番外編 お約束のその後
森と湖と古城が美しいケイリッヒ王国の王都ケルスルーエ。
その下町の一角に、王国近衛騎士隊の若手一の実力者にして、王太子の側近であるエルマーの実家はあった。
といっても父母は既に鬼籍に入り、妹と二人暮らしである。
エルマーは、人使いの荒い王子にこき使われて、王都に家があるにもかかわらず、帰ってくる暇などほとんどない。
今日は、マレのクーデター騒動から帰ってきた後も、馬車馬のように働かされたエルマーが久しぶりにもぎ取った休みであった。
「もう、お兄ちゃん! いつまで寝てんのよー。起きないとお休みがなくなっちゃうよー」
「妹よ。俺は久しぶりの休暇を実家で満喫したい。今日の俺は、しかばねだと思え……ぐえっ」
「やだやだ! お兄ちゃんを紹介するって、友達に言っちゃったもん! みんなお城の騎士様に会いたいって!」
エルマーは背中に乗ってくる妹に、せめてもの妥協案を提案してみる。
「いやー、午後、午後にしよう。休ませて」
「覇気がない! そんなんだからいつまでたってもお嫁さん来ないんじゃんー。もう、誰でもいいから連れてきてよー。あ、でも、マレの皇女様に意地悪した悪役令嬢はだめだからね?」
……違くないか? 悪役令嬢役は、そのマレの皇女様ではなかったか? あのおきれいな腹黒王子が噂をすり替えたという想像しか出てこない。
あの人怖い。
「いや、それはないから大丈夫。その代わり、ヒロインの方を連れてこれるよう頑張るよ」
頭の中で、かつてのピンクの髪のお嬢様を思い出す。……カツラだったけど。
「え? お約束では、ヒロインに愛されるのは、王子様か、公爵令息か、宰相令息か、辺境伯令息か、騎士団長令息か、王子の側近の護衛だよ。お兄ちゃんじゃ無理だよ」
何をかくそう、この妹こそが、エルマーにお約束を叩き込んだ、張本人なのである。エルマーの妹エルザは、お友達と色々なご本を貸し借りしているうちに、すっかりお約束に毒されてしまっていた。
妹よ、お兄ちゃんは、最後の一つに当てはまるぞ。
ちなみに、妹には王太子付きの護衛だとは教えていない。教えたら恐ろしいことになる未来しか想像がつかない。
「ということで、お兄ちゃんは寝る。また、あとで起こして」
「わかったよ、でも、ちゃんと友達に会うときは、制服着てよね」
「なぜ休みの日に制服」
「え? だって、みんなお兄ちゃんに会いたいんじゃなくて、近衛騎士様に会いたいんだよ」
「……」
騒がしい妹が部屋からでていって、惰眠をむさぼろうとしたところ、妹が、玄関先から素っ頓狂な声を上げる。
「きゃー、何これ! 矢文!? 初めて見たー。 何々。『エルマーへ お前の大事な女を預かった。返してほしければ、この地図にある廃墟に来い ユノ』だって! お兄ちゃん! お約束だわ! あれ? お兄ちゃんの大事な女は、ここにいますけど」
妹よ、そういうボケはいらない。
◇◇◇◇◇◇
ヘマした!ヘマした! なんであんなのに引っかかっちゃったんだろう!?
王都郊外の廃墟。
偽伯爵令嬢にて、元キーランの暗殺者、現近衛騎士見習いのミケーネは、猿ぐつわをかまされ、腕を後ろ手に縛られた状態で床に転がされている。近衛騎士の勤務後だったので、男装をしていて、スカートでなかったのだけが唯一の救いだ。
王都の下町で暴漢に絡まれて床にうずくまった小さな姿を「これから近衛騎士になる身としては、放っておけない」と判断して介入してしまったのが間違いだとは思わない。しかし、あっという間に意識を刈り取られてこのざまだ。それについてはかなり情けない。その小さい奴が、あの暗殺者ユノだったなんて!
「なー。お前の保護者、なかなかこないのなー。お前、見放されてるんじゃないよなー」
この変人の戦闘狂は、エルマーやヨナスと戦って以来、ケイリッヒの騎士と戦いたくて仕方なくて、こうして国境を越えて度々やってくるのだ。
以前、ヴァルターもいるところへやってきて戦いになり、とても楽しかったらしく味をしめてしまった。
戦いたいんなら、勝手にやってほしい! 巻き込まないでくれ。
そう主張したいが猿ぐつわのせいでもごもごとしか言えない。
ミケーネとしては、正直、あの細目のガタイのいい大男に借りを作りたくないのだ。
――続きは、いつにします?
やだやだやだ、何考えてんのよ、私!
「あー」
その時、ドゴッとおよそありえない音を立てて、ミケーネが転がされている部屋の壁が壊れた。
「遅かったじゃんー」
「うっさいっ。俺は、貴重な休みに呼び出されて機嫌が悪いっす。あー、ミケーネさん、こんなにされちゃって……」
エルマーがいつも通り緊張感のない声で話しかけてきて、するするとミケーネの拘束を解いてくれた。
「……迷惑かけてごめん」
「助けるの二度目っすね。感謝してくださいね。ご褒美楽しみにしてますから」
ミケーネの顔が赤くなる。
最近、この男に強気に出られない自分が嫌だ。
「じゃあ、いっくよー!」
振りかぶるユノの曲刀がエルマーに振り下ろされるのを合図に、廃墟の中で、エルマーとユノの切り合いが始まった。
剣だけの応酬は、明らかにエルマーが押している。
斬撃が続くにつれて、ユノが押されていく。
「懲りないっすねえ」
「いやー。俺も成長してるってば。これとかどう?」
そういうと、ユノは、懐から鎖鎌を取り出して、エルマーに投げつける。
エルマーの剣に鎖が絡みつく。
しかし、踏み込んだユノに対し、エルマーは、逆に鎖を手で引きバランスを崩させる。
「甘いっす」
ユノは引きずり倒され、鎖鎌から、手を離さざるを得ない。
「ちぇー、じゃあ、これっ」
ユノは、起き上がると、飛び退りながら懐から投げ斧をとり出し、再びエルマーの方へ投げる。
「え? どこから出したのそれ!? 明らかに大きさおかしいでしょ!」
「気にすんなって」
弧を描いて追ってくる斧に対し、エルマーは、先ほどユノの捨てた鎖鎌を拾って投げつけ相殺させて弾き落とした。
「なんで初めて見た武器使いこなすの、お前ー。センスもあるとかまじむかつく」
しかし、ユノは、次の瞬間エルマーの背後を見て、にやりと笑う。
「いーもんみーつけた」
ポケットから吹き矢を取り出し、エルマーに向けて吹く。
エルマーは明後日の方向にむけて吹かれるそれを難なく避けて、飛んでいく先を振り返り、驚愕に目を見開いた。
◇◇◇◇◇◇
「もう、お兄ちゃんってば、何で言わないのよ! 彼女いるんじゃない」
エルザは、あの矢文についていた地図を頼りに、エルマーを追いかけて、廃墟までやってきていた。
「だって、お約束では、人質にされた女の子って、色々大変なことになってるものじゃない? 着替えとか、色々持ってく必要があると思うのよね。もう、気が利かないんだから!」
エルザは、お約束に必要なグッズを色々取り揃えて、エルマーの後を追ってきていた。
そして、この廃墟にたどり着く。
剣戟が鳴り響く。
ドアの隙間からそっと覗くと、兄と、もうひとつの人影が、剣を切り結んでいるのが見えた。
が、剣の戦いを見たのは初めてで、兄が強いのかどうかは、エルザにはいまいちわからなかった。
兄が勝てるとは思えないので、やられる前に、人質だけでも助けて逃げないと。
「人質の彼女はどこかしら?」
見回すと、金髪碧眼の超かっこいい近衛騎士様がいた!
でも結構ボロボロだ。
あれ? 男の人?
でも、女って……。
「もしかして……」
エルザの頭の中は、エルマーが知ったら大憤慨しそうな結論に結びついてしまった。
気づかれないように、そっと、騎士様の方へ行く。
騎士様は、兄の戦いに注目してこちらに気づかない。
熱のこもった視線に、エルザは、やっぱり、と確信を深める。
兄がなかなか彼女を連れてこなかったのはこういうわけだったのだ。普通は、近衛騎士というだけでより取り見取りでかなりもてるはずなのに。
出世しすぎた兄が、忙しすぎてそんな暇すらなかったとは全く思わなかった。
わ、私は、そういうの、ふつうの子より、理解があると思うわ!
でも、こんな王子様みたいな人が、兄の何に惹かれたのか今一つわからないけど。
兄に視線を向けると、戦っている相手の男と目が合ってしまった。浅黒い肌の南国人だ。にやり、と笑うその笑いに背筋が凍る。
エルザが視線を逸らす前にその男は、懐から筒のようなものを取り出し口に当て、エルザに向けた。
風を切る音と共に、エルザに何かが迫る。
あれ、まずいんでは……
エルザが把握する前に、目の前が、白いものでおおわれた。
自分が抱きしめられて守られている、と気づいたのは、その白いものが、床にずるずると崩れ落ちてからだった。
「き、騎士様!」
騎士様はエルザをかばってくれたのだ。そして、その肩には、矢が刺さっていた。
苦し気に顔をしかめるその姿にドキリとする。
「お、お兄ちゃん、騎士様が!」
「おまえー!!」
「毒だよー。早く解毒剤飲ませないと、やばいかもっ……て、おいっちょっ!!」
兄の怒りの声が聞こえ、ガンガンガンっと剣戟の音がして、矢を放った男は即座に床に引き倒されていた。
「解毒剤を出せ!」
「なんだよ、ばかみてーにつえーじゃん、反則だろ。ほらよ。この毒、口から入った分には無害だから、吸い出してやった方が早く治るよー」
男は、剣を突きつけられ仰向けに転がったまま、エルマーに小袋を渡してきた。
「……今は、余裕がないから捕まえないが、お前、そんなに戦いたいんなら、影の騎士団へ入れ。それなら、好きなだけ相手してやる」
次の瞬間には、男の姿は消えていた。
エルマーは、騎士とエルザの方へ走ってきた。
騎士様は、脂汗を流してつらそうだ。
「お兄ちゃん、騎士様がかばってくれたの!」
「全く無茶して……妹をたすけてくれてありがとうございます」
「妹さん、だったんだ……じゃ、貸し借りなしね」
苦しげな顔で、微笑む騎士様の表情に、エルザは、また胸を撃ち抜かれてしまった。
その後、エルマーは、矢を抜き、騎士様のボタンを外し、一瞬ためらうと肩だけをだした。
そして、抱きしめるように抱えると、その肩の傷に口づけた。
毒を吸っては吐き出す兄の姿と、吸われるたびにうめき声をあげる騎士様。
その姿に、エルザは見てはいけないものを見てしまったような気がして口を押えた。
た、耽美……。
「お兄ちゃん、エルザは、理解がある妹です」
「はあ? ああ、助かるよ?」
気を失ってしまった騎士様をお姫様抱っこして抱える兄と一緒に、家へ帰る途中、エルザは、そう声をかけた。
◇◇◇◇◇◇
「き、騎士様。お加減はいかがですか? お水をどうぞ」
毒を受けたミケーネは、エルマーの実家のベッドを占領し、かいがいしいエルザの看護を受けていた。
エルマーは、そんな妹の様子を部屋の壁にもたれながら見守っている。
妹は、命を救われたミケーネに、端的に言ってメロメロだ。
ひょっとしてうちの家系は、あの顔に弱いのだろうか?
「妹ちゃん? ああ、助かるよ。ありがとう」
そして、ミケーネは、あの腹黒王子そっくりの王子様スマイルだ。
そりゃー、国民全員を虜にする王子様ですからね。マネするには最高の素材でしょうよ。
なぜか面白くない。
「エルザ、お前外に出てろ」
「はっ、お兄ちゃん、気が利かなくてごめんなさい!」
エルザが出ていくと、ベッドで体を起こしたミケーネは、途端に表情を崩す。
「ねえ、エルマー、妹ちゃん可愛いわねー。あんたに似なくてよかったわー。ほんと」
「何やってんすか、もう。王子の真似なんかして」
「あー、サービス?」
いつもの口調で話し出すミケーネに、エルマーは、やっと、落ち着きを取り戻した。
「今回は、正直寿命が縮みました」
「簡単に捕まったりして悪かったわ。また借りを作っちゃったし……ありがとう」
「今回の件ではっきりわかりました。俺、あなたに傷ついて欲しくないっす。あなたに何かあったらと思うと……今回はかなりきつかったっす」
「あっ、えっと、じゃあ、訓練付き合ってくれる?」
「いい加減にしてください。そういう意味じゃないの分かってるんでしょ?」
この期に及んでも必死にごまかそうとしているミケーネはうろたえてあっちこっち
きょろきょろし始める。
もう、逃がすつもりはない。
「もう、このまま一緒に暮らします。怪我が治るまで、フォローが必要でしょう」
「え? だって、それは……」
「責任、とりますから」
エルマーは、ベッドに腰を下ろすと、そのままミケーネの手を握った。
そのまま体を寄せて、真っ赤な顔をしたミケーネの耳元に顔を近づける。
「俺、あなたが好きです。このままここにいてください」
「「「きゃーっ」」」
途端に、扉の奥から覗いていた声に、二人は固まる。
エルザと近所の友人たちだ。
「愛ね、近衛騎士の禁断の愛!? お約束ね!」
「あの、お、お姉さまとお呼びした方がよいのかしら、それとも、お兄様かしら? あの、私、そういうの、理解がある方なので、大丈夫ですから!」
「私、絶対応援します!」
なんだか不穏な単語が混じっている。
エルマーはため息をついて、再び、ミケーネの耳元でささやいた。
「怪我が治ったら、覚悟しといてくださいね」
まずは妹の誤解をとくことから始めなければならない。
後日、とりあえず、ミケーネを満足いくまで着飾らせることを心に決めたエルマーだった。
婚約破棄間近の婚約者が、記憶をなくしました 瀬里 @seri_665
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