第26話 皇都陥落

 ジャマールは、皇都ハシュールを見捨て、続々と落ち延びてくる避難民が増えているにもかかわらず、なかなか落ちない皇都に苛立ちを募らせていた。


 兵糧攻めは、避難民の増加からも表向きはうまくいっているように見えている。

 しかし、ハシュールの中で暴動が起きたとの話も出ないし、近衛軍や警備隊の不和に関する話も出てこない。それどころか、皇女バステトが民の間を回り、舞を舞い、避難を促して回っているという。避難民は食糧難や皇族への不満から落ち延びて来たのではなく、皇族への感謝と敬意から落ち延びてくるのだ。


 バステト皇女の捕縛も、はじめの襲撃失敗の後は、足取りすらつかめず、舞の公演だけは、今もどこかで繰り返されている。


 しかし、もう何度目かになる幕僚会議が行われる直前、ジャマールは、を得て、再び自分に機があることを悟った。



  ◇◇◇◇◇◇



『ハシュールには、山岳地帯からの抜け道があることが分かりました。どうやら、そこから皇都に物資が運び込まれているようです』


 ジャマールの側近の発言に、幕僚たちからは驚きの声が上がる。

 幕僚たちの疑いの目がハサンに向かうのを待ち、ジャマールはハサンに告げた。


『どういうことかな?』

『残念ながら存じませんでした。確かに、それならば、皇都の民が飢えに苦しんでいない理由がわかります』

『ほう、知らなかったと?』

『申し訳ありません。私は、直系皇族ではありませんので』


 たんたんと動じる風もなく落ち着いて答えるハサンをジャマールはにらみつけると、声を荒げた。


『皇都からの避難民は、いまだ皇帝への信望を失っていないようだ。バステト皇女が皇都に現れたせいでな!時間の無駄どころか、かえってこちらが不利になりかねん!』

『兵糧攻めの作戦は失敗した。ハサン殿には、その責を負ってもらう。今後の幕僚会議での発言は控えてもらおう』 

 ハサンは、黙って礼をとってその言を受け入れた。失敗の責は、軍紀では降格と定められているが、軍でハサンは明確な役職を担っているわけではない。ジャマールの発言は妥当なものであり、その発言に従うしかない。


『すぐに開戦すべきだ』

『待つだけ無駄だ!』

 ジャマール寄りの派閥の幕僚から声があがる。


『抜け道があるとわかっているのならそこを制圧して兵糧攻めを継続した方が効果的では?』 

『すぐに見つけられるならな。あの山で抜け道を探すなど、至難の業だ。とらえたものは自害した』

 皇族派の諸侯の声が上がるが、即座に退けられる。


『それに、キーランより、が届いたのだ』

 ジャマールはこの会議の直前に届いた情報を開示した。

 もうジャマールを止める者はいなかった。



『行軍を開始する』


 ジャマールは席に着く幕僚の顔を見渡し、そう告げた。

 皇帝の玉座の座り心地に想像をめぐらせ、顔が緩むのを止められなかった。



 その日、軍部から、皇都ハシュールのマレ皇帝の元に、降伏勧告が届けられた。

 皇宮を軍部に明け渡し、皇帝の持つ政権の最高責任を軍の最高司令官へ移譲する要求が示されていた。


 定められた時間までに、回答なくば、ハシュールへの全面攻撃が開始される。



  ◇◇◇◇◇◇



『父上!』

『バステト』

 皇宮の一室で親子は久しぶりの再会を果たしていた。


『愚かな事をする。安全な場所にいればよいものを……』

 アブドゥル三世はそう告げたが、その言葉は優しい響きに満ちていた。

 バステトの目には、その姿は、最後に会った時からしわが増え、だいぶ年を取ってしまったように映った。


『いや、来てくれてありがとう。お前のおかげで、民の避難が進んだ。それに、お前の顔を見られて嬉しいよ。これが最後かもしれぬ』

 アブドゥル三世は、目を細めると首を振って言い直し、皇女の頭にそっと手をのせた。その言葉の言外の意味に、バステトは、顔を曇らせる。

『母上たちは無事ですか?』

『ああ、今は後宮で過ごしているよ。しかし、もうここはもたないだろう。カナートから山へとつながる抜け道がある。そこから落ち延びなさい。お前はもうケイリッヒの人間なのだから』

『父上。でも、まだ、ルークが……』

 アブドゥル三世は、ゆっくりと首を振った。

『間に合うかもしれない。だが、間に合わないかもしれないのだよ。お前には危険な目にあってほしくない。お前は、ケイリッヒへ戻りなさい。あの王子は、お前がどんな立場になろうと、お前を大事にしてくれるだろう』


 どんな立場になろうとも。

 それは、バステトがマレという後ろ盾をなくしても、そういう意味だ。


『私は、ルークを信じてます! ルークは必ず来ます!』

 皇帝は、ふっと息をついた。


『臣の皆は、降伏のタイミングを私に委ねてくれた。私は、血を流したくないのだ』

 バステトは、民を想う皇帝のやさしさが、その決断が、涙がでるくらいうれしかった。


『はい。私も、同じです。民の血は流したくないです。ですから、降伏はしましょう。でも、それは、時間を稼ぐために。民に血を流させないためにです。ルークは必ず来ます。だから、お約束ください。決して、自ら命を絶たないと……!』


 皇帝は微笑んだ。

『そうだな。そのぐらいはあがいてもよいかもしれん』


 バステトは、その言葉に、ほっとしたように笑みをこぼした。

 そして、目をつぶり、ゆっくりと深呼吸した。

 父の目を見つめる。


『では、父上、そのために私が舞うことをお許しください。私を降伏の使者に。皇都で争いはさせません。私の舞で人々を鎮めて見せます』


『何を言っている!? お前は、ケイリッヒへ戻るのだ!』


「ヴァルター」

 バステトの声に、黒髪の影の騎士が、音もなく皇帝の意識を刈り取り、くずおれる体を支えて、抱えあげた。

 バステトは、ヴァルターの腕の中で意識を失った父の髪を優しくなぜた。


「二人とも、私の我儘を聞いてくれてありがとう」

「何度も言いますけどね、姫様。危なくなったら、姫様だけをかっさらって、俺たちは逃げますからね」

 いつの間にか背後に立つヨナスは、あきれたように肩をすくめる。

 ああ、何度も聞いている。でも、お前たちは優秀だからな。それは、今ではない」

「ちぇー、褒め殺しかよ。あーあ、そろそろ危なくなってきたんだけどなー。まあ、俺とヴァルターがいれば、たいていどうにかなるけどね」

「どうにかする」

 いつもは無口なヴァルターまでもが応えたのに、バステトは、うれしくなって二人に笑いかけた。

「ん、期待してる」

 バステトは、二人の影の騎士を従えて、向かうべき戦場へ歩を進めた。



  ◇◇◇◇◇◇



 間もなく、軍より提示された刻限に迫ろうとしていた。

 ジャマール配下の軍部の兵たちは、突撃の号令を待ち受けている。


 軍部の兵たちは、皇都より西域の出身者が多い。西域は砂漠地帯が多く、集落はオアシスを中心に小規模に点在するぐらいだ。

 都会である皇都に対し、漠然とした憧れと、嫉妬、そして西域を卑下する気持ちを抱いているものが多いのだ。

 彼らは、皇都の隣の大都市であるミニヤに滞在し、そんな気持ちをより膨らませていた。

 この戦により、東部の富を手にいれ、そして、西域を見下してきた東部の者達に目に物を見せくれる。

 そんな逸る気持ちを抱えて、戦端が開かれるのを、待ち望んでいたのだ。


 彼らの背後には、隣国キーランより取り寄せた、が控えていた。



  ◇◇◇◇◇◇



 皇都内のハシュールの正門前には、近衛隊の隊長が立って、皇宮からの知らせを待っていた。

 刻限までに皇帝からの使者が来なければ、この無謀な戦いに命を懸けるよう、部下を命じなければならない。敵は、同じ国の、時に同僚として同じ釜の飯を食った仲間だった。

 そして、こちらの戦力は圧倒的なまでに少ない。

 城壁を利用し、射手を設置したりなどの対策をとったが、城壁は、自然の岩山を切り出して作ったもののため、非常に狭く、ほとんど数が配置できない。

 軍は、攻城兵器を持ちこんでいたようだった。

 ハシュールは正門を破られれば、後は利はない。数の問題だ。


 その時、皇宮より正門へとつながる大通りを疾駆してくる二人乗りの騎影があった。

 正門前で止まると、馬から身軽に飛び降りるのは、小柄な女性だった。


『皇女様!?』

『久しぶりだな隊長。皇帝より、降伏の受諾書を預かった。私が使者に立つ』

『しかし、危険です!』

 驚く近衛隊長に、大臣を脅して書かせた委任状を、ヨナスがかざす。

『全て承知の上で、私が預かった。わかるな?』


 定刻となり、門の外では、宣戦布告の口上が述べられ始めた。 


『開門は、まだするな。私の合図で行え!』


 バステトは、城壁に向かって走り出した。



  ◇◇◇◇◇◇



 その日、開戦の銅鑼が鳴り、攻城兵器の第一砲が、門を攻撃した。

 ドオオンという、腹に響く音とともに、逸る兵士たちから歓声が上がる。

 濛々と立つ煙の中、城壁の一部が崩れ、正門の片側がぐしゃりとひしゃげているのが徐々に見えてくる。

 天然の要害としてあれほどに名を馳せた皇都の門があっけなく瓦解するのを見て、兵士たちの興奮は高まる。

『おい、あれ』

 しかし、土煙が晴れてくるにつれ、歓声はざわめきに変わった。

『まさか…でも、あんな場所で』


 シャン、というシストルムの鈴を鳴らすような清涼な音が、戦場に響いた。


 吹きすさぶ風の音、騎馬の嘶き、人々のざわめき、踏み鳴らされる足音、武器の擦れ合う音。

 そんな中、聞こえるはずのないその音は、なぜか広大な戦場に響き渡った。


 皆がその音に惹かれるように目線を上げる。


 そこにいたのは、土煙の中城壁の上に立つ、錫杖型のシストルムと長い領巾ひれを風にはためかせた、神殿の舞姫だった。


 シャン、とシストルムが再び鳴り、戦場は静寂に満たされ――

 

 ――そして、舞姫の舞が始まった。


 城壁の上、足場の悪いそこは、本来舞など舞える場所ではない。

 しかし、高い城壁の上で、舞姫は舞う。

 長い領巾をなびかせて、重さを感じさせずに舞うその姿は、あまりにも非現実的で美しすぎて、戦場の兵士達は、心を奪われ呆然と見守ることしかできなかった。


 バステトが舞うのは浄めの舞。

 

 西域の男達は、神事の舞すら初めて見る者が多かった。

 舞姫の舞は神降ろしなのだと、言葉でしか知らなかった現実を、彼らは身をもって知った。

 神が降りるその舞に、戦に猛り、昂っていた心が、潮が引くように洗われていく。



 それは、マレの人々なら誰もが目にしたことがある神事の舞。

 穢れを払う、浄めの舞だった。

 身に宿る罪を浄め、祓い、祝福を授ける。

 街にいる舞手の誰もが踊ることのできる、見慣れた舞。


 身に宿る罪と業が深いものほど、その舞は深く響く。


 戦人いくさびとである彼らには、人を弑したことのあるものも多い。

 浄めの舞は、戦いに昂った戦人達にに、まるで劇薬のように染み込んでいった。



 心臓をつかまれ、圧倒され、引きずりおろされる。

 地に這いつくばり、赦しを乞いたいと誰もが望んだ。

 神をその身に降ろした舞姫に。


 あるものは跪き、あるものは涙を流し。

 

 戦士たちは、みな、次々と戦意を失っていった。



  ◇◇◇◇◇◇



 バステトは、城門の前へ歩み出る。

『私は、降伏の使者です。舞姫は、血を望みません。双方、武器をおきなさい』

 よく通るその声に、人々は武器を納める。

 バステトは、城門に向かい、右手を上げた。


 そして、正門が内から開けられる。


 無血開城。


 ――その日、皇都は落ち、バステト皇女は囚われた。

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