白の部屋
当時、アッシュは十二歳。
斥候として使うには普通なら幼すぎると言われてもおかしくない年齢だった。
ただし、それは「普通なら」という前提の上に成り立つことだ。
戦争の道具として使うだけなら。方向のない正義を教え込み、歪な忠誠心を刷り込むのならば、幼ければ幼いほど良い。
アッシュもまた、そうして教育された兵士だった。
感情は邪魔なものとして排除するよう教え込まれた。
痛みは無視するように訓練を重ねた。
耐性をつけるために、毎日致死量ぎりぎりの毒を飲んでは血反吐をはいた。
仲間は死んで当たり前だった。
「今思えば狂ってるんだけどさ。あの時の俺達って、それが当然と信じて疑ってなかったんだよなぁ」
どんな状況でも冷静に、冷徹に任務を遂行するのが自分の――自分達の存在意義であり、生きている証だった。
「それでも。当時の俺でも寒気がするくらい、あそこは地獄だったよ」
スラムの子供に紛れ、首尾よくサザンダイズの実験場に潜り込んだアッシュが真っ先に見たのは山と積まれた死体だった。
死体は見慣れていた。アッシュとて、今まで散々作ってきたものだ。
だというのに、ガラス玉のような虚ろな瞳が四方八方に溢れている光景というのにはさすがにぞっとした。
彼ですらそうだったのだから、普通の神経を持った子供達が耐えられるはずがない。
子供達は嫌でも自分達の未来を予測してしまい、泣き出し、逃げようとした。
だが、被験者となるのはそういう子供達からだ。
どれだけ嫌がっても無駄だった。
死体の積まれた部屋の奥。
子供達はそこを「白の部屋」と呼んでいた。
なぜなら、そこの部屋に続く扉だけ不自然なほど常に真っ白だったから。
血だらけ死体だらけの部屋にあって、そこの扉はいつ見ても真っ白なのだ。
ただし、そこに入った子達は二度と帰ってこない。
そんな状況にあって、普段通りなどに振る舞えるはずがない。
子供達は、早ければ連れてこられたその日に。
遅くても二、三日後には気が狂った。
正気を失えば、白い部屋へ連れていかれる。
毎日がその繰り返しだった。
「俺は運が良かったのか悪かったのか、随分と長い間あいつらに気づかれずに居座れた」
「それで追われるハメになったと。明らかに運は悪いだろう」
クロスの容赦ない指摘にアッシュは苦笑した。
「やっぱりそう思うか」
「思うな。むしろお前の話で、運が良さそうなものが一つもない」
慰めるでもなく、真顔でクロスは止めを刺した。そして厳しい目をアッシュに向ける。
「そうすると、お前はイストムーンの為に自ら≪予言≫を盗んだということか。今もイストムーンに属しているのか?」
「落ち着けよ。今の話だとそう思われても仕方ねぇけどな。俺はイストムーンの為に石を盗んだわけじゃないし、誰かの命令で動いてるわけでもない」
「なら、どうして盗んだりした?」
「盗んでないんだって。俺は、望んでこんなものを手にしたいと思ったわけじゃない」
アッシュの口振りにはもったいぶっている響きも、嘘を言っている様子もなかった。
何かを達観したような、諦めにも似た乾いた苦笑を浮かべるだけだ。
「俺は、それこそ運悪く≪予言≫に選ばれただけなんだから」
長い間気づかれなかったとはいえ、それがずっと続いたわけではない。
「潜入して半年くらいした時だったかな、俺が『白の部屋』に連れていかれたのは」
そこで、彼もまた他の子らと同じように≪予言≫を身体に入れられた。
ただ一つ違ったのは――。
「俺は死ななかった。いや、死ねなかったと言った方が正確かもしれん」
≪予言≫を体内に入れられた後のことはアッシュもよく覚えていない。
ただ、心臓がひどく熱かったこと。頭の中に得体のしれない何かが入り込んできては、割れるような声とわけのわからないことを叫び続けていたこと。
「次に気が付いたら、手足には枷がついて目の前には軍服を着たお偉いさんが立ってたわけだよ。笑えないよな」
研究所は、≪予言≫の暴走の余波を受けて跡形もなく消滅したと聞いた。
生きていたのは、自分だけだったとも。
そうしてそれを「助けた」のがサザンダイズの兵士達だったらしい。
もっとも、アッシュが彼らに感謝を覚えることはなかった。
一つ目の地獄を抜けだした先で待っていたのは、もっと酷い地獄だった。
サザンダイズは、何としても≪予言≫の持つ力が欲しかったのだろう。依代となったアッシュが死なないとわかってからは、その扱いも凄惨を極めた。
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