再びの来訪


 男は答えず、寝台に腰かけるアッシュの髪を無造作に鷲掴んだ。乱暴に上向かせ、覗きこむ様子は学者が検体を観察するそれだ。

「貴様っ……!」

 相変わらずの傍若無人ぶりに、思わず声を荒げたエルの前で男は「ふーん」と気の抜けた声をあげる。

「まだ大丈夫みたいやね。ああ、もう目は見えへんのやっけ?」

「一応。でもまぁ、どういう状態かくらいはわかるぞ」

「せやろね。そうやないと、あいつらかて困るもん」

 頷き、やはり唐突に男はアッシュの頭を放す。糸の切れた操り人形の如く首を落とす彼は、果たして今の自分の状態はわかっているのだろうか。

「あいつら、というのは≪予言≫に宿る神の意思のことか?」

 怒りを押し殺し、クロスは男に問いかける。男は彼女の胸の内を察しているはずだが、ちらとも動じない。相も変わらぬ不気味なニヤケ面でもって肯定した。

「そうやよ。――あそこ……ほら、ええと、どこやったっけ?」

「ヴァーユです」

 従者然とした紅色の男が、呆れの感情をありありと声にのせて答えた。

「そう、ヴァーユ。そこで言ったやろ? この封印が解かれんのは困るって。なんでって、この世界が終わってまうからですー。何で困るかっていうと、世界1つ終わると色々自分らも後始末とか責任の所在とか、黒-いお腹の探り合いとかせないかんくて面倒だからです」

 どこまでも緊張感のないヘラヘラ笑いを浮かべ、男は無駄に長い両手をおどけるように天に向けた。もしかしたら、この男はわざと自分達の神経を逆なでしているのではないだろうか。

 そんな感情を持ったのはきっとクロスだけではなかろう。彼女の隣に立つエルも、そのさらに隣に立つフィリアも不快感を隠そうともせずに男を睨み付ける。

 アッシュの方も、眉間に皺を寄せて「それで?」と先を促した。怒っているというより、うんざりしていると言った方が良い表情だ。

「あんたの話はいつも回りくどい」

「そんな冷たいこと言わんといてーな。自分とあんたの仲やん?」

「どんな仲だよ。お前、この前俺の内臓踏みつぶしただろうが」

「えー、もしかして怒ってんの?――ま、それはともかく」

 沸騰寸前の部屋の空気を察したのか、単に言葉遊びに飽いたのか。男は唐突に顔から笑いを引っ込める。そうすると、不意に彼の不気味な恰好が強調されて一行の胸に不安を掻きたてるのだった。


「≪予言≫に宿る神々の意思が目覚め始めた。もう、止まることはない」


 残酷な事実を告げるその口調は、まるで神託をつげる預言者のそれだ。いつものふざけた口調はナリを潜め、男はゆっくりと口角を吊り上げる。

「その身は人から乖離し、世界を滅する神の言葉へと成り果てる。肉体は朽ち、言葉すら失い。――いずれ、人の心もなくす」

 やがて来るであろう陰惨な未来を、男はむしろ愉しそうに話した。実際、彼らにとっては世界が1つ滅んだところで『面倒』というだけの事象に過ぎないのだろう。

 そこで生きる1人の青年の行く末など、もっての他だ。

 だが、遊戯盤の駒を見下ろすがごとく不遜な態度が面白いはずもない。ざわり、と部屋の雰囲気が不穏なものになる。

 中心にいるのはもっぱら魔術師と神官の青年、傀儡の少女であり、当の青年本人は顔色1つ変えなかった。

 その落ち着き払った態度に、冥府の男はひっそりと胸中で一人ごちる。


 ――あるいは、もう彼の心は朽ちていっているのかもしれぬ、と。


 元より己ごと≪予言≫を殺さんと世界に牙を剥いた者だ。覚悟はとっくの昔に決めていたのだろう。

 すすんで死を望む彼は、何も知らぬ者が見れば『捨て鉢になっている』と言うかもしれない。もしくは、お伽噺の英雄なら『諦めなければきっと道は開ける』とでも言うのかもしれぬ。


 だが、男の眼前で紡がれている話は少々わけが違う。


 この青年は別に自暴自棄になっているわけでもないし、悲嘆しているわけでもない。

 そもそも、簡単に諦めるようならば彼は早々にサザンダイズに己の心臓を差し出して安寧の死を選んでいただろう。


 既に道は開けていて、彼は己の意思でもってその結末を選び取ろうとしている。

 悲劇の英雄と言ってしまうには少々気が引けるような、高額の罪人になることも厭わないほどに。


 今も。

 五感が潰え、刻々と死の秒読みでもって心を削られる青年は笑みすらもって男を促す。


「で、あんたはそんなことをわざわざ言うためだけに来たのか?」

(――ああ、だから嫌なんや)


 道化た態度や乱暴な扱いに、怒ったり憎んだりしてくれるならばまだ楽なのに。

 そもそも、あの遺物は世界層に現れてはいけないものだった。

(原因を作ったのは自分らなんやで?)

 苦々しい思いとは裏腹に、男の性格もまた悠久の時でもって歪にひねくれていた。

 らしくない思考を切り替え、すみやかに人を虚仮こけにする道化師の仮面を被る。


「そんなわけあらへんやん。ここまで捕まらんと、よく頑張りました~ってことで」

 ニタリ、と死神の嗤いでもって男は指を立てる。

「ご褒美に、かの地で死ぬるための準備なんかをサクッと説明しますんで。よろしゅう聞いたってや」

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