話の終わり

「俺だって初めはちっとは人間らしい反応をしてた。けどな、気がついたんだよ。何か月も寝かされなくても、食事がなくても生きてる。どれだけ酷い怪我をしても、三日もあれば治ってる」

「……」

 彼が何に気づいたか、などクロスには尋ねることが出来なかった。

 そんな答えなど、聞かなくてもわかっていたのだ。


「俺は本当に人間じゃなくなったんだなって」


 冷たい洞窟内に響く虚ろな声が、雨音を背景に二人の間に落ちた。

 止む気配のない雨に目をやったアッシュは、陰鬱な空気を払うかのように無理矢理に話をまとめた。

「ま、こんなものかな。他に何か気になるところある?」

 破片を取り除いた彼の背中は、もう薄っすらと新しい皮膚が再生している。

 禁呪帯を巻きながら、クロスは「期限」と短く答えた。

「先ほど、お前は『自分が完全に化け物となった時、≪予言≫は世界を解放へと導く』と言っていたな。その期限――つまり、お前が人として生きれる猶予だ」

「わからない」

 あっさりとアッシュは言った。

「何もしなければ、半永久的にこのままだとは思う。ああ、でも老化はしてるっぽいから、老衰で死んだらどうなるのかな」

「途中でそれも止まるかもしれんぞ」

「ありえるな」

 苦笑したアッシュを見つめ、クロスは続けた。

「だが、お前は何もしないつもりはないのだろう。――北の地で自分を殺すのが目的だと言っていたな。そこなら、死ねると思っているのか?」

「多分ね。あそこは≪予言≫が発見された地だ。そこなら何とかできるんじゃないかと、俺は考えている」

「なるほど、だから他の場所では駄目なのか」

 納得してクロスは頷いた。

「そういうこと。――いつまで俺が人の形を保っていられるかは、本当にわからない。多分、あそこに近づかなければある程度安定はしているんだろうけど」

「……そうか」

 答えたきり、クロスは手を動かした。

 それ以上、新たな質問を重ねることもなく彼女は手当を終える。

 重い息をついた彼女に、アッシュは「ありがとう」と言った。

「怪我をしていたら手当する。さっきも言ったが、私は人として当然のことをしただけだ」

「そっちだけじゃなくて」

 憮然とする彼女に苦笑し、アッシュは「努力目標」と笑った。

「忘れてたから」

 クロスは言葉を詰まらせた。だが、すぐに真顔になる。

「だったら、もう忘れるな」

 頷くことはせず、アッシュは微笑した。

「さっきも言ったろ、努力はする。――ほら、話はこれで終わり。あんたも休めよ」

 あやすように言われ、クロスは渋々立ち上がった。


 火の傍で横になるがすぐに寝つけるはずもない。

「……なぁ」

 しばらくして、クロスは背中の気配に向かって呼びかけた。

「起きて、いるんだろうな」

 返事はしばらくなかった。

 それでもしんぼう強く待っていると、ようやくため息混じりの「起きてる」という声が帰ってくる。

 背中を向けたまま、クロスは慎重に言葉を紡いだ。

「話してくれて、ありがとう。お前にとっては楽しいことじゃないのに、よく打ち明けてくれた」

 答える声がなくても、クロスは続けた。

「正直に言って、私はお前にかける言葉を見つけられない。――哀れんでいるわけでは断じてないぞ。ただ、お前は全てをさらしてくれたのに私は何も持っていない。自分の記憶も、素性も」

 思いのたけをぶちまけるように、クロスの口は止まらなかった。

 自分一人だけ喋るなど普段の彼女からは考えられなかったが、どういうわけか今はただ聞いて欲しかった。

「お前は自分が人で無くなったと言っていたな。だが、やはり私にはそう思えない」


 彼が己の命に対して無関心なことも、その生まれ育ちからすれば納得できる。

 ザインは彼に対して、守りたいと思うほどこの世界に価値を見いだせることが驚きだと語っていた。

 その意味が、今ならわかる。


 それでも彼が選んだのなら。

 そこに人間性を見出しても良いはずだ。


「信じてくれ、としか言えないが。私はお前を裏切らないし、絶対に化物なんて言わない」

 心なしか弱まった雨に紛れて、微かな衣擦れの音が聞こえた。

「絶対なんて、言わない方がいい」

 すぐ近くで聞こえた声に、クロスは顔を上げた。

「その言葉だけで十分だよ」

 横になる彼女の隣に腰を下ろしたアッシュがそう言った。もう、血の匂いはしない。

「しかし…」

 尚も言い募ろうとする彼女の視界が暗くなる。

 彼に目を塞がれた、というのは瞼を伝わるじんわりとした温かさでわかった。

 理由はわからないが、真名を聞いた時と同じで、ひどく懐かしい感覚だった。

「もう寝ろよ。明日は早くにたたき起こすぞ」

 暗くなったことと、目元のぬくもりのせいでようやく彼女にも眠気が訪れた。

 ぼんやりとした意識の中、クロスは微かに笑う。

「そんなこと言って、お前の方が音を上げるんじゃないだろうな」

「んなわけないだろ。いいから、休みな」

「ん。そうする」

 やや乱暴に話を切り上げられたが、彼女の睡魔も限界に達しようとしていた。

 朦朧としてクロスは素直に目を閉じる。

「おやすみ」


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