1-5.罪人と行き倒れⅠ-⑤
「迷ったぁ?!」
素っ頓狂な声が森に響いた。声を上げたのはアッシュだ。
昨夜クロスに教えた街道は使わず、山道の続きを歩いているので、幸い聞いている人間は周囲にいない。
「普通にミラの街道歩いてて? ゼフィラトに行く途中で?」
「だから、何度も言わすな。そうだと言っているだろう」
「ありえねぇだろ。なんっで、ミラの街道を通ってゼフィラトに行く道から外れるんだよ。あそこはほぼ一本道じゃねぇか!」
信じられない、といった目を向けるアッシュに、クロスは憤然と言い返す。
「だから! 地図を逆に見ていたんだ。そしたらちょうど枝道があって……確か一、二回ほど右に曲がるはずだから、右に行ったらどんどんおかしな方向に分岐していったんだ」
「途中で気づけよ!」
「おかしいな、とは思ったさ。しかし一本道と聞いていたから、普通はすぐに元の道に戻ると考えるだろう!」
「考えねぇよ、普通!」
クロスの主張を一蹴し、アッシュは彼女の持つ地図を見た。
普通の、どこにでもある地図だ。別に彼女のだけ記号が逆になっているわけでも、北大陸が下になっているわけでもない……はずだ。
はず、というのは分岐点に来るたびに彼女がくるくると地図を回しているため、イマイチ自信が持てなかったからである。
方向音痴の者は地図を回すというが、どうやらあれは本当だったらしい。
一方のクロスは、地図を見もせずに進んでいくアッシュに感嘆の眼差しを送っている。
「すごいな、お前は。どうして地図も見ないで方向がわかるんだ?」
「この辺りは昔何度かきたんだよ。そうでないと、こんなわかりにくい道通ったりするか」
「なるほど、それもそうだな。では、このあたりには詳しいのか?」
「そこそこな。そういうあんたは、どこの生まれだ?」
相槌ついでにアッシュが聞くと、若干の沈黙のあとに答えは返ってきた。
「知らん」
「はぁ?」
「私は自分の生まれなんて知らない」
アッシュは隣を歩く少女の表情を伺おうとするが、彼女は目を合わさなかった。
前方をまっすぐに見て唇を引き結んでいる様は、悔しがっているようにも怒っているようにも見える。
やれやれ、と肩をすくめてアッシュも視線を前に戻す。
「南の人間じゃないな、肌の色が違う。髪とか目からして、北っぽい気はするけど」
「わかるのか?」
「ざっくりとした分け方だけどな。南の人間は肌が褐色なのが多い。髪はたいてい金や黒、瞳は赤や紺色みたいなはっきりした色だし、彫りが深い」
初めて聞いたのか、クロスの目が輝く。
「他の地方は?」
「北は色素の薄い奴が多い。肌は白っぽいし、髪は薄茶とか銀。瞳も緑や水色みたいな淡い色ばっかりだな。東の肌はちょうどその中間色って感じか。髪は黒やこげ茶、瞳は黒が多い」
そこまで言って、アッシュはうろんげな目をクロスに向ける。
「あんた一体どこのお嬢さんだよ。地図の見方も知らねぇし、行き倒れるし…」
「ちょっと前までフィードに住んでいたぞ」
真面目に答えられた地名にアッシュは目を瞬かせた。フィードというと、王都に近い都市だ。貴族達の別荘地としても人気で、そこに住んでいたということは正真正銘の『お嬢様』ということになる。
「驚いたな。本当にいいとこのお嬢さんだったとは」
「勘違いするな、私は別に貴族の出ではない。素性も知らない、拾われ者だ」
卑下するでも悲しむでもなく、クロスは淡々と言った。
ならばますます、何故こんなところにいるのか。そんなアッシュの疑問を感じたのだろうか。彼女はさらに続ける。
「少し前に両親が死んだんだ。もちろん血は繋がっていないがな。それで、探しものついでに世界を見てみようと思った」
「探しもの?」
「ああ」
苦笑し、クロスは己の頭を指差した。
「私は、私を探している」
「……? どういう」
「私には記憶がないんだよ。九年より前のな」
思わず足を止めたアッシュは、まじまじとクロスの顔を見た。
「…あんた今何歳だ?」
「十九歳」
なるほど、予想はしていたがやはり若い。
「というと、十歳の時からしか記憶がないわけか」
それは確かに探したくもなる。そう考えたアッシュは、ふと気になったことを尋ねた。
「じゃあ、あんたはいつから魔術を習い始めた?」
クロスはちょっと肩をすくめ「それがな…」と苦笑した。
「気づいたら使えてた。誰にも習っていない」
「何だと?」
目を剥く青年に、少女は困ったように頬をかいた。
「誰にも習ってない? 魔零子の扱いも、魔導式の組み立ても気がついたら出来てたってのか」
「そう驚かれてもな、本当なんだ。信じてもらえないかもしれないが、私は両親に教えられるまで、魔術とは言語みたいに皆が日常的に使えるものだと思っていたくらいなんだから」
あまりの非常識な言い分に、冗談抜きでアッシュは頭痛がしてきた。
「あんたなぁ…。本当だとしたら、世の中の魔術師全員を敵に回す気かよ」
「まさに両親にも同じことを言われた。父親など『お前が女の子じゃなかったら、問答無用でぶん殴るところだ』とまで嘆かれた」
真顔で頷くクロスの様子からして、どうやら恐ろしいことに本気らしい。
普通なら『ほら吹きも大概にしろ』と怒るところだが、彼女の実力を見てしまったし、何よりアッシュ自身が他人のことを言えない立場なものだから、どうにも苦笑を返すしかない。
怒る代わりに、アッシュは別のことを尋ねた。
「親父さん、魔術師だったのか?」
「父だけではない。母も、叔母も叔父も従兄弟もみんな魔術師だ」
ちょっと誇らしげに言って、少女は口を尖らせた。
「さっきから私ばかりが話しているな。お前も何か話せ。秘密はあまり多く抱えすぎても面白くないぞ」
『秘密の一つや二つあるものだ』と言っておいてものすごい暴論だが、これまた真理である。
隠し事を持ち続けるのは辛い。
秘密を背負うのは疲れる。
自分のこと、と呟いたアッシュの目がどこか遠くを見るように彷徨う。
「どうかしたか?」
「いや……」
苦笑を滲ませてアッシュは目を伏せた。
「あんたが新しい記憶を作ってたこの九年間、俺はなにをやってたかって考えてさ。ずっと逃げてたなぁって」
「逃げてた? 昨夜の連中のことか?」
「いや、それもだけど」
どう説明したものかと悩み、結局何も思いつかなかった。
「もっと大事なもの」
さっきの追っ手や、それに付随する諸々はすべて結果に過ぎない。
長い間、自分は目をそらしてきた。
だから、あれも所詮は運命や宿命と人が言うような。つまるところ、そういう自分の流れから逃げ続けてきたものの一つに過ぎない。
驚くほどに、彼には何も無かったのだ。
「よし!」
黙ってしまった青年に何かを感じたのか、突然少女が手をパンと打ち合わせる。
「話題を変えよう。お前、どこか行きたいところとか目的はないのか? ゼフィラトなんて近すぎる目的は駄目だぞ。もっと遠く、ずっとずっと先の―――旅の目的にしよう。そういうのはないのか?」
旅の目的、と呟いたアッシュの唇からするりと言葉が出る。
「北大陸」
遠くを見つめたまま、アッシュはぼんやりと続けた。
「そこで『自分を殺すこと』。それが俺の目的だよ」
クロスの歩みが止まる。
「お前は死にたいのか?」
「まぁ、可能ならな」
青年の口調はひどく軽い。重苦しい言葉とは逆に、乾いた声と笑いには悲観的なところは無かった。
感情の読めない横顔を見上げ、クロスは眉を寄せる。
「だったら逃げる必要はないだろう。さっきの追っ手なら、お前の願いを叶えてくれるんじゃないか?」
呆れ半分、己の命を軽く扱う青年に対する怒りが半分で構成された皮肉が、少女の花のような唇から紡がれる。だがアッシュは、皮肉を気にするでも無く首を振った。
「それは駄目だ」
「どうしてだ? 言ってることが矛盾しているぞ」
「あいつらに殺されるのだけは、駄目なんだ」
真剣な顔と声だった。
しかし、何か事情があるにしても『死にたい』とは何とも後ろ向きな目的である。
「思った以上に非生産的な旅の目的だな」
「そうでもないぞ。俺にとっては、非常に生産的な旅だ…………というか」
アッシュは、ようやっと少女へと視線を向けた。その顔には、隠す気もないほどに『呆れている』と書かれている。
「もしかしてあんた、マジで信じてる?」
「嘘なのか?」
「あのなぁ……」
アッシュはこめかみを押さえた。
「どこの世界にそんな変人がいるってんだ」
「お前は十分変だと思うぞ」
「あんたにだけは言われたくねーよ!」
真顔で太鼓判を押され、思わずアッシュはそう叫んだ。
長らく忘れていた疲労感だが、彼女といると尽きることが無い。
「……何か急に疲れてきた。今日はここで休もうぜ」
「別に構わない。しかし、急に疲れるなんて風邪でもひいたんじゃないのか?」
「誰のせいだと思っていやがる」
ぼそりと呟かれた皮肉に、少女は考えること数秒。
「…もしや私のせいなのか?」
「ええい、他に誰がいる?! もう良いから、さっさと準備するぞ」
強引に話をまとめた青年と少女の頭上には、柔らかい光を放つ三日月が輝いていた。
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