神の徒

 真っ白な廊下に2つの靴音が反響する。

 託宣の後、法王に呼び出されたエルはずっとこの回廊を連れられていた。

 神の敵を討つにあたっての協力者である、サザンダイズとイストムーンの間を取り持つ使者を務めてほしい――そう命じられたのだ。

「あの、法王様」

 前を歩く白い背にエルは呼びかける。

「どうして、私のような若輩者に使者を任命されたのでしょう? もっと相応しい方は沢山いらっしゃったと思うのですが」

「そんなことはありません。ザード神官長、あなたは若いのに頭が切れると聞いてますよ。それに、法術の腕だけでなく弓の腕も立つとか」

「よく、ご存じで」

 苦いものを飲み下すように、エルは答える。

「3年前の南十字聖戦。南方の蛮族共に囚われた同胞を解放する際にも見事な働きを見せたと聞いています」

「お言葉ですが」

 思わず、エルは法王の言葉を遮っていた。

「彼らは、蛮族ではありませんでした。ただ、私達とは違う神を信じて――」

「エル」

 名前で呼ばれ、エルは口を噤む。

「君は、確か北大陸の出身でしたね。だからでしょうか。他の神に慈悲の心を持つのは素晴らしいですが、我らが神は嫉妬深い。あまり口にすると、怒りを買うことになりますよ」

「――申し訳、ありません」

 北大陸は、南方諸国と同じく太陽神を信じていない地域が多い。ソレア教信者の中には、北大陸出身というだけで鼻白む者もいるほどだった。

「構いませんよ。神は嫉妬深いですが、救いを求める者には寛大です。あなたがかの罪人を神の前に引き摺り出せば、きっとお赦しになるでしょう」

「法王様、そのことでお話があります。彼が神の敵というのは真実なのでしょうか?」

 言ってから、エルは己の愚かさに顔を顰める。信仰心の低さを諫められたばかりだというのに、これでは神の言葉を疑っているようなものではないか。

 法王の歩みが、止まる。慌てて頭を下げ、それでも尚エルは言い募った。

「申し訳ありません。ただ………とても、そうは見えなくて」

「なぜ謝るのですか? 頭を上げなさい、ザード神官長。君の疑いは正しい。信仰に盲目にならず、常に正しきことを求めて研鑽を積むのは良いことです」

 頭の上から聞こえる穏やかな声に、エルは一層頭を低くする。

 やはり、勇気を出して訴えて良かった。

もしかしたら、何かの濡れ衣かもしれないのだ。ちゃんと説明すれば、自分の言い分も聞いてもらえるのではないだろうか。いや、きっとそうだ。

「あの、実は――」

「ああ、そうそう」

 不意に、法王が明るい声を出して袖口をまさぐる。取り出されたのは、彼の衣には不釣り合いな一通の粗末な封筒だった。

「………?」

「あなたに手紙が届いていたんです。本来ならガルザンティアに届くはずだったんですが、招集のことを知った経由地の教会が手を回してくれたようでしてね。後で部屋に届けるとは聞いたんですが、どうせ会うからと私が預かってきました」

 ガルザンティアはエルが所属している教会のある地方だ。まさか、地方の一神官の個人的な手紙を現世の神たる法王に預からせてしまうとは。

 真っ青になったエルは慌てて両手で手紙を受け取った。

「うわわわ、申し訳ありません。まさかそんな、御身を煩わせるなど………!」

 差出人には、つい先日も受け取ったばかりの名前が拙い字で記されている。消印はイリア。前回聞いたのとは違う方向からの土地に、エルは首を傾げた。

「――あなたの弟達が行き倒れていたところを、イリアの神官が保護したそうです」

「!」

 いたましそうに告げられた内容に、思わずエルは目を見開く。

「その手紙を持って来た神官が言っていました。何でも、ひどい目にあったとかで」

 その先は、エルの耳に入っていなかった。

 法王の前だということも忘れ、乱暴に封を破った彼はむしゃぶるように手紙を読み進める。

 そこには、助けてもらった老婆が森の獣に襲われて殺されたこと。何とか自分達は助かったが、飲まず食わずで彷徨っていたこと。やっとの思いで辿り着いたイリアの町で教会に保護されたことなどが、確かに見覚えのある字で綴られていた。

「そんな……え、なんで……」

 偶然が過ぎる。なぜ、このタイミングで彼はこんなことを告げるのか。

 頭の中に嫌な予感が広がる。まさか、そんなはずはない。


 そんなことが、あってはならないのだ。


、君の弟達はイリアで保護されています」

「は――」

「手伝って、くれますね?」

「そ、れは……」

 筆跡なんて、手本があれば真似ることは可能だ。だが、もし本当だとすれば――。

 穏やかな顔のまま、法王がエルの頬に手を添えた。無意識に肩が強張る。

「ザード神官長。君達が北の地を追われる遠因となった、サザンダイズに協力することに躊躇いがあるのは私も理解できます。心苦しくも思う。けれど、憎しみだけでは何も解決しないし、前に進まないんですよ」

「ち、違……」

 そういうことじゃない。

 自分が言いたいのは、そういうことじゃない。

 だというのに、エルの舌は凍ったように動かなかった。

「神の愛を思い出して。神学校で学んだ友や師の顔を浮かべなさい」

 後ろ盾もなく、北大陸の出身であったエルに対する神学校での風当たりは強かった。人は神の下に平等だなんて嘘だと、何度泣いただろう。

 それでも、確かに手を差し出してくれた人はいたのだ。

 

 家族はしている。

 彼らの顔を思い浮かべろ。


 ――それが、命令に従わない場合に失われるものだと言われていることに気が付かぬほど、エルは鈍くない。

「神のため、その手を貸してくれますね?」

 耳元で、法王かみが囁く。震えながらも、何とかエルは答えを返した。

「――神の、御心のままに」

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