第3章 世界についての御伽噺

努力目標

「まずは俺が持っているものから話そうか。さっきは時間が足りなかったからな」

「任せる」

 頷き、クロスは火のそばで乾かしていた布を手に取る。注意深くアッシュの背中に回った彼女はしかし、そこで小さく息を呑んだ。

 傷の凄惨さも要因の一つではあったが、それだけではない。異様な現象が、目の前にあったからだった。

 切れた皮膚が、抉れた脂肪や筋肉が、まるで意思を持っているかのように動いているのだ。

「気持ち悪いだろ?」

 硬い顔で手を止めたクロスに気づき、アッシュは苦笑した。

 普通の女性なら。いや、普通の神経をした人間なら見ていて気持ちの良いものではない。

「身体が動くようになったら自分でやるから、もう」

「構わん」

 蒼白な顔ながらきっぱり言うと、彼女はアッシュの横腹に刺さっていたナイフほどもあるガラス片を抜き取った。

「―――っ!」

 予想外の動きにアッシュも対応が遅れた。

 破片が地面に投げられる乾いた音を合図に、今まで遮断していた感覚が溢れかえる。

「あ、んた…なぁっ!」

「身体にお前の感情まで合わせてやらなくても良い」

「……は?」

 荒い息を吐くアッシュを見上げ、クロスは淡々と言う。

「痛いなら素直に手当しろ。疲れたなら休め。ガキでもわかる理屈だ」

 湖水色の瞳が怒ったように彼の傷だらけの背中を睨みつけた。

「誰もお前を責めたりしない。無駄なんて言わない」

 続けるぞ、と言われアッシュは頷いた。

 嫌だと言えば、今度からは問答無用で剝かれそうな勢いである。

 さっきと違い、慎重な手つきでクロスは背中に刺さっている瓦礫やステンドグラスの欠片を取り除いていく。それは夕方に崩れた教会で負ったものだ。

 ややあって、クロスは首を小さく振った。

「お前が言ってくれないと、私にはお前の痛みがわからない。どんな怪我をしているのかも――こんな酷い状態だということも、わからない」

 すでに彼女の持つ布は、絞れそうなほどに真っ赤だ。失血による致死量は、とっくに超えている。


「頼むから、すすんで人を捨てようとしないでくれ」


 アッシュは咄嗟に返す言葉が出てこなかった。それは、彼が今まで考えなかった。いや、考えないようにしていたことだ。

「…努力はする」

 何とかそう答えると、クロスは「約束だぞ」と頷いた。

「話が逸れたな。続けてくれ」

 促され、アッシュは再び口を開く。

「聖痕伝説は知ってるな?」

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