は、後ほど発表されます。とにかく今はここから出て、リット様にも連絡を出しましょう」
そうやってアイシャが話を切り上げ、周囲の者達に指示を出したのを機に、場所を移動する事となった。
ゴーシュが警備兵にアルトを捕まえるよう指示を出し、ハロルドと共に階段を上り始める。
警備兵達の間から、
「次期管理主がゴーシュ様と決まっていたのなら、犯人はアルト様だろう」
という声がチラホラ上がり、それらの会話にアルトは唇を噛み締めた。
アルトの護衛兵達は、主の悪事を知らなかったらしく衝撃を受けており、アルトを守らなければならない立場にありながら、他の警備兵達の会話に注意する事が出来なかった。
そんな周りの様子にアルトの顔色はより一層悪くなり、項垂れる。
そこに警備兵に腕を掴まれて、
「分かった、分かったから、掴んだり拘束したりしないでくれ。流石にこんな大勢を相手に抵抗する気はない。百害あって一利なしだからな」
そう言って、「さぁ、行こう」と、大人しくついて行く意思を示した。
警備兵としても、まだ容疑者という立場にある貴族の扱いに困っていたのだろう。アルトの要望を受け入れて、彼を前後に挟む形で階段の方へと進み出した。
顔をうつ伏せて、覇気のない歩き方をするアルト。
壁際に立っているウルズとアイシャの前を通る。
それから何段か階段を登った時、アルトの目が怪しく光った。
彼の手が、周りに気付かれないぐらいに静かに動き、剣の柄を握る。
アルトの様子が気になり振り返ったゴーシュがそれに気付いて、
「アルト殿、何を!」
声を上げて周りに注意喚起する。そして、
「ハロルド! 外へ、早く!」
婚約者のハロルドを安全な場所にと、背中を押して地下牢から出るよう急かした。
そのゴーシュといえば、取り押えられた時に剣を没収されたので丸腰だ。
アルトは俊敏に剣を抜くと、目の前に居た警備兵を力一杯に押し倒し、ゴーシュ目掛けて駆け出した。
続く。
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