水面下に散る火花①


 型どおりの挨拶と牽制。

 そうした面倒な通過儀礼のあと、入った本題。第一声は穏やかなザインの言葉からだった。

 思い出しても全身の毛が逆立つような、おぞましい提案。

 その始まりの言葉。


「そういえば北大陸には、今どれだけの村が残っていますか?」

「どういう意味だ」


 ゆっくりと、リーンは口を開いた。ザインの問いが、何を意味しているのかわからなかったからだ。

 組んでいた指をほどき、ザインは人差し指を一本立てる。

「北大陸は厳しい土地。……ゆえに、ソレア教とは異なる女神を崇めていると聞きました」

 一見して何の関係もない話。だが、そんなザインの言葉に同調するように頷いたのはランヴァだ。

「ソレア教は太陽神ソレアを祀る多神教だが、かの地は昔より独自の女神信仰がさかんだったはずだ」

 その話はリーンも聞いたことがあった。ソレア教は中央大陸のみならず、東大陸や西大陸にも信者を持つ世界最大の宗教だが、例外がある。それが南方の小国や、北大陸の教えだ。

 かの地は厳しい気候ゆえにか、外との交流がほとんどない。独自の文化を築いている中でも、有名なのが女神を崇める一神教だ。

 そのため、ソレアの熱心な信者などは北大陸の出身だというだけで露骨に嫌な顔をする者もいるくらいである。

 ソレア教こそが絶対と信じる彼らにとっては、他の神など邪神と同じなのだろう。いっそ滅ぼしてしまえば良いと堂々と口にする者すらいる始末だ。

 そんな過激な考えの者が強大な権力を手にしていたら、もしかしたらこの世界には信仰の自由すらなくなっていたかもしれない。

 ――と、そこまで考えてリーンはゾッとした。とてつもなく嫌な考えが、頭に浮かんだのだ。


「これは、良い機会かもしれませんね」

 言ったのはシヴァだった。穏やかな顔と声だったが、聖杖を持つ手に微かに力が入ったのをリーンは見逃さなかった。

「偽りの神による教えは、以前から正すべきだと思っておりました」

「さすが、法王殿は話がお早い」

「しかし、お前が言うほど上手くいくのか?」

「不安がるな、遅かれ早かれ来るだろうと俺は踏んでいる。あれはそういう男だ」

 並ぶのは断片的な情報と言葉だけだ。だが、彼らが何を考えて何をしようとしているのか、リーンにははっきりとわかってしまった。

「まさか……異教弾圧という名目でもって、北大陸の人間を殺すつもりか? そしてそれを餌にして、あの男をおびき出すつもりなのか?」

 多分に説明的なのは己の考えを整理するためでもある。だが、自分で言ってもまだ信じられなかった。

「そんなこと」

「そのようなことは許しません」

 リーンより先に声をあげたのは、黙ってなりゆきを見守っていたミラだ。彼女は、ヴァーユでの会合の後も頻繁に顔を出していた。

 サザンダイズを牽制しながら、あくまでイストムーンの利のために協力する――本心を隠し、そう振る舞う彼女はリーンの目から見ても大したものだった。

「そのような、人の道に反する行為を許すわけにはいきません」

 卓を叩きかねない勢いで強く反対を口にする彼女に、ザインが軽く両手をあげた。

「まぁ落ち着いて下さい」

 卓の中央に置いてある水差しから水を注ぐと、彼はそれをミラの方へと滑らした。自らもまた、杯を呷ると口元だけの笑みを浮かべる。

 挑むようにザインを睨み付けていたミラだったが、気を落ち着かせるためか杯へと手を伸ばした。

 やがて空になった2つの杯が卓を叩く音が静かな空間に響く。

「リーン殿が言っていることが本当なら、我が国はこれ以上協力することは出来ません。確かにかの≪予言≫を手に入れるには必要かもしれんが、かような非道なこと――」


 朗々と紡がれていた声が不意に途切れた。


 ぐらりと小さな身体が傾ぐ。真っ黒な卓に、金糸のような髪が広がった。

「ミラ女王?!」

 驚愕の声をあげるリーンの前で、動揺の欠片すら見せずザインが空になった杯を取り上げる。

「良いことを教えてあげましょう、幼い女王陛下。他人から勧められたものは容易に口にすべきではありませんよ」

「気づかんとでも思っていたか。何もわからぬ子供が賢しげに口を出しおって。――しょせんお前など、ただの飾りものに過ぎんというのに」

 ザインだけではない。同じイストムーンの将軍であるランヴァまでもが、苦々しそうに言って彼女の髪をぐいと掴み上げた。

「お亡くなりになられたのですか? 祝詞の1つくらいならば上げて差し上げますよ」

「いいえ、少し眠らせただけです。彼女にはまだ利用価値がありますからね」

「イストムーンの兵を動かすために、な。さすがにここで儂が指揮を執るわけにはいかん」

 相変わらず穏やかな表情を崩さない法王。ザインもキールも、予定調和の流れを見守るような余裕がある。

「――どういうことだ?」

 低い声で問いただすリーンに、3人の顔が向けられた。その唇には冷笑にも似た、酷薄な笑みが貼り付けられている。

「それはこちらの言葉ですよ、リーン殿下。アゴラでの生活はどうでした?」

 ことさらゆっくりとザインは言葉を紡ぐ。

「そこで誰と会いました?」

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