第16話 ウルズ×のどか
翌朝、ウルズとアイシャは朝食を摂ってから、モスという町を目指して出発した。
出発の際にウルズは、「早く歩かな熊をうぇってさせるで」の他に「転んだら熊の恥ずかしい写真を撮るからな」という脅しをプラスして、アイシャに気合いを入れさせた。
必要以上に急ぐつもりはないが、アイシャの歩くスピードに合わせていては、依頼を期日内に終わらせるのはまず無理だろう。
依頼内容に見合わない時間のかかり方をすれば評価が下がってしまうので、ウルズはアイシャに厳しいと思われようとも、急かすしかなかった。
そうして前述の発言になったわけなのだが、リュックサック熊の見た目はぬいぐるみそのもの。どんなポーズであれ、ただ可愛いだけである。
そもそもカメラなどという高級品を庶民のウルズが持っているわけがなく、少し考えればそれに気付くはずなのだが、貴族のアイシャには“カメラを持っているわけがない”という考えに至らなかったようで、リュックサック熊を守ろうと頑張って歩き続けた。
その努力の結果、モス方面にある大きな市場に、予定通りに到着することが出来た。時間は12時をちょっと過ぎたところで、人で賑わっている。
市場特有の雰囲気や立ち並ぶ店に興味を惹かれて、アイシャの首が落ち着きなく動いている。その眼差しは、溢れんばかりの好奇心でキラキラと輝いていた。
この市場に来ておいて、食事だけというのは酷というもの。ウルズは、予定通りに辿り着く事が出来れば少し長めの休憩を取ろうと考えていたので、
「じゃあ1時間自由行動にしよか。待ち合わせ場所はここな。昼メシ済ませといてや。あと、変な人に絡まれたら声上げて助けを呼ぶんやで。分かった?」
アイシャにそう伝えた。
そう言いつつも、伯爵家のお嬢様が1人で買い物が出来るのかいささか疑問だったのだが、アイシャが問題なさそうに了承したので、大丈夫なのだろう。
そうしてアイシャは、リュックサック熊を揺らしながらウルズから離れて行き、キョロキョロと周りを見渡しては、気になる物が置いてあったのだろう店に近寄って行った。
一方ウルズは、アイシャの様子を少し見守った後、腹を満たすべく市場の食料品売り場へと歩き出した。
何度かこの市場に来たことがあるので、どこに何があるのか大体把握している。ウルズは両手いっぱいに食べ物を購入すると、座れる場所を探した。
この市場には、訪れた人達の為にベンチがあちこちに設置されており、中には噴水の縁に座って過ごしている人達も居る。ウルズは長いベンチに座り、空いている場所に荷物を置いて早速食べ始めた。
この市場ならではの料理を次から次へと食べ進め、最後のおかずを頬張っていると、赤毛のアイシャがこちらにやって来るのが見えた。
近くにある時計を見てみれば、別れてから30分程度しか経っていない。
「まだ時間に余裕あるで?」
やって来たアイシャにどうしたのかと尋ねたところ、屋台ばかりで昼食を買う事が出来なかったと言う。
ウルズは、貴族だから屋台で買った事がなかったのだろうと解釈し、口の中の食べ物を飲み込んでから、
「ほなら、買いに行こか。何食べたいん?」
ゴミや荷物を持って立ち上がった。勿論、依頼の箱も忘れていない。
そんなウルズの質問に、
「パンケーキが食べたいな」
アイシャはそう答えて、ウルズが少し渋い表情を見せた。そして、
「そんな栄養の無い物、昼飯として認めません」
と、却下する。
見た目は今時の子であるウルズだが、家族に料理を振舞ってきた為、栄養を気にする節があった。アイシャの朝食を振り返るに、昼食がパンケーキだけでは栄養が偏ってしまうと思ったのだ。
しかし、アイシャがパンケーキと言った理由は、ウルズが想像していたものとは違っていた。単に好みだけで選んだのではなく、
「知らないお料理ばかりで、味や具が分からなかったの……」
選ぼうにも選べなかったのだと言う。それを聞いてウルズは、
「あー、なるほど、確かにな。知らへんのやったら選びようないもんなぁ」
と、妙に納得した。なのでまず、屋台を回りながらどのような料理なのか説明する所から始めた。
アイシャは、教えて貰った料理の中から食べたい物を選び、売っている屋台に二人して並ぶ。やはりパンケーキは食べたかったらしく、最後まで候補に残っていた。
(デザートにパンケーキを食べるとして……)
アイシャの食べる量を考慮すれば、ハーフサイズが良いだろう。
ウルズはアイシャに、パンケーキも買うからハーフサイズはどうかと尋ねてみたところ、アイシャもそれが良いと同意したので、ハーフサイズで注文することにした。
買った後は広場に移動して、ベンチの空いている所にアイシャを座らせる。
アイシャは荷物を置いてからいつもの食前の祈りを捧げ始め、ウルズは、アイシャが欲しがっていたパンケーキを買いにその場から離れた。アイシャが食べ終わってから買いに行っては、時間がかかると思ったからだ。
アイシャは甘い物が好きらしく、ウルズが買ってきたパンケーキのミニサイズを差し出すと、嬉しそうに礼を言って受け取った。
そうしてウルズがアイシャの隣に座ろうと移動した時、リュックサック熊が視界に入った。
その腹は大きく膨らんでいて、否応無しに妊娠を連想させる。屋台では買えなかったが、他の店ではきちんと購入出来たようだ。
「妊娠してるやん」
リュックサック熊を指さして戯れに言ってみると、
「女の子だったの?」
アイシャは食べる手を止めて、首を傾げた。
「腹膨らんでるし。ちゅーか、そこ気になるか?」
そんな他愛のない話をしながら、2人はアイシャのランチタイムを過ごした。そしてアイシャが食べ終えて一服ついた後、2人はモスに向けて出発した。
サンプ出発当初は、予定していた時間を大幅に過ぎての出発になってしまったが、この日は予想以上に良いペースで歩き続け、夕方に差し掛かる頃にモスに到着する事が出来た。
とは言え、流石にこの時間から次の目的地に出発するわけにはいかず、ウルズ達はモスで一泊して、大きな休憩を取ることにした。
ウルズが同じ部屋でも良いかとアイシャに尋ねたところ、意外にもあっさりと了承を得られたので、宿で部屋を1つ取る。そして、前日と同様に宿に荷物を預けてから、食事に出かけた。
少し早い夕食。テーブルいっぱいに並べられた料理を、ウルズは今日も綺麗に平らげた。
「こんなに食べてお腹壊さないの?」
まだ見慣れない光景にアイシャは目を丸くし、
「それが平気なんよなー」
ウルズが腹を撫でる。
そんな雑談をした後に支払いを済ませて店を出てみれば、外は夕暮れ時で気温が少し下がっていた。
肌寒く感じたウルズは、素早くポケットに手を突っ込んで歩き始める。実は彼、寒さに酷く弱いのだ。
その点アイシャは平気らしく、店に入る前と変わらない様子で、ウルズの服を持って後に続いた。
そうやって宿に帰ろうと道を歩いていると、ウルズは突然ドンという衝撃と共に、背後からアイシャに抱きつかれた。
「抱きつくやなんて、大胆やわぁ」
転んだのだと分かっていたので、ふざけた口調で言う。アイシャはすぐさま、
「抱きついたんじゃなくて、転んだの」
と、抱きついたままで弁解した。
「何いばって言うてんねん。っていうか、転んだ言うたな、今」
ウルズが目を細めてアイシャを見ると、彼女はハッとした表情を見せ、
「ごめんなさーい! もう転ばないからぁ」
と、慌てて謝った。
それに対してウルズは、
「あかん。今まではそう言えば済んできたんかもしらへんけど、俺は許しまへん」
そう言って腕を組む。
勿論、こんな時まで「転けるな」と言うつもりは毛頭なく、ウルズは軽い口調とおどけた言い回し方で冗談だと示したのだが、アイシャは冗談だと受け取らなかったようで––––、
「もうしないから嫌わないで……」
と、ウルズに真剣に懇願した。
「なにもそんな……」
何故嫌うという発想が出てくるのか。アイシャの予想外の反応にウルズが少し戸惑っていると、
「嫌われたくない……。お友達になって欲しいから……」
抱きついているアイシャの手に力が入った。
「心配せんでも、こんなんで嫌わへんよ」
「ホント? 怒ってない?」
不安そうな声音で聞くアイシャにウルズが頷いて答えると、彼女は安心した笑顔を浮かべてウルズから離れた。
(人懐っこくて誰とでも仲良くなりそうやのに、友達少ないんやろか? )
自分には分からない、貴族ならではの苦労があるのだろう––––。ウルズがそんな事を考えていると、彼の服をクイクイッと引っ張ったアイシャが、
「ゴリラさんが来る」
と、妙なことを口走った。
ここは街の中、ゴリラなど居るはずがない。なのでウルズは、
「見間違いやろ。ほら、寒くなってきたし行くで」
笑ってアイシャの言葉を受け流し、宿に向かって歩き始めた。
アイシャもそれに従って一緒に歩き始めたのだが、
「本当だよ。ねぇ、見てよぉ」
と、訴えるのを止めようとはしない。
余りにもお願いしてくるので、ウルズは「分かった、分かった」と応じて振り返り、アイシャが示した先に視線を向けた。
そして、確認するや否や、
「マジか……」
の三文字が口を衝く。
沈みゆく夕陽を背景に、ウルズ達の方に向かって来ているのはアイシャの言うソレで––––
「ね? ゴリラさんでしょ?」
アイシャが、ほらねという顔でウルズを見上げた。
続く。
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