灰の人形
「ふざけるなよ……」
ザインとランヴァ。去って行った2人の背中を睨み付けて毒づいたエルだったが、まるで置物のように動かない隣の人物に苛立たしそうに問いかける。
「名前は何というんですか?」
「名前……?」
返ってきたのはなぜか疑問形だった。
ローブの奥から出た声は、エルの予想に反して少女のものである。鈴を振るような美しい声はさらに続ける。
「それは私に聞いているのですか?」
「……貴女以外にいないでしょう」
脱力したエルの言葉に、少女は首を傾げる。
「私はあなたの監視のために側にいるのです。そこに名前が必要になってくるとは思えないのですが」
「いやいやそんなことは……ええと。例えばほら、はぐれた時とか困るじゃないですか」
「ご心配なく。そんな間抜けなことは致しません」
「しかし……」
尚も食い下がるエルに、少女は唐突に答えた。
「キニス」
美しいはずなのに、まったく感情のこもっていない声だった。
男のような名前だなと思いつつ、エルはとにかく打ち解けようと言葉を重ねる。
「き、綺麗な名前ですね」
少女はそれに何も言わず、被っていたフードを外した。
「あなたは………」
肩を流れる濃紺の髪。星を散りばめたように輝く黒い瞳。
人とは思えないほど整った顔立ち。
「この名前は私であり、私『達』の名でもあります」
アッシュを女性にしたような少女はそう言ってまたフードをかぶり直す。
その言葉に、エルは慌てて廊下の先を振り返る。すでにザインも黒衣の集団も見えなくなっていたが。
「あなたは……あなた達は、一体………?」
「『キニス』は古い言葉で灰、という意味です。私達は、予言の知識に基づいて作られた。核となったのは、あなたが追う『あの男』です」
アッシュの意味は『灰』。
だとしたら、それが意味することは1つで――。
「なんてことを……」
擦れた声でエルは頭1つ分小さい少女を見下ろす。
「なんて、ことを……」
「名前は必要ありません。私達はそういうものです。お好きにお使い下さい」
頭を下げる少女からは、己の出自を疑問に思う様子はない。それにエルは唇を震わせる。
「あなたは、名前というものをどう考えていますか?」
「記号の1つ。個人を識別するための音の並びにすぎません」
「違います」
強く首を振り、エルは繰り返す。
「違います」
「何が違うというのですか?」
「名前というのは、最初に貰う愛情です。そして、最も他人から貰える愛情の形であり、最後まで貰える愛情なのです」
エルは少女の手を取り、強く握った。
「あなたの名前は私がつけます。良いですね?」
「それはご命令でしょうか。命令なら、従います」
「いいえ、違う。お願いです」
「お願い……?」
「そう。私が呼ぶ名前が嫌でなければ、応えてほしい」
首を傾げる少女に、エルは少し表情を緩めた。
「フィリア」
少女の人形じみた表情に変化はない。その手を握ったまま、もう一度エルは言った。
「気に入ったなら、あなたの名前にしても良いですか?」
「私はあなたの命令に従います。そちらの方が、任務遂行時に便利だというなら私に是非はありません。好きにお呼びください」
エルはもどかしそうな表情になったが、とりあえずは良しと区切りをつけた。
少女の手を放して一礼する。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私は―――」
「知っています。エル・ザード神官長」
自らの名前を言われて目を見開く彼の前で、フィリアはすらすらと彼の個人情報を列挙していく。
「ガルザンティア巡礼地所属。得意とするのは雷属性と炎。法術でも回復魔術と障壁術は群を抜いているが、特に注目するのはその弓の腕。どんな場所であっても命中させるその腕前は『神に愛されし腕(かいな)』、『聖弓の射手』と呼ばれている――で間違っていないはずです」
「いやあの……どうして?」
「一緒に行動する人物の特徴を事前に調べておくのは、当然のことです」
表情1つ変えずにしれっと言う少女に、エルは思わず天井を仰いだ。
何だか色々と見透かされている気がして恐ろしい。
「えーと、それじゃあフィリア」
「はい」
「君は一応、私の命令をきいてくれるということで良いのかな?」
「はい。あなたがザイン将軍の意に反しない限りは、私はあなたの手足となり剣となり、盾となります。そういうご命令ですから」
「そこまでしてくれなくても良いんだけどなぁ……。じゃあ、とりあえず行こうか」
肩を落とし、エルもまた重い足取りで廊下を進みだした。
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