第25話 片鱗

「……にしても驚いた。まさか本当に、暗殺依頼を受けるとは思わなかった……」


 将馬は俺を部屋に招くと、開口一番にそう言った。

 ちょうど学校が終わったところなのか、彼はまだ制服姿だった。

「俺は殺せとまでは言ってないぞ」

は違う。命まで奪ってはいないさ」


 これで《シルビア》と《ヒットマン》の任務も遂行済み。彼女は私情に囚われることなく、夢の学校に通えるわけだ。


 お互い対面してテーブルに着く。

 見渡す限り、ここに弟たちはいないようだ。


「将馬、あの二人はどこへ?」

「買い出しに行った。お前が来るからおいしい料理にするんだーって、手を繋ぎながら市場に走っていったよ」


 将馬は、二人は純粋だねぇ、とこぼしながら手元のカップを口に運んだ。なぜ二人は、と表したのかは言うまでもない。

 商会に勤めるコピーが卸したシッキム茶(この世界での名前がないので勝手に地球のものと名付けた)である。

 以前はビールジョッキでも使っているのかという豪快な飲みっぷりだったが、俺がみっちりとマナーを仕込んだおかげで、今ではれっきとした貴族のように見える。

 きっと俺の目が疲れているのだろう。こいつがまっとうな貴族なわけがない。



「…………」

「…………」



 ……やはり、『気に入らない』か。

 自分の感情を蔑ろにしないのは美徳だが、態度に出すのはいただけないぞ、将馬よ。

 悪いがここは譲らない。


「……………………」

「……………………」


 ……譲るつもりはないが話だけは聞いてやろう。

 仕方ない。自ら爆弾に火をつけることもないが、このままピリピリした雰囲気が続くのは、俺にとってもこいつにとってもあまり良くないことだ。


「やりすぎだったか?」苦い笑みをたたえながら聞いてみた。


「当たり前だろ! ほんと、どうしちまったんだよ、お前。人を殺したんだぞ!?」


 案の定食ってかかる将馬の顔は、信じられないという様相だった。それでもどこか表情に陰りがあるのは、こいつも大方分かっているからだ。


「そうは言ってもなあ……」


 

「よし将馬。今、俺と同じことを考えてるな?」

「ああ。お互い変に似てきたんだろうな」



「「ここはひとつ、ぶつかっておこう」」


 声が重なった。

 俺たちは喧嘩や口論するとき、徹底的に正面から潰し合うのだ。


 肩をほぐし、指を柔らかく動かして拳を温める。

 神経を研ぎ澄ませ、俺はを出すことにした。


 対する将馬もストレッチをはじめ、ブレスを整えて手首をよくほぐしている。



 こいつと戦った今までの戦績は、395戦197勝、198敗。最後に戦ったときは俺が負けた。

 実力は互角。油断ならない。




「──覚悟はいいな?」


将馬がそう聞いてきた。


「───ああ。一瞬でカタをつけてやる」














「「────ッ!! !!!」」




 考えろ、考えろ。

 こいつの今日の気分を。その作戦を。

 グー、チョキ、パー。


 じゃんけんは3×3の9通り。あいこは1/3、どっちに転んでも2/3というのが数学的根拠に基づいたじゃんけんの規定だが、そんな確率論ではじゃんけんに勝利することは出来ない……!


 将馬が今日飲んでいたのはシッキム茶だ。今までのこいつとのじゃんけんを思い返せ。

 こいつが俺に勝ったケースにおいて、グーは自身が勢いづいたときと一つ残ったデザートを争うとき。パーは絡め手でひっかけようというのが表情に出ていたにも関わらずそれをすっかり忘れて結果なにも考えずに出してしまったとき。チョキは俺が圧倒的優勢になって状況をひっくり返さなければいけない危機的状況だったときと、あいつが負けても後悔しないと心から思ったとき。


 そして、俺がこうやって作戦を練ったとき、俺は必ず。思い通りにいったのは、ジャンケンの「ケン」のタイミングからグー、チョキ、パーを超高速で繰り返してランダム出力する作戦くらいだ。


 それでも、ランダム出力には人体の構造上、組み合わせによって指の力の入り方や空気の抵抗などで多少の齟齬が生じてしまう……。こいつにそのタイムラグを見破られたこともあったし、逆にこいつが同じ作戦を行おうとして俺が隙をついたときもあった。



 ……!!




 ────ジャンッッ!!!



 視線が何度も交錯する。

 その躯体から突き出される拳は、何なのか。

 相手が出すのがグーであるのか、チョキであるのか、はたまたパーであるのか。


 見透かすように、同時に、見透かされるように。

 俺たちはまるで、たったいま世界に俺とお前の二人しかいないみたいに、相対していた。



 ────ケンッッッッ!!!



 その拳は何に打ち克ち、何と同等の能力を持ち、また何の拳の前に敗れ去るのか。


 予備動作が見えた。

 あれは────フェイント。


 お前のフェイントを見て、ほんの一瞬時間を空けてから俺もフェイントをかける。



 刹那。

 将馬の口元に僅かな動きが見えた。

 それが勝利を確信したものなのか、敗北の味を思い返したからなのかはわからない。


 すると俺のフェイントに呼応するように、お前は次の拳への動きを見せた。



 ──だが、これもフェイントだ。



 分からない。

 俺もお前も、分からない。



 つまり、今日このとき。

 俺が勝つ、即ちそれは────ッ!!




 ◆◆◆




「残念だったな、将馬。俺の勝ちだ」

「…………ああ、クソ。負けたよ、お前が先攻さ」


 いい勝負だった。知略と技術の臨界点を超えた、そんな戦いだった。



 では、俺からいくとしよう。


「俺の考えでは、今回の暗殺こそ最適解だ。

 あの部屋でお前に話を聞いたとき、彼はブレンダやその一派がセルシオ家にちょっかいを出すようになってから、まだあまり時間も経っていない……この依頼はいわば保険であると言った。

 お前自身、この依頼はあくまで悩み事を聞いてもらうだけの、軽口や冗談の類いと考えていたに違いない。ひょっとしたら、俺に仕事をさせて嫌なことを忘れさせよう、という配慮だったのかもしれない。

 ……いや、まあ、ブレンダ一味の策略はとても冗談では済まされないものだったが。俺も気には留めていたが、とはいえあのときはあまり重視していなかった。


 だが――――うちの組織から《シルビア》が入学するとなると、


 彼女の出自を知っていれば分かる話だ。

 彼女がSクラスに入れば、A以下のクラスとSクラスとの間で保ってきた均衡が崩れかねないのだ。


 《シルビア》は、Sクラス内でもカナや将馬と比べ、段違いに強い。強すぎる。それも、Sクラスの生徒の強さとは「純粋なパワー」を指すものだが、彼女の強みは「豊富な実戦経験」にある。ここから更に転生特典のスキルを会得すると考えれば、文句なしの学年トップだろう。俺だって、になってやっと勝てるかどうかだ。


 元々実力のないの生徒たちと、をたゆまぬ努力で昇華させて入った転生者の生徒────いわばたち。


 前者がほとんどAクラス以下で、後者はSクラス。

 爵位を持つ貴族が、労働者や農民どもの奴らよりなど、とうてい納得できるはずもない。……これを学校側は意図して行っているのだから、尚更貴族のメンツが立たなくなる。


 そこで、今回のケースを考えてみてほしい。


 S極めて個人的な事情によってS、よりにもよって──《シルビア》などという素性も分からない、加えてルックスのいい美少女が。


 ヴィルヘルムというただの民間人のメイドとして、入学するのだ。


 断言しよう、大抵の貴族は腐っている。

 彼女を入学させた俺だけが狙われるなら構わない。だが、その被害がお前や《シルビア》、クラスメイトたち、組織の構成員……そして、カナに及ぶようであれば。


 俺は、何百人の命を手にかけることも、この身を何万回と削ることもいとわない。

 そのための俺だからな。


 これは一見セルシオ家だけの問題のようだが、実際はそうではない。貴族はただネットワークの広いだけの人間じゃないんだ。ひいてはこの世界に生きる転生者すべての安否に関わる重要案件なんだよ」



「だからセルシオ卿。俺は貴方にとって不利益な可能性を潰したにすぎないのだ。そもそも、依頼主は他ならぬケアン・フォン・セルシオ。私は知り合いにサービスした、それだけのことだ」


 確かに、直接「殺せ」と依頼されたわけではない。しかし、こいつの最大利益のためには、こいつの敵をことが必ず役に立つのだ。


「以上だ」

「そうか、よく分かった」


 ならよかった。

「次はお前の番だぞ」

「ああ、サンクス」


 攻守交代。


「ボス。俺はお前に『守ってくれ』と依頼したんだ。権力のサポートや、ただこの身に降りかかる火の粉を多少振り払ってもらえれば、それで……」


 彼の抗議する声には、なにか感情がこめられているように聞こえた。それも、マイナスな感情だ。

 そして俺を見る彼の目には、明確ななにかが灯っている。

 まあ、言い分はわかる。怒るのもな。


「なのにお前は何をした? ――お前は、人を殺したんだぞ。その意味を分かってやったのか? 確かに権力闘争はネックな問題ではあるが、それは避けられる問題だろ。俺はお前に、ブレンダを殺したこと、同時に殺人による屈服の是非を問うてるんだ」


 だとしたら、その怒りはお門違いというやつだ。


「反論いいか?」手を挙げる。

「ああ、どうぞ」



「そもそも《ヒットマン》。本業は暗殺だ。他に理由は必要ない。こう言うのは何だが、お前が依頼したのはだろ。ただのボスとは訳が違う」


 レネゲイドの仕事でも、俺が引き受けるのは常に暗殺だけだ。

 何も先日の事件で病んでしまったわけではない。


「そして、この世界で殺しの技術を磨いてきた俺は、カナを安全な場所に逃すよりも、あの場にいる敵を殲滅させるほうが効率的だと考えた」




「なんで殺人が出てくるんだよ」



「ここに来るずっと前から――――ソレが日常のすぐそばにあっただけだ。身近なものからアイディアを出してしまうのは仕方ないことじゃないか?」





 中身の飛び出たランドセル。見慣れぬシルバーのワゴン車。目隠し。くつわ。倦怠感。激痛。血。血。女。激痛。血。倉庫。拳銃。血。衝撃。硝煙。血。血。血。…………



 あの親に生まれた時点でまっとうな心など持ち合わせていなかったのだろう。

 人を殺す、そんなことをさえ躊躇っていたら、俺は異世界転生などできなかったはずだ。



 ……いやなことを思い出してしまった。


 まあ、ああいう経験が豊富にあったおかげで、、こうして生きているのだが。

 


「俺はお前と出会って、確かに変わったと思う。────だが、根本は変わっていないんだ。俺とお前がこうして互いのことをよく理解してるのも、その上で喧嘩したり口論になるのも、結局はそういうことだ。価値観の違いは立場の違いから生まれる」


「それは分かってる。けどよ、伊吹にはなるべく『善のひと』でいてほしいんだ。……いや、そう在るほうがお前にとって負荷にならないだろう?」


 彼は俺の目を見据えて言った。

「いいか、伊吹。お前が『善のひと』であることは、俺が保証してやる。その上で汚い役回りをしなきゃならないのも、ある程度だけど分かってる。けどさ、それは『仕事』であって、『お前自身』が殺人を肯定するのは違う話じゃないか?」



 将馬は俺に大きな変化をもたらした。見る世界が変わったし、人生が豊かになったとも感じる。

 ……それでも、この心に染み付いたものをすっかり落として洗い流すことはできない。

 まだ言葉が足りないと感じたので、俺はこう付け加えた。


「先日の事件では、確かに俺は四十九人の騎士たちをが、今回は。ブレンダは生きているし、側近も死んでいない」


 要は『向こうには後がない』状況を作り出したにすぎない。

 どうやらその意図は伝わったようで、彼は「俺だって転生者だ、その辺のルールは一通り理解してる」と言った。


 ふと壁にかけられた時計に目をやると、

「……違うんだよ、そうじゃねえ。俺はお前に『善のひと』であってほしいんだ……」


「善のひと」か。

 それは、俺の失ってしまったものだろうよ。


「将馬。今の俺にはその在り方が分からない。だから、俺が大切なことを間違えそうになった時は、お前が止めてくれ」


 こいつは俺の唯一無二の相棒、最高の親友だ。

 俺がただ一人、信頼していた男だ。


 こんな俺の言葉に、彼は親指を立てて応えてくれた。


「ああ。そんときは俺に任せろ!」


「「約束だ」」




 ケアン・フォン・セルシオは、のちに後悔することになる。しかし、彼は────。

 そして、この約束がこのとき既にその片鱗となったことを、その男だけが知っている。

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