第31話 アイシャ×バーチの管理主

 アイシャが近くにいた男性に管理主邸が何処にあるのか尋ねたところ、男性が案内すると申し出てくれたので、その言葉に甘えて送ってもらう事にした。

 男性は、馬車を管理主邸の門前で止めると御者席から降りて、

「ここがそうだよ、お嬢さん」

 と、ドアまで開けて親切にアイシャをエスコートしてくれた。

 アイシャは馬車から降り立ち、ようやく辿り着いたバーチの管理主邸を見る。

 バーチ管理主邸には何度か来た事があり、ここで間違いないと確認したアイシャは、送ってくれた男性の方を向いて、

「ご親切にどうもありがとうございました」

 頭を下げて丁寧に礼を述べた。

 男性はそんなアイシャに、「いえいえ」と人の良さそうな笑みを浮かべて別れの挨拶を交わすと、来た道を戻って行った。


「すみません、管理主様はご在宅でしょうか? 私はサンプ管理主ラディー・スノーマンの娘でアイシャ・スノーマンと申します。旅の途中でこちらの物をお預かりしましたので、届けに参りました」

 身分証明として門番の1人に、学校の生徒手帳とスノーマン家の紋章が入ったリングを示す。

 それらを手に取って確認した門番は、

「お取り次ぎ致しますので、少々お待ち下さい」

 そう言うとアイシャに一礼して、早足で屋敷の方へと歩いて行き、少しして3人の使用人達と共に戻って来た。

 その内の1人、執事の制服を着た男性がアイシャの前に歩み出て、

「大変お待たせ致しました。どうぞ此方へ。お荷物はこちらで運ばせて頂きますので、そのままお進み下さい」

 深々とアイシャに頭を下げる。それから後ろに控えていた侍従達に目配せで指示を出し、アイシャを屋敷に案内した。

 玄関の扉を開けた先には使用人達が頭を下げてアイシャを出迎えており、その使用人達の間を通って広い応接室へと案内される。

 その応接室は、薄いグレーを基調とした品格のある部屋で、

「どうぞこちらへ」

 椅子を引いた執事に席を勧められた。

 言われるまに座ると今度は紅茶が運ばれて来て、ティーカップがアイシャの前に置かれる。その拍子にふわっと立ち昇ってきたハーブティーの香りに癒されて、アイシャは思わず目を閉じた。

 ハーブティー特有の爽やかな香りが、馬車酔いの不快感を忘れさせてくれる。何よりずっと叫びっぱなしだったアイシャには飲み物は大変有り難く、口に含むと普段よりもずっと美味しく感じた。

 そうやって用意された紅茶で喉を潤しながら管理主が来るのを待っていると、

「アイシャ様、大変ながらくお待たせ致しました」

 という執事の声と共に、侍従達によって応接室の扉が開かれた。そしてその扉から、

「お待たせしてしまって、申し訳ない」

 と、バーチの管理主であるリットが入って来た。白髪頭の細い体型の老紳士だ。

 高齢の為か足を悪くしているらしく、彼はステッキで体を支えながらゆっくり歩いており、隣では17、8歳に見える若い男性が、リットを気遣いながら付き従っている。

 リットは、アイシャと挨拶を交わしてから椅子に座ると、

「スノーマン伯爵のご息女がお一人で参られたと聞いて、大変驚きましたよ。しかし、急な訪問をするからには、それ相応の理由があるはず。それがアイシャ様が仰っていたという“預かり物”だと思いますが、それは一体何ですかな?」

 印章である事を期待しているのか、すぐに本題に入った。

「バーチ管理主の印章です。山賊の手に渡っていましたが色々あって私達のところに来ましたので、お届けに参りました」

 アイシャがそう伝えると、話を聞いていた全員が安堵の表情を見せ、嬉しそうに顔を見合わせた。

 当然リットも同じで、「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えた後、

「それで、印章はどこに?」

 早速印章を見ようと腰を浮かせる。その言葉にアイシャは困り顔になり、

「それがぁ……そのぉ……、連れがどこかに隠しているのだと思います。荷物の中にあると思いますので、探してみます」

 知らないとは言えず、部屋を借りて荷物を探らせて貰う事にした。

 ウルズの荷物を勝手に漁るのは気が引けるが、緊急を要するので仕方がない。それにウルズを助けに行く為にも、まずは印章を渡す必要があった。

 アイシャは、必要な事だと自分に言い聞かせるとウルズの大きな鞄を開け、服を取り出しながら印章を探し始めた。

 しかし開始してすぐに、

「きゃぁっ!」

 と悲鳴を上げて手を引っ込めてしまう。

 当然だが荷物の中にはウルズの下着などもある。多くの人には何でもない事でも伯爵令嬢のアイシャには衝撃が強く、伏せた顔は耳まで真っ赤になっていた。

 プライベートな作業のため部屋の外で待機していたリット達だったが、

「いかがなさいましたか?」

 アイシャの悲鳴を聞いて部屋に入って来てる。アイシャは両手で覆っていた顔を上げて、

「あ……すみません……、大した事ではないのです」

 心配をかけた事を謝った。

「おや? お連れの方は男性でしたか。誰かにやらせましょうか?」

 アイシャの膝元にある鞄を見て、悲鳴の原因を悟ったリットがそう言い、

「だ、大丈夫です。少し驚いただけなので……」

 アイシャは、リット達に手を掛けさせまいと申し出を断って、気を取り直して再び印章を探し始めた。

 しかし大きな鞄から出てきたのは、衣類と冒険に必要な物と何かが入っている袋だけ。それならば……と鞄から出てきた袋を調べてみるも、入っていたのは冒険者の旅のお供、『栄養スティックパン』のみで、こちらにも印章は無かった。

 もしかしたら見落としたのかもしれないともう一度確かめてみたものの、やはり印章は出てこず、アイシャは、

「ないよぉ……、どこに入れたの?」

 傍に置いていたリュックサック熊を見下ろして途方にくれたのだった。

 今朝、アイシャが印章について質問した時、ウルズはなぞなぞのような返事をした。

 その中にヒントがあるはずだと、ウルズの言葉を1つ1つ思い出していく。

「ずっといる誰か。……って誰?」

 どう考えても、ウルズ以外に行動を共にした人物はおらず、

「預けたって誰にだろうね?」

 首を傾げながら、答えが返るはずのないリュックサック熊に話しかけた。

 そうやって考えていたアイシャだったが、

(あれ?)

 リュックサック熊に違和感を覚え、手に持ち顔の前に持ってくる。

(何だろう? 何かが違う……)

 間違いなくいつもと違うのに、それが何なのかハッキリしない––––。

 とてつもないモヤモヤ感があっと言う間にアイシャを支配し、別の事をしている場合ではないにも関わらず、違和感の原因を探り始めた。

(顔の上がり具合? 口の開き具合? ウルズが口の中に手を突っ込んだからかな?)

 リュックサック熊の口が歪んでしまったのかもしれない。そう思い形を整えようと口に手をやったのだが、その手の動きをピタリと止める。僅かにだが、引っ張られるような、重い感覚があったのだ。

 いつもと違う感触にアイシャは自分の手をジッと見つめた後、試しにリュックサック熊の口の中を覗いてみた。

 口の奥には縫い目があり、

「あぁっ、ひどぉい! 縫われてるぅ!」

 情けない声を上げる。

 このリュックサック熊は、兄と慕っているカミューから誕生日にもらった物で、アイシャのお気に入りの鞄であり、大切にしている物である。

 そんなリュックサック熊の哀れな姿に、アイシャはショックを受けてギュッと抱きしめたのだが、ハッとある事に気が付き、

「そっかぁ、預けたってクマさんにだったんだ!」

 再度声を上げて、高い高いをするようにしてリュックサック熊を持ち上げた。その声と表情は、謎が解けた嬉しさで晴れやかである。

 アイシャの一連の行動を不思議そうに見守っていたリットと使用人達だったが、

「印章、どこに有るのか分かりました」

 赤髪を揺らして満面の笑顔で振り返るアイシャに期待を寄せて、彼女の手元を覗き込んだ。

 ハサミを借りて、アイシャが縫われた糸を丁寧に外すと、思った通り口の中から管理主の印章が出てきて、周りの人達からおおっとの声が漏れる。

「確かめさせてもらえますか?」

 そんなリットの要求に応じてアイシャが印章を渡すと、確かに紛失した印章であると確認されて、リットはアイシャに改めて礼を述べた。

「いえ。あっ…あの、今すぐ南の草原に人を派遣して頂けないでしょうか? ウルズが……一緒にいた人が、山賊達に襲われているんです!」

 アイシャがそう訴えると、その場に居たリットの護衛がハッとした表情を浮かべ、

「それは大変です! そこにはおそらく手配された兵達もいるはず。山賊達との混戦では、お連れ様を傷つけてしまうかもしれません」

 と、アイシャやリットに説明する。

 それを聞いたリットは1つ大きく頷くと、

「よし、急ぎ人を向かわせるのだ」

 と命令を下し、

「私も連れて行って下さい」

 アイシャはリットに頼んで、用意された馬車に乗り込んだ。


 二往復した道を戻って行く。

 若草色で彩られている草原は綺麗だが、今のアイシャにはそれを楽しむ余裕は無い。

 ウルズの事がたまらなく心配で、身体を打ち付けて走っていた時よりもアイシャには辛く感じた。

 リット達の話では、ウルズの相手は山賊達だけではないようで、アイシャはハラハラしながら行く先を見つめる。

 そして、

(……あれ?)

 ウルズがいる場所にかなり近付いたというのに、何も聞こえてこない事に疑問を抱いた。

(どうして静かなの?)

 この静けさは、一体何を意味するのか。

 嫌な想像がアイシャの脳裏を過ぎり、ギュッと手を握りしめる。

 ウルズと顔を合わせられるのは、在学中まで。そう思っていたが、もしかすると––––。

 ほんの少しそう考えただけでアイシャの血の気は引き、目頭が熱くなった。両手を胸元で組み、

(どうか神様、お願いします)

 と、信仰している神に祈る。


 ようやく辿り着いた現場では、何が起きたのか全く推測出来ない、摩訶不思議な光景が広がっていた。

 大勢の男達が倒れている様は起きた事の凄まじさを物語っているのに、周りでは馬達が駆けたり草を食んだりしてのんびり過ごしているのだ。

 その相反する奇妙な光景に全員立ち尽くしつつ、それでも状況を理解しようと各々頭を働かせていると、1つの動く人影があった。

 そう、ウルズだ。

 ウルズだと分かった途端ににアイシャの唇に笑みが戻り、良かったと安堵のため息を吐く。

 そしてもどかしそうに自分でドアを開けて、

「ウルズ!!」

 馬車から飛び出し、一目散にウルズの元へと駆け寄ったのだった。



続く。

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