第23話 ウルズ×追っ手
次に目が覚めた時は、夜明け前だった。
窓の外の様子から、いつもより早い時間に起きたと分かる。
ウルズの手はまだアイシャに囚われたままで、当のアイシャはすやすやと眠っている。
もう少し寝ていたい気もするが、バーチが目前なので本格的に追っ手が迫って来るのは今日だろう。ウルズは早く宿を出ようと決めて、アイシャを起こす事にした。
「おい、アイシャ」
そう声を掛けるがやはりなかなか起きず、10回ほどの声掛けでようやく目を覚ました。
「おはよう」
「おは……あ、ごめんなさい」
アイシャは挨拶の途中でウルズと手を繋いでいる事に気が付き、慌てて手を放す。
「バーチ目前やし、箱を返してから日も経ってる。そろそろ追っ手が本気出して来るやろうから、早いけど出るで」
ウルズがそう言うと、アイシャは頷いてベッドから出た。
アイシャから解放されたウルズも早く着替えようと服を脱ぎ始める。
すると不意に、アイシャから短い悲鳴が上がった。
「どしたん?」
ウルズが手を止めて振り返ってみれば、アイシャが着替えの服を抱きしめて顔を伏せており、
「何? なんかおったんか?」
ウルズは窓の外に人影でもあったのかと思い、横目で窓を確認しながら重ねて尋ねたが、アイシャは、
「あの、私、バスルームで着替えるから……」
質問に答える事もウルズを見る事もなく、そそくさとバスルームに入ってしまった。
結局悲鳴の原因は分からず、ウルズは首を傾げて着替えを続けていると、今度は扉をノックする音が聞こえてきた。しかも声を抑えているものの相当慌てた様子で、「お客様、お客様」と呼びかけている。
来客はこの宿屋の主人で、ウルズが返事をすると、
「変な2人組がお客様を探しています。追い払おうにもお客様がここにお泊まりだと確信しているようで、全然引き下がりません。もし彼らに見付かるといけないようでしたら、裏口までご案内しますが」
と、早口で告げられた。
どうやら例の凸凹コンビが、ウルズ達を探してここまで来たようだ。
「ありがとうございます、お願いします」
ウルズはそう礼を言ってから、バスルームのアイシャに追っ手が来ている事を伝えた。
ウルズはとりあえず、まだ着る予定だった服を鞄に入れて上着を素早く羽織り、それからドアの前で待機している宿屋の主人に宿代を支払った。そしてアイシャの準備が出来次第、宿屋の主人に案内されて廊下を歩く。
その途中で聞き覚えのある声と、宿屋の従業員らしき声が聞こえて来た。いよいよといった空気である。
「出来るだけあの2人組を足止めしておきますので。どうかお気を付けて」
やはり、誰の目から見てもあの2人組は怪しいのだろう。宿屋の主人は完全にウルズとアイシャの味方で、彼の機転で外に出られた2人は、礼を述べて宿から離れた。
「とにかく馬車や」
まだ街灯が点いている薄暗い時間、道には早朝に働く人の姿がポツリポツリとあるだけで、馬車に至っては通ってすらいない。そんな寝静まった町を駆け足で進んでゆく。
こういう場合は、馬車の乗り合い所に向かう方が手っ取り早い。ウルズとアイシャは乗り合い所の標識を探しながら走った。
「あった」
前を走っていたウルズが馬車乗り合い所の標識を見つけて、後ろを振り返る。そこには、
「待ってぇ。速いよぉ」
置いてけぼりになったアイシャが、待って欲しいと呼んでいる。
「こっちや」
歩みは止められても、寒くて足踏みは止められない。ウルズは、少しだけアイシャを待っては曲がる方向を指で示して、先に1人で角を曲がった。
それを馬車乗り合い所に到着するまでの間繰り返し、アイシャよりも一足先に辿り着く。
それから入り口に設置されている案内板でバーチ方面の貸切りエリアを確認し、顔を向けて2頭引きの馬車があるのを目視した。
朝が早い為か貸切りエリアにあるのはその一台きりで、ウルズは他の客に取られてはいけないと、その馬車に向かって走り出した。
そこには身なりが整えられた御者が立っており、ウルズに気付くと深々と頭を下げて丁寧に出迎えてくれた。
その姿と伯爵家の執事の姿が重なり、あの執事が今の事態を知ったらどうなる事やら……と想像して、眉間に少しシワを寄せる。
ウルズは、笑顔で頭を上げた御者に、
「バーチまでお願いします」
そう言って、2人分の貸し切りチケットを購入した。
おつりとチケットを受け取ったタイミングでアイシャが到着し、
「速いよぉ、ウルズ……」
小さな声で訴えられた。膝に手をついてハァハァと激しく呼吸し、話すのがやっとという風だ。
そんなアイシャにウルズは、
「お疲れ」
と労いの言葉をかけて、買ったばかりのチケットを渡す。すると、
「乗り合い馬車じゃない」
薄い黄色のチケットを見たアイシャが、ウルズを見上げた。
「そ、他の人待ってる間に追いつかれても困るし、関係ない人巻き込めやんやろ? やから乗り合い馬車はやめた。さぁ乗った乗った」
ウルズはそう促して、先にアイシャを馬車に乗せる。そしてウルズが馬車に乗ってやり始めたのは、服を着込む事だった。
カーテンの隙間から差し込むランプの光で、服の前後ろを確かめる。
そうやって何枚も着ていくウルズを見て、アイシャが「着過ぎ」と呟いた。そして、
「いつ出発するのかなぁ……」
と、羽織っているコートを脱ぎながらウルズに尋ね、ウルズが「すぐやろ」と答える。
他に客はいないので、御者の準備が出来次第出発となる筈。今は出発前の点検でもしているのだろう。
馬車の中は暗いが、出発するまでカーテンを閉めておこう–––。そんな風に段取りを立てるウルズに、
「印章はどうしたの?」
アイシャが首を傾げて印章の在処を聞いて来た。なので、
「俺は持ってへん」
と、首を横に振って答える。嘘は付いていないが、詳しくも言わなかった。
「私も持ってないよ?」
「うん、けど俺も持ってへん」
「置いて来ちゃったの?」
届けに行くはずの印章を置いてきたのかと、アイシャが首を傾げる。勿論印章はウルズ達と共にあるので、ウルズは「まさか」と否定した。
「誰かに預けているの?」
「うん」
「誰か居た?」
再び首を捻るアイシャに、
「ずっとな」
ウルズはわざと含みを持たせた言い回し方で返事した。
管理主の印章を持っているのは、アイシャが抱いているリュックサック熊なのだが、いつもは擬人化して対話しているのに、預けた相手だとは思わないらしい。
リュックサック熊に、「誰だろうねー」と喋りかけているアイシャの姿にウルズは思わず笑いそうになり、慌てて顔を背けた。
「出発します」
御者が出発を知らせ、馬車が動き始める。ウルズは閉められていたカーテンを開けて、外を見られるようにした。
最初はゆっくり、そして徐々に加速していく。
そうやってウルズが外の景色を眺めていると、町の中を走るには少し速度が速い気がした。しかもまだ加速する気配があり、
「ウルズ……」
アイシャも同じ事を思ったらしく、不安そうにウルズの服を握った。
馬車は速いだけでなく乱暴な運転へと変わっていき、客を乗せた馬車とは思えない荒っぽさで町の中を駆ける。ウルズとアイシャは馬車が曲がるたびに、大きく左右に振られた。
「痛い……」
壁に体をぶつけてアイシャが眉を顰める。
ウルズは長い手足を使って出来るだけ体が動かないよう対処したが、アイシャはそうはいかない。ついには、リュックサック熊が床の上に転げ落ちてしまった。
そうして2人を乗せた馬車は、派手な音を立てながら猛スピードで町から出て、暗い森の中へと消えて行ったのだった。
続く。
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