第2話 盗賊少女
穏やかな森の中、暖かな木漏れ日とさわやかな風が、少女の肌を優しくなでる。
「ティナ。ティナ。起きて。もう朝よ」
もう一人の少女が、うなされていた少女、ティナを起こす。
「はあ、はあ。ルチア?」
ティナは、全身、気持ちの悪い汗でびっしょりと濡れている。息も荒い。
「大丈夫? うなされていたわよ」
ルチアに起こされたティナは涙をぬぐう。
「また、あの夢?」
「うん……」
「今日はやめにする?」
「ううん。行こう。せっかくここまで来たんだから」
ティナはルチアから水の入った木の器を受け取ると、その水面をじっと眺める。
「ありがとう。ルチア。本当に感謝してる。ルチアがいなかったら僕は今頃……って、どうしたの?」
まっすぐに見つめてくるルチアにティナはたじろぐ。
「いやあ。ティナの目って本当にきれいだな~と思って」
「人が真面目な話してるのに!」
ティナは頬をほんのり赤く染め、ぷくっと膨らませる。
「ごめん。ごめん。でも、この髪も目も本当に黄金って感じね。私の髪なんて木の皮みたいな色なのに」
ルチアはごわごわとしたくせ毛の茶髪を触る。
「そうかな。お母様ともお父様とも似てないないから、僕はあんまり好きじゃないけど」
ティナは黄金の髪を指でくるくると巻く。
黄金の髪と黄金の瞳。どちらも大変珍しいものだ。
ティナの一族は女性ばかりで、母親も祖母も色素が薄く、白い髪に赤い目だった。婿入りしてきた父親譲りというわけでもない。
ティナは両親の子ではないのかと悩んだこともあったが、周りはまったく気にしている様子がない。それどころか、みんなティナの黄金の髪と瞳を喜んでいた。特に母親はたいそう気に入って、いつもティナの髪をくしで丁寧に梳いてくれた。
母親が喜ぶと思って髪を長く伸ばしていたが、今は身動きがとりやすいようにバッサリと斬り落としてしまった。身に着けている軽装の革鎧はその髪売ったお金で買ったものだ。
もともと中性的で平坦な体つきであるために、短髪になったことで周りからはよく少年と間違えられるが、追ってから逃げるにはむしろ好都合だった。
「さあ、朝ごはん食べたら、行きましょ。この宝の地図がインチキじゃなければ、遺跡はすぐそこよ」
ルチアは、一枚のボロボロの地図を太陽の光にかざす。
「大丈夫だよ。きっとある。そんな感じがするんだ」
ティナは胸元のペンダントをぎゅっと握りしめる。
「なら大丈夫ね。ティナの勘はよく当たるから。盗賊としちゃまだまだだけどね。はいこれ。ティナの分」
ルチアはティナに干し肉と固い黒パンを手渡すと自分の分をほおばった。
ティナは黒パンを引っ張ってかみちぎりながら、ルチアと出会った日のことを思い出す。
「お母様!」
ティナは、叫びながら目を覚ました。
まぶしいと目を覆う。なぞの武装集団に追われているうちに、朝になってしまっていた。
「起きた?」
横に座っていたのは見慣れない少女。癖毛の茶髪が左右にはねているが、小柄でいかにもすばしっこそうだ。
歳は自分と同じくらいだろうか。泥とすすで汚れた冒険者風の革鎧に身を包んでいるが、まだ少しあどけない。
なぜこんなところにいるのか、なぜこの少女といるのか、母親と別れた後、無我夢中で走っていたせいか記憶があいまいだ。
「あなたは?」
「人攫い。あなたをさらってきたの」
少女は微笑を浮かべた。
「嘘、そんな風に見えないよ」
「人攫いがどんな格好してるかなんて見たことないでしょ」
「そうだけど……」
話が続かない。
沈黙はティナを冷静にした。そして呆然とする。
故郷は焼け、村のみんなも、勇敢な父も優しい母ももういない。
ティナは、途方に暮れて、学院に行くことなどもう忘れてしまっている。村も両親もなくなった。もはや貴族でも何でもない天涯孤独の孤児だ。学院の門を叩くことも、もうないだろう。
さりとて、これからどこに行ってどうしていいのかもわからない。
ティナは首にかけられたペンダントを手に取る。
「お母様……」
「それ、高く売れそうね。当分は遊んで暮らせるかも」
少女は興味津々、ペンダントに手を伸ばす。
「駄目。これだけは」
ティナはペンダントを握り締めて、隠すように背を向ける。
ペンダントはティナに残された唯一の家族との思い出、つながりだ。たとえ飢えて死のうともこれを手放すわけにはいかない。
「でも、どうするのよ? あんたみたいな貴族のお嬢様じゃまともに働けないでしょ」
「なんで、私が貴族だって」
「汚れてるけど、その恰好を見れば誰だってわかるわよ」
少女は、ティナを見る。
逃亡していたせいで、傷だらけで薄汚れてはいるが、貴族の子女が多く通う学院の制服を見れば、貴族だと一目でわかる。
「それにそんなきれいな顔は貴族様以外ないでしょうね」
長時間日光にさらされていないためかその肌は白い。手もきれいで、
「それは……」
ティナは考え込んでしまう。
確かに生粋の箱入り娘で仕事なんてしたことがない。一人では生きていけないだろう。
そもそも自分には生きている意味があるのだろうか? すべてを失ってまでどうして生きる意味があるのだろう。
もう何も残っていないのだ。その小さな手からすべて零れ落ちてしまった。
このまま死んでしまえば、どんなに楽だろう。そう思った時、母の言葉を思い出す。
生きて東を目指しなさい。
(まだ、思いが残っている)
箱入り娘のティナだが、意外にも胆力はあった。
「東を目指す」
「東? どうしてまた東に?」
「それがみんなの願いだから。生きて東を目指すよ」
ティナはペンダントを握り締める。
「ふ~ん。じゃあさ、私と一緒に盗賊をやりなさい」
「盗賊?」
「東を目指すにもお金がいるでしょ? 稼ぎながら東を目指すの」
「でも、盗みなんてできないよ」
ティナは首を横に振る。
「馬鹿ね。なにも人様から盗もうってわけじゃないわ。遺跡で、宝を盗むの」
少女は立ち上がる。
「それって冒険者ってこと?」
ティナは思い出す。
古代遺跡で魔物を狩る冒険者というものたちのことを。
昔は父も高名な冒険者だった。
「まあ、そうね。でも、私たちみたいな魔物もろくに狩れない底辺冒険者は、盗賊で十分」
事実、魔物と戦いもせずにほかの冒険者のおこぼれにあずかる底辺の冒険者は盗賊と揶揄されている。
「だけど本当にできるのかな? 冒険者なんて」
気丈にふるまって見せても、中身はやはり、貴族のお嬢様。
自然に囲まれて育ったくせに虫も殺したことがない。
そんなティナが、魔物が蔓延る古代遺跡に潜って泥まみれで宝探しなど想像がつかない。
「無理でも、やらなきゃしょうがないでしょ。でなきゃ、あんた、東に行く前に野垂れ死ぬわ」
少女はため息をつく。
ティナは少し悩んだ後でついに決心する。
「僕やるよ。冒険者でも盗賊でもなんでもやってやる。それ貸して」
「いいわよ」
ティナはルチアから短剣を借りるとおもむろに髪を切り始めた。
「ちょ、ちょっと……」
突然の大胆な行動に少女は目を丸くする。
長く美しい黄金の髪がばっさりと切られ、すっきりとした短髪に代わる。
ティナは切り落とした自分の毛髪の束を差し出す。
「これ売れるかな?」
少女は、受け取った髪をなでる。まるで絹糸のように滑らかだ。売れば、当面の生活には困らないだろう。
「あんた、意外と見どころがあるかも」
「そうかな?」
「貴族のお嬢様にしては、だけどね」
少女は、立ち上がる。
「よし、そうと決まれば、すぐに出発よ。あんた、変な輩に追われているんでしょう?」
少女は詳しくは聞かない。
「……君はどうして、僕にこんなに良くしてくれるの?」
両親や村人たちから無条件の愛を注がれてきたティナでも、この少女が、何も聞かずに協力してくれることが不思議だった。
「盗んだ宝は大事にする。盗賊の心得よ。それにあんたからはお宝の匂いがするの」
少女は片目でぱちりとウィンクして見せた。
「私はルチア。あなたの名前は? お嬢様?」
少女はティナに手を伸ばす。
「ティナ。今はもう、ただのティナだよ」
ティナはルチアの手を掴んだ。
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