番人の話

 肩にあるクロスの手を取り、顔を上げたアッシュは凍り付く。

 彼女の背後に一人の人物が立っていた。

 ≪ああ、愚かな妹≫

 地面まで流れ落ちる真っ黒な髪。それは、ありとあらゆる『黒』を凝縮した混沌とした闇色だった。静かに目を閉じた女性は、心底悲しそうに語る。

 ≪あなたは、また同じ過ちを犯すのね≫

 声に気づき、同じく背後を振り向こうとしたクロスも、アッシュと同じように顔を上げた時点で動きを止めた。

 彼女が凝視していたのは、アッシュの背後である。

 ≪作られた分際で、どこまで我らが同胞を侮辱すれば気が済むのだ。忌々しい番人が≫

 振り向いたアッシュは、自分達が四人の人物に囲まれていると気づく。

 背後にいる、燃える黄金きんの目を持つ偉丈夫。向かって右側にいる、煌めく蒼い瞳と長い髪を持つ幼女。月光を形にしたかのような白銀の髪とくすんだ黄金の瞳を持つ男。

「何だ、お前達は?」

 クロスが険しい目をして問いかける。共通点のない四人の男女の顔が、その瞬間だけ同じように歪んだ。

『――古の空神』

 苦々しげにアッシュが呟いた。緊張から一転、クロスは目を見開いて己を取り囲む者達を再び見回す。

『太陽神ソレア、蒼天の神イルファラン、夜神キムリィズ、月神ライザネス……一人足りないな』

 ≪口を慎め、汚らわしい泥人形が≫

 言ったのは太陽神ソレアと思しき燃える目の男だった。

 ≪左様。忘れたとは言わせませんよ、黄昏神カティアルがどうなったか。お前が何をしたかを……!≫

 ≪この世界でもあたし達を騙すなんて、相変わらず腹が立つわー! ずっと隠してたなんてねぇ……! やっぱりあんた死ぬべきよ!≫

 月神ライザネスと蒼天の神イルファランが、次々と断罪の言葉を紡ぐ。

 最後に残った闇の女神が、カッと目を見開いた。

 ≪今度こそと思っていたのに……! なぜ、どうして……また、お前の腕の中に我が妹がいるのです?!≫

「妹……?」

 茫然と、クロスは四柱の神々の言葉を聞く。信じがたいが、彼らの言葉が示すことは一つしかなかった。

「私が……黄昏神カティアルだと言いたいのか? あの裏切りの女神だと?」

 ≪言いたいのではない。そう言っているのだよ≫

 答えたのは太陽神ソレア。彼に寄りそうようにして、蒼天の神イルファランが、外見に反する妖艶さで笑う。

 ≪気にしなくて良いのよカティ。貴女、あたし達の中では一番幼かったし。珍しい玩具見たら、遊びたいものねぇ≫

 ≪たとえそれが、我々が捏ねて作った無様な泥人形であっても責めはしませんよ≫

 ≪そうそう、ライザの言う通り。キムはご立腹だけど、あたし達はちっとも怒ってなんかないんだから≫

 伴侶の腕に腕を絡めながら、幼き女神は紅唇を歪める。

 ≪だから、さっさとその出来損ないを処理して戻って来なさい≫

 クロスは一つ瞬きをする。そして、目の前に立つ美貌に問いかけた。

「……心底わけがわからないんだが。何でお前は、古代の神々にまで憎まれているんだ?」

『俺にもさっぱり。≪予言≫にある神の意思が、俺に語りかけてるだけかと思ってたんだが……どうも、事情が違うみたいだな』

 アッシュが答えた瞬間、腕を閃かせたのは夜神キムリィズだ。

 ≪痴れ事を!≫

 腕から迸った漆黒の衝撃波に吹き飛ばされ、アッシュは虚無の空間を転がった。

『ぐ……』

 ≪貴様が! その剣を持っているのが! 何よりの証だ! 人にも神にもなれぬ半端者が!≫

 一言ごとに込められた憎悪は、荒れ狂う力となりアッシュを刺し、潰し、穿ち、過剰と言うも生ぬるい暴虐の嵐と成る。

「やめ……」

 手を伸ばしたクロスの手を取ったのは、白い手だった。

 ≪妻の癇癪はいつものことだろう。……それより、貴女は本当に忘れてしまったのですか?≫

「何を……」

 月神の瞳が、悲しそうにクロスを見つめた。

 ≪わかりました。ならば、我が語りにて思い出すとよろしい≫

 謡うような、朗々とした声が響いた。



 ≪昔、昔――遥かな昔、神がいました≫


 それは、誰もが知っているお伽噺。

 そうして、誰もが忘れた原初の罪の話。

 赤と黒。罪と罰。

『彼』と『彼女』の話。



 ◆◇◆◇



 昔、昔。遥かな昔、神がいた。

 神は光を作り、大地を作り、自分らと同じ神を作り、そうして最後に人を作った。

 人は神とともによくあろうとした。それらは善き魂を持つものであり、彼らは神によく尽くした。

 神もまた、彼らが不自由なく暮らせるように様々な知識を与えた。


 それが、いけなかった。


 知恵を持った人は神を真似、叶うはずもないのに神になろうとした。

 人の魂は忌むべきものへと変化していた。


 だから、神々は番人を作った。


 器は人間と同じように神の泥を捏ねて作り、全ての神々の息吹を一息ずつ吹き入れて成形し、魂も神と同じものを入れた。

 何度生を終えても歪むことがないように。ただ神の意思に依って生きる完璧な『人間』を作った。

 神は番人に、万物を斬れる剣を持たせ、人界へと送った。

 番人は、神の望み通りたくさんの罪を処理した。

 神の住処へと伸ばした塔を両断し、神と同じように命を作ろうとした者の首を刎ね、太陽へと届かんと作られた翼を切り刻み、海を割った罪人を罰した。

 だが、人の世は平和にならなかった。

 やがて、人は争いを始める。互いの主張のために、幾多の血が流された。

 神は、番人に戦争を止めるように命じた。

 番人は、争いに参加していた人間を全て殺すことでこれに応えた。実に、世の半分以上の命が彼の手によって葬られた。


 番人は、この時から畏怖と嫌悪の対象として人の世に顕現した。


 この時になってくると、神々の中でも不和が生じていた。

 人間を滅ぼすべきとする神と、見守ろうとする神がいた。


 空が落ち、海は枯れ、森は死んだ。

 人の世は、心はさらに荒廃した。


 だから、番人は神を斬ることにした。


 悲しいことに、番人がただ一つ持っていた行動原理は『人を善く導く』。たったそれだけだったから。

 神の争いが人を悪くするなら、神を殺さねばならない。

 かくして、神に作られた泥人形は神に刃を向けた。

 番人の持つ剣は、万物を斬れるが故に神をも斬れた。

 当然ながら神は番人を殺した。

 けれど、不死なる魂を持つ番人は何度も人に転生し、その度に役目通り神に挑んだ。神によって刷り込まれた意志によって。

 数えきれない死と生を迎えた番人は、ある生の最期において一人の女神に殺された。

 彼女は神の中でも空の名を冠する者の一人、黄昏の女神だった。

 番人の死の直前、彼女は問うた。

『どうして貴方は何度死んでも私達に挑み続けるのか。誰も――貴方が愛する、貴方と同じ人間ですら貴方を忌み嫌うのに』

 それが使命だから、答えて番人は息絶えた。

 黄昏の女神は、番人を哀れに思った。だから、彼女は死の国めいふに行く番人の魂を己の居城に連れ帰り、少しだけ作り変えた。


 番人が人の心を持てるように。


 やがて、番人はまた生まれ落ちる。彼女は夜ごと人の世に降り、番人を育てた。

 番人はやがて成長し、剣を継ぎ、同じように神を殺すために人の世を旅立った。

 ただ一つ違ったのは、番人に人の心が芽生えていたことだった。

 番人は、己とずっと共にあった黄昏の神に恋情を抱いてしまっていた。

 黄昏の神も同じだった。

 彼女は、神を捨てて人として番人と共に神々を討伐することを選んだ。

 だが、元は神とはいえ人に墜ちた彼女が神に勝てるはずもない。



 ◆◇◆◇



 ≪覚えていますか? 番人を殺したのは私です≫


 不意に口調を改めた月の神がくすり、と唇を歪めた。

 ≪そうして、私が奪った彼の剣で我が妻は貴女を殺めました。しかし、貴女と妻は双子神。二つで一つの存在。片割れなくして存在することは出来ません≫

 その瞬間、クロスを見る月の神の目には確かに憎悪の光が宿った。

 ≪この後のことは、あなたもご存じでしょう? かくして、神話に記された双子神の憎悪と愛情の物語――『赤と黒の神話』は完成し、我々『空の神』の崩壊を招いた≫


 ゾッとするほど平坦な声が、神話の終わりを宣言する。


 ≪私達はね、戦いには勝った。けれど貴女に――いえ、貴女を狂わせた番人に殺されたも同然なんですよ≫

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