第22話 痴話げんか
◆◆◆
職員室のある管理棟を離れて寮に向かうと、部屋にはすでに《シルビア》がいた。
「ただいま」
「あ、おかえりー……じゃなくて!」
俺の発した「ただいま」を聞いた瞬間、ぷんすかと怒りながらやってくる師匠。
今は弟たちもいないようだ。カナとも一緒じゃないのか。……って、まあ当たり前か。
俺はそんな師匠などそっちのけで、ここに帰ってきたことを改めて実感していた。
ああ、疲れた。
やることやってさっさと寝よう。
この大学には、Sクラスの生徒で、希望者には少し広い個室の寮が与えられるという規則がある。生徒の中には自宅から通う者もいる。
庶民派な貴族ならともかく、この世界の貴族は基本的にリッチな生活を好むのだ。誰が言ったのかは忘れたが、寮生活など、言葉からして見窄らしいとさえ言っていた。
俺も住む場所がないわけではないが、遠いし学校の寮にいるかぎり補償されるものが多い。おかげで俺は入学して一年も経っていないが、こうして素晴らしい環境で学生生活を過ごしていた。
もちろん住めるのは組織のハウスである。現に、ボスの
顔を洗って居間に行き、師匠と一緒に荷ほどきをする。
「弟子くん? どうして逃げたのかな?」
「まあまあ。この作業が終わったら聞きますから」
師匠は「……もう」とふてくされてしまった。
◆
師匠に俺の寮室を軽く紹介しよう。
「で、なんで逃げたの?」「師匠。軽く部屋を案内しますね」
屈さないぞ、俺は。
まず、玄関に入って右手には浴室、浴室の隣のドアがトイレだ。
バロックに大きな噴水があるように、この国は水道の技術に優れていて、簡易的なシャワーもある。浴槽はなかったので、手頃な木を切ってそれっぽい浴槽を作ってみた。檜風呂というやつだ。
廊下の左側の大部分は仕事部屋だ。
この部屋に少し広い木製の机と革張りのイス。そして、壁の三分の一ほどの面積を占拠する大きな本棚。その三つが、この部屋を構成している要素だ。
それでも空きスペースの多い本棚には、歴史本、
本棚以外の物は自分で買った。
学校の用意するものは派手な装飾が多かったので気に入らなかったのである。まったく、いくら貴族向けの学校といえど、王室顔負けの金ピカな椅子になんぞ座るものか。
仕事部屋を出て廊下を奥へ真っ直ぐ進むと、正面と右側に、ドアが二つ設置されている。
右の木製の黒いドアの部屋は俺の寝室、兼武器庫だ。
ドアを開ければ、圧倒的な存在感を放つキングサイズベッドが構えている。
武器庫、というのは文字通りの意味だ。
壁一面のクローゼット群には、俺の愛用する冒険者としての装備や仕事道具──主に太刀や
よくある両刃の西洋剣は嫌いなのだ。ああいうは刺す武器だから、フィクションのファンタジーのようにモンスターをばったばったと斬り伏せることができない。
特にこの世界のモンスターは本物の怪物なので、並みの剣では叩くくらいしかできない。
この世界の剣も大概エストックやらレイピアやらが多いし、ただの鉄板に取っ手をつけたもので、叩いて攻撃するものもある。それを魔力で覆って強化し、無理やり斬ることが剣術だと言い張る流派もあるそうだ。
その点、刀は好きだ。刀は自分で作っている。
無駄のない設計で実用的。作り方を知る者もいないので市場に卸せば高く売れる。俺でも使いこなせる。何より美しい。
……ああ、冒険者稼業については、必要があれば語るかもしれない。
今の俺の収入源の三割は冒険者としての収入である。
そして、正面の部屋はリビングだ。
大きめなテーブルと、ベッドの代わりにもなりうるサイズのソファ。……ダイニングキッチンではあるものの、他にはこれといって特徴もない、ただただ広いだけの普通のリビングである。
リビングの隣には使っていない洋室が一つある。師匠の部屋はそこになるだろう。
イメージで言うと、3LDKみたいな間取りだ。
「へえ、寮って聞いてたからもっと狭いと思ってたよ」
「生徒の内訳は貴族が主な層なので、どの部屋も広めに設計されてるんです。」
……よし、ここまで部屋が荒らされた形跡はない。
さすが俺の弟たち。言いつけをしっかり守ってくれたようだ。
もちろん、俺の部屋を荒らそうとするのは弟妹ではない。
さっきの悪質クレーマーといい、この学校の生徒はたいてい俺のことを嫌っている。
理由はいろいろあるが、大方、特別なスキルはおろかまともな力も持っていないくせに、この学年のトップにふんぞり返っている俺が気に食わないのだろう。
もちろん持っていないのではなく、披露していないだけである。
……そのため、俺はよく襲撃されるのだ。
闇討ちはおよそ月に二回は行われる。割とオープンないじめもあるし、それらは今後も続くのだろう。先程、あの貴族が呟いていた「歓迎」はソレだ。きっと今夜にも俺の歓迎パーティーが開かれる。
過去に一度だけ侵入を許してしまい、この世界についての研究のデータを盗まれたことがあったのだ。さほど重要な資料でもなかったのでよかったが。
カナや将馬、他のSクラスの生徒が巻き込まれたこともあった。Sクラス自体目の上のたんこぶみたいな存在なのだろうが、俺のせいでみんなが巻き込まれた時は珍しく俺も怒っていたと思う。
ともかく、俺の周りにいる人間は大抵巻き込まれてしまう。
……うちの弟妹は変なことに巻き込まれていないだろうか。
受験勉強は邪魔されていないだろうか…………勉強もあまり見てやれなかったのに、俺のせいで落ちてしまったら……二人の兄でいれる自信がない。
なんでもいい、何か二人のために出来ることはないだろうか。勉強だけではない、生活や精神的なサポートが、もっとあるはずだ。
思い浮かぶのは、一緒に俺の元へ走り寄ってくる弟たちと──それを遠くから見守る両親。
だが、両親のことだけは伝えなければならない。
そちらに関しては昼頃いい知らせが入ったので、今はあまり気にしてはいない。
家族にはできる限りのことをしよう。
大切な恩人たちだ。
カナ曰く、俺は高純度のブラコンとシスコンを4:6でブレンドした廃人――ブシコンらしい。ちょっとシスコンに寄っているようだ。廃人とまで言われるとは思ってなかった。
もちろんブシコンとはカナの造語である。彼女のワードセンスを独特だと感じるのは俺だけではないはず。
そこまで結論づけた俺は、リビングにあるソファにかけて荷物を整理していた。
「……で、なんだっけ?」
俺は横目で師匠を見ながら、かなり遅いが師匠の質問に触れた。
帰ってくるなり、師匠は何か言いたげな態度だった気がする。
気のせいだろうか。気のせいであってほしいが。
「『なんだっけ?』じゃないってば。なんであのタイミングで逃げたのかってことだよ」
……どうやら気のせいではなかったようだ。
さすが俺、きちんと覚えていたね!
そして。
「いやぁ……あ、串焼き食べます?」
堂々と話題と視線を手元の串焼きに誘導すると。
「いいの? やった! ありがとう、弟子くん!」
……彼女は文脈を忘れて串焼きを受け取った。
「いえ、大した用件じゃなくてよかったです」
「……せっかく私が不問にしてあげようと思ったのに」
「あ、そうなんですか」
いずれにせよ、もう終わったことだ。
とりあえず《シルビア》にはメイド服を着てもらって、弟子くんからご主人さまに呼び方を変えてもらわねば。
「それと弟子くん? これは何かな?」
……顔が怖いよ、師匠。
俺が何をしたって言うんだ………………あ。
「――メイド服です」
俺の荷物から例のメイド服がでてきたのだ。
……あれ、ちょっとスカートが短くないか? いや、見る側としては気になるほどじゃないんだが、本人がどう思うか……。
服を仕立てたコピーと回線をつなげると。
──いや、これがいい。これを着て給仕する彼女を想像してみろ、日々のストレス解消にもってこいじゃないか。俺だったら50年は働けちゃうね。
コピーは即答だった。
いや、まあ……確かに。
うん、そうだな。もうたまらないものがある。ありがとう、よくやった俺。
「この服、誰の?」
「師匠の♪」
次の瞬間、師匠が顔を赤く涙目になりながら何かを俺に投擲した!
「おわっ!?」
無垢な乙女の純粋な殺意がこめられたそれは、俺の頬をかすめ、ソファの背もたれに突き刺さった。
「ぜっ、ぜったい着ないからね!?」
飛んできたのは、師匠が食べていた串だった。
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