第五話 その先は
私たちは朝のうちに王宮へ向かい、荷物をまとめてすぐに職を捨てた。そもそも私は、十五で宮入りという若さが売りの魔術師なのだ。優秀な人材が多いと別の大陸の大国にアピールするために雇わせた、といっても過言ではない。
宮廷魔術師を退いた今の私は国家魔術師という立場にある。けっこう強い魔術師だ。
冒険者というのは、ごく稀にソロもいるが、基本3〜4人以上でパーティを組むものである。
基本職は前衛で攻撃を務める〈剣士〉と盾役となる〈タンカー〉、後方から支援する〈魔術師〉の三つだ。もちろんこの三つ以外にも数多くのジョブが存在する。
剣士とタンカーは能力に指標がないが、魔術師はそれぞれのもつ魔力の量や質、使える魔法の種類などで能力を測ることができる。そのためCランク以上の魔術師は、国家魔術師認定試験の受験資格を与えられる。試験に合格すると、ときどき、直接国から報酬の高い依頼が舞い込むのでメリットが大きい。
当然ながら試験合格者は少なく、その分、正規の魔術師はとても少ないのでパーティを組む際は重宝されるのだ。
冒険者になってからは、そうだな、パーティメンバーを探そう。正直今すぐにでもここを出たい。四方が高い石レンガ壁で囲まれた、要塞ような宮殿は好みじゃない。はっきりいって品がない。
国王も議会も掌握したここゼルディアは、いまや完全に私の国。私の庭で、私の家である。
であれば、私がもっとも自由に振る舞うべきではないだろうか。
自室で荷物を整理している少年に声をかけた「少年。もう収納魔法は使えるね?」
「いちおう。でもなんで?」
私は、本来なら了解を得るべきだった、王に無許可で書き上げた宮殿の見取り図を渡し、ペンで部屋からのルートを付け加えた。
「今朝の料理人たちはみな渋い顔だったが、コック長はやけに機嫌がよかった。行ってきなさい」
ただ一言そう放っただけで、彼は年相応ないたずらっ子の笑みを浮かべた。
「みためだけでも偽装しとく?」
「不要だ。警備の甘い衛兵が悪い」
代わりに彼の荷物をまとめていると、少年は何を思ってか、見取り図に使った黒のインクと私の趣味の水彩画につかう大きな筆を握っていった。
「待て。何するつもりだ?」
「落書き」
彼は私に止められたらすんなりやめそうな雰囲気だった。だから、私に言えることは一つしかない。
「食糧庫の隣には絵画のための王室専用用具室がある。どうせやるなら徹底的に。そうだな、バンクシーを超えてきなさい」
少年は「バンクシーってだれだよ」といいながらも、軽快な足取りだった。
三十分ほどして戻ってきた彼は、収納魔法でも収まらなかったのか、よく熟成したのがわかる生ハムの原木を抱えていた。
「よくやった。今日は至上の一本を開けよう」
◆◆◆
私たちは金貨6枚で馬車に揺られながら、ゼルディアを出てオフィーリアに向かっていた。
「なあ、おじさん」
「おじさんはやめなさい。で、何かね?」
いい加減、彼の名前も決めなければならないな。
この少年を呼ぶには、少年と呼ぶほかない。
「なんで冒険者?」彼の言葉はいつも簡単だが、むしろ的確にやりとりできる。伝わるなら、言葉は短ければ短いほどよいものだ。
「言ってなかったか。では、そのあたりの話をしよう」
革命の代名詞となった皇帝ナポレオンである私が、なぜ冒険者などというフリーター業に手を出すことにしたのか語った。
「冒険者というのは、簡単に言えば、人里近くで活性化した魔物を撃退したり、自治体及び個人から発出された一般人には手に余るクエスト依頼を受注・完了させる仕事だ」
――ひねくれ者しか集まらないとはいえ公務員であり、ライセンスは戸籍や身分証にも使える上、試験に通った正規雇用の冒険者ギルドの職員には特殊勤務手当まで用意されているのだ。
有り体に言えば、冒険者というだけで宿代が安くなったりする。身分証もあるから家を建てる必要もなく、月に一度のライセンス更新では一定ランク以上の冒険者に金貨20枚が保証されている。クエストとは別に。ここまでは分かるね?
「つまり、羽振りがいいから?」
私が「そういうこと」と言うと「で、本当は?」彼はそう聞いてきた。
嘘をついているわけではないが、当然ながらそれが理由というわけでもない。
「ある冒険者――坂入叶汰という少年を探していてね」
一応カマをかけたが、相変わらずの無反応。いっそ、無愛想、のほうが適しているかもしれない。
「ふーん。前言ってたやつ?」
「人の呼び方には気をつけなさい。……そうだ。通り名では海の神の名を冠している。遠い地域の神話に出てくる神の名だ」
たしか、オケアノスだったか。
なんの因果か知らないが、最近見かける転生者にはあれの知り合いが多い。私との縁を除いても、である。
原因は言うまでもなくあれのもつイレギュラー性だ。坂入カナタの父親がこちらに来ているのは単に、三代目坂入家当主・坂入
……考えてみれば、ケアンの存在自体が不自然なのだ。当時の彼は一介の中学生にすぎなかった。本当に、ただの中学生だった。
いや、解釈次第か?
いつもなら私の考えはここで止まっていたが、今ならもう少し先まで予想できるかもしれない。
私は思案し続けた。
「どうしたの?」
「すまない、考え事をしてる最中だ」
冷静に、俯瞰して考える。
あれをあのまま放置していたなら、確かに地球の歴史に大きな影響を及ぼしていただろう。というか、何をやらかしてもおかしくない。
だがもし仮に、坂入カナタと嘉田将馬の二人の接触によってあれが殺されたのだとしたら。
だとすると、この世界はアナザーストーリーとなる。だが、父は『シナリオを逸脱した』と言った。『私たちの勝利』や『次は、君だ』とも。
逸脱、か。
であれば、神々の用意した並行世界の意味も無くなってくるな。
刹那、脳裏にある結末が描かれる。
「おじさん……? 顔色わるいよ」
顔を覗き込んでくる少年に返事を返すこともままならなかった。
嫌な予感がした。
このままでは、いや、このままでないととてもまずいことになる、そんなあやふやで確証のない予感だ。
まさか。いや、そんなことが可能なのか……?
あれが死を望んでいるとでも? いや、むしろ逆なはずだ。
そもそも理論的に不可能だ。加えて、それはあれ自体の目的に沿わないはずだ。
今の私の人格は「ナポレオンを呼び起こす前の石堂秀雄」の人格と溶け合っているが、それは一つの肉体に魂を二つ入れ、かつ秀雄が私と共に生きることを良しとした結果だ。それこそが石堂家の業であるものの、我々の目的は世界の保管。呼びかけに応じた英雄は、この目的に賛同した者だけだ。
なにより私は、伊吹を洞窟へと連れて行く前日に殺された。この世界に来ているということは、自力であの洞窟にたどり着いたということだ。
まさか人類史に影響したとは思えない。
だから、絶対に石堂伊吹は――私の息子は存在するし、あれの中の英雄は世界の保管を良しとするのだ。
……故に、その可能性は存在する。過程や手順をすっとばして、意志という無限の可能性を内包したエネルギーがあれを動かせば、あるいは。
現に今、巨大犯罪組織『レネゲイド』は息をひそめている。周辺国もゼルディア王国も、そもそもダイル王国がただひたすら沈黙していることが不気味でならない。首謀者たる私が言うのもおかしいが、それでいいのか、いや良いわけがない。
息子の聡明さは私も認めている。おそらくすでにダイル王国は掌握済みだろう。だが、クレモア襲撃事件についてゼルディアは何のメッセージも受けていない。普通に考えれば、経済制裁なり戦争なり……いや、この文明レベルでは戦争だろうが、なにかしらあるはずだ。
『レネゲイド』――その意は『反逆』。何に反旗を翻すかは想像がつく。
いや、でも、あまりに信じがたい。
私は何を見落としている……?
分からない。……だが一つだけ、確たる自信をもって言える。
もしあれが私だったなら、いつか耐えきれずに自暴自棄になっていただろう。常人ならすぐに心を失った無気力な廃人と化すはずだ。
……大丈夫だ、私は分かっている。
――不憫だと憐れんではならない。
――同情してはならない。むしろ、我々人間はあれに理解を示してはならない。
――蔑まなければならない。罵らねばならない。あれを何か一つでも知ってはならない。
――決して、救ってはならない。
そんなことはわかっている。
…………分かってるさ、そんなこと。
こんなこと、考えたくなかったな。
「どうしたの? だまりこんで」少年の言葉でようやく我に返った。
相変わらず同じ表情で私の顔を覗き込んでいる。
どうやら私はずっと考え込んでいたらしい。とっさに「なんでもない」とぶっきらぼうに答えた私の声は、取り繕うこともできないくらい震えていた。
「……コーヒーを濃いめにいれてくれ」
「うん」
◆《シルビア》◆
冬休みのある日、私はクレモア郊外の自宅から、少し東のほうにある名前のない森で《ヒットマン》をしごいていた。
雪が深々と舞い落ちる中、ナイフの使い方講座である。
「師匠……もう少し軽いやつじゃダメですか……」
練習を始めて三時間。魔族でなくとも、常人ならまだまだ体力は保つはずだ。
最近になって気づいたが、彼の体はとても弱い。筋力やスタミナなど、体の性能が低すぎるのだ。
到底、同じ魔族とは思えない。
「だーめ。次また弱音吐いたら……それ、刺すからね」彼の持つ獲物を指さしてそういうと、彼は不承不承「……あーもう、やればいいんだろ!」そう返した。
「『やる』と『できる』は違うからね。ちゃんと成功させること」
軽く体力テスト的なものをさせたところ、50メートル走るのに17秒かかっている。同じ年齢の魔族の平均タイムは約6秒だし、人間だって彼よりもっと速い。
握力もまるで無かった。なぜああいう打ち刀を握れるのか分からないくらいで、試しに私の手を全力で握らせたけど、ただ、死体のように冷たい手で少し強く包まれているだけだった。
このナイフだって十分軽い。刃渡り30cmほどの鉄製だが装飾はなく、持ち手も木でできている。重さにしておよそ2kg程度だ。
それでも、彼がトレーニングなどをしていないわけじゃない。朝の運動も欠かしていないし、時間の隙を見つけてはナイフの捌き方を練習していたり、魔術の鍛錬を怠っていない。
つまり何が言いたいのかというと。
「弟子くんってさ、無理やり自分の体を魔力で動かしてるよね?」
私の質問に彼は苦笑で返した。
当たりだったらしい。
「俺はリィンみたいなチートスキルも、ジークのような丈夫な肉体もないから、こうでもしないと上に立てない」
《ヒットマン》は自嘲気味にそう放ったが、私にはその意味が計れなかった。
魔力の練度と量は心や意志、精神の力に比例する。強靭な精神を持っている人は魔力の質が高いし量も多く、普段は魔力が少なくても戦闘時にはアドレナリンが出るように魔力も増幅することがある。また、年齢を重ねるほど魔力の量は増えていく。
自身の心をコントロールできる人ほど魔力の使い方が上手いのだ。
すなわち、彼は自分の体をまるでマリオネットのように動かしている。
こう言っては悪いが、あんなひ弱な体を、その気になればSクラスの生徒全員を惨殺できるほどに操っている。
それも魔力────すなわち意志の力だけで。
精神による肉体の完全支配。カナは《ヒットマン》と彼女が、向こうでもこちらでも同い年だと言っていた。すると彼の精神の年齢はおよそ29〜30歳となる。かつ普通に考えれば、乳児の分を差し引いても20代前半くらいだ。
そんなヤワな精神じゃない。
何百年と生きる魔族であっても同じ芸当ができる者はいないと確信できる。
……本当に、この子はどんなに過酷な環境で生きてきたのだろう。私でさえそれを推し量れない。
精神が肉体を支配する。熟練の達人のようで聞こえはいいが、それはつまり、理性だけで動いているということ。
いつかこの子がボロボロになって、それでも何かを続けようとしたとき、誰かが止めなければならない。彼は自分で止まろうとしないから。
誰かがこの子を守ってあげないと。
◆
……とはいえ、目の前の少年は息を切らしてふらふらしている。さすがに厳しすぎたみたいだ。
「ちょっと休憩しよっか」
彼はこの寒空の下で汗をかいていた。もし風邪を引かれると、なにかと困るのでタオルを渡した。
「ありがとうございます」
冬休みになって二週間ほど経つが、組織としては変わったことはなく、彼も最近は頻繁に仕事に行かなくなった。
体を拭き終えると彼は、「質問があります」
「言ってごらん」私は倒木の
「《シルビア》。あなたは、今まで何人の命を奪いましたか」
それはとても低い声で発せられた。
深く思い悩んでいるのだろう。おおよそ推測できる。
「…………君は?」少し考えてから、私はそう聞き返した。そのまま答えるより、質問の意図を汲めるかもしれないからだ。
「……日本では、21人。この星では、106人」
私の弟子は日本でもいくらか人を殺していたらしい。
確かに多い、多すぎる。
普通に考えて、あり得ない。日本で人を殺すということ自体も。
しかし、私はあまり驚かなかった。
なぜなら、私は――――。
「日本での記憶はないけど、一応いつも数えてるよ。……私はね」
548人。
彼は目と口を開けて呆けていた。とにかく心底驚いた顔をしていた。
「まさか、私が二、三人くらいしかひとを殺したことがないと思ってたの?」
「いやっ、そうじゃないけど……」
《ヒットマン》は一見すると冷酷なようだが、それは彼の生まれ育った境遇がひどく劣悪だったからだ。
私の弟子は、ひとを思いやる心をきちんと持ち合わせている。出会ったときに見せた彼の獣性は、リィンを……仲間を守るためにその力を振るった。
「どうせ『俺は人を殺しすぎたから、この心優しく可憐で素晴らしい師匠の近くにいるべきじゃない』とでも思ったんでしょ?」
「……おおむね正解です。あはは……」まさかの図星だったらしい。
「待てよ、心優しく可憐で素晴らしい……?」
「手足縛って四時間サウナに閉じ込めるよ?」満面の笑みでそう答えた。
強制サウナを想像したのか、彼の顔は若干引きつっている。
「師匠はやはりすごいです。俺の考えなんて筒抜けですね」
「そうだよ。大抵のことはなんとなく分かっちゃうから」
「だから、安心していいんだよ」
「安心……」うまくその言葉が飲み込めなかったらしい。私も
「私は多くの命を奪ってきた。君よりたくさん間違えてきた分、君よりたくさんのものを持ってる。だから、私が師匠で、君が弟子なんだよ」
座りながら右手で隣を、トントン、と叩いて、彼に微笑んだ。
「座って」「はい」
カナの部屋に泊まった日、彼女から彼の境遇を聞いた。
彼は両親を殺したあと、真藤という家に引き取られたが、養親は交通事故ですぐに他界。以来ずっと一人だったらしい。噂では家も食料も無い時期があったのだとか。藍田という姓だけ借り受け、中学時代からは藍田伊吹という名前だったそうだ。
彼はずっと一人だった。何かにつけて虐待する母と、より恐ろしい父を見て一人で生き方を学び、一人で戦って、一人で勝ち、一人で生き残った。ずっとひとりぼっちだった。転生してからは優しい両親に恵まれたみたいだけど、それでもわけあって一緒に過ごした時間はあまり長くないそうだ。
彼に必要なのは、なんでも自分でやるのではなく他人に助けを求める選択肢を身につけること。そして、彼よりも強い存在だ。
「ナイフの扱いも人殺しも、私の方が優れてる。もちろん君の頭脳と魔力総量には頭が下がるけど、それでも私とは渡り合えない。君自身、それは分かってるんじゃないかな」
彼は何も言わずに、下を向いて深く頷いた。
ひょっとすると、私の隠し玉に気づいているのかもしれない。問題はないか。
「私が強くしてあげる。誰を敵に回しても、君が君の目標を、いつか成し遂げられるように」
「――――はい」
冬の風は枯れ木の間をすり抜けて、びゅうびゅう音を立てて私たちを襲う。倒木が転がりそうだったので、二人して同じタイミングで立ち上がり、それがおかしくて笑った。
「師匠。いつか必ず、あなたを超えます」
「私という壁は大きいよ。頑張ってね」
そう。今はまだ、大きな壁がある。
でも私は、なんの根拠もないのに、彼ならその壁の向こうへたどり着ける気がしていた。同時にそれがどういうことなのか、まだわかっていなかった。
「……って、誰の胸が壁だって?!」
「言ってねえよ! あとそれ、アイリスあたりの名誉を軽んじてるぞ」
……その発言こそアウトだよ、弟子くん。
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