第14話 プレゼント
◆◆◆
部屋の時計のそばには、普段は意識していなかったが小さめなカレンダーが貼ってあった。太陽暦である。《シルビア》が用意してくれたのだろうか。
もう師走の時期か。今日はあの日だったな。
ご丁寧にサンタの顔が書いてある。彼女はこういうデフォルメチックな絵は得意なのだろう、女子っぽさが伺える。
この世界ではカレンダーがあまり使われていない。魔法が主流になったこの世界では、同じような日々が延々と繰り返されているようなものなのだ。そもそも紙が高価だからな。
技術を発展させればいいのに……そんなことを考えながら、日課に励む。
俺は昔作ったコピーで――右足のついているコピーの意識を開封して、二人で筋トレを始めた。
有事の際には義肢より五体満足な体のほうが役に立つ。体を動かしたらまた収納魔法で持ち歩くつもりだ。
そういえば、今朝の師匠はなんだったのだろうか。考えても、あの涙の理由が分からない。個人的な問題なのだろうか。
分からないものは分からない。本人に聞いた方が早いだろう。聞いていいとは思わないが、朝からずっとあの調子なのだ。
どうせなら、分からないなりに解決すべきである。
日課のトレーニングを一通り終えると、開始したときから一時間半ほど経過していた。時刻は朝6時。そろそろ師匠の様子を見に行くか。
自室を出て、二階から一階にあるリビングに向かうと、ガラスのついたドア越しの光景。
そこでは――
「……うぅ……ひっく………………はぁ……」
――師匠が、いや、《シルビア》が椅子に座り、テーブルに突っ伏してずっと涙を流していた。
その後ろ姿はとても悲しそうで、辛そうで……寒そうだった。
ドアノブにかけた手は、しばらく動かなかった。
こんなとき、俺は何をすればいいかわからない。
きっと、普通に生きてきたなら分かるんだろうな。
こういうとき、俺にうまくできることはないのだろう。
だから、せめて俺なりのやり方で。
彼女が逃げないように音を殺して近づくと。
「師匠」
「……うぅ……はぁ……ふぇ?」
俺はテーブルの下に視線を向ける彼女に、そっとブランケットをかけた。
隣に座りカップをとって紅茶をいれ、収納魔法で携帯しているクッキーを差し出した。
「なぜ師匠が泣いているのか、俺には分かりません。こういうとき、何をしてあげるべきなのかも、俺にはまったく分かりません」
まったくだ。ただ体を温めただけ。
自分でも使えないヤツだと思う。しかし効果はあったようで――
「だから、俺にできることは少ないけど」
――やっと、こっちを向いてくれた。
「話を聞くことくらいは、俺にでも可能です」
自分の抱えている重責は、他人に話すだけである程度心が軽くなると聞く。たしかカナの
俺には覚えがないのだが、それで落ち着いてもらえるなら一番だ。
しかし。
「……違うんだ、そうじゃないんだよ。君には言えないことなんだ……ごめんね」
そう言って、再びその頬に涙が
どういう意味なのかは気になるが、考察は後だ。
「そんなことで謝らないでください。俺だって、自分の正体すら明かしてないんだし」
「でも、違うんだ…………」
違う、という部分がどうにも引っかかる。
……ふむ。とりあえず話せないらしい。埒があかないので方向性を変えよう。
「お互い犯罪組織の構成員だ。人に言えない秘密の百や二百、あってしかるべきです。それに、俺たちはまだ出会って一週間くらいなんですから」
その言葉を聞いて、目を見開く《シルビア》。
俺への評価が変わったからなのか、はたまた同居人だからなのか。──とにかく、最近は《シルビア》が俺に様々なことを話すようになった。
信頼を得た、ということだろうが、俺もいきなり重い過去編にぶち込まれるようなマネはごめんだ。
それに他人の昔の話を聞くならこちらも話すことになりそうだが、それも御免だ。
俺の過去は、他人に聞かせるには重すぎる。
なにも、前世の話ではない。もっと昔の話だ。
「いつか……君に話さなければいけない。きっと、今すぐにでも話さないといけないことなんだ……」
また師匠はうつむいてしまった。
「私の覚悟の問題なんだよ……怖いんだ」
まずい。興味が湧きそうだ。
だが、とりあえず今は落ち着いてもらおう。
「師匠」
俺は早速、親友の言葉を借りることにした。
「やるべきこと、より、やりたいこと、ですよ」
ありがとな、将馬。
こんな形で役に立つとは思わなかったが。
「今したくないことを、無理にする必要はないんです。あとでもできることは後でやればいいんです」
「今、師匠が話したくないことは、今は話さないでください。『今だな』って思ったときにするのでも、充分に間に合います」
「……うん…………」
ずっと彼女の表情を見ているが、その濡れた
「師匠、4時半くらいからずっとその調子じゃないですか。家事はやっておきますから、全部忘れてぐうたら寝ていてください」
「……ぐうたらはひどいんじゃないかな? でも、そうさせてもらうよ……」
ぐでん、と俺にもたれかかる《シルビア》。
師匠は俺の胸に顔をうずめたまま、ゆっくりと眠りに落ちていった。
しばらく頭をなでて寝かせた後、華奢な体を寝室まで運んだ。
◆◆◆
「師匠。お昼ごはんができたけど……」
《シルビア》の寝室の前で呼びかけるが……。
「そっか。……ごめん、私はあとで食べるから、先に食べていて」
疲労しきった、ドア越しの返事。
「分かりました。ゆっくり休んでいてください」
あれからずっとこんな調子である。
もちろん、寝続けているわけではない。単に元気がないのだ。彼女が食べないというのなら、俺が先に食べるわけにはいかない。
そもそも、冬場に暖炉もない部屋で休んでいても、体も心も休まるわけがないではないか。しかも、寝室を覆うように結界が張られている。
結界を張った術者より魔力の貯蔵量が少ない者が無理に開けようとすれば、家の外に強制送還される仕組みのようだ。
これらの結界は元々あるものだ。
具体的には、師匠が俺のトレーニングを始めて目撃して誤解された直後である。誤解は解けたものの、いまだに結界は張ってある。
女の子の部屋を安易に見せたくない、というのはこの世界でも共通の感性らしい。
眠らせた直後は入れたが、彼女が起きている今、食事を持っていくこともできないのである。
以前わけあって試したのだが、結界の近くに置くとご飯がマズくなる。原因はわからない。
寝室のドアと床との隙間に手を当てる。
「ふうううう……師匠、寒くない?」
「うん……今日は暖かい日みたいだから」
というわけで、俺はずっとこうして風魔法と火炎魔法を併用し、心地よい温風を流し続けている。
ちなみに外には雪が降っている。暖かい日なわけがないだろう、体感温度は明らかに氷点下だ。
自分でも何をしているのかよくわからない。
あれから休憩なしでぶっ通しだから、計六時間ほど魔法を使っている。そろそろ疲れた。
ちなみに、この世界には魔法と魔術という区別がある。
魔術が魔法の応用だという話はよく聞くものの、スキル大学での話を聞くかぎりだと、いまだにその差異は明らかでないらしい。
そんなわけで、流石に魔力も尽きてくる。
二つの魔法の併用自体、魔力の燃費が悪いのだ。
ちなみに昼食はコピーに作らせた。
コピーに快適な温風空間をお届けしてもらうのも悪くは無いのだが、いくら自分の分身とはいえ、こんな体力仕事を任せるのは気が引けた。
いつまでもこうしていては師匠も俺も弱っていく一方だ。
何か解決案はないものか…………。
無意識に頭を掻いていた。
よし。これなら元気になってくれるだろう。
「『コピー』」
発動と同時に五人の俺が現れる。
五人分の情報量が増えたところで何の問題もない。他に五人減らせばいいだけの話だ。
「よし。総員、仕事に取り掛かってくれ」
「「「「「了解」」」」」
◆◆◆
あれから三時間。すでに15時を過ぎていた。
未だに師匠は部屋から出てこない。
「師匠、起きてますかー?」
「うん……」
やはり、相変わらず覇気がない。
――だが、できるだけの手は打った。
「ならよかった。じゃ、お邪魔しまーす」
「うん…………は?」
ガチャリ。
俺はドアノブに手をかけると、結界に足を止めることなく部屋に侵入した。
「えっ……なんで、入れるの!?」
「あ、元気になったみたいですね」
目を白黒させる彼女にそんな皮肉を投げかける。
よかった、俺に見られて困るような格好はしていない。
「私の結界、そんなザルだったの?」
「ザルはおろか網目すら見当たらないですね」
俺の方が魔力総量は多いに決まっているだろう。
そもそも、この家を掃除した時点で俺の障害となりうるものは全て外しておいた。いつでも入れたけど、もう少し時間が経ってからと思っていたのだ。
「まあまあ……そんなことより」
《シルビア》のモノクロのようだった表情に、驚きではあるが色が戻った。
このまま渡すと意味がよく分からないかもしれないので、ひとつだけ確認を兼ねて質問した。
「今日が何の日か、知ってますか?」
彼女の部屋にもあったカレンダーを指さす。
俺の部屋のものには書いていなかったが、師匠のカレンダーには既にしっかりと書いてある。
俺も、もうすぐなのだと彼女の部屋に入ってから知った。これで元気を取り戻してくれればいいが。
「今日は……十二月の二十五日……ああ、もうクリスマスなんだ」
「そういうこと」
何から何まで手作りだが、喜んでくれるだろうか。
「俺からのプレゼントです!」
俺は上質な木の箱に入ったそれらを渡した。
「いいの?」
「師匠のために作りました。師匠にしか似合いませんよ」
サイズ等は洗濯をするときに衣類を確認させてもらった。
他意は無い。断じて、無い。……まあ、見るくらい大丈夫だろ。知らんけど。
「これは……服?」
そういって、師匠は着ている服を脱ぎ始めた。
仮にも寝起きだからなのか、この場で着替えようとする師匠。
パジャマ(上)をぽいっと俺に向かって投げ捨て、俺はあわててキャッチする。
銀髪ショートの少女は、その華奢な体躯に見合わぬ推定C〜Dカップほどの、視線のブラックホールとでも喩えようか、とにかく目が吸い込まれそうになる美しい胸を露わに……ぎりぎりまだ出していない! そうだ、そのまま……。
……って待てええええええい!!
「待った待った、俺が出てからにしてください!」
「あっ……ご、ごめん……………………」
とっさに顔を背ける《シルビア》。耳まで赤くなっているため、背けたところで意味はなかった。アニメだったら今ごろ「ぷしゅうう」というSEがついていることだろう。
「じゃあ、俺はこれで。……あ、ここにお菓子置いときますね。よかったら食べてください」
こちら、ただのマフィンである。
急ピッチで作ったので、ちょっと美味しくないかもしれないが。
「う、うん」
俺は寝室を出て、臨時のコピーたちを削除してから再び掃除を始めた。
◆◆◆
玄関にて趣味の靴磨きに没頭していると。
トントン、と、肩をつつかれた。
とっさに振り返ると、そこには──
「弟子くん。素敵なプレゼント、ありがとね!」
──俺が贈った現代風のファッションに身を包んだ師匠が、満面の笑みを浮かべていた。
その笑顔には全く
「師匠に喜んでもらえて、よかったです!」
俺も、とんでもないクリスマスプレゼントをもらったからな。
この世界にはクリスマスなんて文化は存在しない。
地球のメジャーな宗教に該当するような行動も、この世界で発展した宗教的な行動も、ここ一週間の彼女には見られなかった。
彼女は食事の際に、ときどき「いただきまーす」と言っていた。手も合わせていた。師匠が自分で作ったときには言わなかったが、俺が作ったものを出した時には言っていた。だが、俺が入れた紅茶やコーヒーに対してはあまり言わなかった。
宗教的な理由ではないだろう。いわば身についた習慣であり、たまに忘れる程度にしか認識されていない行動である。
あれは元来、仏教徒が食事の材料である生き物など、あらゆるものへの感謝を込めて行うアクションである。何かを頂くときにはその命を頂くという意味だと聞いたことがある。昔、僧侶が家に来た時にお茶を出したが、お茶の1杯に対しても両手を合わせてから飲んでいた。もちろん《シルビア》はしなかった。
この世界の人類は、魔族も含めて宗教には積極的だ。それこそ、転生者であっても宗教に無頓着なのは日本人くらいだ。イギリス人やインド人など、この世界で多くの地球の外国人に会ったが、それぞれキリスト教やイスラム教、仏教、ヒンドゥー教など、生前の宗教的慣習をここでも徹底していた。
会った、というより、会えたという感じだが。
なにより。
カレンダーの下には帽子をかぶってヒゲを蓄えたサンタの顔と────「クリスマス」と書いてあったのだ。
師匠が俺を家に来ないかと誘ったときに、俺は、孤児院ではないのか、という趣旨の発言をした。
そのとき、ほんの一瞬だけ彼女の顔が曇った。実際に経験した、という表情だ。
現代にはそこまで劣悪な孤児院施設はないが、この世界には孤児をオモチャとして扱うことや仕事の道具程度にしか見られないのが当たり前だ。それこそ女くらいしか施設には入れられない。この世界では文字を勉強するにも莫大な金がかかる。文字を学んでいるのは貴族と大きな商店の主人くらいだ。
彼女はこの世界の文字に慣れておらず、またカタカナは俺でも視認できるほど書き慣れたような、丸く可愛らしい形だった。
俺はクリスマスプレゼントに、とんでもないネタバレを貰ったわけだ。
間違いない。
《シルビア》は、転生した日本人だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます