第30話 アイシャ×小男
激しく揺れ続ける馬車の中、床に座り込んでいたアイシャは外の様子を見ようと、椅子の座面に手を置いて膝立ちする。数度の失敗から立ってはいけないと学んだので、そのままドアに向かって進んだ。
そうやって倒れる事なくドアに辿り着き、窓に顔を近付けたところ、2回連続して激しい揺れと大きな傾きが馬車を襲った。
アイシャはドアにぶからないよう慌てて窓に手をつくも、額をゴツンゴツンと当ててしまい、痛さで片目を瞑る。が、額の痛さなど吹っ飛んでしまう衝撃的な光景を目の当たりにして、
「ウルズーーッ!!」
と、悲鳴を上げた。
山賊に応戦していたウルズが、馬車から落ちてしまったのである。
地面を転がるウルズの姿がどんどん遠ざかっていき、
「馬さん、お願い! 止まってぇっ!!」
アイシャは馬車を引く2頭の馬に必死に頼む。が、2頭は、
「そのままバーチに行け!!」
というウルズの指示通りに、そのままバーチに向かって走り続けた。
多くの山賊がウルズを取り囲む中、2人の山賊がアイシャを追って来た。
その内の1人があの小男で、追い付こうと細い腕で手綱を動かしている。
その2人は馬車に追いつくなり窓から中の様子を窺い、床に座り込んでいるアイシャに管理主の印章を渡すように迫った。
しかしアイシャは印章が何処にあるのか知らずにいた。出発前にウルズに質問したが、はぐらかした返事しか返ってこなかったからだ。
なのでアイシャは、
「私、持っていないし、どこにあるのかも知らない」
首を横に振って素直に答えた。だが山賊達は信じようとせず、
「そんなわけないだろう」
と、疑いの眼差しをアイシャに向ける。
何度言っても信じて貰えず、いつ終わるのか分からない押し問答にアイシャは疲れてしまい、目をギュッと瞑って、
「すぐに転んじゃうドジな私に、ウルズが預けるわけないもん!」
そうキッパリ言い切った。
すると、思い当たる節があったのか山賊の2人は、「それもそうか」と頷き合い、それから後ろを振り返った。
目を瞑っているアイシャには、2人のこのやり取りは見えていなかったが、
(あ……、居なくなった)
遠ざかる蹄の音で離れて行ったのが分かり、喜んで青い瞳を開ける。
ところが居なくなったのは1人だけで小男は変わらずそこにおり、アイシャと目が合うなりニタァ……と絡み付く笑みを浮かべた。悪巧みをする人間の、嫌な笑みだ。
小男が残っている事に、
「どうして一緒に行かないのぉ?」
と、アイシャが困り顔で抗議すると、小男はさも当然といった風に、
「お前を攫って、ラディー・スノーマンに身代金を要求するつもりだからさ」
と目的を明かし、アイシャはその言葉に青ざめた。
山賊達は一度もアイシャに関する発言をしていなかったので、自分も狙われているとは微塵も思っていなかったのだ。
そうこうしている内にバーチの町がすぐそこという距離になり、格子窓から町の壁が見えた。
(町だ! 着いたらきっと誰かが助けてくれる!)
アイシャがそう考えて期待に胸を膨らませたのも束の間、一体何がどうなってそうなったのか、馬達は突然向きを変えて、来た道を戻り始めた。
バーチ目前の謎のUターンにアイシャは心底驚いて、
「どうしてぇ? 町は見えてるのに、どうして戻るのぉ?」
御者席の後ろにある小窓に顔を向けて、馬達に問いかけた。
馬車の揺れと小男の詰め寄りにアイシャが1人で耐えていると、沢山の人の声が聞こえて来た。
ウルズとはぐれた場所まで戻って来てたのかも。そう思ってアイシャが耳を澄ませていると、ウルズの声が聞こえたような気がした。
(ウルズ!!)
彼は無事なのだろうか。それに心なしか人の声が多い気がする––––。アイシャは外を見ようと膝立ちするが、見えたと思ったタイミングで馬車がまた向きを変えてしまい、またしても身体を椅子にぶつけてしまった。
もしかするとウルズのそばで止まるかもしれない––––。そんな事を考えていたアイシャは、止まらない馬車の現状に、
「やぁっ! 止まらないよぉ!」
今にも泣き出しそうな声で叫んだ。
椅子にぶつかった痛みで顔を顰めるアイシャだったが、気になっているのは自分の身体でなく、他の事だった。ウルズの安否も然る事ながら、この馬車も心配だった。
沢山の攻撃を受け、悪路を走行し続けているこの馬車が、一体いつまで持つのか気が気でないのだ。馬達もさぞかし疲れている事だろう。
このように不安の種は沢山あるが、ウルズのような行動に出られないアイシャは、誰かに助けて貰うしかなかった。
そう思って頑張って助けを求めるが、町の外にはまだ一般人の姿はなく、アイシャの声を聞いているのは、山賊の小男1人だけ。彼に馬車を止められる時は誘拐される時であり、状況は最悪だった。
しかし、不幸中の幸いといったところだろうか。2度目の道行きでも小男にチャンスは訪れず、アイシャは小男と共に町の中へと入って行った。
絶えない揺れと、Uターンなどの振り回しで乗り物酔いを起こし始めたアイシャ。
気分が悪くなって俯いていると、車輪の立てる音が変わったような気がした。
(もしかして、バーチに着いた?)
と、顔を上げて外の景色を見てみると、思った通り窓の外には家が立ち並んでいた。
馬車は依然として速いスピードで走っているが、バーチに着いたと分かっただけで気持ちが幾分か明るくなる。気力も少し回復し、アイシャは膝立ちで小男がいない方のドア近付くと、
「助けて!!」
今まで以上に声を大きくして、必死に助けを求めた。
一方小男は、御者席への移動に苦戦していた。
走っている状態での移動は至難の業で、とにかく何かを掴まなければ……と、何度も何度も馬車に手を伸ばす。
だが、腕が短いせいでなかなか届かず、空を掴むばかり。小男は苛立ちで何度も舌打ちした。
アイシャとしては馬車は止めて欲しいが、山賊には捕まりたくない。かといって何か良い解決策があるかと言えば、そうでもなく––––。結局、
「誰か止めてぇ! 誰か助けて下さぁい!」
声を振り絞って、助けを求める事しか出来なかった。
町の人々は騒ぎに気が付いても咄嗟に状況を飲み込めず、馬車が遠ざかっていくのを見送るばかり。馬車を止めようと苦心しているのは、小男1人のままだった。
「おい、馬車が暴走しているぞ!」
「大変っ! 女の子が乗っているみたい!」
「あの人が止めようとしている! 頑張れ!」
そうやってアイシャ達を気にかける者が増える中、小男の手が馬車の一部を捉えた。
小男は、その手に力を入れて御者席に飛び移ると、手綱を持ってすぐに馬車を止めた。そして、
「へっ、梃子摺らせやがって」
そう言ってニヤリと笑う。
後は「言う事を聞かなければ、連れの男を殺す」とアイシャを脅せば良いだけ。小男はアイシャを罠で縛ろうと、御者席から降りた。
ようやく馬車が止まり、
(すぐに逃げなきゃ……)
とアイシャは動こうとするものの、長時間暴走馬車に揺さぶられていたせいで視界が揺れてしまい、気分が悪くてすぐには立ち上がれない。
そんな中、祭りだろうか、外からワッ!!と盛り上がる人々の声が聞こえて来た。
しかしアイシャは気分が悪く、外がどのような状況にあるのか探る気になれずにいた。そんな彼女に分かったのは、目の前のドアを開けたのが山賊の小男だという事だけ。そして、
「降りろ」
そう小男に促されて、アイシャはもう言う通りにするしかないと観念して項垂れた。
(これからどうなるんだろう……。父様、母様、ごめんなさい)
これから起きるだろう事態を想像して、アイシャの瞳が濡れていく。細くて白い手も小刻みに震えていた。
「聞こえないのか、早く降りろ」
小男が、苛立った様子で再度催促する。
アイシャは俯いたままゆっくりと立ち上り、足を出してタラップを踏んだ。
そしてふらつきながら馬車から降りると、周りからワッ!!という歓声が再び湧き起こった。この深刻な場面に似つかわしくない、明るい歓声だ。
突然沸いた歓声に驚いてアイシャが周りを見渡すと、笑顔の住民達が自分と小男に向けて称賛の声と拍手を送っている。
その者達は馬車の騒ぎを知って駆け付けた町の住民で、アイシャと小男の傍に寄って来ては、
「あんた凄いな」
「お嬢さん大変だったな、怪我はないか?」
「勇気あるよ、お兄さん。お嬢ちゃんもよく頑張ったね」
と、絶え間なく2人に労いの言葉をかけて来た。
周りの者達は小男の正体を知らないので、『暴走馬車から少女を救い出したヒーロー』として口々に彼を誉め続ける。
そんな人達に混ざって、
「あのまま真っ直ぐ走っていたら、工事中の穴に落ちていたよ。結構深いからその前に止まって本当に良かった」
と教える者がいて、アイシャは転落したところを想像して、胸の前で重ねていた手をギュッと握った。
小男としては、金のために奮闘していたらアイシャを救っていた……という状況なので全く善意はなく、アイシャからしても小男は、印章と自分を金に換えようとしている悪党に変わりはない。だが育ちが良いからなのかアイシャは、一応危機的状況から救ってくれたのだから……と考えて、称賛の的となっている小男に向けて、
「どうもありがとうございました。おかげで助かりました」
ペコリと頭を下げて感謝の意を伝えた。
小男といえば、ヒーロー扱いをしてくる人々の前で誘拐を続行するわけにもいかず、また、アイシャが礼を述べて一区切りを付けたものだから連れて行く口実を失ってしまい、苦虫を噛み潰したような表情になる。
小男の目は何か考えている様子だったがついに諦めたらしく、
「いや、無事で良かった」
一言そう言うと、険しい表情のままサッと自分の馬に跨り、手綱を操って出発した。
「あれだけの事をしたのに、名乗りもしない、礼も言葉だけで良いだなんて……」
「見た? あの渋い顔。なんてカッコ良いのかしら」
小男は、名乗りたくても名乗れない身分かつ、顔を覚えられると厄介なのでさっさと離れたわけなのだが、何も知らない町の人々は小男の去り際の言動まで褒め称え、どんどん小さくなっていく彼の背中に、称賛の声と尊敬の眼差しを送り続けた。
アイシャはその様子を見届けるのもそこそこに、バーチの管理主邸を探す事にした。
(早くしないと、ウルズが……)
最後に見た現場には、山賊の他に大勢の男達がいた。状況は全く理解出来ないが、だからこそ一刻も早く管理主邸に行って、力を貸してもらわなければいけない。
(ウルズ、どうか無事でいて。神様、どうかウルズをお守り下さい)
アイシャは両手を握りしめて、神に願った。
続く。
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