暗示

「クロスさん?!」

 再び意識を失ったクロスを抱き起したエルは、厳しい顔をザインに向けた。

「何をしたんですか?」

「別に。ちょっとした暗示のようなものですよ。心配は不要です」

 ザインが指を鳴らすと、固く閉ざされていた扉が開かれた。そこから現れた兵達が、クロスからエルを引き離す。

 屈強な兵達に囲まれ、槍に阻まれ、エルは半ば無理矢理廊下へと追いやられた。後からゆったりと退出してきたザインに、再度エルは詰問する。

「クロスさんに、アッシュさんを殺させるつもりですか?」

「殺すかどうか。それは彼女の意思次第じゃないですかね」

 飄々と言ったザインに、エルは蔑んだような目を向ける。おせじにも好意的とは言えない視線にも動じず、ザインは「何か?」と首を傾げた。

「無理だと思いますよ」

「それはあなたが決めることじゃないでしょう?」

「そうでしょうか。彼女の自由意志に任せると。あくまであなたがそう言い張るのなら、彼女はアッシュさんを殺しません」

 やけに強い反発に、ようやくザインは身体ごとエルに向き直る。

 軍靴が床を打つカツ、という高い音が廊下に響いた。

「随分と食い下がりますね。そういえば、貴方はあの2人としばらく行動を共にしていたんでしたか」

「だから、私を選んだのではないですか?」

 何を今さら、と言わんばかりに顔をしかめるエルにザインは「いいえ」と答えた。

「確かに貴方に真実を話したのはそれも1つではありますが」

 今、ソレア教の内部で真実を――これは神の託宣などではなく、人の手によってもたらされたものだということを知るのは、法王とエルだけだ。

「最初の招集時に騒がなかったのは良い判断です。そうでなければ、貴方を殺さないといけないところでしたから」

 何のうしろめたさもなくザインは言った。相手を威圧するわけでも、脅すわけでもない。

 真に命を奪うことに慣れた者は、きっと処理の1つとして片づけてしまえるのだろう。

「いっそのこと、騒げば良かったと今は後悔してます」

 悔しそうに吐き捨てるエルに、ザインは片眉を上げた。

「おや、貴方は自殺願望がある?」

「そんなわけないだろう!」

 怒りのため思わず壁を殴るが、目の前の男は顔色1つ変えない。

 悔しさ、怒り、情けなさ。様々な感情が溢れ出しそうになり、エルは肩で大きく息をした。

「なぜ、救われた命であの人達に矢を向けねばならない…!」

 静かに激昂する彼の肩にザインは手を置いた。

「期待していますよ。『聖弓の射手』殿。ご家族のためにも、妙なことは考えないことをお勧めします」

 置かれた手を払いのけ、エルは凄まじい怒気を宿した目でザインを睨みつける。

「わかっています。その代り、約束ですよ――弟達には、決して手を出さないでください」

「ええ、約束しますよ」

 踵を返したザインだったが、廊下の隅で待機していた黒服の集団の前で立ち止まった。

 そのうちの1人を呼び、再びエルの方に向き直る。

「私の部下を1人つけましょう」

 連れてこられたのは、黒いローブに身を包んだ小柄な人物だった。

 フードの奥から覗く漆黒の瞳が瞬きもせずエルを見上げる。

「好きに使ってやって下さい。役には立つと思いますから。――では」

 言い置くと、今度こそ振り返らずに彼は黒衣の集団を引きつれて回廊の奥へと消えていく。

「≪予言≫の知識で作った操り人形か」

 クロスを抱えたランヴァも遅れて部屋から顔を出す。

「同じ顔をした奴らで争わせるのだからな。あの国は、本当に趣味が悪い」

 エルの隣に立つ影に目をやったランヴァが嗤った。

「お前の見張り役には、命令しか聞けない人形がぴったりだろうな」

「何てことを……!」

 侮蔑的な発言に思わずエルは声を荒げるが、隣に立つ当の本人は何も言わない。

 ただ、無機質な瞳でランヴァを見上げるだけだ。

「はっ、さすがに名高い神官様は慈悲深いことだな」

 対象的な2人を押しのけるようにし、ランヴァもまた廊下を去っていく。

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