剣と魔術

 言葉はなかった。

 再び放たれた、先程より数を増したナイフが闇を切り裂く。

 クロスの身体越しの攻撃に舌打ちをし、アッシュは地面を転がると同時にその場から離れる。

 彼が体勢を立て直した時には、すでにザインは目の前にいた。


「剣よ・我が手に」


 ずるり、と闇が割れた。

 何もない虚空から現れたのは、身の丈ほどもある諸刃の大剣である。


 だが、それは少々大きすぎた。


「何だ、あれは……」

 実用性という言葉を鼻で笑うような、規格外の大きさに見ていたクロスは思わず息をのむ。

 刀身は明らかに彼女の腰よりも太い。それでいて、しっかり剣の形をしていることからもわかるとおり――長い。

 柄も含めれば、小柄な男性の身長にも匹敵するような長大な剣である。それが、白銀の煌きもまばゆく中空に生えているのだ。

 人間の筋力では扱えないであろうその剣を、ザインは何の躊躇いもなく掴み取る。

 そして、虚空という鞘から剣が抜き放たれた。

 剣は見えていた範囲が全てではなかった。さらにその長さを増した剣は、完全に抜き放たれると天井の半ばまで達する。

 呆気に取られる彼女の前で、軽々と振り上げられた剣は天井を破壊して止まり。


「なら、何度でも死ね」


 振り上げた倍の速さで振り下ろされる。

 逃げる暇はおろか、逃げる場所もない圧倒的な物量を、アッシュは膝をついたまま迎えうった。

 振り下ろされた大剣と、振り上げられた細身の剣が激突する。

 一瞬刃は拮抗するが、勝敗がどうなるかなど素人目にも明らかだ。

「がっ…ぁ…」

 引きつった悲鳴をあげ、アッシュの腕がありえない方向に曲がる。

 それでもかろうじて軌道は逸らされ、振り下ろされた剣は轟音と共に床にクレーター状の大穴をあけるにとどめた。

 弾き飛ばされたアッシュの剣が甲高い音を立てて空を回り、離れた床に刺さる。

 それを一瞥したザインの口から感嘆の声が漏れた。

「さすがは噂に名高い魔剣。使用者の腕が砕けても、刃こぼれ一つしないとは……ですが」

 剣を下ろした彼は視線を地面に向ける。

 クレーターの中心付近で身体を折ってぴくりとも動かない青年に、心底不思議そうに問いかけた。

「私の剣と相性が悪いことくらい理解しているはずでしょう? 彼女の背後にいれば、少なくとも私は剣を使いませんでしたよ?」

 相変わらず仮面じみた微笑を浮かべてはいるが、その目にある感情は笑みとは程遠いものだった。かといって、侮蔑や嫌悪でもない。

 もっとも近いのは失望だろうか。

 その目を見たクロスは悟った。彼は試したのだ。

 あそこで攻撃を仕掛け、アッシュがどう反応するか。

 そして結果は出た。

 今の彼がアッシュを見る目は、学者が用済みの実験動物を見るのと同じだ。

 無邪気な子供が虫の羽をむしり、その反応を観察するような。

 あるいは、飽きた玩具を捨てるのと同じ目。

 もはや生きているのかもわからないアッシュの髪をわし掴み、ザインは無造作にその身体を打ち捨てる。

 まるで糸の切れた操り人形のように、投げ出された手足が部屋に重い音を響かせた。

 仰向けに倒れた青年の胸を踏みつけ、ザインは再び剣を振り上げる。

 何をするかなど明白なその行動に、咄嗟にクロスは魔術を練り上げた。

 チラリと彼女に視線を送ったザインが、笑みを深くする。

「忘れていませんか? 私は一人ではないのですよ」

 直後、風切り音と共にクロスの頬を何かがかすめた。

 集中力を乱され、咄嗟に当てた手にぬるりとした感触が触れる。ビィン、と空気を震わす音に背後を見やれば、壁に矢が突き立っていた。

「邪魔はさせんぞ、この魔女め!」

 怒りに顔を真っ赤に染めて叫ぶのは、最初に入ってきた騎士たちだ。ある者は弓を構え、ある者は剣を構えて彼女を睨みつけている。

 対するクロスは表情一つ変えずにグイ、と手の甲で乱暴に血を拭うと物騒に笑った。

「さっさとどけ」

 彼女の魔術に呪文は不要だ。

 それでも、瞬時に集められた魔霊子の膨大さは魔術を扱う者ならば見て取れる。

「馬鹿な…」

 かすれた呻きが騎士たちの喉から漏れた。

 集められたのは『風』だった。もはや不可視の域を超え、一所に密集したそれらは彼女の髪を、ローブを揺らすほど現世に影響を及ぼしている。

 その尋常ならざる数はもとより、彼らが戦慄したのはその速度。

 実際のところ、彼らはクロスを驚異とは思っていなかった。それはもちろん見かけによるところが大きいが、理由はそれだけではない。

 魔術師と剣士が正面から戦えば、高確率で魔術師の方が負けるからだ。


 彼女に呪文は必要ない。意思だけで、考えるだけで魔術を発動できる。


 逆に言えば、考えるがどうしても出てくる。

 魔術を何も知らない者からすれば、彼ら彼女らは無から有を生み出しているように見えるだろう。

 だが、実際は違う。

 指先に炎を灯すためには、その炎を具現化するだけの魔霊子を集めねばならない。炎を形作るための魔導式を構成しなければいけない。

 呪文は、最後の着火点に過ぎないのだ。

 考える、というのは魔術の発動とは切っても切り離させない関係にある。

 それはどれだけ修練をつんでも、魔術というものの性質を考えるとどうしようもない。どれだけ短く出来るかという違いこそあれ、基本中の基本———もっと言うと魔術というものの本質なので省略はできないのだ。

 比べると、格闘家や剣士が攻撃するのは反射に近い。考える前に身体が動いていることなど、彼らにしてみれば日常茶飯事ですらある。


 魔術師に勝つのは実はとても簡単で、魔術を発動する前に叩けば良いだけなのだ。


 だというのに、だ。

 騎士達は悟ってしまった。己の剣では間に合わないと。

 たとえ矢をつがえて放とうとも、風の障壁に邪魔されるだろう。剣の間合いに入る頃には、彼女の魔術は完成しているだろう。

 幾人かは一縷の希望に縋って対抗魔術カウンターを練り上げるが、集まる魔霊子はクロスのそれと比べればなんとも儚い。

「無駄だ。呼応速度なら、風が一番早い」

 笑った彼女はこんな状況だというのに、いや、こんな状況だからこそ壮絶に美しい。

 クロスが解き放った無音の衝撃波は、抵抗すら許さずに騎士達をはね飛ばし、強制的にその身体を外に放り出す。

 一瞬で仲間を倒され、さすがにザインは驚いたようだった。

 大剣を振り上げたまま「おやおや」と眉を跳ね上げる。

「思った以上に役立たずでしたね。そして、やはりあなたはただのお嬢さんではなかったということですか」

「その男を放せ」

 荒れる風纏う白銀の魔術師に、断罪人は目を細める。

「お断りです」

「だろうな」

 始めらから二人の間に『交渉』という文字はない。

 交渉はもとより決裂している。歩み寄る余地は微塵もなく、このやり取りはただの確認事項だ。

 だが、クロスが再び術を発動させる直前。ザインがくつりと喉の奥で笑った。

「言ったでしょう? 私は一人ではないと」

 騎士達が弾き飛ばされ、開け放されていた扉。そこから、再び何かが飛んできた。

 矢なら、彼女の周りを巡る風で叩き落とせる。だが、猛烈に嫌な予感に襲われたクロスは、咄嗟に術を中断して後ろに飛び退いた。

 その眼前を通り過ぎたものを見やり、彼女は愕然とする。

「剣?!」

 飛んできたのは、ひと振りの剣だった。

 矢と間違えんばかりの速さで剣を飛ばすなど、間違っても人の業ではない。

 驚いて戸口に向けた彼女の目に犯人がうつる。

「次から次へとぞろぞろと…」

 淑女らしからぬ舌打ちを漏らした彼女の前に現れたのは、昨夜と同じ黒装束の男達だった。相変わらず、その身体からは不気味な気配がにじみ出ている。

 軽い口調とは裏腹に、クロスは焦っていた。

 少なくとも、彼らはアッシュと互角に渡りあう腕だ。迂闊に攻撃を仕掛ければ、その隙にこちらがやられる。

「それでは、ごゆっくり」

 囁いたザインは、今度こそ剣を持つ手に力を込める。

 あとはこれを振り下ろせば、青年の首は果実よりもあっけなく落とせるだろう。

 だが、少し時間がかかりすぎたらしい。


「さっさと退けよ、クソ野郎」


 冷たい声と共に、足元の青年が目を開いた。




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