その男の名は《ヒットマン》

山田てお

その男の名は──

序章 その男

第1話 プロローグ

 ――殺そうとした。

 俺は徐々に霞んでいく視界の中で目の前の大男の顔を見て、知らない男だと分かったとたん、最後の力を振り絞って男の心臓を抉ろうとし――失敗した。

 躊躇ためらいなんてものはなかった。ひとえに肉体の限界である。体はピクリとも動かない上、無茶に無茶を重ねたせいで別の騎士たちに刺された腹の傷が開き、至るところから血が垂れだした。


「おい、少年」大男は話しかけてきたが、敵と言葉を交わすつもりはない。

 まずなによりも、殺さなければ。


 手早く殺せる何かはないか探してみる。すると視界の端に半壊したレンガの家があった。細い、折れた柱が、奇跡のバランスで今にも崩れそうな屋根をなんとか支えている家だ。

 よし、屋根をそのままぶつけよう。距離を予想するに、屋根は風で吹き飛ばないかぎり俺の下までは落ちてこないし、男を下敷きにして身動きを封じるくらいはできそうだ。


「何を企んでいる?」


 俺に対話の意志はない。

 手元にあった小さな石を手首でスナップを利かせて柱のより脆い場所めがけて飛ばした。すると小石は見事柱に命中し、代わりに屋根が静かに大男を覆うように返ってきた。

 計算通りだ。あとは瓦礫で頭を砕けばいい。



 ……そう思っていたのだが。


「私はこんなものでは死なないよ」


 大男は突然真上にジャンプしたかと思えば、人間とは思えないほどの驚異的な身体能力でもって屋根を蹴り――誰もいない広い石畳の道へ屋根を吹っ飛ばした!

 能力を見誤っていたか。でいかないと厳しそうだ。


「今のは気にかけないでおく。偶然少年の握った石が屋根に直撃しただけのことだ」


 大男はまだ話がしたいらしい。まいったな……。

 たった今できた瓦礫の山から大男の声がした方に視線を移す。まず、鮮やかな血だまりやら子供の脚やらがまず入ってきて、――ああ、その右脚はさっきまで俺についていたものなのだが、その二、三メートルほど下がったところに俺が殺そうとした大男がひとり立っている。30代半ばといったところか。


 よく見ると、男の格好はこの街を襲った騎士団の一員のものではなかった。それどころか、この世界では見慣れないものであった。一言でたとえるなら黒服だ。そのベルトにはピストル(といっても中世レベルの設計である)が一丁ぶら下がっている。

 その拳銃にも黒服にも見覚えがあるものの……だめだ、今は考えてもぼーっとする。この傷では仕方がない。仮に俺が作って与えたものだとしても、この縦に伸びた茶色くいかつい顔に見覚えはない。誰かが武器の横流しでも起きたのだろうか。

 とにかく無理やりでも殺すため、得意な炎魔法を使おうにもとうにリソースたる魔力は尽きている。傷も深いし、今こうして意識を保っているだけでも奇跡なのだ。



 ダイル王国の最北端、国境線沿いに位置するここはクレモアという。俺の故郷の街、いや、一時間前まではまだ閑静な街の様相を保っていた場所である。冬の、6時くらいの朝焼けが照らすクレモアには似合わない血と煙の匂いが漂い、瓦礫と、炎と、ヒトの死骸があちこちに転がっている。

 そして俺も、坂入カナタという仲間の少女のとなり、比較的、瓦礫の少ない街路にほぼ瀕死の状態で転がっていた。


「何があった?」男の声だ。

 まだ耳が機能していてよかった。そんな尋常でないことに安堵する自分には嫌気がさすが、そんなものより刺された剣の傷の方が痛い。


 そこら中から絶え間なく、聞こえる無数の悲鳴が頭の中をよりぐちゃぐちゃにかき乱す。何も、この場にいるのは俺とカナ、黒服だけではない。目を凝らせば右前方の住宅街で、小さな子供から老爺までもが、膝から崩れ落ちたり、言葉にならない何かを泣き叫んでいている。当然、その悲痛な叫びは誰にも届かない。


 さて、この男はどうだろう。騎士ではないようだが、俺に用があるらしい。

 黒服の男は周囲を見渡してからこちらに目をやった。


「一人は気を失っているのか。少女には目立った外傷はないな、問題ない……ならお前だけでいい」


 男は革靴が汚れるのも厭わず、ぴちゃぴちゃと静かにしぶきを飛ばしながら距離を詰めよって来た。


 お前、とは俺を指しているのだろう。だとしたらもっと心配してほしいものだ。

 目立った外傷どころの話ではない。日が昇る前までは右足で元気よく騎士たちを蹴り殺していたこの体も、強力な毒矢がささって毒が全身が回ってしまう前に、と膝から下をまるごと切り離してからは死体より無残な姿となり果てた。

 今や全身から出血が止まらない。


 ――また片足を無くしたのか。

 いや、まあ、仕方がない。尊い犠牲だ。カナを守れただけまだマシだと思うことにする。

 それはさておきこの大男、無傷の少女を心配するのは紳士的かもしれないが、常識くらい弁えていただきたい。


「少年。何があった?」


 男は俺を心配する様子もなく、その上普通なら躊躇するような質問をぶつけてきた。

 男は肩でも呼吸していた。きっと隣の街くらいから走り、たった今ここに来たのだろう、詳しい事情は何も知らないようだ。


 痛みに喘ぎながら男の質問に答えた。「隣国の騎士団連中が突然やってき、て……ゔっ、街を荒らしていった……っっ!」


 息が荒くなる。視界がぐらぐらしてきた。

 やりとりを通して意識が少し明瞭になり、その分痛みが全身を駆け回る。



 刹那、何かが視界の端で光った。

 咄嗟に避けて反撃しようとするも――。


「――――っ!? っぐッ、ゔあああ!!」

 間に合わなかった。指でつついて払いのけようにも肝心の指が無いんじゃ、ただ腕を動かしただけに過ぎないのに。

 言葉にできないほどの激痛が降りかかる。剣か何かを投げられ、左の脇腹を刺されたのだ。


 痛い。痛い。寒い。吐きそうだ。

 十三の子供にはあまりに強い刺激が、この身を襲っては意識を乗っ取ろうとする。


 どこから投げられた? 刺さった感じではまっすぐ正確だった、しかし威力はあまりなかった。

 であれば――最後にやった騎士が死んでいなかったのか。殺し損ねたとしか思えない。

 見ると、刺さったものは折れた剣の切っ先だった。視界の奥には30メートルほど離れた暗い路地で、俺に左腕を肘から切り落とされた騎士が立ち上がろうとしている。


 黒服の男もこの攻撃には驚いているらしかった。とっさに出た言葉は威圧感のある見た目と反していた。「少年……!? しっかりして、ねえ!」

 そんなことを気にする余裕が俺にも少しはあったようで、「大したことはない。今更……」そう言ってなんとか体勢を持ち直す。


「私は……ここで死ぬわけにはァァ!」


 騎士は折れた剣のもう一方を支えに立ち上がり、遠くで俺に勇ましく吠えている。

 

「――お前か……!」今の俺に黒服に構う余裕などなかった。


 痛みも体の限界も気にすることなく、気合でもってこの破片を引き抜いた。


「いま……殺してやる……」


 無意識に、血が溜まった口で息をしようとして、しかし鉄の味が喉に絡んでうまく息が出来なかったので全部吐き出した。

 口からは血がまだ垂れているが、知ったことじゃない。あの騎士を殺すことだけが最優先だった。


 こちらに背を向けた騎士から目を離さず、手元にあった自分の脚を手繰たぐり寄せる。


「君は、何を…………!?」


 攻撃する気のないようならひとまず黒服などどうでもいい。眼前の敵しか意識に入っていない。

 この生への執着心は、そのまま敵の排除に向けられる。


 カナは俺が守る。この街は俺たちが守る。何があっても殺す。一人残らず、排除する!!


 俺は、落ちている自分の右脚の先にあの剣先の破片を突き刺し、軋む腕を支えに半身を起こして――


「あ゛あ゛あ゛――――ッ!!!」

 ――獣のような咆哮とともに力いっぱい腕を振り抜き、冷たくなった右足は騎士の腹を鎧ごと貫通した!


 音もたてずにひっそりと倒れこむ騎士を見届けると、とたんに力が入らなくなった。



 家屋は倒壊し、そこから炎が燃え上がる。

 目の前の景色は一面真っ赤である。たまに隣国の国旗を掲げた騎士団が通るのを見かけるが、もちろんこんな事件は初めてだった。

 同時に、自分がここまで消耗することも初めてだった。俺の場合アドレナリンが出ても考える力はプラスしてくれないらしい。狂ってしまったのかもしれないが自分の新しい一面に気づけたような気分だった。もちろん気づきたくなかった。



「はあ。……話を戻そう。襲撃については知っている」と突き放したように言う黒服。取り乱したのは勘違いなのではとこちらが思うくらいには、冷静さを取り戻したらしい。


「じゃあなんで聞いたんだよ」


 焦燥を抑えきれなかった。今すぐ住民を保護し、手配を回さなければ。やるべきことが多すぎるくせに、今の俺にはそんなことできそうにない。

 イライラしている俺に構うこともなく、男は同じ質問を繰り返す。


「私が聞いているのは、について、だ」


 なんだ、そっちか。

 そんなこと――。


「誰がやった?」

「……さあね。子供に難しいこと聞くなよ」

「はぐらかすな」


 かなり強気な態度だな。実際、油断するのも当然である。

 どうにかこいつを撒くことは容易たやすいのだが……ちょうどいい。

 有効活用させてもらう。


 ただ一言でもって、俺はその問いに答えた。


「──

 俺がやった。8人を過ぎてからは数えていない。



 俺は傷だらけの身体を引きずって、隣の少女に自分の着ていた上着をかけた。 

 ああ、寒い。そして痛い。だが、カナのほうが大切だ。


 氷点下だからなのか、アドレナリンを出し切ったからなのか。

 大量出血で貧血だし、感覚も麻痺してきたから鈍い激痛と不快感に苛まれる。余計に嫌な気分だ。

 異世界の冬は、日本の冬よりとても辛い。もう何度も経験したはずなのに。


 血が凍れば傷も塞がるからいいか。なんにせよ、魔法が使えなくては止血は望めない。


 ……生きてる限りは凍らないか。本当に頭が動いてくれないな。



 今はもうがないから、死ぬに死ねないな。

 俺は判断能力のにぶった頭で、言葉をつづけた。


「誰も助けてくれなかったのか?」

「違う。俺が助ける側の魔族だっただけだ。生き物を殺す……そんなことに思うところは一つもない。人だろうと、魔族だろうと」



 男は息を詰まらせ、倒れている少女に向けている目を見開いた。衝撃的な話なのだろうか。

 ここは平和もへったくれもない、弱肉強食の異世界である。

 別に驚くことではあるまいに。


「いまさら躊躇ためらうことでもない。ただ、今日はあまりに多すぎた……」


 今振り返ってみると、かなりの数を殺したな。今日を数えなくても、普通の魔族が殺す量ではないだろう。……魔族の風評被害か。俺だけだな。


「よく命の重さ、などと言われちゃいるが、俺からしたら命なんて、羽毛のように軽いものだ」


 何の意図があってか、男は俺が守っている藍色の髪の少女に向けた視線を俺に移した。

 男の目には何の感情が灯っているのだろうか。霞む視界は男の顔すら捉えられない。少なくとも、これほど目に血がこびりついた人間に分かるではあるまい。


「ちょいと首を刎ねれば、あるいは四肢の二、三本切り落としてやれば、すうっと抵抗せずに死んでいく。……命なんてのは、吹けば飛ぶようなちっぽけな存在だ」


 自分でも驚くほど低い声が出た。身体はまだ十三歳だが、そろそろ変声期を迎えるようだ。

 あるいは、自分が感じている以上に心身が疲弊しきっているのだろうか。……これ以上とか、ちょっと想像したくないな。


「ま、ポロっと無くすし一つしかない貴重品だから、みんな大切にするんだろうけどな。……少なくとも、に意味は


 血を吐きボロボロになって、思ってもないことを口にした俺を嘲笑うかのように、上空には一羽のカラスが旋回していた。



 男は懐からタバコを取り出し、顔色ひとつ変えず一服してから言った。


「話を変えよう。お前には二つの選択肢が……いや、お前にはもうそんな時間は残されていないだろう……少し待て」


 男は、今度は背負っている大きなバッグを漁りだした。時間がないと分かっているなら待たせるなと言いたい。


 そこに取り出されたのは、今まさに旬であろう赤く実のなった林檎。隣町の有名な八百屋から買ったものだろう。


 そして、一本のサバイバルナイフ。


 男は地面に――地に転がって死にかけの俺の前に――それらをなぜかあたりを見渡してから荒々しい動作で投げつけた。見ていたのはきっと、街の東の方にあるシンボルの大きな古い時計台と、反対の方にある広場だろう。


「選べ。時間は常に迫っている」


 左に林檎、右にナイフ。


 辺りを見渡してくれたのがヒントとなり、選択肢の意味は何となく分かったが……今は、それよりも、だ。


「よかったらそのコート、こいつにかけてやってくれないか。緊急事態だったから俺たちは部屋着でね。意識はなくとも、とても寒そうだ」


 といっても、俺は服の原型をとどめていなかったが。

 そしてこいつは俺の頼みなど気にも留めなかった。


「食料の配給は西だ。避難民はしばらく、少し遠くの西の街で暮らすことになっている。ひと月もすれば元の生活に戻れるだろう」


「もうそこまで話が進んでるのか。なら良かった。……ところでコートを頼む」

「このコートは他にかけるべき相手がいる。優先順位の問題だ。……毛布で我慢するよう言っておけ」


 どうにもコートをかけてやりたくないらしい男はバッグから、この世全てのもふもふを凝縮したような、それはもうもっふもふの毛布を彼女に提供してくれた。


 いいな、とは思わない。

 寒さも感じなくなってきたからだ。


「妻帯者かよ」根拠はないが、『かけるべき相手がいる』と聞いてそう思った。


 なんとはなしに悪態をつきたくなった。どうにもイライラする、この男の態度に。なんというか、立居振る舞いが不自然すぎるのだ。こいつ、本当になぜ黒服を着ているんだ。バッグからチラッと覗けた服は冬を乗り越えるこの世界の女の装いにしか見えなかった。ときどき男とは思えない反応もするし。


 やはり考えがまとまらない、自身の判断能力の低下が見られる。


「妻? 何を言って……ああ、そうか。…………その様子じゃ、本当に時間がなさそうだな」などと独り言のように呟く男。


「……というか、茶化すな少年。お前なら分かっているんだろう」



 ああ、分かっているとも。こんなメッセージ、いまどき小学生でもわかるぞ。


 西――俺の視線の方向から、左側であることが分かる。さっきの騎士のいた方角で、広場のほうである。

 そして、が林檎の示す意味である。



「右には……東には、何がある……?」


 俺の発した声は、自分でも消え入るように思えるほど小さいが聞こえたようだ。


「恐らくお前の仇と、お前の知らない世界がある」




 こいつ、一体何者なんだ。

 仇? 首謀者のことか? それとも隣国のことを指しているのか?



 あるいは――



 男のバッグには、の刺繍が施されていた。

 それを見た瞬間、使い物にならなくなっていた脳に電流が走ったような衝撃を覚えた。



 ふと浮かんだ、前世の記憶。


 あの男、なのか……?

 いや、そんなはずはない。


 まだ諦めていないのか? ……いや、そんなはずはない。ありえない。




 ……俺は『決闘』で奴を辺境まで飛ばした。ゼルディアという国の辺境だ。

 この国に隣国は4つある。殺された騎士団もそのうちのどこかで、奴がいるのもそのうちのどこかである。


 …………ダメだ、俺はきっと疲れている。



「時間だ。選べ」



 そう、俺は疲れている。疲れ切っている。


 当たり前だ。何十人殺したかも分からない。

 十三歳の少年が、同い年の少女を無傷で守り通した上で、騎士団をまるまる一つ壊滅させたのだ。当然である。



 人間に不可能はない。

 それは俺もよく知っている。




 なればこそ、考えろ。

 俺は今まで力で乗り切ってきたことは一度もない。いつも頭を使ってきた。


『思考を放棄した者に“人間”を名乗る資格があると思うな』

 まとわりついて離れない、あの男の声。


 分かっているとも。

 俺は猿じゃない、れっきとしたサピエンスだ。

 この明晰な頭脳で数多あまたの強敵をねじ伏せた、正真正銘の天才だ。そう、なのだ。


 …………。


 無意識に頭を掻いていた。

 ああ、ストレスだ。痒くて痒くて仕方がない。

 


 そんな俺を見かねて、男は話しかけてきた。


「どうした、悩んでいるのか? ……安心しろ。少なくとも、この少女とお前の当面の生活と身の安全は……」



「黙れ」

 はっきりそう言った。


「考え事をしているのが見て分からなかったようだから言っておく。俺が血が出るほど頭を掻いているときは、考えが纏まりそうなときだ」



 ――――よし。



 具体的な首謀者は分からないが、事の成り行きと動機はなんとなく掴めたぞ。



 仇がいる。 

 それが特定の個人なのか、あるいは組織的な集団なのかは分からない。そう、今はまだ分からない。


 しかし。


「『選べ』と言ったか。それは違うぞ」


 この場合、選択の余地はない。


「選ぶもなにも──選択肢が一つしかない」



 俺は林檎を手に取り――



「……それで、いいんだな?」



 ――深々と、ナイフを突き刺した。


 そのまま林檎にかじりつく。

 精いっぱい口を大きく開け、甘い蜜と鉄の味のする血が混じってなお力いっぱい嚙み砕いた。


 口の中でそれらを絡み合せ、かき混ぜて、喉からせりあがってきたものも全部まとめて吐き出した。


「ああ、すっきりした」


 今さら生ぬるい日常に戻れるとは思っていない。

 元よりこの人生はアルティメットモードなのだ。


 それに……俺がやらなければならない。


 俺はを裁いた。あの支配者を止めるには、息の根を止める以外に他に手段がなかったからだ。

 だが、それも昔の話。──今の俺には、全てを止められるだけの力がある。



 この世からを抹消する。

 の始まりだ。



「お前に、その覚悟があるんだな?」


 俺を射抜くような眼差しに、同じように目で応えられる気力はない。

 かわりに俺は、言葉で覚悟を伝えた。



は、俺たちからすべてを奪った」



 この世界での両親はきっと死んだだろう。クレモアの家屋は次々に瓦礫と化した。

 規模こそそれなりに大きな街だが、この様子ではきっと生存者の倍以上の死者が出ているだろう。


 いいや……なによりも。



 横で気を失っている彼女を一瞥する。



「カナタは……カナはまた、当たり前の幸せを奪われた」


 復讐するには充分すぎる理由だ。

 俺は、彼女が笑って暮らしてくれれば、それでいい。それを守ることこそが俺の『責務』なのだ。



 たとえ、……だとしても。



「周りにはなるべく笑っていてほしい。やられっぱなしは気に食わない」


 一瞬、誰が喋っているのかわからなくなった。

 自分の言葉ではない。……いや、無意識か。無意識を意識できたらしい。


は害虫だ。生かしておけば、多かれ少なかれ犠牲が出る」途中で、自分が喋っているのだと気づいた。


「誰かがやらなければならない。だが誰もそのを選ばない」


 けれども、やはり喋っているのが俺でない他人のような気がして、それでもこう語る少年の意見には心から賛同していた。



「だから、俺が殺す。、全て俺が終わらせる」




 騎士だったモノたちの死体を見て、俺は言った。


「俺の推測が正しければ、この仕事は俺が引き受けなければならない。そういう運命だ」



 どうやら俺は、とんでもないフラグを回収しなければいけないみたいだ。全てはあの日から始まった。

 いや、もはや世界が生まれる前から定められたストーリーだったと言える。


 無意識のうちに、拳を握りしめていた。手のひらからさんざん流れたはずの赤黒い液体がしたたっている。



「そうか……お前は、修羅の道を行くんだな」

「当たり前だ。それが俺の『責務』なのだから」



 実像か幻影か、男の後ろに遠ざかっていく影が見えた。

 俺はその後ろ姿に――に向かって、血管がはちきれんばかりに叫んだ。



「お前らに……っ! お前に、俺が――ッ!」


 骨が軋む。傷口がまた開く。

 だが、そんなのは些細なことだと思えた。


 カナの負った痛みに比べれば、こんなもの。



「俺が、殺せると思うなよ!!!」



 呼吸が荒くなる。心拍があがる。


 決めた。

 彼女とはもう関わらない。


 俺が関わると、全てが犠牲となってしまう。




 俺は誓った。

 この言葉を、この誓いを、俺は生涯忘れないだろう。



「人類史上、





 本当の物語は、この選択から始まった。


 これまでの人生など、本当の意味で序章にすぎなかったのだ。だが、物語は刻々とメインストーリーに迫っている。


 それは同時に、これまでの日常を完全に手放すことを示唆していた。



「お前についていけば、奴らを皆殺しにできるんだな?」

「生易しい道ではないぞ。…………いや、それは子供のする目じゃないか」


 男の瞳越しに見る俺は、ああ、遠い昔と同じ顔をしている。

 変われないな、俺は。


「そうだ。私たちは、そのためにここにいる、とも言える」



 奴らを殺す。

 そのためなら、どんな手段もいとわない。



「新しい景色を見せてやる。私は《シルビア》だ、ついてこい。少年」



 男――《シルビア》は俺に手を差し伸べる。


 その腕にはを表す、小さな赤い薔薇のタトゥーが彫ってあった。


 そのためにここにいる、か。


 この状況下でこの男がいる理由はわかった。想像していた以上に複雑なことが起きているのだろう。


 《シルビア》……やはり女っぽい名前だな。


 まあ、所詮《ネーム》なのだろう。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな」と黒服。



 俺は少し考えてから伸べられた手をつかみ、立ち上がって言った。



 真名はありえない。

 偽名も無理だ。顔見知りに信用できるやつは一人二人で、それも未成年。他は今回の襲撃で死んだはずだ。身元保証人を金で雇うのは高すぎる。


 今から戸籍を用意するのは難しいだろう。



 なら、明らかな偽名ネームを名乗る他ない。



「少年じゃねえ」






「《ヒットマン》」





 その意は「暗殺者」。

 《Hitman》……ああ、そうか。これがあの日見た運命か。




「俺の《ネーム》は、ヒットマンだ」


 どんなに力を振り絞っても、まぶた一つあがりやしない。

 さすがの俺も連続した死には抗えず、この言葉を最後に意識を失った。





 その男の名は《ヒットマン》。

 ピースは、揃った。



 ◆◆◆




「起きろー《ヒットマン》」


 ……なんだ、誰かよんだのか?

 今はだめだ。まだおきるときじゃない。


 ねむい。

 ねたい。

 ねよう。

 おやすみ。


 素晴らしい思考プロセスだ。

 とにかく眠い。このまますぅっと死んだように眠りたい。


「……あと六日だけ…………」

「あんなことのあとで、よく眠れるなぁ……」


 六日でもすこしたりないけど、けっこう譲歩してるん、だ、ぞ……。


「さっさと起きて。顔の皮剥ぐよ」

「んぁ………っ!? 痛い痛い! ひっ剥ぎながら言うな!!」


 とんでもない激痛がすると思ったら、皮膚をベリベリと剥がすように伸ばされていた。

 それも段ボール箱にこびりついたシールのような扱いである。


 一体誰の仕業だ。弟か、妹か?

 カナは寝起きの俺にはもっと優しいぞ。

 というか……。


「寝たいのだから起こすな。人権はないのか」

「あれだけのことをしておいて、一丁前に人権を主張するとはね」


 なんの話だ。こっちはなぜか体が思うように動かないのに。

 鳥が鳴き、俺が怒られる、爽やかな朝である。


 ひとまず目を開けることから始めよう。


 ……窓もカーテンも閉まってるるな。朝かどうか分からない。もちろん鳥の鳴き声も聞こえない。イマジネーションだ。

 日差しもないし、まるで地下の牢獄だ。


 にしても身体中が痛い。そして寒い。

 寝起きだから激痛というほどではないが、これ意識がしっかり覚醒したら相当痛いんだろうなぁ。


 他に特筆して言うようなことといえば……なぜかコートを着せられている。でもこれは、どこかで見たことがあるような気もする。


 体は寒いが、このコートはどこか温かい。




 …………ん? コート?

 というか、ここはどこだ。いや、そもそも……。


「すみません、あなたは……誰ですか?」


 目の前にいたのは、初対面の美しい少女だった。

 出で立ちは、銀色の髪に、ブルーサファイアのような瞳。この異世界に来てから色々な地域の服を見てきたが、始めてみる格好だ。しかもシンボルのような小さな赤薔薇の刺繍のあるセーターを着ている。だがよく見ると俺のデザインではない。


 髪色も顔立ちも知り合いじゃないぞ。

 というか、カナはどこに?


 それはそれとして、この人は俺と同じ魔族だろうか。見た目こそ十五、六歳のようだが、なんとなく実年齢はもう少し上だろう。


 俺を起こしたのは彼女だろう。

 美少女に顔の皮を剥がされて起こされる朝。決してよくはない。見ず知らずの他人だしな。


「そしてここはどこですか?」


「へ? ……ああ、そうか。私は偽装の魔法を使っていたし、君は寝たきりになるほど負傷だ。記憶がなくても無理もない」


「は?」


 待ってほしい。何の話だ?

 寝起きは頭が回らない体質なのだ。



「四日前のことは覚えているかい?」

「四日前?」


 四日前は……うん、覚えてるぞ。


「確か魔法大学の級友と一緒に里帰りした日だ。一日歩いてたから、特筆して話すエピソードはないはずだが……」


 カナの名前は伏せておいた。

 理由はない。嘘もないから問題ない。


 頭も覚醒してきた。

 まず、この女は誰だ。この部屋にはなんの手掛かりにもなりえないものばかり。

 手元には……武器はないか。いざとなったらベッドの足を折って殺そう。まずは情報からだ。



 すると目の前の少女は、想像と違う反応を示した。


「やっぱり、か……」

「やっぱり? 何のことです?」


「いい? 今から私が思念魔法で四日前のことを教えてあげる。傷はまだ癒えてないから、そのまま横になっていて」

「お、おう」



 ちょっと何言ってるかわかんない。

 とりあえずこのまま寝ていていいんだろうか。それはうれしい。

 見たところ、敵意や殺意もなさそうだ。


「あ、大きい声出してもいいから安心して。ここ地下室だから」

「はい。わかりまし……え?」


 ち、地下室?

 まて、本格的に怪しいぞ。


「シガンシナ区か?」

「それこそどこの地域? ……まあいっか」


 困惑する俺をさて置いて、彼女は勝手に魔法を発動させた。


「その前に。……私の名前は《シルビア》ね。

「じゃあ、行くよ。『ブロードキャスト』」


 《シルビア》、その名前どこかで……。

 その瞬間、怒涛の勢いであらゆる情報が俺の脳裏を駆け回った。








 見終わる頃には、すでに眠気は覚めていた。



 …………そうか。


 俺はまた、人を殺したのか。


 しかも。




 を。









 すべて分かった。


「まず、助けてくれてありがとう。そして先ほどは疑ってしまって、すまなかった。そして、情報を提供してくれたところ悪いんですが、《シルビア》。少し一人にしてくれ……」


 敬語を使う余裕なんてなかった。

 《シルビア》が先日の大男であるという驚愕の事実に狼狽える余裕も、その方法を考える気力も当然なかった。


 人生初のに、ただひたすら混乱していたのだ。



「うん。落ち着くまで、扉の外で待ってるね。……あとで呼んで」


「……分かった」



 部屋を出る間際、《シルビア》は自分のことのように悲しい顔をして言った。

 彼女の瞳には、十秒前と見違えるくらいやさぐれた自分の姿が写っていた。


「あまり自分を責めちゃだめだよ」


「分かった………………っ!」




 頑丈そうな木製の扉が開き、彼女の姿が見えなくなった瞬間。






「うわあああああああああ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」






 人生で初めて、自分がどうしようもなく嫌いになった。


 

 許されていいはずがない。


 過ちは取り返せない。

 取り返せていいわけがない。


 分かっている。誰よりも分かっている。

 いや、だからこそ、もう二度と失敗はしないと思っていた。




 《シルビア》が部屋を出てから、自分から様子を見に来てくれるまで。


 自分が何をしているのか、よくわからなくなった。





 ◆ ??? ◆

 異なる時空、異なるにて。




 ……なるほど。

「つまり、それは『私たちは勝利した』ということですか?」


 私はに問いかけた。


「その通り。君たちには本当に驚かされるよ。まさか本当に『シナリオ』――宿命を捻じ曲げるとは思わなかった。いやぁ面白い。ここまで逸脱するとは! こんなのは初めてだ!」



 は愉快な笑みとともに、こう言った。


「おめでとう」








。」







 それが聞ければ充分だ。

 そう思い、私は踵を返した。


「どこに行くんだい?」


「そろそろ息子が来る頃ですから。迎える準備をしますので、失礼します」


 さあかかってこい、《ヒットマン暗殺者》。


 お前を裁くのは、世界の全てだ。

 お前を裁くのは、だ。

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