第27話 キーランの舞姫


 時はさかのぼる。


「久しぶりだ。健勝そうで何よりだ。ナシール」

「ええ、研究所に在籍中はお世話になりましたね、ルーク」


 王都の繁華街より、入り組んだ細い路地を奥に入った先にその古びた家屋はあった。家屋の出入口は数か所あり、そのいずれの先も入り組んだ路地につながっている。後ろ暗いものが密談を行うに最適な建物といってよい。

 ジジっと音を立てる、質の悪いランプが灯す薄明かりの下で、その会談は行われていた。


 簡素なテーブルと椅子しかない部屋の中で、親し気な挨拶を交わすと、二人は席に着く。


 エルマーとミケーネはルークの背後に立った。ナシールの背後には、彼の側近と思しき若者が立っていて、わずかに顔をあげ、エルマーとミケーネの方を見た。


「王立研究所での君の為した成果は素晴らしかった。あんな形で留学が終わってしまったのは非常に残念だった。母君のことは……、ご冥福をお祈りする」

「ええ、私も、残念でした。母のことも、ありがとうございます。でも、できのよすぎる弟との交流がこんな形で続くとは、思っていませんでした」

 ナシールは、穏やかな笑みを浮かべる。特に秀でたところのない容姿だが、不思議と人を引き付ける独特の雰囲気をもった青年だった。


 彼は数年前まで、ケイリッヒの王立研究所で油にかかわる研究をしていた。そこでルークと出会ったのである。

 一回りも違う年下の少年は、驚くべき発想で、当時ナシールのグループが突き当たっていた油の精製に関する課題を解決したのだ。

 年下の利発な少年は、その後も難題を持ち込んでは解決し、そして多大な予算を勝ち取ってきた。

 一緒に研究を行うパトロンであり同士である彼が王太子であると、ナシールが気づいたのは、だいぶ遠慮のなくなる関係になってからだった。


 キーランの現王の年の離れた王弟であるナシールは、妾腹でもあることから、王位からは遠い。国外に出て研究で国に貢献しようとしていた。よって、キーラン国内の世情にもだいぶ疎かった。

 彼が研究に没頭している間に、国内では、廃嫡も危うかった放蕩者の王太子が王の急病のため、実権を握った。

 そしてその頃、ナシールの母が事故で亡くなり、彼は研究をあきらめ国に帰ることとなった。当時、キーランの王族には不審な事故が相次いでいたのだ。


「覚悟は、できたか?」

「ええ、手は尽くしましたが、王太子ザイドに改善は見込めません。私も命を狙われました。彼には何度危ないところを助けられたか。貴重な騎士をつけていただき感謝しています」

「役に立ったならよかった。大儀だったな、スヴェン」

 ナシールが背後の側近を振り返ると、彼は、ルークとナシールに向かって頭を下げた。


「諸侯の大多数の支持は取り付けました。私が、立ちます」

 穏やかな笑みで告げる一言は、謀反を告げるものだ。

「あとは、王宮にいる彼の腹心の者たちだけです。この国の軍は王権下にあります。王の指示なくば動きません。王太子が王権を使って軍を動かす前に、ザイドとその腹心を倒し、王を救出します。しかし、王太子は用心深く王宮へ入るのが至難の業です」

「ああ、そこで僕たちの出番だ」

 ルークは、振り返る。

「彼女が、マレの舞姫、皇女バステトの一番弟子、ミケーネ嬢だ」

 ミケーネは、目深にかぶったフードを取り払い、妖艶な微笑みを浮かべて見せた。



  ◇◇◇◇◇◇



 マレの隣国、キーラン王国王宮。


 王太子ザイドは、病床の王にかわり、実権を取り仕切っていた。

 色を好み、享楽をむさぼることを好む彼は、数年前廃嫡の危機を迎えたとき、隣国であるマレ皇国の将軍ジャマールより、ある密約を提案をされた。


 マレの軍部がザイドがキーランの実権を握ることを支援すること。

 その代わり、ザイドがマレの軍部に対し、金銭的な援助を行いクーデターを支援すること。

 事が成った暁には、マレの西部の油田地帯をキーランに割譲すること。


 廃嫡への焦りから、ザイドはその提案にすぐに飛びついた。

 その結果、ザイドは王を軟禁し、その周囲を粛清し王権を握ることに成功したのである。


 マレの軍部がクーデターを決行したので、あとはそれが成功するのを待つばかりだ。


 彼は元々世事に興味がなく愉楽に溺れる性質があり、執務に関しては腹心の部下たちにほぼ任せていた。

 王権を得た現在もそれは変わりない。

 日々、放蕩の限りを尽くす日々を過ごしている。

 そして、政務を行う彼の腹心の部下たちも私腹を肥やすことにのみ力を注ぐ者達であり、賢王と名高い現王の敷いた国としての礎は日々損なわれていた。

 キーランの民の王家への支持は日増しに落ち込んでいた。



 そんな王太子が最近興味があるのは、皇女バステトだった。


 彼は、美しいものに目がない。

 美術、芸術、文化に金を惜しまず投資し、手に入れてきた。

 これだけは、キーランで彼がなした功績であったといっても過言ではない。

 ただし、その過程で色を好む彼は美しいものに手をつけることは多々あった。


 彼は、数年前、マレの神事に招かれて舞姫の舞を見てから、この舞姫を手に入れたくて仕方なかった。神殿の舞姫として素性を秘されていた彼女は、国外に出せないという理由でキーランの王太子の招聘に従うことはなかった。

 しかし、のちに、それがバステト皇女だと知って歯噛みした。

 皇女だとわかって入れば逆に手に入れる方法はいくらでもあった。 

 正式に婚姻を申し込めばよかったのだ。当時、マレとキーランの関係はあまり良いものではなかった。当時であれば政略のために皇女は喜んで差し出されたに違いない。


 ケイリッヒに奪われる前に手に入れたかった。

 しかし、クーデターにより、マレの皇女としての価値がなくなれば、ケイリッヒは皇女を手放す可能性が高い。彼は、その時を待ち、皇女バステトを手に入れるためどう動くか、考えを巡らせている最中だった。


 彼もまた、マレの舞姫に心を奪われた一人だったのだ。


 そして、そんな中、ある貴族の館で、マレの舞姫の一番弟子が、舞を納めたという話を耳にした。

 本物が手に入るのはだいぶ先になるはずだ。それまでの慰めにちょうどいいと、彼はその舞姫を王宮に呼びつけた。


 見るだけで心震えるようなあの舞を再度目にしたくて。



  ◇◇◇◇◇◇



 キーランの王太子ザイドは、流された噂に面白いほどに食いついてきた。


「ミケーネの付き添いと、楽団員に扮してナシールと影の騎士団を潜り込ませる。王宮の周囲の買収した建物には、諸侯からの応援の騎士たちを配する。合図とともに踏み込めるように連携をとっておいて。あとは、キーラン軍の掌握だ」

「はい、キーラン軍は、王権によってしか動かされません。王を亡き者にせず幽閉しているのは、ザイドが正式に王権を引き継いでいないせいに違いありません。兄さえ助け出せば、軍は手出しができなくなります。兄がどんな状態で拘束されているのかはわかりませんが……」

「エルマー。君はナシールについて。王の身柄の確保がこの作戦の鍵だ」


「ミケーネ、君の役目は分かっているね」

「私は請け負った仕事はちゃんとこなすよ。あんたはいい雇い主だしね。ちゃんと条件は守ってくれてるみたいだし」

 ミケーネはここに来る前によった、自分が面倒をみているスラムの子供たちが想像以上によい環境に置かれていることに驚いた。金だけでなく、色々と便宜を図ってくれていたらしい。

 

「あの王太子を誑し込めばいいんだろう?私の舞で」


 ルークに捕らえられたミケーネが、生かされるために請け負った仕事、それがこれだった。




 王宮の演舞場で、ミケーネの舞は披露されることになった。

 キーランの演舞場は、ケイリッヒとは違い、床に座ることを前提としている。

 よって、舞台の周りに半円を描くように設置されていた観客席の床には絨毯が敷き詰められ、様々なクッションや座椅子などが置かれていた。床に座ったものからもよく見えるように、舞台の方が一段低い位置に設置されている。


 王太子ザイドは舞台正面の高さのある場所で、精巧な彫りを施した肘付きの座椅子に座り、舞台を見下ろしていた。

 ミケーネは、舞台の中心に立ち、礼を取りながら、顔だけを上げて王太子ザイドの顔を見つめた。数秒置いて、そして花が開いたような笑みを向ける。

 王太子ザイドの目が興味に見開かれるのを見て、ミケーネは、手首につけたシストラムをシャン、と鳴らした。



「いやー、ミケーネさん、落としにかかってますねー。ありゃすごいわー」

「余計なことを言ってないでさっさと行け」

 ルークに声を掛けられ、エルマーとナシールは、暗がりへ消えた。



 ミケーネが纏うのは、マレの舞い手の衣装だが、わざと露出が多く作り直されていた。胸と腰を覆うだけの布の上に、所々透けて見える領巾を体に巻き付け、踊りの合間に揺れる領巾から、白い体がちらちらと覗く。

 マレやキーラン人と比べ、ミケーネは、色白で胸と腰が豊かな体型をしており、その舞は、艶めいた女性らしさを多分に秘めたものだった。

 加えて、ケイリッヒ風の顔立ちに、紅とラインを効果的に施した化粧で妖艶な雰囲気を高めている。


 ミケーネは、バステトに教わった舞を忠実に再現する。

 腕を返し、領巾ひれが翻り、髪が流れる。

 体につけたシストルムをシャンと響かせるたびに、人々の目がミケーネの舞に吸い込まれていく。


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 「ミケーネは、誰に舞を捧げるのだ?」

 「うーん、捧げるとはちょっと違うけど、目的のために舞うわ」

 「目的?」

 「うん、大事な人達を助けるため」

 「そっか、じゃあ、これをやる」

 「これは?」

 「私のシストルムだ。女神さまにお願いしておいた。ミケーネが、目的を果たすために必要な時は、力を貸してくださいって」

 「もう、あんたったら、なんてかわいいの!ありがと!」

 じんときて、思わず皇女の頭をぐちゃぐちゃと掻きまわしてしまった。

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 形を再現したり、まねたりするのは完璧だ。自信がある。

 でも、どうしてもバステトの舞と同じにはならなかった。

 バステトの舞は、明らかに「違った」のだ。

 だから、今のミケーネの舞に皆がひきつけられ、目をそらせないのは、ミケーネだけの力ではない。バステトが、力を貸してくれているのだ。ミケーネは腕につけたシストルムに視線を落とす。

 マレへ向かった皇女。なんとなく妹分と認識していつしか身内として数えるようになってしまった少女。

 ミケーネの「大事な人達」には、いつしか彼女のことも含まれてしまっていた。



『美しい。舞姫ミケーネよ。褒美をとらせよう。今宵はこの王宮に滞在するがよい』

 王太子ザイドの声が会場に響く。


『ありがたきお言葉。仰せのままに』

 ミケーネは、紅を刷いた唇にゆっくりと笑みを含ませると、頭を下げて、礼をとった。





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