第24話 クライブの女帝《シルビア》

「そういえば、君にはまだ師匠らしいところを見せてなかったね」


 師匠はどこかな目をしていた。まるで昔を懐かしむような、引退したスポーツを遊びで興じるときのプロ選手のような、そんな目だった。


 なんだ、この違和感は……いや、違和感というより……。


「なに? ヴィルヘルムの……師匠、だと……?」


 ブレンダの表情が険しいものになったが、それでもその言葉の真偽を疑う心持ちに見えた。

 確かに俺は彼女を師匠と呼んでいるが、実際にその実力を見たことはないな。


 だが……そんなこと、見なくてもわかる。



 俺では、彼女には勝てない。

 根拠といえるものはないが、はっきりそう言える。戦闘本能かもしれない。



「これでも半年くらい前までは、クライブっていう貧民街で恐れられてたんだよ? 『クライブの女帝』なんて通り名がつくくらい。……ま、そこで《ファリス》に敗れたから、今ここにいるわけだけど」


 クライブ? その貧民街、どこかで……。

 いや、それより、その通り名は……。


 どこかで聞いたそれらの単語を思い出そうとするも、結局今は分からなかった。


「明日から、もう少し師匠を尊敬してほしいな」



 師匠の戦いは、三十秒ほどで決着した。



◆《シルビア》◆



「まずは君からだ」


 最初に私を襲った使用人の男性から片付けようと思う。

 私は壊した椅子の破片をその使用人に投擲し、それは見事彼の首を掠めて血を滴らせた。


「ふっ、ふざっ……ふざけるなぁ!!」


 ハンカチを投げ捨てた彼は、自身の後ろの壁にかかっている少し小振りの剣を握り、私のほうへ向かってきた。

 明らかに冷静さを欠いている。


「う、うおおお!」


 動きがのろい。素人みたいだ。こちらへ刃が届くまで、あと二秒はあるじゃないか。



 その間に、自分を中心に見た部屋のレイアウトを確認する。

 私の左側の足元、すぐ届く場所に、さっき壊した椅子の背もたれと脚がある。一歩後ろに下がれば、よく滑りそうなふちの硬い座面が。


「おおおお!!」


 上げる声こそ不慣れさが滲むが、よく鍛錬してある体つきだ。貴族の使用人ともなれば、主人を守るために多少なりは稽古を積んでいるに違いない。


 だが────相手は私しか見えていない。

 きっとを知らないのだ。


 私を頭蓋から半分にするつもりなのか、使用人はその剣を振り上げて正面から飛びかかってきた……!


 うん。勝てる。

 まずはこれを利用しよう。


「クライブ流の喧嘩はね、自分の獲物は最後まで使わないんだよ」


 私は左後方に大きくステップして攻撃を躱し、さらに手の甲で剣の腹を強く叩いてその軌道をずらした。

 当然彼の剣は空を切り、その分身体だけが前にでる。

 いくら崩れたバランスに気付いても、それをとっさに直すほどのスピードは、なかなか体得できるものではない。


「なに!?」

「いやいや、驚くところじゃないでしょ」


 そのまま転がっている椅子の脚を、私は足で踏んで立たせ、使用人を右足からつまずかせる。

 そこから、なんとか持ち堪えようと支えている彼のもう片方の左足を、落ちている座面を蹴って間接的に左脛から破壊。彼の体重のバランスを完全に崩した。


 彼のすねに当たる座面越しでも、グキッ、と生々しい感触がした。

 割と加減せずに蹴ったので、彼の脛骨けいこつは折れたようだ。


 あっけなく頭から倒れていく彼の、剣を持つ両手を私は右手で掴んで力を入れ、持っていた剣を奪いながら──。


「んゔぇっ……!?」



 必然的に逆手に持ったそれを、彼の顎めがけて剣の柄で打ち上げた。


 流れるようなアッパーカット。手ごたえのいいのが入った。

 そのまま剣の先で彼の腕を下から斬り上げ、力が入らないくらいに出血するよう、それでいて死なないように加減して浅い傷をつける。


 昔は容赦なく脇や首に、剣だのナイフだのを突き立てて脅していたが、長年の習慣に逆らって狙いを変えた今の自分に、私はちょっぴり安堵した。


 いや、昔は剣など奪う前に、首の後ろに手刀かナイフを刺して殺していただろう。

 貧民街とは、そういう場所だ。


「いっちょあがり。……で、次は?」


 血の滴る切先をそれぞれの胸のあたりに向けていくと、それらが極度の緊張で激しく鼓動するのがわかった。


「ほう……凄いな…………」


 そう感心したのは《ヒットマン》だ。

 

「へえ、見えたんだ」

「もちろん。俺自身、今のは避けられるかどうか」


 いざ自分が相手するとなれば彼も避けられないとは思うが、一番凄いのは彼自身だ。

 十年以上、あの貧民街で血生臭い生活を送っていた私。この喧嘩の技術や反射神経は、長い時間を経て自然と身についたものだ。

 しかし、


 だって、そうだろう。《ヒットマン》の故郷はあのクレモア。国境周辺とはいえ先日の事件のような例は他に無い、平和そのものだった街だ。


 そんな街で育った彼が、一体なぜ一流の暗殺者もとい喧嘩屋の技術を、抜かりなく見抜けたのだろうか。

 彼はどんな人生を送ってきたのだろう。一体何があったら、躊躇せず他人を殺すことが……ましてや他国の騎士団を壊滅させることができたのだろう。


 ボスや学生でもあることは教えてくれるのに……言い換えれば、役職だとか立場だとか、全力で調べればわかることは語るのに、何一つを語らない男、《ヒットマン》。


 こんな局面においても、そのことばかり考えてしまう。



「ひいっ!! ……おいお前たち! 何をしている、早くこの女を殺せ!!」


 貴族の男はあいも変わらずソファの上から喚いているが、他の使用人たちはとっさに動くことができなかった。単に怯えているのだ。

 しかし、使用人ではないと見える男が、一人だけ堂々と剣を構えていた。


 奥にこもって何もしない貴族にムカッときたので、ちょうど倒したばかりの男の顔から1センチほどの場所に、ギィン! と剣を突き立てた。


「うああああ!!!」

「刺してないでしょ、そんなにビビんないの。……君も、ちょっとは自分でやってみなよ」



 眼前のブタはチキンも兼業していたようで、苦い顔を横に振りながらながら後退あとずさりした。


 

「……そろそろ飽きてきたし、誰も来ないならこっちから行くよ?」



 改めて部屋を見渡す。


 残りの貴族の側近は四人、私を中心とした対角線上に、トランプでいうダイヤ♢の形で位置している。私の出方次第、ということだ。

 ブタ貴族は四角の外でふんぞり返っている。私の射程に捉えられている自覚がないようだ。


 少し離れた場所、わたしの後方に食事用のテーブルがある。その上には蝋燭台。蝋燭台は黄金でできた高価なものだ。

 それとは逆の、私の正面──ちょうどブタ貴族の頭上に立派なシャンデリアがある。いいね、あれは使えそうだ。



 敵は男が三人と女が一人。

 先程の、私の正面に立つ、ブタを守るように剣を構える男はまっとうな騎士のような格好をしている。警戒すべきはこの騎士だ。


 私が少し近寄れば、同じくらいの距離を退く。自分の間合いを完璧に理解しているあたり、近衛兵か雇われの腕の立つ用心棒かもしれない。


「……そう簡単には攻めさせてくれない、か」


 呆れ半分でごちる。

 相手は、自分が敵の間合いに入っていることを分かった上で剣を構えているのだ。


 お前のような女に遅れをとるわけがない。

 つまるところ、そう言いたいのだろう。


「ああ。どうだ、ここで手を引くなら、見逃しておく余地はあるぞ?」



「……ふうん。自分が上だと思ってるんだ」



 でも。



「じゃあ、次の私の一撃を避けられたら、今日は退くことにしようかな」




 今この部屋において、私は頂点に君臨する。


 私の保有スキル「スクリーン」。

 それは、ただ相手の夢を見ることではない。


「っ……! うわあああ!!」


 彼は突然、大きな声を上げて尻餅をついた。

 まるでなにかに怯えるように、


「わっ、私は……いったい、何を見ているんだ……!?」

「さあ。気のせいじゃない?」


 その意は「投影」。

 であるならば、このスキルの本来の使い方は────。


「なっ、なな、なぜ貴様っ……女が、二人、いや、三人いる……だと!?」



 そう。

 私のスキルは、相手に幻影を見せる能力。


「スクリーン・第二段階 慟哭する悪夢ナイトメア


 それがこの能力の仮名だ。《ヒットマン》が四日ぶりに目覚めたときに見せた記憶は、彼の前では魔法のたぐいと偽ったが、あれは私のスキルを応用したものだ。「ブロードキャスト」という。



 彼以外には私は一人に見えているが、この用心棒には私が三人、それも武器を持った状態に見えている。

 その上、自分の攻撃が当たらないという最悪の状況に立たされている。


「やめろっ! 私に近づくなあああ!!」


 誰もいない方向へ剣を振り回す彼を、ほかの使用人や貴族が恐怖に染まった目で見つめる。


「師匠、これは本当にあなたの……」

「そ、私のスキルだよ」


 一見地味なスキルに見えるが、自分でもかなり便利だと思っている。


 不意に頭を掻き始めた弟子くんを横目に見ながら、私はこの騎士に見せている悪夢の内容をさらに意地の悪いものに変えた。


 私のスキルの本質は、

 この騎士の最も恐ろしいと感じた記憶に接続し、脚色し、さらなる高みの悪夢ナイトメアに変えることができる。

 それは、大量の投げナイフを持った五人の私が迫っていながらも、彼は自分の身体が言うことを聞かなくなり――


「ぁ、あ、ああ、ああああ!! やめろおおおおお!!」


 ――投げられたナイフが、眼球や喉仏のどぼとけに突き刺さる寸前で空中に静止する恐怖。

 一本、また一本と、正確に急所にナイフを投げながら近づいてくる、銀色の髪の少女。


 ……自分でも怖い。なんかみたいだ。


「く、来るなああああ!! …………(バタン)。」


 ついに悪夢に吞まれてしまった彼は、目を大きく開けたまま倒れ、気を失ってしまった。


「あーあ、やっぱり常人じゃ20秒も耐えられない、か」


 私の本気の「スクリーン」に耐えきって、悪夢ナイトメアに屈しなかったのは、今はまだ《ファリス》だけ。その《ファリス》も、私の気を逸らしてうっかり解除してしまっただけなのだ。



 でも、《ヒットマン》なら、もしかしたら――。



 ……なんて、期待しても仕方ないか。


「なーんか飽きちゃった。弟子くん、私は職員室に行くから、あとはよろしくね」


 これ以上ここにいる人たちをイビっても仕方がないし。

 私はポケットからあの麻痺毒ナイフを取り出し、あのブタ貴族の頸動脈からほんの少し外した場所めがけて…………場所を外す以外は本気で殺すつもりで投擲した。


 もちろん首に当ててやった。

 刃が皮を切り、同時にナイフが光る。弱体化魔法の術式が発動したしるしだ。


「っ……!!」


 当然声も上げられない。

 ここがクライブなら、相手はただ黙って私に殺されるだけだ。


 そして、最初に戦った男の剣を再び拾い上げ、最後に思いっきり、ブタ貴族の頭上にあるシャンデリアと天井から垂れる鎖の部分に投擲した。


 剣はそのまま天井に突き刺さり、豪勢なシャンデリアが貴族の男のちょうど顔面を直撃した。

 激しい落下の衝撃と音が床を伝って感じられた。


「生きててよかったね。次は……気づかないまま死ぬかもだ・け・ど♪」


 くるっと優雅に踵を返す。

 これでひとまず3割分はチャラにしてあげよう。残る7割、ネチネチとやり返してやる。

 私を辱めようとした罪は重いよ。


「じゃ、弟子くんっ! ナイフよろよろ~♪」

「え? …………ちょっと、師匠!」



 どうせなら職員室以外にも、この学校を色々と回ってみよう。購買なんかもあるかもしれない!


 廊下に出て、窓から外の景色を眺め、人がいないのを確認してちょっぴりスキップしてみたり。


 今、ものすごく胸が高鳴っている。

 なんせ、私は人生で初めて学校に通うのだから!




 ◆《ヒットマン》◆



 師匠はもう行ってしまった。使用人たちは代わりに俺がした。

 ……一応最期に、ブレンダに釘だけ、もとい、


「おい」

「…………」返答はない。


 返答がないので仕方なく、頭を掴んで壁に数回打ち付けて意識を呼び覚ました。


「……ぅ…ぁあ…!」

「なにを呆けている」



「ブレンダ、だったか」



 使用人たちを、このブレンダという男も麻痺と激痛で動けない今。

 俺を止められる者は、誰もいない。


「……めろ…………やめろぉ………助けてくれ……やめてください……命だけはァ!」


 返り血を浴びないようブレンダの背後に回り込み、「魔神化」を発動させる。



 そして――




 ――




 声が届いているかは知らないが、彼の耳元でこう囁いた。








。俺の周りの人間に、二度と手を出すな。他の連中にもよく言っておけ」




「さもなくば────次は。お前の親の屋敷に上がり込んで一族郎党皆殺しにしてやってもいい。命が惜しければ、?」





「魔神化」を解除し、偶然にも依頼された仕事を終え、師匠のナイフだけ回収して、元の目的である、依頼人の部屋に向かった。俺は部屋を去った。


 俺は偶然にも依頼された仕事を終え、師匠のナイフだけ回収して、元の目的である、依頼人の部屋に向かった。


 が部屋を去るとき、使




 呆然とする五人を置いて、俺は部屋を出た。

 そして、すぐ近くにある目的の部屋の前へ――――。




「よっ、セルシオ卿。例の依頼はさっき、あらかた終わらせた」


『我が一族を……どうか、組織でセルシオ家を守っていただけませんか……?』


 あのとき将馬は俺に、ブレンダを始めとする、国立フリードスキル大学内外で彼を敵視する貴族のセルシオ家に対する圧力、その抑止を依頼したのだ。


 ちょうどよかった。思わぬ形で任務完了である。


「例の依頼を終わらせたって、どうやって……」

「なに、簡単なことだろう」



「リストの上位にあった貴族を一度殺してきた」



「お前と同じ区画に部屋があるってことは、この大学でもかなりの上位層だろ? これ以上の脅しはないだろう」


 それは最も効率的な手段であった。

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