第13話 アイシャ×伯爵令嬢は辛いよ

 ウルズがセルシオで居心地の悪い思いをする少し前から、スノーマン伯爵邸の門でちょっとした騒ぎが起きていた。

 というのもアイシャが執事のネロと「行く」「行かせない」の押し問答をしていたからである。

 サンプの管理主である父と母が公務で家を空けている今、このネロにさえ見つからなければ……とアイシャは踏んでいたのだが、考えが甘かった。

 アイシャがこの時間帯に帰って来たのを不思議に思った侍女が留守を任されているネロに連絡し、連絡を受けたネロはもしやと思って玄関で待ち構えていたのだ。

 それでもアイシャは諦めずに軽い身のこなしでなんとか門付近まで移動したのだが、当然門番からも反対されて通してもらえず、結果アイシャはネロと門番の間で立ち往生し、そこで押し問答が始まったというわけである。


 このやり取りが道行く人々の目に止まり、門前の人だかりが段々と大きくなっていく。皆、伯爵邸での珍しい騒動に興味津々だ。

 そんな中、

「何やってんねん……」

 聞き覚えのある声が、アイシャの耳に届いた。

 声のする方を見てみれば、依頼のパートナーであるウルズの姿があった。

 ウルズはアイシャと目が合うと、遠巻きに見ている人達を掻き分けて前に出て、

「何怒られてるん? 綺麗な家やなーって思うてフラフラ入ってったんか?」

 そう言って立派な屋敷を眺めた。アイシャはそんなウルズに、

「依頼なのに、ここから出してくれないの!」

 と訴えるも、ネロから目を離した隙に捕まってしまい、

「さぁ、行きましょう」

 と、連れ戻されそうになる。

 アイシャは荷物を持った手をウルズに向けて伸ばすが、ウルズは見ているだけで助ける気配がない。

 それどころか少しの沈黙の後に、

「いくらシーフクラスや言うても、盗みはあかんで。まずは盗んだもん返して、ごめんなさいしやな」

 と、小さな子供に言い聞かせるような口調で、アイシャに喋りかけた。

 それに答えたのはアイシャではなく門番で、

「泥棒ではありません!」

 声を張り上げて強く否定し、続けてネロも、

「学校へ行くだけならまだしも依頼まで受けて来るなんて、とんでもない話です」

 そう言ってアイシャの細い腕を引いて、強引に屋敷に連れて行こうとした。

 このまま連れ戻されてしまっては、今日は屋敷から出して貰えない––––。アイシャは助けを求めて、

「ホガッタさぁん!」

 もう一度ウルズに手を伸ばして助けを求めた。

 それは誰が見ても切羽詰まった状況で、人々はどうするのかという視線をウルズに向ける。

 それなのに彼は、

「ウルズでええで」

 と、呼び方についての話をし始める始末。

「ウルズ……さん」

「さんはいらへんって」

「ウルズ……」

「そうそう」

 2人でそんなやり取りをしていると、

「どんな状況でその会話をしているのですか」

 アイシャを引きずっていたネロが足を止めて、2人を振り返って見た。

 それを見たウルズが、

「止まった止まった。俺の力や。な?」

 金髪を揺らして得意げな顔つきでアイシャに同意を求める。

 アイシャもそこで頷いておけば良かったのだが、素直な性格の為そうはいかず、

「何か違う気がするの……」

 と、つい控えめにつっこんでしまった。

 それについてはすぐに「しまった!」と思ったが時すでに遅しで、ウルズはアイシャに向かって、

「それより、人を散々待たせといて帰るつもりなんか?」

 と、文句を言い出した。

「あそこを待ち合わせ場所にした俺も俺やけど、彼女にドタキャンされた惨めな奴みたいになってもうて、めっちゃ居心地悪かったんやからな! どんな視線を向けられてたか分かるか?」

 相当居心地の悪い思いをしたのだろう。門に近付きながら矢継ぎ早にどんなに居づらかったのか、どんなに恥ずかしかったのかを説明する。

 それを聞いた周りの人達から、「それは……」「可哀想に」という同情の声がチラホラ上がった。

「俺はやなぁ、その視線に耐えながら長い間待ってたんや。やのに、それやのに、帰るって言うんか?  依頼はどうすんねん? 成績に響いたらどうしてくれるんや?」

 一歩、また一歩とウルズが門に近付く。これ以上は駄目だと門番の制止が入り足は止まるも、口はそのまま動かし続けた。

 この騒動は一体どうなるのか––––。そういう眼差しで住民達が見守る中、折れたのは意外にもネロだった。

「分かりました。分かりましたから、シア様を責めるのはお止めください」

 と、アイシャを庇うようにして間に立ち、ウルズと向き合う。

 それを聞いたウルズは、パッと眉と口角を上げて、

「分かったってさ、良かったな、ちゃんとお礼言うんやで」

 すかさず礼を述べるようにと アイシャを促した。

 その明るい口調と様子から、ウルズは怒ったフリをして自分を嵌めたのだとネロは分かったが、素直なアイシャが間を置く事なく満面の笑みで、

「分かってくれて嬉しい! 本当にありがとう! 」

 と礼を言って深々と頭を下げたのだから、ネロは閉口するしかない。

 ウルズの策略だと気付いても、アイシャにこの様に礼を言われてしまっては、それなりの理由が無い限り取り消せなかった。

 いくら主人に留守を任されているとは言え、本来ならアイシャへの口出しは許されない立場だ。このスノーマン家だから先程のような行為について咎められる事は無いが、他の貴族ではそうはいかない。下手すると死罪である。

 ネロは、この一連の流れに大きなため息を吐くと、手袋をはめた手をウルズに差し出し、

「生徒手帳の提出をお願います」

 と促した。

 意図を介したウルズは頷き、生徒手帳をネロに預ける。

 それを受け取ったネロは、訪問者カードにウルズの情報を記入するべく門へと移動し、生徒手帳を開いた。そして、

「魔法科詩人クラス……?」

 学科欄を見たらしく、腰に剣を携えているウルズに顔を向ける。

 アイシャがネロの言いたい事を察して、先程ウルズが剣と魔法でザッカリーを倒したので間違いないと証言した。

 するとネロは驚いて、

「本当に魔法科なのです……ね?」

 納得と疑問が混ざった言葉を発し、心底不思議そうに、また、怪しむようにウルズを見ながら生徒手帳を返した。それから、

「依頼内容は、どういったものなのでしょう?」

 と、アイシャに尋ねる。それに対してアイシャが、

「お届け物だよ。手紙にも書いたけど、すぐそこの町に。早いと1日で帰ってこられる距離だよ」

 屈託のない笑顔を浮かべて簡潔に答える。

「……分かりました。どうかお気を付けて。くれぐれもご無理をなさいませんように」

 ネロはアイシャにそう言うと、今度はウルズに向き直り、

「シア様を、よろしくお願い致します」

 丁寧に頭を下げて2人を送り出したのだった。


 ようやく出発出来る––––。

 門番によって人だかりがなくなった道をウルズとアイシャは並んで歩き、南門を目指して南へと進んでゆく。

 そうして伯爵邸からかなり離れた頃、ウルズが「あのさぁ」と口を開いた。

 アイシャがその言葉に反応して、「?」と青い瞳をウルズに向けると、彼は、

「さっき“一日で”って言うてたけど、それ、馬車で移動した時の話やんな?」

 クルクルと、長い人差し指で円を描きながら、先程のアイシャの言葉を指摘した。

 それを聞いてアイシャが、「あっ!」と短い声を上げる。

 いつも馬車で移動しているので、うっかりネロにそう言ってしまったのだ。

 アイシャがどうしよう……と前を向いたり後ろを向いたりしてオロオロしていると、ウルズがプッと吹き出し、その面白がっている態度で勘付いたアイシャが、

「もしかしてウルズ、あの時に気付いてたの!?」

 と問えば、ウルズは言葉の代わりにニヤッと笑い、

「さ、行くで」

 と、一方的に話を切り上げて、スタスタと歩き出したのだった。



続く。

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