樹海に踊る炎

 ジェイド山脈は、中央大陸の西端に広がる最大の山脈だ。

 六つの主要な山から成り、サザンダイズとイストムーン、二つの国を南北に縦断している。一際有名なのが、その中心を為すジェイド山である。

 翡翠の意味を冠するこの山は、名前の通り緑が多い。

 鬱蒼と茂った木々は昼でも薄暗く、足元には苔や隆起した木の根が好き勝手に繁茂している状態だ。一応整備された道もあるのだが、ほとんど使う人間がいないため、あまり意味を成していない。

 梢の間を縫って踊る日の光に目を細め、クロスが問いかけた。


「あいつ達はここに来ると思うか?」


 彼女のいう「あいつ達」が己と同じ顔を持つ追手のことなのか、はたまたザインのことなのかはアッシュに判別がつかなかった。

 しばらく考え、首を横に振る。


「わからん。ここがイストムーンに通じているということは知ってるだろうが、危険を冒してまで来るかと問われると自信はないな」

「あいつらにとっても賭け、ということか」

「まぁ、そうだな。けど、見つからずに抜けれる可能性も低くはないぜ」


 鬱蒼と茂った木々は視界を狭め、行き先はほとんど見えない。周囲に何がいるか、誰が潜んでいるのかもわからないが、それは相手とて同じことだ。

 湿った葉を押しのけ、落ちる水滴に顔をしかめてクロスは「それもそうか」と呟いた。

「この道を進めば、ヴァーユのすぐ近くに出る。あとは町に入ってしまえば、あそこはソレア教の総本山があるからな。あいつらも手出しは出来ないはずだ」

「ソレア教か。エルにもう少し詳しく聞いておけば良かったな。一応神話や伝承にまつわるものでもあるんだし」

 残念そうなクロスに、はたとアッシュは手をうった。

「そういやそうだな。気が付かなかった」

「実は私もだ。今になって悔やんでいる」

 しれっとクロスが言うと、アッシュはやれやれと溜息をついた。

「どうやら、俺達はそろって肝心なところが抜けているらしいな」

「ああ。だが、一人よりはマシになると思わないか?」


「いやあ、思いませんね」


 返事をしたのは、アッシュではない。

「やっぱり、見逃してはくれないか」

 声は、右方向から聞こえた。

 目を細めるアッシュの前で木立が微かに揺れる。

 がさり、と葉を踏む音と共に姿を見せたのは金髪碧眼の優男――ザインだ。

「奇遇ですね、こんな場所で会うなんて」

 唇を釣り上げ、さながら獲物を見つけた獣のような目でザインは二人を眺めた。

 ざわりと空気の揺れる気配。

 音もなく現れたのは、やはりアッシュと同じ顔をした男達だ。

「死体を埋めるのに、山まで運ぶ手間が省けるというものですよ」

 くつくつと笑い、彼は指先をくるりと回した。

 その指が円を描いて二人を示したのが合図。

 暗い木立に、殺気が広がった。


「炎よ・渦となれ」


 咄嗟に逸らしたアッシュの顔の横で、垂れた枝が紅蓮の炎に包まれ、爆ぜる。


「炎よ・渦となれ」

「炎よ・渦となれ」

「炎よ・渦となれ」


 低い呪文が流れる。

 それはどれも同じ声で、顔で、タイミングで、構成で放たれる紅蓮の炎。

「散らせるぞ」

「任せる」

 短い確認に返事を返し、アッシュは走り出す。前方からは、やはり同じように剣に手をかける自分と同じ姿をした相手。左右からは炎の壁。

 逃げ場はない、が。

 剣と剣がぶつかり合う金属音に、風の唸りが重なった。苔や葉が容赦なく巻き上げられ、炎がその表面を舐め上げる。クロスは舌打ちした。

「こんな場所で火をつかうなんて非常識だな」

 打ち払われた炎の向こうで、優雅にザインが一礼する。

「おや、それは失礼しましたお嬢様――闇のとばりよ・光を奪え」

 彼の呪文が世界を侵食する。キィン、という耳の痛くなるような甲高い音と共に世界から光が消えていた。

 ザインの魔術が一瞬で、夜よりも暗く、深い闇を顕現させたのだ。

「なっ…」

 突然の変化に目がくらんだクロスが、思わずバランスを崩す。だが、倒れる前にその腕を掴まれた。

「大丈夫か?」

「……っ、すまん」

 声を頼りに見上げるも、彼女の目に映るのは塗りつぶされたような闇だけだ。

 素早く引いていたアッシュによって腕を掴まれたのだと理解し、彼女は小刻みに頭を振る。

「厄介なもん使いやがって」

 呟いたアッシュは目を閉じ、すぐに開けた。

 強制的に暗闇に慣らされた目に、ぼんやりとした輪郭が闇に浮かび上がる。

「非常識にはなりたくないが、そうも言ってられんな」

 忌々しげに言ったクロスが腕を振り、炎の魔霊子を集め始める。

 彼女のことだ、すぐに炎を灯してこの闇を払うだろう。

 そこまで考えて、ふとアッシュは違和感を感じた。

 クロスの魔術の腕は相手も知っているはずである。すぐに明るくなるとわかっているのに、どうしてこんな無駄なことをするのか―――。

 嫌な予感がした。根拠などない。ただ、何か意図があるに違いないと彼の勘が告げていた。


(何だ……? 火の魔術に呼応する罠でも仕掛けてたのか? いや、それならさっきあいつらが火の魔術を使った時に発動してたはず。と、すれば火は関係ない。明るくなることで、こちらが不利になること? そんなこと―――)


 一瞬の間にめまぐるしく思考を続ける彼の視界の隅で、きらりと光るものが動いた。

 同時に、クロスの魔術が発動する。掌ほどの灯りに照らされ、二人の周囲だけが明るくなる。


 その時、アッシュはザインの意図を理解した。


「伏せろ!」

 反射的に叫んだ声にかぶさるように風切り音が立て続けに響き、銀光が奔った。

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