円卓は水面下に踊る

「それで、おめおめと逃げ帰ってきたと。そういうことか、ザイン殿」

 部屋に威厳を感じさせる静かな男の声が響く。

 声の主は四十そこそこの壮年の男だった。日に焼けた彫りの深い顔立ちと、がっしりとした体躯。その胸には、銀の月と単眼の龍を組み合わせた印――イストムーンの紋章を付けている。

「ええ、そういうことです。非常に残念なことですが」

 ぬけぬけと言い放ったのはザインだった。歳や体格から言ってもイストムーンの男に比べれば頼りなく思われそうだが、穏やかな物腰とは裏腹の強い眼光から、そこらの若造とこの男が一線を画する存在であることがわかる。

 こちらが胸につけている紋章は、もちろん太陽を頂いた獅子――サザンダイスの紋章である。

 両国を代表する二人の将軍を中心に、この場には他にも数人の人間が集っていた。

 部屋の中央には、大きく黒光りする円卓。その左右に別れた二国の陣営が顔を突き合わせるのは、何もこれが初めてではない。


 ザインの報告に、イストムーン陣営が非難の声を上げる。

「やはり、かの大響詠師ヘクセンに意見を仰いだのがマズかったのでは? 彼女にはアレを見せるべきではなかった」

「何でも、逃がす手引きをしたのは彼女だという噂もあるようじゃないか。真名を変えるのに協力したとも…」

「それはおおいにあり得る。奴はせいぜい一節か二節でしか魔術も扱えぬ半端者。神代の真名を書き換える真似ができるとは、とても思えぬ」


 収集のつきそうにない糾弾に、サザンダイズ側も負けじと反論の声をあげる。


「魔術の練度と才能を混在しないでもらおうか」

「もっともだな。それに、イリシオンのつるぎについてはどう釈明する。あの剣がなければ、少なくとも牢が壊されることも、囲いを突破されることもなかったはずだ」

「罪を裁く≪斬断≫の魔剣。同じ神代の遺物との親和性も考えず、いたずらにあの化け物に与えるなど…!」


「何を言うか。たかが剣一つのせいで、そこまで非難される謂れはないわ!」

「戯言を…!」

「そちらこそ!」


 怒声、嘲笑。

 責任のなすりつけ合いばかりで遅々として進まぬ議論。まったく、無駄としか言いようがない時間。


 その様子を「彼」はずっと見ていた。


「まぁ、どちらの責任かということは今はおいておきましょう」

 口論が途切れた瞬間を見計らったザインが、するりと言葉を滑り込ませた。

「もちろん、我々も手は尽くしますが――もしも国境を超えれば、今度はあなた達の管轄となります」

 ゆっくりと手を組み、ザインは唇を釣り上げた。


 イストムーンは現在サザンダイズと交戦中だ。

 いや、「交戦中ということになっている」と言うべきか。


「言われなくとも、貴様らサザンダイズの腰抜けどもに遅れは取らぬ」

 イストムーンの男が吐き捨てた。


 その会話にも口を挟まず、「彼」は耳を傾けるだけだ。

 一段高くなった場所で、自分と対面するはずの相手は今日も来ていない。


「ところで…イストムーンの方は今日『も』ご都合が悪いようですね」

「彼」の対面にある空の椅子を見やるザインに、イストムーンの者達はいやらしく嗤った。

「申し訳ありません。なにぶん、我が国では代表として参加させる者を決めるのにも、貴殿の国より時間がかかりますので」


 何対もの目が、露骨な嘲りと共に「彼」の方を見やった。

 それは、何もイストムーンの人間に限らない。


「口をお慎み下さい。仮にも、王家の血を引くやもしれぬ方の前なのですから」

 口調だけは丁寧にザインが相手を諫めた。相手もそれに頭を下げながら、上部ばかりの謝罪を口にする。

「これは失礼を。誤解を生んだなら謝りましょう。なに、別にリーン殿のことを言っているのではござらん。例え市井の者の腹から生まれようと、王家の血筋に変わりはないのですからな」


 イストムーンの男の言葉に、「彼」の横で護衛の一人が微かに身じろぎする。

「…エデン」

 声を潜めて注意すると、「わかってる」と不機嫌そうな答えが返ってきた。

「リーン、良いんですか?」

 代わりに、反対側にいた護衛がやはり小声で尋ねてくる。

 彼――リーンはそれにニヤリと笑って頷いた。

 そして、二人以外には聞き取れないほどの声で続ける。


「今はまだ、な」


 そんなやり取りに気づかず、二人の将軍は次の作戦へと話を進めている。

 今は、イストムーンの男が件の青年と共にいるという魔術師について、根掘り葉掘り尋ねていた。

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