神と化物

『次はこれを試そう。新しく開発されたっていう毒薬なんだ。致死量を知っておかないとな』

『これ、実際に虜囚に使っても問題ないんだろうな。ちょっと試してみるぞ』

『新しい魔術を――』

『この実験を人間で――』



 ――どうせこいつは人ではないばけものだから





「夜のかみさま」


 ふと、少し前に助けた幼い兄弟の言葉が唐突に蘇った。


 違うんだよ。神様なんかじゃないんだって。







「………」

 目を開けると、目の前に赤々と燃える火があった。

 薪などが見当たらないところを見ると、魔法で熾されたものだろう。

「起きたか」

 声の方に目をやると、すっかり乾いた服に着替えたクロスが座っていた。

「…俺、どれくらい寝てた?」

「ざっと一時間といったところか」

「一時間、か……」

 思った以上の時間の経過に、アッシュは頭を軽く振る。

「ずいぶんとうなされていた。――夢は見るのだな」

 炎を眺めながら、クロスが半ば一人ごちるようにそう言った。

「らしいな。俺も久しぶりだよ」

「夢を見るのが? それとも寝るのが、か?」

「どっちも」

 ゆるりと頭を巡らせた彼女の水色の瞳が、アッシュを捉える。

「睡眠が必要なくなって、三年くらいが経つ」

「………」

「気づいたのが三年前ってだけかもしれないけどな。飯はもっと前――五年くらいか?」

 うるさいほどに響く雨の音が、二人の間に流れる陰鬱な空気をさらに重くする。

 クロスは何も言わず、ただアッシュの言葉に耳を傾けていた。

「五感は残ってるよ。ただ、よほど極端じゃない限り暑さや寒さは感じないな。痛覚はある。死ぬことはないし、もう慣れたけれど」

 そこでアッシュは一息つく。

 どこか現実離れした炎を眺め、さて何から説明しようかと考えた時だ。

「お前、もう腕は動くか?」

 唐突に、彼女がそう聞いてきた。

 その意図がわからず訝し気な顔をしながらも、アッシュは己の腕に神経を集中させた。

 ずくずくと、熱を伴った疼くような痛み。だが、骨と筋肉は繋がっているのか動かすことは可能だ。

「動く、が…何だ?」

 彼の答えに満足げに少女は頷き、さらりと言った。

「それは良かった。なら、服を脱げ」

「……は?」

 我ながら間抜けな声が出たものだと思う。

 だが、己の荷物を引き寄せる彼女はアッシュの様子など気にした風もない。

「不可能ではないが、さすがに私がお前の身ぐるみを剥ぐのはどうかと思ってな。自分で脱げるなら、脱いでくれ」

「いや待て。あんた、何言って――」

 ずるりと彼女は荷物に突っ込んでいた手を出す。彼女が取り出したのは、包帯に似た白い布。ただし、その表面にはまるで呪われたかのような赤い模様がびっしりと描かれている。

 禁呪帯。

 魔術に対しあらゆる力を封ずる術具。

「悪いが、血はお前のを使わせてもらった。今は内部に向いているが、いつ暴走するかわからんのだろう。ついでに血止めも出来る」

 空白の一時間で、彼女は禁呪帯を作ったのか。何のためか、など聞くまでもないことだった。

「俺は死ぬことはないって言ったろうが。あんたが怪我した時のために、とっておいた方が良い」

「私は――」

 クロスは振り向かない。かたくなな背中越しに紡がれる声からは、ありありと怒りの気配があふれ出ている。

「私はお前をモノ扱いなんてしたくないんだ!」

 叩き付けるような声に、アッシュは呆気にとられた。くるりと振り返ったクロスは、ぶすっとした顔のまま腕を前に差し出した。その手に包帯代わりの呪いの布を抱いて。

「早くしろ。でないと、本当にお前を押し倒して治療するぞ」

「それ、本末転倒って言わないか?」

「うるさい! ……それに、黙っていろとは言っていないからな。ちゃんと治療の間で説明はしてもらうぞ」

「はいはい。承知しましたよ」

 苦笑しながら、アッシュは小さく両手を上げた。

 安心したように肩の力を抜いたクロスが横に座る。それを確認し、アッシュは口を開いた。


「さて、どこから話そうか――」





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