分断
闇を裂いた銀光の正体は矢だった。
反射的にアッシュが叩き落とすが、矢は次々と飛んでくる。
目印にされているのは、クロスが灯した炎だ。
「なるほど、そういうことかよ」
「まんまと嵌められたな。風で飛ばすか?」
クロスが歯ぎしりした時、二人の足元に飛来した矢の一つが刺さる。
その先端から、轟と音をたてて吹き上がった炎が仮初の闇夜を焦がした。
「な……?!」
思わず腕で顔を庇ったクロスが目を見開く。だが、すぐに忌々しそうに唸り声を上げた。
「おい、どういうことだ?!」
問われたアッシュも、驚いたように燃え盛る炎を凝視している。
彼女とて、はじめから答えを期待しての問いではなかったのだろう。尚も苛立たしげに声を荒げる。
「どうしてイストムーンの魔術をこいつらが使ってくる?!」
サザンダイズの魔術には、道具に魔術効果を付加するものはないのだ。
イストムーンもサザンダイズも使う魔術理論は同じだが、そこには大きな違いがある。
サザンダイズの使う魔術は、戦闘に特化している。
少しの労力で、効率よく人を殺傷するためだけに開発された術。
ゆえに、道具に術式を付与するなどという無駄なことをするより、より大きな破壊をこそ彼らは求めた。
ザインの使う剣のように一から魔術で形作られたものならまだしも、何の変哲もない矢に魔術効果をつける術式を、彼らは編み出す必要がないと切り捨てた。
「考えられることは二つ」
目を厳しくしたアッシュは、なおも飛んでくる矢を切り払った。
「一つはイストムーンの魔術情報が漏れた可能性」
再び近くに飛んできた矢が、今度は氷の華を咲かせる。
次第に森の奥へと追いやられるように後退しつつ、アッシュは続ける。
「けれど、そこまで情報が漏れているのなら戦局に何か変化があるはずだ。今のところ二国は均衡状態としか聞いていない。だから、これは違う」
「残る一つは?」
彼と並んで走りながら問いかけるクロスに、アッシュは苦々しい視線をよこした。
「わかってんだろ。情報が漏れたんじゃないってことは…」
「サザンダイズと手を組んだ」
「そーいうこと」
下草を踏みながら二人はただ走る。だというのに、闇はいっこうになくならない。
それはつまり、術の範囲内に常にザインがいるということだ。
誘導されていると知りながら、今はこの道を行くしかない歯がゆさにクロスは不機嫌そうに唸った。
「おい。この道を行ったらどこに出る?」
「…………確か」
アッシュが答えるよりも前に、その答えは出た。
唐突に視界が開け、二人の行く手を阻むもの全てが消失する。
勢いあまって足を踏み出したクロスの足元からカラン、という石が落ちる音が響く。
周囲を巡る風の音と、目の前に広がる空。そして――。
眼下に飛び込んでくる垂直の岩壁。
追われた先で待っていたのは、文字通り崖っぷちの状況だった。
「…どうする?」
振り返り問いかけると、アッシュも難しい顔で眼下の景色を睨んでいる。
背後からは静かな、しかし間違えようもない殺気を伴った気配。
「あんた、浮遊術は使えるか?」
不意に、アッシュがそう尋ねた。
その問いかけに嫌な予感がし、思わずクロスは顔を上げた。
「一応使えるが……一体それはどういう意味だ?」
彼女の問いには答えず、アッシュは尚も崖の下から視線を外さない。
「あいつらも使えるはずだ。昔は俺も使えてたからな――もちろんザインも、だ」
「だから、それがどうし――」
言い終わるより前に、アッシュの腕が伸びる。
「ま、あんたなら死なないだろ」
「へ?」
トン、と冗談のように軽い音と共に浮遊感が身体を包む。
足元の感覚がなくなり、見開いた目の前の景色が沈んでいく。
「ヴァ-ユで待っててくれ。すぐ追いつく」
「……は?」
目を点にする彼女の前で、重力がその仕事を思い出した。
風のうなりが耳をつんざく。強制的に下へと引きずられた内臓が口から出るのではなかという勢いで、クロスは叫んでいた。
「はああああああああああああああ?!」
下から上へと流れていく風景。
右手を上げたアッシュの後ろで茂みが割れる。現れたザイン達が素早く展開するのを最後に、クロスの前から青年の姿は消えた。
後に残るのは、どこまで続くかわからない岩壁と虚空。
「あの………大馬鹿者め!」
アッシュが何を考えてこんな暴挙に出たかは火を見るより明らかだ。
おそらく、彼はあそこでザイン達を足止めするつもりなのだろう。
クロスを追わないように。
「馬鹿が……」
罵倒を漏らすも、のんびりもしていられない。何しろ彼女はこの崖の高さを知らな
いのだ。
それに浮遊魔術は扱いにくく、それなりに高位の術に入る。
慌てて『空』と『風』の魔霊子を集め、クロスは発動のために目を閉じて集中する。
風が彼女の全身を包みこみ、落下速度が緩まった。
成功したことに胸をなで下ろし、目を開けようとしたところで。
背中に衝撃。
「…ぐっ?!」
思った以上に地面との距離が近くなっていたらしい。速度が緩まっていたとはいえ、思い切り地面に叩き付けられ思わずクロスは苦悶の呻きを漏らす。
うっすらと目を開けると、もうあの暗闇は見えない。
どうやら山道からも外れたようで、頭上には燃えるような赤い空が広がっている。
いつの間にか夕方になっていたようだ。
「く……」
何とか身体の向きを変えてどの辺りに出たのか探ろうとしたが、少し身じろぎしただけで息が詰まるような激痛が全身にはしる。
(マズイ……)
頭ではわかっているのに、まるで霧でもかかっているかのように思考がまとまらない。
遠くなる意識の端で、彼女の耳は微かな物音を聞いた。
規則的に地面を叩く軽やかな音。大きな輪が回転するガラガラという音。
これは、そう―――。
(………馬車?)
足音が止み、扉の開く音が思ったよりも近くで響いた。
「ちょ、大丈夫ですか?!」
焦ったような誰か――どこか聞き覚えのある声を最後に、彼女の意識は闇に飲まれる。
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