第28話 マレへ発つ


「ふー。案外あっけなかったわね」

「うー。…っご。ふごっ」

 王太子の寝室、天蓋つきの豪奢なベッドの上で、縛られた上に猿ぐつわをかまされて転がされている姿は、王太子ザイドだ。

 夜伽のために誘い出された寝室で二人きりになると、ミケーネは、王太子をさっさと縛り上げてしまった。部屋の外の護衛に気づかれるまでもない。暗殺者としての訓練を積んできたミケーネにとって、息をするほどに簡単な作業だ。


 ミケーネの役割は、ここで王太子を拘束・確保すること。

 今は、エルマーとナシールが王宮のどこかに軟禁されている王を保護するまでの連絡待ちだ。

 うまくいかなかった場合は、王太子を人質に逃げる、立てこもるなどの代案もルークに指示されている。


 ふと、人の動く気配に顔をあげる。

 隣室。隣にある王太子執務室からだ。


 王の確保が終わったら、ルークとナシール、その側近が、この部屋の調査に入ることになっている。西部の油田地帯割譲の密約を破棄するためだ。

 しかし、それ以外にもこの王太子は後ろ暗いことを数多く行っているに違いない。察しのよいものが証拠品などの隠滅に訪れたのかもしれない。ミケーネは、この作戦に加わる諸侯が一枚岩などと信じてはいない。自分の母国だが、そんな清廉なものばかりなら、ここまでザイドの悪行を野放しにできたはずがないのだ。

 折角この国の膿を一掃できるチャンスだ。証拠隠滅でもされたらたまらない。


 ミケーネは、なじんだナイフを構えると執務室の扉に近寄った。

 耳を扉に当てる。

 ……音がしない。

「!!」

 慌てて扉から飛び退ると、勢いよく扉が開かれ、飛び出した人影が横凪ぎに剣を振るった。

 ミケーネは頭をそらし、ぎりぎりでそれを避けるとさらに一歩距離をとった。


「へえ、やるじゃん。って思ったら、なんだー。やっぱりリマじゃん。こないだ街で見かけたときは、こぎれいにしてたから誰かと思ったけど、やっぱり戻ってきてたんだー」


 ミケーネは頭の中で悪態をつく。

 リマは、ミケーネの暗殺者組織での呼び名だ。

 この街に来たばかりのころ、視線を感じたが、やはりこいつだったか。

 黒髪に黒目、浅黒い肌のクロヒョウを思わせる体つきをしたキーラン人のこの男は、元ミケーネが所属していた暗殺者組織の雇われ暗殺者。ユノ。ミケーネの元同僚だ。


 腕が立つ上に、金さえもらえば何でもやる。困ったことに、殺し合いを楽しむ男だ。

 最悪だ。戦いになったら勝てる気がしない。

 ミケーネはナイフを構えて一歩下がった。


「あんた、何でここにいるの? 何の仕事? 私、邪魔するつもりはないよ」


「んー? 仕事じゃないんだよねー。雇い主が金払わなくってさ。取り立てに来ただけ。お宝かっさらって帰るよ」


 ミケーネはほっとした。王太子の暗殺が仕事だったら、殺り合わなくてはならないところだった。

 

「でもさー、その前に裏切者に制裁を与えるべきだよね。裏切り者は粛清されないと裏社会の規律が保てないからさー」

 目の前の男はにやりと口の端をあげる。

 ぞくり、と悪寒が背を駆け上る。


 まずい。


「ほんとはお前とやりあってみたかったんだよね。お前、そんなに強くないのに、勘がいいのかやたらよけるじゃん? どこまで逃げられるのか、試してみたかったんだよね」

 追いつめるのも楽しいし、そういうと、ミケーネに有無を言わさず切りかかってきた。


 まずいまずい!


 ミケーネは手早く計算する。この室内でやりあってもミケーネではすぐに殺される。さらに、廊下の護衛が王太子を発見して騒ぐ恐れがある。室外へ逃げ、さらに廊下の護衛を黙らせる必要がある。


 ミケーネは、廊下への扉に走り寄る。


「お助けください! 曲者が!」

 ナイフをしまって飛び出し、護衛に縋るように助けを求める。

 護衛は、先ほどのたおやかな舞姫姿のミケーネの印象が強かったらしく、ミケーネを背にかばい、扉の中へ向き合った。

 ミケーネは、即座に廊下を走り逃げに入る。

「くせも……」

 走るミケーネの背後で二人の護衛の声は、最後まで発されることもなく、消えた。おそらくユノが始末したんだろう。


 全速力で走り角を二つ折れたところで、再び、ぞくり、と寒気がした。

 「やってくれんじゃん」

 すぐそばから声がして剣が振るわれる。

 とっさにナイフを両手で支えて受けたが、体ごと吹き飛ばされた。

 ミケーネは、壁にたたきつけられた体をすぐに起こし、ナイフを構える。

 ずくずくと痛む左肩は無視する。

 ユノは、剣をミケーネに向けて薙ぎ払う。

 一合。

 二合。

 五合目で、ナイフの刃が根元から折れた。

「なんだよー。なまったんじゃないの?つまんねー」


 首をつかまれて壁に押し付けられる。


「いい気になるからだよ。スラムのドブネズミ。ごみ駄目のくそは、表面をいくら取り繕っても、這い上がれないんだよ。おきれいな騎士様にだって、どうせ使い捨てられてるだけだ」


「う、うるさいうるさいうるさい」

 それは思いの他、ミケーネの心をえぐった。


「まあ、捨てられるも何もないか、俺がやっちゃうからー」


 剣が降り上げられ、やられる、と思ったその瞬間、ユノが吹き飛んだ。

 遅れてそれが剣圧だったのだと気づく。


「ふー。間に合ったっす」


 気の抜けたその声に、安堵のあまり涙がにじんでしまった。

 エルマーの目はいつもよりちょっと開かれていて、その時初めて、彼の瞳の色が自分と同じ青なのだと気づいた。


 そして、その後の勝負はあっけなくついた。

 エルマーの繰り出す剣は、力も速さも段違いでほとんど打ち合いとなることもなく、ユノは、3回吹っ飛ばされたところで、剣をしまって両手を上にあげた。


「こうさーん。なんだよお前、ちょーつえーじゃん」

「まあ、それしかとりえないっすから」 

「しょうがないから、金は他から取り立てすることにするよー。俺さー、お前気に入っちゃった。また遊んでよ」

「えー?嬉しくないんすけど」

 じゃー、と声をかけると、ユノは姿を消してしまった。

 

 床に座り込んでいるミケーネをエルマーがにやにやしながら見下ろしてくる。


「お礼を言ってくれてもいいんすよ」


 そんなエルマーの物言いに、ミケーネは、さっと頬に朱が昇るのを感じる。

 エルマーがこんなに強かったなんて知らなかった。

 意外と強くて頼りになる、なんて、思ってしまったことは絶対に言わない。

 この心臓の音がドキドキと早鐘を打っていることも絶対に言わない。

 だから。


「助けてくれなんて言ってないんだからね!」


「はー、お約束っすねー」



  ◇◇◇◇◇◇



 王が軟禁されている場所は、王宮の奥、窓のない3階の部屋だった。

「兄上! お待たせしました! ナシールです」

 エルマーと共に入り口の護衛を倒し、部屋に踏み込んだナシールは、久しぶりの兄の姿に跪く。

 年を取ったが、穏やかなその表情に安堵する。

 椅子に腰かけていた王は、立ち上がり、ナシールの元まで歩いてきた。歩みはゆっくりだが、ふらつくこともない。肩に手を置かれて安心したナシールだが、兄はいつまでたっても言葉を発さない。

「兄上?」

 見上げたナシールに対し、王は、喉に手を当てて首を振った。

 王は、声を奪われていた。


 王は、机上より1枚の羊皮紙をとり、ナシールへ渡した。


 ナシールはそれを受け取って中身に目を通すと、額にそれを押し頂き、震える声で答えた。


「承りました」



  ◇◇◇◇◇◇


 

 キーランの皇宮は、王の救出と同時に、王宮の周りに配置された諸侯の手勢によって、速やかに制圧された。

 王太子と、政権をいいように扱っていたその腹心は捕らえられた。

 王は、書面によって、王弟ナシールへの王権の移譲を宣言し、それは軍の司令官と、その場に集まった大臣によって、速やかに承認された。


 玉座より、ナシールが号令を出す。


「キーラン王幽閉、王太子ザイドへの謀反教唆、内政干渉の咎で、マレ軍部の将軍ジャマールをうつ。なお、この作戦は、マレの皇家よりの要請、ケイリッヒ王国よりの要請をうけての、3か国の合同作戦だ。今後の我が国の国際的な立場を確立する上での重要な作戦だと思ってもらいたい」


「準備ができ次第、速やかにマレへ発つ」



  ◇◇◇◇◇◇



 キーランの王宮より、ルークは、ハトを放つ。

 ケイリッヒ軍への出動要請だ。

 国王とは、何度かやり取りをした末、キーランを動かせれば、軍を派遣するとの確約を得ていた。

 国を黙って出たことは大層叱られたが、それは、飼い猫を国に連れ帰った後に、甘んじて受けよう。



 待っていて。

 すぐに迎えに行くから。


 ――僕の『黒猫』


 

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