第2話 師
◆◆◆
「ごめん、入るよ」
建て付けの悪いドアがギギィと鳴り、ひょこっと可愛らしい顔を出したのは先ほどの《シルビア》だった。見る者の目を吸い寄せるような銀髪、透き通るような肌をした、少し背の高い可憐なショートボブの少女である。成長期真っ只中の体の俺よりも背は高い。その瞳は青色の強い碧眼で、先日の縦長顔の大男の影はどこにもない。
「さっきからずっと変な音がしたけど、平き……えっ!? 大丈夫!?」
綺麗な眼をぱちぱちさせて俺を見ている。
察するに、四日前《シルビア》と名乗った黒服は彼女だったのだ。魔族だから、特殊なスキルを持っているから、など理由がなにかは分からないが、このファンタジックな世界では正直何が起きてもおかしくない。素の性格が女性的なのはなんとなく感じていた。
そして、そんな驚くまなざしを向けられても俺は別に何も変わっていない。……いや、体はかなりすっきりしたか。
「ええ、平気ですよ」
「全然平気に見えないよ!」
平気に見えないらしい。そうだろうか?
一応鏡を探すため辺りを見回すと。
「すみません。確かに散らかしてしまいました……」
……確かに平気ではない。いや、尋常でなかった。
完全に忘れていたが、部屋には大量の鮮血が飛び散っている。いつか見た、グロテスクな拷問の現場のようだ。
あとで掃除しなければ。汚してしまった。
「本当にすみませんでした。すぐに掃除します」
「いや、なにも責めてるわけじゃないけど……」
今度は気を使わせてしまった。
また他人に迷惑をかけた。失態である。
「とりあえず…………ほら、こっちおいで。治してあげる」
彼女は俺が眠っていたベッドにかけ、自身の隣をとんとん、と叩くと包帯類をポケットから出した。
少量だが常備しているようだ。申し訳ない。
それに――
「いえ、もう治ってるので、大丈夫です」
治ったというのは、血の溢れていた胸のことだ。
一度叫んでからは覚えていない。
気が付くと、床に潰れた心臓らしきナニカが転がっていて、彼女が入ってきていた。
どうしようもなくむしゃくしゃした。すぐにでも自分を殺そうと、必死に心臓を抉り出そうとしたのだろう、結果として、一度は心臓も握りつぶした。
それゆえに、この狭い地下室は今や殺人現場のように血が物騒な色で彩っている。
「治ってるって、どういうこと?」
「治ってるというか、交換したというか」
ふむ……説明が面倒だ。助けてもらった礼もあるし、ほんの少し明かしても問題はないだろう。
「隠しても変わらないので打ち明けると、これが俺のスキルです」
自分の生まれ持っている保有スキルについて、少し簡略化して語ることにしよう。
「人間や魔族にはスキルと呼ばれる能力を持って生まれる子供がいますよね? 人間の場合はときどきですけど。魔族は基本、なにかしらスキルを2つ持っているんです。俺の場合、本体と同じ性能の、魂だけが入っていない肉体を生成する能力です。全身でも、臓器だけでも自由です」
人間はスキルを1つしか持てない。魔族は2つまでである。俺は日本で死んだあとこの世界に来て、魔族として生を受けた。
「そういう肉体の在庫があれば、もし本体の身体が死んでも、魂だけがそのストックに宿る」
「もしストックが無いときに殺されたとしても、死の間際まで『生きよう』という強い意志のようなものを持てば、自動で新しい肉体を作り、勝手に魂が宿る」
このスキルは事実上の不老不死にして、万物に終わりをもたらす理不尽を打ち破った証である。
だが、今では呪いにも等しい。
「それが俺のスキルです」そう彼女に告げた。
彼女の見せてくれた記憶から察するに、きっと《シルビア》は数日のうちに直接の上司になるはずだ。先日は残機……肉体のストックがなかったから、命の恩人でもある。……実際ストックは腐るほど余っているのだが、緊急事態すぎて完全に忘れていた。
彼女にはなるべく情報を開示しよう。
信頼はしないが、俺を極限状態からここまで回復させてくれたのだ。
まず、恩を返さないと。俺のせいで迷惑をかけてしまっているのだ。プラスになることをしなければならない。
なにかできることはないかと考えていると唐突に、俺を見て《シルビア》は言った。
「全然、治ってなんかないじゃないか……」
「はい?」
「……君は平気じゃない。傷ついてる」
言葉の意味が分からない。
傷はもう癒えている。身体が元通りなのだから、痛みもない。健康である。疲れは少しだけ残っているが、気にならない程度。
この体は傷ひとつない新品そのものなのだ。
「たしかに疲労はありますが、完全に回復はしましたよ」
「そうじゃなくて」彼女はその綺麗に澄んだ瞳で、光の灯らないこの目を見て言った。
「肉体じゃない。君の『心』の話だよ」
心?
落ち着いた見た目に反し情熱タイプなんだろうか。
「君は……自分の命を、なにより心をもっと大切にすべきだ。いや、自分だけじゃない、他人の命も、もっと大切にするべきだよ」
彼女自身、言っていたはずだ。
あれだけのことをした俺に、大切にするような心があると言うのか。
そんなもの────俺にはない。
そもそも俺には死が来ないのだから、その男に価値はない。そんなことは分かっている。
いつか終わる命になんの価値があるというのだ。
どれだけ備えても無駄だった。終わりは突然やってきた。
長い長い未来を見据えて生きていても、
終わった命に価値を見出すのは、いつだって今を生きている者の特権だろう、それが傲慢な人間という生き物なのだから。
であれば捨て身で、いつか終わると信じて今という時間を消費するしかないだろう。
全ての生に意味はない。迎える
なればこそ、価値がないと分かっていても、他人を蹴落として自分が生きるべきであろう。人間は、いや、生き物はそうあるべきだ。
そして、死が存在しない時点で、俺は生きていないのだ。
俺はそう結論づける。故に価値を生み出す源である心など存在しないし、必要でさえない。
この結論は揺るがない。
「俺は平気ですよ」
そう。だから俺は平気なのだ。
「平気に見えないからこう言ってるんだよ」
それは立場が違うからだ。
「時間が経てば、気にしなくなります」
「それは自分が正しいことをしたときだけだ。君のはそれじゃない」
存外しつこいな。
自分の声にどこか投げやりな気持ちが混じる。
「感情なんて気分です」
「その通りだ。君の気分は最悪だろう」
「気を紛らわすくらい雑作もないですよ」
「紛らわす? そんなもの、ただの虚勢だ。まさに紛い物の気分にすぎない」
言ってのける彼女は、追い討ちと言わんばかりに続けた。
「この部屋には何もない。家族もいないし、あの女の子もいない。そもそも紛らわせたところで、なんの解決にもなってない」
「っ……!」
なぜだ、見透かされたような感覚だ。
四日前の大失態もあってか、自分が情けない。何かが腹立たしい。体が自然と俯いてしまう。
だが、それはすべて間違っている。
腹立たしいと感じることも、解決になっていないということも、なにもかも間違っている。あくまで耳障りなだけだ。
「君も案外しつこいね」
そう吐き捨ててから彼女は俺を見据え。
「もう一度言うよ」
「今の君はまったく平気じゃない。きっと私がここにいなければ、そのまま自殺しているだろう」
…………ああ。その通りだ。
死ねない体でないのなら、彼女を無理やりにでも部屋から出してから自分の体力を消耗させ、心臓を抉って握りつぶしていただろう。
幸い、これ以上生きようなどとは微塵も思っていない。
狂気という言葉が一番適している。
だが、どれほど望んでも死ねないのだ。
俺は死ぬわけにはいかない。何がなんでも、奴らを殺さなければならない。
「なら……まったく平気でない俺は、これから何をすればいいんですか……」
どうやら俺は、考えるという行為を忘れてしまったらしい。
何をしろというのだ。殺すために生まれた俺に、一体なにを求めろというのだ。
そもそも俺は、一体なぜ、生かされているのだ。
なぜこれ以上、他人のために何かをしなければならないんだ。
――分かっている。すべて。
結局奴なのか。
中身の真っ白な俺の頭は、そう結論づけた。
誰か俺に…………目的をくれ。
奴を殺す以外にも、何か……生きる意味を。
「君、私の家においでよ」
「……………………は?」
聞き間違えだろうか。耳が機能しているなら、私の家においでよ、と聞こえたのだが。
突拍子もなく何を言っているんだ、この人は。
思わず顔をあげ、《シルビア》を見つめる。
「だから、私の家においでよ」
困惑する俺を放置し、そのまま続ける《シルビア》。
「この際はっきり言わせてもらうけど、もう今の君には何も残ってない」
言って、彼女の視線が鋭くなった。
「君が守っていたあの少女だって、あと3週間もすれば目覚めるとは思うけど、正直いつ意識が戻るかわからない」
「え?」
「……目覚める? 意識がないんですか?」
どういうことだ?
俺はカナを守れなかったのか? けどあいつは攻撃を受けてないはず…………
「一緒にいたのに、気が付かなかったのかい?」
「俺はあいつさえ……たった一人の守るべき者さえ守れなかったんですか……?」
彼女はため息をついた。
その行動が余計に俺の心を乱す。
「君は確かにあの子を守った。しっかり、無傷で守りきった。あの人数相手に生き残った君の魔力やタフさには、目を見張るものがある」
では、なぜ。
問いの答えはすぐに返ってきた。
「あの子はね、君と騎士たちの魔力干渉に身体が耐えられなかったんだよ」
魔力干渉?
…………ああ、そうか。
すべて分かった。
俺は騎士を無力化するため、全力を尽くしてしまった。その結果、近くにいたカナは自身の体内を循環する魔力が戦いの余波の影響を受け、肉体に大きな負荷を負った。
彼女はいわゆる「魔力酔い」の状態にあり、体内の魔力が元どおりに循環するまで目を覚ますことはない。
「彼らは魔法を、君は高エネルギーの魔力そのものを、お互いにぶつけ合った」
《シルビア》はことの顛末を説明してくれた。
「その余波は凄まじいものだったよ。実際、隣の街から向かっていた私ですら身震いするような寒気がしたくらいの干渉だ。どんなに鍛えていても、12かそこらの女の子が耐えられるはずがない。今回に限っては、同じ症例であと80人程度が気を失っているらしい」
「まあうち13人は昨日までに目覚めたし、干渉で一生目を覚まさない症例は過去になかったから、きっと大丈夫だと思う」そこまで言って、彼女は無造作に立ち上がった。
そうか……。
決して安心はできない。
「通常、魔力干渉はどんなにひどくても三日で目を覚まし、七日後には完全回復する。けどあの子は君たちとかなり近かったし、本当に戦争並みの干渉だったから、トータルで大体一ヶ月くらいはかかると思うよ」
「そんな……」
人生で初めてだ。
魔力干渉について、ある程度の知識はあったが実際に起こすことはなかった。
俺は強い。
だからこそ加減しないと何もかも壊しかねない。
……ひとまず今俺が置かれている状況は分かった。
「でも、なんであなたの家なんですか?」
一番の疑問である。なにかに俺を利用したいのはわかるが、身近に置くべきではないだろう。
こういった手合いはその辺の孤児院にでも投げ入れておき、仕事のときだけ利用するのが効率的だ。
「だって、避難所だとしてもあんな即席の小屋になんか住みたくないでしょ? 孤児院なんて、女の子以外は使い道がないから……すぐに飢死するだろうし」
ほんの一瞬、《シルビア》が悲しげな表情を浮かべた。
実際その通りだ。彼女は俺を心配して言ってくれているようだ。
……一応俺のスキルをうまく使えば女にもなれることは判明済みだが。
「私に直属の部下はいたことがないから、ちょうどよかったんだ。弟子もいないしね」
ふふん、といたずらっ子のように彼女は笑った。
ほらみろ。銀髪の少女は俺をアゴで使う気らしい。
「それに、君は誓ったんでしょ」
「…………ああ」
「俺は、仇を討つ。奴だけには……凄惨な死を……」
今度は確かに、《シルビア》がとても悲しげな表情をした。
理由は俺にはわからないだろう。きっと、これからも。
「だから」
ちょっと照れくさいが、言葉にしよう。
「俺をあなたの部下に――――弟子にしてください」
なぜだろう……これかなり恥ずかしいぞ。
まあいい。気にしたら負けだ、演者にでもなったつもりでいよう。
打算的な考えではあるが、彼女の下につくのは良い経験となるはずだ。「直属の部下がいたことがない」と言っていた。無理難題に対応できるようになろう。
薔薇の刺繍を見てすべて分かった。これからの俺は《ヒットマン》として、なすべきことを為す。
「プロポーズかな?」
「ちげえよ!」
すると、《シルビア》は微笑みながら言った。
「うん、君はやっぱりそれがいいね。年相応って感じ」
「それ? 何ですか?」
「君はずっと堅苦しい敬語より、ちょっとくだけた方が似合ってる!」
白銀の髪をほんのすこし揺らしながら 、少し朱のさした二百点満点の笑顔とともに。
とてもドキッとした。
……そんなとびっきりの笑顔で見ないでくれ。
命の恩人で、超絶美少女。おまけに強いときた。なんというか、キャラがつよい。
自分のことながら「チョロいなぁ」なんて思ってしまう。
これが俺の上司との――師匠《シルビア》との始まりだった。
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