最後の戦い①

『貴方を愛している』


 それは魂に刻まれた記憶。


『ずっとずっと。何十、何千、何万年経っても。何度世界が滅んでも。たとえ貴方が私を忘れても。私が貴方を忘れても。――何度だって、私は貴方を見つけてみせる』


 最期の瞬間まで『見つけてほしい』とは決して言わないひとだった。

 強くて、強くて――危ういほど脆いひとだった。

『約束なんていらないわ。……きっと、いつになるかわからないけれど。また会ってみせるから』




 ◆◇◆◇





 月神ライザネスが、憎悪の言葉をもって話を結ぶ。それを機に、クロスの頬を涙が一筋流れた。

 悲しいからではない。喜びからではない。

 それは、神代の記憶の奔流。彼女であって、彼女でない感情の渦が人であるクロスの器から自然と溢れ出した末のものだった。

 ≪だから。……さぁ、チャンスを上げましょう≫

 いつの間にか、月神の手にはあの剣があった。薄蒼く輝く刃。

 神殺しにして聖罰執行者の証。

 ≪今代の番人は、貴女の手で殺すのです≫

 示された先にはアッシュがいた。苦しそうに顔を歪め、仰向けに倒れている。その周囲を神々が囲み、クロスの方を感情の見えない目で見ていた。

 殺すのは簡単に見えた。

 差し出された剣をクロスは手に取る。冷たい柄を握りこみ、のろのろと歩を進める。

 見おろした顔はひどく苦しげで、身体は痛々しいほどにボロボロだった。

 そして、記憶と共に取り戻した彼女の『目』に映るその魂は擦り切れ、傷つき、消滅するのも時間の問題だった。

 いっそ殺してやった方が楽になれるだろうと思えるほどの惨状だった。生に繋ぎ止めることが残酷に思えてならなかった。

 どうしてここまでして彼は足掻くのだろう。己が死ぬとわかっているのに、残る人の世を憂うのだろう。


 その身に、魂に捺された哀れな『番人』としてのさががそうさせるのか。


 ≪貴女が人の器を捨て、神に戻るためには必要な儀式なのです。そうすれば、再び≪予言≫は我々の手に戻る。もう一度、私達は神としての力を取り戻せる。全てをやり直せる≫

 甘い睦言のように、耳元でライザネスが囁く。

 彼だけではない。ソレアも、イルファランも、キムリィズも。全ての瞳が、声なき声で彼女に『殺せ』と命じていた。

 一度だけ目を閉じる。

 覚悟を決め、クロスは剣を振り上げる。

 そして、その剣を突き立てる。

 ――己の肩を抱く月の神めがけて。


「……な」

「見くびるなよ」

 腕を抑え、驚愕に目を剥く男に向かってクロスは言い放つ。

 いつか、崩れ落ちた教会の前で言ったことと全く同じ言葉を。同じ表情で。

「私は命の恩人を殺すほどの恩知らずではない」

「命の……恩人?」

 理解できない、といった風な神々に向かってクロスは胸を張る。

「その通り。道に迷って、空腹と渇きで死にかけていた」

「な……は、何を言って。貴女は――?!」

「魂は同一かもしれない。生まれは違うかもしれない。だが、私は黄昏神カティアルではない。サザンダイズ王女のスノウでもない。私の名前はクロスマリア・レインベル」

 剣を突きつけ、クロスは唇の端を釣り上げる。ひどく華やかで、大胆な笑みだった。

 見る者全てを魅了する笑みでもって、彼女は断言する。

「世界最高の魔術師だ」


 剣を構えて牽制しながらも、クロスはジリジリと後ろに下がった。

 啖呵を切ったは良いが、実のところ剣の扱いに自信があるわけではない。さてどうするか、と考えていると足元から溜息が聞こえた。

 苦しさから出たものではない。明らかに、呆れの感情を――というか、その感情しか内包されていない溜息だった。

『まったく……あんたは本当に……最後の最後まで、逞しいな』

 いつも通りの嘆きと抗議に、クロスはふ、と唇を上げた。

「惚れたか?」

『何を今さら。俺は、ずっと昔からあんたに惚れっぱなしだ。でも、そうだな――』

 剣を持つクロスの手に、アッシュの手が重なった。

『これはあんたが持つものじゃない』

 ふらつきながらも立ち上がったアッシュに、蒼天神イルファランが顔をしかめた。

 ≪本当にしぶといわね……まだ立つなんて≫

『あんたらがそう作ったからな』

 しれっと答え、アッシュはふてぶてしい笑いを浮かべた。

『俺はしぶといぜ? 特に今回はな』

 剣を握る手に力を籠めたアッシュが、いまだ手を離せないでいるクロスに苦笑を向けた。

『俺もな、同じだよ。記憶はある。でも、俺が背中を預ける相手はカティアルじゃない。あんただ』

「当たり前だ。そんなこと、知ってる」

『なら、剣から手を離そうぜ? あんたが援護してくれないと勝てないだろ』

 ぐ、とクロスは唇を噛んだ。そんなことはわかっている。彼の方が何百倍もこの剣をうまく扱える。頭ではわかっているのに、身体が動かない。

「……今、この場で私は魔術を使えない」

『そんなことないだろ』

「え?」

 当然のように、アッシュは言った。

『魔術なんて、魔霊子に己の意思を反映させてるだけだ。でも、ここは神の泥であんたが形作った精神世界だぜ? 誰が一番強いと思ってんだ』

 ハッとクロスは目を見開く。神の依代としてすら使用できる理の泥。世界を作り変えることすら可能な万能の媒介物。

『なんで俺がまだ立てると思う? あんたがそう

 囁かれた声に、クロスは自然と手を離した。そして立つのは、アッシュの隣。

「そうまで言われては仕方ないな。良いだろう、いつも通りいくぞ」

『そうしてくれ。――俺は、最後まであんたと一緒にいたい。だから、手伝ってくれ』

「もちろん。嫌だと言っても強引に割って入るぞ、私は」

『そういや、ついてきた時もそんな感じだったなぁ。行きずりの他人って言ってんのに、あんた全っ然、これっぽちも聞かなかった』

 言われ、クロスも彼と押し問答をした廃屋の時のことを思い出した。あれから少ししか経っていないというのに、随分と遠くまで来たように感じる。

「後悔しているか?」

『いーや、全く』

 答え、アッシュは軽く笑った。

『あんたとなら、何だってできる気がする。――前世からの因縁を片づけることすら、簡単に思えるな』

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