第34話 ウルズ×メモ用紙
生徒手帳から落ちたのはメモ用紙で、拾い上げて見たところ、
『シア様が無意識に触れるのを嫌う人物がいましたら、注意してください。危険な思考を持つ人物です』
と、見覚えの無い字で書かれていた。
最後に書き記された名前はネロ・ホーネル。こちらもまた聞き覚えのない名前である。
ウルズがこの手帳を手離したのは、校長室で校長に提示した時と伯爵家で執事に渡した時、それから食後にリットに見せた時の3回だ。
消去法で考えれば、書く素振りのなかった校長でも名前が違うリットでもないので、伯爵家の執事がネロ・ホーネルという事になる。
確かに彼はアイシャをシア様と呼んでいたし、伯爵家に仕える者として、警戒を促すメモを挟んだとしてもおかしく無い。メモ用紙が挟まれていたのは、トラブル発生時に必ず開く、学校の連絡先が載っているページだった。
このメモが必要になる事態は起きませんように––––。そんな事を願いながら書いたに違いない。そう考えると、自分達の手で印章を返すと決めたウルズは、申し訳ない気持ちになった。
もう一度メモを読む。
「アイシャが、無意識に触れるのを嫌がる相手は、危険人物……か」
アイシャには魔力などの特別な力が無い事は分かっている。それなのに執事のネロは、『アイシャが触れたくない相手は危険』と確信しているようだ。
今の所アイシャが触れたがらなかった人物は、山賊以外では思い当たらない。
「過去に何かあったんやろか?」
ウルズはそのメモを再び手帳に挟むと、水を飲んでベッドに寝転がった。
翌日の朝食の席で、あの執事の名前はネロなのかとアイシャに尋ねたところ、質問が唐突過ぎたからか、
「どうして知っているの?」
質問を質問で返されてしまった。
ウルズは、
「あー、いや、手帳にその名前でサインがあったんや。アイシャの事を任せる的なこと書いてた」
と、メモには触れずに答えた。アイシャに言って良いのなら、執事はわざわざメモで知らせなかっただろう。アイシャが無意識である事が重要なのかもしれない。
それに先程言った手帳のサインは嘘ではない。今朝目覚めた後に、他に何か書かれていないかと生徒手帳をめくったところ、そういう趣旨の書き込みとサインを見付けたのだ。
恐らくアイシャの外出には護衛が必要で、学校行事で護衛がつくのを嫌がるアイシャの為に、ウルズを護衛として送り出したのだろう。そしてそれを示す文言とサインを生徒手帳に記し、保証を付けておいたのだと考えられた。伯爵家ともなれば色々あるようだ。
昨日聞いた山賊の話からしても、伯爵はアイシャを溺愛しているようなので、今頃心配しているに違いない。
ウルズはそう思いアイシャに、
「家族が心配しているんとちゃう?」
と尋ねたところ、近況報告の手紙は既に出してあると返ってきた。気を抜くと転けるアイシャだが、その辺はしっかりしているようだ。
ウルズは、アイシャが食べ終わるタイミングに合わせてコーヒーを飲み干すとスクッと立ち上がり、
「さて、とっとと犯人を見つけて、俺ら……やなくて、俺への疑惑を晴らすか。で、依頼をこなして早よ帰ろ」
そう言ってアイシャを見た。
ゾロとの面会の許可を貰いに、ウルズとアイシャがリットの執務室に向かう。
絨毯が敷かれた廊下を歩いていると、
「さっきの話だけど、ウルズは学校の生徒だって証明されているし、大丈夫だよ?」
隣を歩くアイシャが顔を上げて、先程のウルズの発言について触れた。
そんな彼女を横目で見て、
「前見ろ前。転けるやろ、また」
ウルズがすかさずからかう。
それを聞いたアイシャはぷぅと頬を膨らませて、
「またって言ったぁ」
拗ねた様子で抗議する。全然すごみを感じないその抗議に、ウルズは笑いを噛み締めて、
「またやろ。今まで何回転んだか分かってるか? ほら、前見ぃ」
と、長い指で前を指して、再度注意を促した。
アイシャは疑われていないと言うが、リット達からすればウルズは、『伯爵令嬢が通っている学校の生徒』に過ぎない。
侍女の給仕に美味い料理と快適に過ごさせて貰っているが、アイシャの手前そうするしかなかったとも考えられる。
何より自分に疑いの余地があるという事は、首謀者に付け入れられる隙があるという事だ。なのでウルズはこの件について、可能な限り人任せにしたくなかった。
執務室のドアをノックすると出て来たハロルドに中に通されて、替わりにハロルドが部屋から出て行った。
革張りの椅子に腰をかけているリットと朝の挨拶を交わすと、丁度良かったとリットが先に口を開き、管理主候補の2人がもうすぐやって来ると伝えられた。昨夜に報告と呼び出しの使者を2人に出し、昼食を一緒に取る予定になっているのだと言う。
その2人がスノーマン家から客が来ていると聞いて、是非挨拶をしたいと言っているようで、
「アイシャ様を2人に紹介したいと思っているのですが、如何でしょう?」
と、リットから打診された。
それを聞いたアイシャはウルズを見上げて、「どうする?」といつものように首を傾げて聞く。それに対してウルズが、
「会おう」
と、即答した。
相手はウルズ達の情報を入手出来る立場にあるが、ウルズ達はそうではない。相手を知る貴重な機会だと考えたのだ。
それに断った事で、アイシャが1人の時に挨拶という名目で接触される方が厄介だと思ったのもある。主謀者にとってウルズとアイシャは計画を台無しにした邪魔者で、ウルズは自分の目が届かない場所での接近を避けたかった。
「2人も喜ぶと思います。して、ご用件は何ですかな?」
リットが微笑んで尋ねると、アイシャが山賊のゾロと面会をしたいと願い出た。
「会うとなると、牢屋でとなりますよ。危険では?」
アイシャが山賊に会うと聞いて、リットが不安を顔に滲ませる。が、
「大丈夫です」
ウルズが自信を持って答えた。ウルズにはあのゾロが危険だとは到底思えないのだ。
いや、ある意味危険だが、リットが危惧している類の危険ではない。やり合った相手にこう感じるのは変かもしれないが、寧ろ気の良い奴だと思っていた。
それを聞いてリットは、机に肘をついて顎の前で手を組み、
「そうですか……」
と溜息混じりに呟き、それから、
「それでは面会は彼にお任せして、アイシャ様はこちらでお待ちするのはどうでしょう?」
そうアイシャに提案してきた。校長もそうだったが、リットもアイシャの身を心配しているようだ。
ウルズには過保護に見えるが、貴族の間ではこういうものなのかも知れないと、2人のやりとりを眺める。するとそこに、コンコンと軽いノックの音が割り込んできた。
「ハロルドですが、今宜しいでしょうか?」
「入りなさい」
「失礼します」
リットの返事の後、ハロルドがドアを開ける。そして、
「おじい様、ゴーシュ様とアルト様が……」
と、用件を伝え始めたのだが、
「どきなさい」
冷たくハロルドを押しのけて、大股で入って来る男性がいた。その後ろからもう1人男性が入って来たが、彼は先に入った不躾な男性とは違い、押しのけられたハロルドを気遣って、「大丈夫ですか?」と声をかけている。
先に部屋に入った男性は頭に血が上っているのか、脇に移動したアイシャとウルズに目もくれず、
「印章が戻ったとお聞きしてそれについては安心しましたが、捜索に出した我が屋敷の者達がこちらに引き取られているというのは、どういう事でしょうか。しかも、全員負傷したらしいではないですか」
眉間の皺を深くして強い口調でリットに尋ねた。それに続いてもう1人の男性も、
「私の所もですよ、ゴーシュ殿」
と頷く。彼は先に入って来た男性とは対照的に、穏やかな表情と落ち着いた声をしていた。
落ち着いた雰囲気のこの男性は30代、ゴーシュと呼ばれた彼はまだ20代に見える。険しい顔付きの若い男性がゴーシュなら、後から入って来た柔和な男性がアルトなのだろう。
ウルズの考える管理主の印章を盗み出した理由は、ライバルに重大な罪を被せて、管理主に就けないようにする––––というもので、この推理が正しければ、目の前の2人のどちらかが首謀者という事になる。
以前宿屋にてこの推理をアイシャにも話をしたが、アイシャもウルズの推理に納得してくれた。
もしこの推理が当たって、首謀者の企み通りに事が進み、ライバルに罪を被す事が出来たとしたら、罪を着せられた方は一生管理主に就けないどころか、捕まり身分を剥奪されてしまうだろう。
(この2人のどちらかが……)
ウルズは全神経を集中させて、彼らに気付かれないよう観察し始めた。
続く。
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