山脈にて

 道行く旅人が、思わず二度見する茶店がある。

 街道沿いに点在する宿屋と同じように、旅人が足を休めるためのもので、特に変わったところはない。

 問題は、野外の席に座って地図を広げる客の方だろう。

 銀髪の女性と、黒髪の青年の二人連れだ。

 旅程の相談でもしているのか、真剣な顔を突き合わせている様は、どことなく微笑ましくすらある。

 もっとも、もしも二人の近くで会話を聞く者がいれば、その内容に耳を疑ったかもしれないが。



「そもそもの質問だが。北大陸にはどこから渡るつもりだ?」

 エルと別れた二人は、次の道程を相談していた。

 といっても、選択肢がそう多いわけでもない。

 問いかけるクロスの前には、一枚の地図がある。

 これは彼女の持ち物で、中央大陸の子細を示したものではなく、もっと広い範囲を示した世界地図だ。


 北を上部に定めたごくありふれたもので、花を真っ二つにしたような形状で広がる大陸群もまた、変わったところはない。

 真下――南に位置する多島海を花の中心とするならば、その上部に広がる三大陸は花弁と言っても差し支えないだろう。

 一際大きな中央の花弁が中央大陸、右側にはスカイウス、左側にはプラヴィという名が刻まれている。どちらも国の名前だ。


 中央大陸から最短経路で北大陸に行くには二つの方法がある。


 イストムーンにあるノースポートから海路で向かうのが一つ。もう一つは南下して大橋を渡り、プラヴィを北上。北端からやはり海路で北大陸へ向かうというものだ。


 地図を難しい顔で眺めながら、アッシュは顎に指をあてた。

「北大陸には、ギリギリまで陸路で近づきたいと思ってる」

「なぜ?」

「海の上だと逃げ場がない」

「なるほど、確かに」

 おおいに納得し、クロスは頷いた。だが、次に怪訝そうな顔でアッシュを見上げる。

「待て。それなら、南下してプラヴィに入った方が良かったんじゃないか?」

 二人は今、中央大陸を北上してイストムーンを目指している。プラヴィへ渡るための大橋は逆方向だ。

「まぁ、そうなんだが……」

 と、アッシュは目を逸らした。

「橋が封鎖されているのは確実だろ? そこを突破するよりは、いっそイストムーンに出る方が楽そうだと思ってな」

「とにかくサザンダイズの影響下から逃れるのを優先する、ということか。良いだろう、それなら」

 クロスは地図の一点を指さし、それを横に滑らせた。

「国境を超えることを第一に考えよう。今いるところから東にいけばオラル河に突き当たり、そこを渡ればサザンダイズを出る」

 彼女の白い指にそって引かれているのは、北から南に流れる大河だ。大陸を横断するような大きさのそれは国境とするにはちょうど良かったのだろう。

 そして、そこを渡ればサザンダイズを抜けてイストムーンの領地に入る。


 イストムーン。


 サザンダイズと大陸を二分する大国であり、現在も水面下では争いが続いていると聞く。

 華やかなサザンダイズに比べ質実剛健を重んじる国風でもあり、ソレア教の本部があるヴァーユもイストムーンに属している。

 つまり、サザンダイズにとってはとても手が出しにくい。

「どうだ?」

「悪くない。だが、すんなりとは通れないと思う」

 地図上の大河をアッシュは指先で弾いた。

「河を渡れる場所は限られてるし、主要な橋は全部連中が抑えてると見て良いだろう。今じゃ国外に出る船とかも厳しく取り締まられているはずだし、ほぼ不可能だろうな」

「ではどうする。まさか徒歩かちで渡るなんて無茶は言わないだろうな」

 何しろこの河、地図でもはっきりと形を示せるくらいに大きいのだ。もちろん、その幅も深さも生半可なものではない。

 向こう岸も見えない水の流れなど、もはや海と代わりはないだろう。

 小さく笑みを浮かべると、アッシュは指を伸ばした。

「あるだろう、もう一つ」

 コツコツという音と共に指し示されたのは、川を北上した先にある山脈だ。

「ジェイド山脈を超えていく。あの山道を大人数で行軍するのは、それなりに手間がかかるからな。他よりは手薄なはずだ」


 ジェイド山脈は、その美しさと同時に大陸でも有数の難所続きの山としても有名である。


 一応の登山道は整備されているが、そんなところを武装した兵士が大人数でうろつけば、隣国のイストムーンを大いに刺激することになるだろう。

 かといって、小さな山道を進むにはそれなりの知識と準備が必要となってくる。

 ひとたび人の手が入っていない場所へ外れてしまえば、山は容赦なく牙を剥く。

「私達も表の街道は使えないぞ? 戦争が始まってから封鎖されているからな」

「元からそんなところを使うつもりはないよ。表が駄目なら裏から、だ」

「危険な動物や山賊もいるというが、大丈夫なのか?」

 クロスに指摘され、アッシュは目を瞬かせた。危ないということを忘れていたわけではなく、彼女が不安がったのが意外だったようだ。

「大丈夫だろ、あんたと俺なら」

 さらりと告げられた言葉の中に込められた信頼に、クロスは目を丸くし、ついでニヤリと笑った。

「気楽に言ってくれる。だがその案、のった」

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