そして貴方に花束を②
「お前はやっぱり嘘つきだな」
地面にしゃがみ、クロスはぽつりと独りごちた。己の膝に頬杖をついた彼女が見つめているのは、大きなクレーターだ。一年の大半を雪に覆われるこの北の大地の例にもれず、その窪みもまた真っ白な色に彩られていた。
「あれからもう三年も経つのに、ちっとも音沙汰がないのは一体どういうことだ。薄情にもほどがあるとは思わないか?」
答える声はない。それもまた、当然だろう。
――世界終焉の始まりの大地
そう名付けられた最果ての北の地は、今やサザンダイズとソレア教が厳重に管理する禁域なのだから。衛兵や神官兵が何も言わずに通すのも、相手がクロスだからだ。
「リーンの奴は見事に国の乗っ取りを果たしたぞ。その分大変そうだが、あれだけの大口を叩いたんだ。そこそこうまいことやっているらしい。私の義弟だから、心配はしていないがな」
ゆるやかな傾斜を、クロスは話しながら降りていく。汚れ一つない雪面に、ただ彼女の足跡だけが点々と記される。
「ノアとエデンもこき使われているらしいぞ。この前、手紙で愚痴ってきたよ。何しろ悪逆非道の叛逆者を討伐した英雄王の右腕と左腕だ。彼らが望むと望まないとに関わらず、もう歴史から下りることは許されない。……そんなことは、とっくに覚悟の上だろうけどな」
茜色の空に黄金色の雲がゆったりと流れている。冬の日暮れは早い。じき、夜がやってくるだろう。
「ああ、船長も元気にしてる。ミーアともうまくやっているらしい。相変わらずの海相手の仕事みたいだが、聞く限り順風満帆のようだ。最近はミーアが操船の腕を上げたと言っていたよ」
すり鉢状の穴の底にたどり着いたクロスは、何もないそこに抱えていた花束を下ろした。
真っ白な雪から浮かびあがるように置かれた黒い花の群れ。懐かしい夜と闇の色。
「エルは――」
流れる雲が切れ、紅い斜陽が黒い花を染め上げた。
まるで相槌をうつようなタイミングで顔をのぞかせた太陽は赤く燃えている。その呪われた色彩にクロスは不機嫌そうに目を細めた。
「エルは法王になったぞ」
太陽は何も答えない。足元で微動だにしない黒い花もまたしかりだ。
己に言い聞かせるように、クロスはゆっくりと繰り返した。
「エルは法王になったよ。世界を憎みながら」
雲が再び太陽を包む。今日という世界が終ろうとしている。
「皮肉なものだと、笑っていたよ。この世で一番神を憎み、恨み、信じなくなった者が神の代行者になったのだから。でも、もうそれしか道はなかったんだな」
≪予言≫を宿した大罪人。その存在が消えた空白を埋めるため、世界は新たな歴史を欲した。
全てが終わり遺跡は崩壊。意識を失ったクロスとエルが次に目を覚ました時は、何もかもが終わった後だった。
神の落とし物。大いなる≪予言≫を利用し、魔神を復活せしめんとしたイストムーンと、前サザンダイズ王、そして法王。
この企みを阻止したのがリーンを筆頭とした新勢力と――。
「エルと私だそうだ。まったく、とんだ茶番だな」
唇を歪め、クロスは花弁に指を絡ませた。
「お前の役柄は、世界を崩壊させんとした魔神といったところか。北の大地を贄に捧げられ、人に喚ばわれ、人に御されるのを良しとしなかった冥界の主。≪予言≫の真なる主」
クロスとエルは、魔神を倒した勇者といったところか。
小さく息をつき、クロスは己の瞼にそっと手を触れた。
「そうして、エルは法王に。私はこんな姿になったというわけだ」
目を開いた彼女の瞳は、湖水色をしていなかった。そこにあったのは月のごとき白銀。
古き空の神々ではなく、新しき世の神々からの
世界最高の魔術師、そして世界を救う責務を負う者に捺されるという月の聖痕。
「民が求めた、世界が求めた、歴史が求めた、神が求めた。私達は善であり、お前は悪であると」
意識せずに力を込めていた拳を、クロスは思い切り大地へと叩きつけた。
冷たく柔らかい雪がパッと飛び散り、黒い花を濡らす。
「誰も……誰も、覚えていないんだ。お前のことを」
こらえきれず零した声が雪に吸われる。
「何で」
クロスの喉から擦れた声が漏れた。
もう何度もした問いだった。
もう何度も答えを出した問いだった。
――あの日、あの時、答えを出したはずの問いだった。
「何でお前はいないんだ」
風も空も雲も、何一つ変わらないはずなのに。
待つと決めたはずなのに。
あれから、誰にも言わなかったはずなのに。
口にすら出さなかったのに。
「何でお前は此処にいないんだ……!」
答える声は、相変わらず無い。
代わりに吹いたのは、一陣の風だった。
頬を撫で、伸びた髪を弄ぶ風に導かれるように振りむいたクロスの視界の端で、何かが動く。
本来なら動くものなど何もない。静寂だけの死んだ大地にくっきりと浮かび上がる、黒い人影。
目を疑った。
だが、よく確認しようと身体を捻ったクロスを出迎えたのは猛烈な突風だった。
「わっ……ぷ」
白い雪が巻き上がり、たちまち目がくらむ。
思わず腕を上げて顔を庇うこと数秒。しばらくすると、風はあっさりと止み、さっきまでの荒れようが嘘のように周囲は元の静けさを取り戻していた。
「一体なんだ……」
顔をしかめ、辺りを見回したクロスは気づく。
さっきまで確かに足元にあったはずの花束が綺麗さっぱりなくなっていることに。
いくら強いとはいえ、あれしきの風で花びらの一つも残さず攫われるはずはないのだが。
「……礼の一つくらい言えば良いだろうに。まったく」
小さく笑い、クロスは花が消えて行ったであろう空を見上げた。
日はもう暮れゆく直前で、夜色をした空の端には早くも星が控えめな輝きを灯していた。
「今度会う時は、直接渡してやる」
――彼女が、彼女とした約束。
それが果たされるのは、さらに十年近くの時を要する。
ずっとずっと先。聖痕伝説に詠われし黄金の風を纏う少年と、蒼き歌を紡ぐ少女が出会うその時まで。
この物語は終わらない。
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