第31話 白ユリとクロユリ

 ◆《ヒットマン》◆


 朝、6時ちょうどに目が覚めた。窓を見るかぎりでは、まだ辺りには日が差していないようだ。


 ねむい。

 ねたい。

 ねよう。

 おやすみ。


 人類の普遍的な行動原理である。


 ……というわけにもいかないので、あくびに7秒、目をこすってピントを合わせるのに5秒、再びあくびに3秒という、計15秒の起動シークエンスを経て起床を決意した。

 俺は朝が弱い。だからこそ、最初に起きたときはすんなりと起きるよう努めている。


 ひとまず体を起こそうとするが……なにやら毛布が重い。

 いや、精神的なベッドからの出づらさではなく、こう、物理的に。


 この重さの原因は何だろう、と周囲を見渡すと、そこには。


「すぅ。。……すぅ。。。…………」

「くかー。……くかー。……」


 そこでは可愛らしい寝息を立てるノエルと、年相応のわんぱくないびきを立てるアンジェロが俺を挟んでいた。

 貴族向けの大学ということもあり、ベッドはキングサイズである。三人が寝ても狭さは感じなかった。


 昨夜、アンジェロが「オレもにいにいと寝る!」と、このベッドに飛び込んできたことは覚えているが……ノエルはいつ来たのだろう。

 アンジェロは別に構わないが、ノエルはこの年齢となると倫理観に問題が生じそうだ。本人が変な気を起こさなければいいが。


 俺が気をつけなければならない。


 俺は二人を起こさぬようにベッドから出ると、身を縮こめてうずくまる二人に毛布をかけ直した。



 ◆◆◆



 なんとか睡魔に打ち勝った俺は、今日のテストで使う装備類を選んでいた。


 寝室のクローゼットは、俺にしか開けない武器庫にしてある。

 中には打ち刀、拳銃、スナイパーライフルなど、俺の趣向に合った装備が収納してある。


 今日のテストでは、使用する装備に関して指定はない。

 つまり、本来なら拳銃で四、五発ほど穴を開けてやればいいのだが……前回拳銃を使ったら怒られた。それ以降、銃火器類は禁止になってしまったのだ。


 とりあえず今日は打ち刀を使おう。俺が一番使い慣れた武器だ。

 というのも、コピーの中に刀の腕の立つ剣豪がいるのだ。……勝手に「人斬り」などと恐れられているが。

 そいつの技術は俺も会得しているし、他のコピーの戦闘経験もある。


 単純にそのコピーが最も戦闘する時間が長いというだけだ。

 毎日だれか斬ってるんじゃないかな。


 ……一人なのに話し口調だったか。

 


 ひとまず準備は完了した。

 時計を見ると、まだ6時半。大学と言っても、システムは地球の高校のようなものだった。二限に行けば怒られるし、テストもかなりの頻度で催される。


 一応、8時半までに行けば遅刻にはならない。というか、テストの成績さえよければ、毎日遅刻しても進級には問題ないということが、すでに他の生徒によって証明されている。


 ……ありがとう、将馬。お前の成績はよいデータだった。総合力テストは高得点なのに、あいつは筆記だけが散々なのだ。


 ちなみに一つの授業は90分。

 一日に四限までしかない。


 支度を済ませたら、俺はいつも二度寝する。

 いつでも出られる状況を整えれば、ギリギリまで寝ていても間に合うからだ。

 それに、遅刻しても問題はない。俺は将馬と違い、筆記も実技も満点以外に取る意味もないし。



 まあ、それが一日の始まりである。










 ◆《シルビア》◆






 肌寒い、晴天の朝。今日は私の初登校であり、同時に初めてのテストである。


 私はこのベッドから出ずにいた。

 もちろん、自分の意志で。ぬくぬくしたい気持ちはとっくに失せていた。


 なんなら昨夜はよく寝られなかったのだ。


 顔の整った、藍色がかった黒髪の少女――リィンがすぐ隣で静かに寝息を立てている。

 ……私は彼女の寝ている姿から目が離せなくて、恥ずかしながら、彼女を見つめたままこうして時間だけがすぎている。


 顔が近い。鼓動が早まる。

 不整脈……なわけないか。早急にケアが必要だ。


 ……原因は昨日の夜だ。

 私はあまり他人に心を開かない性格だと自負しているけど、彼女に対しては、なんというか……素直になれたと思う。

 ちょっと昨夜の出来事を振り返ろう。



 ◆◇◆



「あ……ごめんシルビア、布団なかった」


 とリィン。

 彼女とは無事、和解できた。互いに認識の齟齬を自覚したからだ。一緒にごはんを食べに行って、今ちょうど帰ってきたところである。

 彼女のおすすめの店はとても美味しかった。


「大丈夫だよ、ありがとう。床で寝るのは慣れてるんだ」


 ただ一晩泊めてもらうだけだから、あまり気を使われてもちょっと困る。座って寝ることなど雑作もない。


「そういうわけにはいかないよ。風邪ひかれても困るし」


 ……と思っていたのだが、反対されてしまった。

 まあ確かに、今年の冬は一段と寒い。風邪をひくくらいどうということはないが、彼女の信条に反するようだ。


 ソファーで寝ると次の日がきついからな……と呟くリィン。



 本当にこの子は、私のことを気遣ってくれている。


 バロックでは、私が興味を持った露店を優先的に回ってくれた。試しに視線を洋服店の看板にたった1秒だけ向けてみると、さも自分が行きたかったかのように振る舞い、一緒に行こうと誘ってくれた。

 すばらしい観察眼だ。


 他にも、ヒールを履く私に歩くペースを合わせて歩きやすいルートを選んでくれたり、お手洗いを察してくれた。気づいたら馬車の通る側を歩いてくれていて、しれっと段差を教えてくれたり


 洋服店での彼女の服選びは雰囲気に合わずとても可愛くて、凄まじいギャップの衝撃を食らったが。


 身長も私より高いし、基本クール系だし、イケメン女子だけどきちんと乙女なリィンであった。

 かっこかわいいイケメン女子。つよすぎない?


 ……ちょっとドキドキしたなんて言えない。


 なんだか申し訳ないなぁ。


 そんなことを思っていると、彼女の口から驚いてしまう一言ひとことが発せられた。


「じゃあ、二人でベッドで使っちゃう?」


「……へっ!? 二人で、べべ、ベッドに?!」


 それはつまりそういうことでそれというのはそれとしか受け取れないわけで。


 …………落ち着け私。大丈夫かな。

 文脈判断こそ正義。


 仕事で培われた冷静さを取り戻し、精一杯取りつくろう。

 大丈夫、取り乱したのは一瞬だけだ。

 流石に不審には思われていないはず……。



 そう思ってリィンのほうを見てみると————。


「…………(ニマニマ)」


 ——してやったり、という表情を浮かべる、いじわるイケメン(女)がいた。


「シルビアのそういうとこかわいいなぁ」


 この子、やっぱり私とは似てないと思う。


「っ……! いじわるだなぁ……」


 がらにもなく、そんな感想を抱いてしまった。


「ほら、ここの寮のベッドは広いから。二人で寝ても狭くないよ」

「そ、そっか。じゃあ、そうさせてもらうよ」



 私の返事を聞くと、彼女はすぐに後ろを向いて、


「じゃあ、ボクはお風呂を沸かしてくるね」


 そそくさと浴室に向かっていった。


 テストでは容赦しないよ……そう思って彼女のほうを見ると、幸か不幸か、私は彼女が振り向くときの横顔を見逃さなかった。



 ……彼女は私より恥じらっているのではないかというほど、顔はもちろん耳まで真っ赤だった。我慢していたものが溢れ出す寸前でやりきったようだ。


 ……やっぱりちょっと似ているかもしれない。

 結局のところはそう感じた。



 ふと、私の脳裏に素晴らしい案がよぎる。

 そして、私はすぐさま行動に移した。


 暗殺者らしく足音を消して彼女に近づく。


「ねえ、カナ。」


 耳元で囁くと、彼女の肩がビクッ、と震えた。


 何を、とは言わないが、私は確信した。

 その上で、追撃。


 ふーっ、と息を吹きかける。


「……っ!?」


 未だほんのり赤い彼女の耳が、どんどん朱に染まっていくのが見える。


 かわいいとこ、あるじゃん。



 そして私は、たった一言の会心の一撃によって、見事オーバーキルともいえる仕返しを果たした。


「お風呂、カナと入りたいな」


 私の頬も、きっと赤くなってるんだろうなぁ。

 そんなことを考えていると。



「……いじわる。」


 なんとなく、そう聞こえた気がした。



 ◇◆◇



 回想終了。

 大丈夫。旅の恥はかき捨てみたいな精神でいい。互いに色々とおかしくなっていたが、大丈夫。


 ……いや、よくない。これから同じ大学に通うのにそんなタフな精神でやっていけるわけがないな。


 今思えば、お風呂が一番危なかった。

 まさしく一触即発。思考もぼーっとしていたし、色々と不慣れで動揺していたから、もしあの場でカナにグイグイ来られたら……とにかく、ほんと危なかった。


 さすがに私たちには、出会って二日の相手とそんな大暴走に及ぶ勇気はなかった。


 でもまあ、昨日だけでも彼女のことを多く知ることができたのは僥倖ぎょうこうだ。仮にSクラスに編入できたとしたら、いや、できなくても、十分に心強い。


 ……互いに、自分の知らない新たな一面に気づかされるとは思ってもみなかったが。




 ◆ リィン ◆



 ……めっちゃ見てる。

 純白の髪の、濡れたサファイアのような瞳の少女――《シルビア》が、めっちゃ見てる。


 何を見てるのか、だって?



 ……ボクのことを、だ。

 別に嫌なわけじゃない。ボクは表面上のやりとりしかできない性格だけど、伊吹や将馬のほかは、この世界で素直に振る舞えたのは彼女が初めてだ。

 

 いやまあ、昨日あれだけ暴走しておいて、最後の最後にブレーキをかけたわけだから、気持ちは分からなくもない。


 頑張ってねようとしてみたけど、ボクはうまく寝られなかった。


 昨夜のことだけではない。

 街を二人で歩いているときも、彼女はボクをドキドキさせた。二人で洋服店に入ると、彼女はボクを着せ替え人形のようにいっぱい試着させた。しかも、ほとんどボクが目を引かれた服を、だ。

 少し女の子っぽいデザインということもあって、ボクには似合わないかな、と思っていたのに。


 彼女は「これも合わせてみようよ」と、ボクが気になった服を見事おしゃれに組み合わせてみせた。


 それだけじゃない。

 最初のほうは気まずかったのに、彼女はボクとのコミュニケーションを決して諦めなかった。他人より少し胸の大きいボクが周囲から気持ち悪い視線を寄せられていると、手を引っ張ってボクを助け出してくれた。


 性格も容姿もかわいいのに、時折見せるかっこよさが素敵な《シルビア》だった。


 ……だから。

 そんなに熱っぽい視線を送らないでくれ……。


 ……いや、受け身になってちゃダメだ。

 言葉にしづらいが、とにかくダメだ。

 

 ……とはいえ、こうも見つめられると、流石に寝ているフリを演じる余裕も無くなってくる。そのせいで、目を瞑って寝息を立てているのに、意識はどんどん明瞭化していくのだ。



 ……そうだ。


 《シルビア》が見つめているときに、寝返りを打ってそのまま顔を近づけてみてはどうだろう。


 もちろんフリだ。ギリギリのところで引いて、朝から赤面しておどおどする彼女が見てみたい。それにさすがに彼女も気まずくなってくれるだろう。


 まずは寝起きっぽい声を出してみよう。


「……ん、んん……ぁ……」



 ◆《シルビア》◆



「……ん、んん……ぁ……」


 リィンもそろそろお目覚めのようだ。


 本人によると、朝は一度目が覚めればすぐに起きられるらしい。ここで動揺させれば、テストのトーナメント戦で私たちが当たったときに有利に運べるかもしれない。



 彼女が目を開いたら、顔を近づけておはようって笑いかけてみよう。



 正直に言うと、朝から顔を真っ赤にして平静を失う彼女が見てみたい。

 彼女と反対側の壁に位置する時計を見ると、現在6時ちょうど。十分に間に合うだろう。



「んん……」


 ──来た。


 やるぞ、私。失敗するときに説明するリスクより、成功したときの彼女の表情というリターンは比べるまでもない。


 心臓のバクバクは止まらない。

 そして、は来た。


 私が時計のほうから振り返ると、さっそく彼女が目を開けたのだ。



 私はそのまま、手を伸ばさなくても触れられる距離の彼女の目を見ながら。

 そして顔を近づけて————っ!?



 その瞬間、信じられないことが起こった。

 なんと、私が顔を近づけると同時に、私の目を見て顔を近づけてきたのだっ!!


 互いの目には驚きが写っている。



 ……えっ、ちょっと待って。

 これ、やつ……。





 その時間は、やけにゆっくりに感じられた。

 リィンの瞳に、私の姿が映っている。


 必然的に二人の身体も近くなってきて、互いの強調された胸同士が触れ合う。


 彼女の息遣いも、鼓動の高まりも、全て手に取るように感じられる。




 避けようと思えば、きっと避けられたのだろう。


 しかし、起きてからもずっと彼女を見つめていた私には、ただ瞼を閉じることしかできなかった。


 彼女の息遣いが、優しくも扇情的な刺激となって私の唇に触れる。






 …………あ。

 柔らかい——。






 




 時間にして、たぶん3秒もないだろう。

 私の理性も、彼女の理性も、時間の感覚も、完全にこの短いキスで甘やかに溶かされてしまった。そんな確信があった。






「ねえ、カナ」

「ん、なに?」


 最初に重なったのは、手。

 私の手に彼女の手が重なり、次第に指と指が交差して恋人つなぎになる。

 互いの脈拍がじかに通じる。




「……初日だから早く行ったほうがいいよね?」


「うん、まあ。……でも、まだ6時だよ」





 次に重なったのは、唇。

 なんでこうなっているのかは分からない。そんなことを考える余裕なんてない。



 私は、ただ──


 ────ただ、カナが綺麗だと思った。



 カナの濡れた赤い舌が私の唇をなぞったところで、私もそれを受け入れる。

 舌と舌が絡み合い、ゆっくりと、互いの存在を感じるように、ゆっくりと頭の中まで掻き回す。


 彼女の瞳もそれに映る私の瞳も、今の理性の形がまるでそのまま表れたかのように、どこまでもとろん、としていた。


 藍色のウルフカット。冬の夜空のように遠く澄み渡る、目に映る光はさながら輝く星のような瞳。


 しばらくの間、私たちの唇の間からは静かなリップ音が鳴り続けた。

 まるで恋人同士のように二人は見つめ合い、お互いの唇の感触を味わい続けた。






「ねえ、シルビア……」



「ん、なあに?」








「ボクたち…………」




「うん、わかってる」






「分かったうえで、こうするの。」














 最後に重なったのは、声と――――






「「いじわる、だね。」」




 ――心と、身体だった。

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