第140話「天罰」
六騎士のその後について、残りは二人。
エシトスとシグだ。
まずはエシトス。
戦後、海軍竜騎士団副団長として、レッシバル団長と共に活躍していたが、二代目院長騒ぎのとばっちりを受けて団長を引き継ぐことになった。
その後はザルハンス提督と協力して帝国沿岸の平和を守った。
彼について〈語れる〉ことは以上だ。
…………
最後にシグ。
彼はロミンガン会談の後、ネイギアス担当部へ異動。
ネイギアスとの関税問題の解決を目指した。
リーベルの遠征という国家存亡の秋の前には霞んで見えるが、関税については戦の前から揉めていた問題だ。
次の火種にならないよう、これも解決しておく必要があった。
シグたち帝国側担当部とネイギアス側担当部が一進一退の論戦を繰り広げていた、ように見えたことだろう。
表向きは。
裏では、戦前の真っ当な状態に戻すと決まっていた。
交渉が始まる前、宿屋号での作戦会議にてシグとトライシオスがそう決めた。
……ここでトライシオスと連邦の戦後を記す。
ネイギアス連邦で行われた、もう一つの退治を。
イスルード島での模神退治は終わったが〈集い〉は解散していなかった。
まだ連邦内にリーベル派が残っている。
魔法先進国のリーベル派だ。
やろうと思えば模神を作れる連中だ。
奴らも退治する必要がある。
レッシバルが模神を退治していた頃、トライシオスも粛清すべき者の選抜を完了していたが、始めるのは戦後と決めていた。
いまがその戦後だ。
市民、商人、海賊、軍人、魔法使い、密偵……
選抜しておいた者たちを容赦なく粛清していった。
残るは、元老を含めた評議員たち。
次は自分たちの番だと悟った評議員たちは、各自の都市へ逃げ帰ろうとしていた。
だが、殆どの者たちが帰国できなかった。
議員の船が……
何者かに襲われた。
船は木片となって島に漂着した。
生存者はおらず、襲撃者については何もわからない。
痕跡を残さず、標的の船を木端微塵にする。
こんなことができるのは小竜隊だけだ。
竜母艦隊はピスカータ沖にいた。
哨戒任務のためだったが、もちろんこれは表向きだ。
実際には〈集い〉の作戦に従って南下し、トライシオスを支援する。
評議員は都市の王族だ。
トライシオスが直接手を下さない方が良い。
だから彼に代わって、竜母艦隊が海に逃げて来た奴らを粛清するのだ。
〈仕事〉が終わった小竜隊が帰艦するとすぐに帝国領へ戻り、トライシオスから要請が入ると再び南下する。
こうすれば痕跡を残さずにリーベル派の議員たちを始末できる。
小竜隊がネイギアス領内に侵入した証拠はない。
目撃者もいない。
けれど、トライシオスの意志に従って動いているのは明らかだ。
リーベル派はもちろん、それ以外の元老・議員たちも戦慄した。
ロミンガンに居ては粛清される。
でもロミンガンから出れば小竜にやられる。
……ならば、執政を暗殺するというのは?
試みる者もいたが、シグから派遣されていたネレブリンによって全て失敗した。
暗殺者が返り討ちに遭ったり、仕留めたと思った執政が〈影〉だったり。
追い詰められたリーベル派元老及び評議員は自害するか、実家の手にかかった。
幸運にも自都市へ逃げ帰れた者は、国王が幽閉した。
できればこの機会に一掃したかったが、まさか都市へ踏み込んで討ち取るわけにもいかない。
体調不良ゆえに帰国したので、二度と外に出さないという都市国王の妙な約束をいまは受け入れた。
でも諦めたわけではない。
あくまでも「いまは」だ。
時間はかかるが、安心した頃に都市城内へ暗殺者を送り込んで……
トライシオスは無敵艦隊撃破からこの粛清を通して、元老院に力を示した。
もう暫定執政と陰口を叩く者はいない。
正真正銘の執政と認められたのだった。
***
粛清が終わる頃、関税交渉も纏まった。
両国が制裁を加え合うような状況は解消された。
一時の平和に過ぎないが……
どうせすぐにネイギアス商人が相場を操ろうと良からぬことを画策する。
そんなことをされれば、帝国側も取り締まりを強化する。
やがてどちらからともなく関税の掛け合いが始まり、少し経った頃、お互いに制裁はやめようという流れになる。
……永遠に終わらない小競り合いの円環だ。
しかしこれで良いのだ。
人は一人一人違うのだから、ずっと仲良くできるはずがない。
それなら程々の平和と揉め事が巡っている方が良い。
小競り合いが絶えないが、その代わりに大戦争は起きにくい。
国に力が溜まると、ろくでもないことを言い出す。
世界征服とか、杖計画とか。
だから世界は余計な力が溜まらないよう永遠に小競り合え。
〈老人たち〉が描く円環の中で。
宿屋号での作戦会議において、シグはこの円環に賛成した。
以前なら反対だ。
小競り合いが永遠に終わらない世界なんて、とんでもない話だ。
心から賛成することはできない。
けれども模神退治を通して、平和は綺麗事では作れないのだと学んだ。
平和に仲良しの精神は必要だ。
ではその精神を如何なる手段で具現化する?
意見の相違を話し合いで解決するというが、結局、大国の言い分ばかりが通っていくだろう。
そうやって出来上がった綺麗な平和は裏側を見れば亀裂だらけだ。
遠からず割れる。
割れない平和を作りたかったら、大国も小国も同量・同程度に譲り合えば良いが現実には無理だ。
ならば後は〈老人たち〉の言う通り、小競り合うしかない。
シグを始め、模神退治を経験した後の探検隊に、円環を強く否定できる者は一人もいなかった。
***
ピスカータ探検隊は村の仇を討ち、模神を退治して世界を救った。
戦後はそれぞれの能力を発揮し、大騎士の名に恥じない活躍だった。
五人の家族も天国で喜んでいることだろう。
五人?
残りの一人は?
シグだ。
彼の家族は喜んでいない。
いや、関税の交渉までは誇らし気だったのだが、その後の彼の人生に対しては哀しそうな表情になってしまった。
天国の家族が哀しむのも無理はない。
帝国で誰も逆らえない権力者になり、リーベル王国と共和国を滅ぼすのが、シグなのだから。
かつて舅の外務大臣が予感していた。
婿殿は王になる。
王が無理ならば強大な勢力の主になる、と。
予感は当たった。
正騎士も大貴族たちも、老いてもまだ在位し続けているテアルード七世陛下でも逆らうことはできない。
帝国宰相、シグ公爵には誰も……
***
交渉が終わって帝都へ戻ったシグは出世していった。
そのことは良いのだが、忙しくてリアイエッタへ戻れなくなった。
そこで代官を送り、家族とネレブリンを帝都へ呼び寄せた。
帝都は避難していた人々が戻ってきて騒がしかったが、シグと彼の家族にとっては穏やかな時だった。
暫くは平和が続いた。
その平和、判断を間違えなければずっと続いただろうに……
小さかった姉弟も大きくなり、シグ夫婦の下から羽ばたいていった。
娘は皇太子妃になった。
同じく立派な若者に育った皇太子殿下が、どこかで娘を見かけたらしい。
一目ですっかり気に入ってしまったのだった。
後から娘も……
大舅は大貴族の外務大臣、舅のシグは大騎士の外務官僚だ。
家柄に申し分はない。
テアルード七世陛下も結婚を祝福して下さった。
……皇太子殿下が強く望み、陛下も賛成している婚姻を断るのは難しい。
だからこれを誤りの一つには数えない。
数えないが、後で振り返ったとき、後に続く間違いの土台だったのだと気付く。
翌年、夫婦に元気な皇子が誕生した。
産声が宮廷内外に告げる。
孤児だったシグが将来、皇帝の外戚になるのだ、と。
……大貴族たちが黙ってはいない。
***
シグの息子も立派な若者に育った。
竜騎士団入りを止めたい母親に「やにゃ!」と反抗していた少年だ。
彼は幼少時の夢だった竜騎士になることができた。
陸軍竜騎士団の正竜騎士だ。
いきなり竜騎士団入りではなく、まずは正騎士になるため騎士団の試験を受けた。
試験を突破すると悪名高い審査が待っているが、外務大臣の孫ということもあって正騎士になる〈格〉を備えていると認められた。
それから竜騎士団に転向した。
夢が叶って良かったのだが……
少年時、竜騎士といえば陸軍だった。
当初は陸軍の大型竜に乗ることを目指していた。
ところが、その後に小竜隊という選択肢が現れた。
彼は両親に告げた。
陸軍ではなく、海軍の竜騎士になりたい、と。
父親であるシグは最初、息子の決断を尊重したが、母親は猛反対した。
彼女は息子が竜騎士になることには、いまでも反対だ。
だが成長するにつれて高まっていく空への憧れに、竜騎士団入りを覚悟してはいた。
けれど、母親が我が子を危険から遠ざけたいと願うのは当然だ。
彼女が諦めたのは、陸軍の大型竜に乗ることについてだけだ。
小竜隊の過激な飛行を見て、海軍入りだけは断固反対した。
「そもそも憧れていたのは陸軍竜騎士団だったはず!」
という彼女に夫と息子は反論できず、陸軍竜騎士団に妥協したのだった。
これがシグの誤りだった。
妥協するべきではなかった。
息子の決断を尊重するという姿勢を貫くべきだった。
確かに小竜隊の飛行は過激だ。
だが、エシトス団長がおり、レッシバルも教官として関わっている組織だ。
過激だからこそ訓練は厳しいが、理不尽なものはなく、シグの息子にとって〈安全〉な組織だといえる。
対して陸軍竜騎士団の大型竜の飛行は過激ではないが、正竜騎士たちが数と勢いを増している組織だ。
その組織で、息子は異物だった。
正騎士や正竜騎士は家柄の良い貴族たちだ。
家柄や血の尊さを比べ合う。
この点、母親は大貴族だが……父親のシグは平民だった。
息子は確かに正竜騎士だが、尊い正竜騎士様たちにとっては〈雑種〉なのだ。
雑種と隊列を組むなど貴族の誇りが許せない。
彼らの実家も怒っていた。
雑種の正竜騎士も不愉快だが、シグの娘が貴族社会に齎す害悪は甚大だ。
皇太子に見初められて妃になってしまった。
そして「おかしい!」と怒っている間に皇子が生まれてしまった。
皇太子殿下の血を引く雑種の男子が。
実家たちは共通敵を前に一致団結した。
これ以上自分たちが大切に守ってきた〈尊さ〉が汚染されないように異物は排除すべきだ。
まずは手近なところから。
***
正竜騎士とその実家は異物を排除すると決めた。
それから少し経ったある日のこと——
シグの息子が亡くなった。
演習中の事故死だ。
亡くなったのは彼だけではない。
彼が育ててきた若い騎竜もその場で駆除された。
息子の戦隊と演習相手の戦隊、合計五人の正竜騎士たちが口を揃える。
演習中、息子の騎竜が突然首を後ろに伸ばして彼を噛み殺した。
その後、竜騎士不在で暴れ狂うので、騎竜も駆除せざるを得なかった、と。
しかし、この報告にレッシバル教官が異議を唱えた。
彼も昔、騎竜を敵の術士に操られたことがある。
その時、竜は彼を噛もうとしたが、竜の首は真後ろには曲がらない。
一体、どうやって噛み殺したのだ?
他にも疑問がある。
若竜は竜騎士が潰されたら僚騎に付いてくるものだ。
自分から大人しく。
それが、竜騎士不在で暴れ狂った?
考えられるのは一つだけだ。
五騎による〈親殺し〉だったのでは?
竜にとって、シグの息子は孵化のときから育ててくれた〈親〉だ。
親殺しの五騎に対して騎竜は激しく抵抗する。
レッシバルとエシトスの見解をシグは静かに聞いていた。
おそらく二人の見解は正しい。
しかし証拠を伴わない推測にすぎない。
二人には他言無用を約束させた。
二人を帰らせた後、竜騎士団の団長が〈断片〉を可能な限り集めてきたといって、骨壺を届けてくれた。
状態が酷いので、五騎が現場で荼毘に付したものだというが……
「お持ち帰りください、団長」
「!」
団長は一瞬驚いたが、冷静なシグの目を見て意味を理解した。
「そうですね……出直します」
「……よろしく」
団長は知っている。
骨壺の中身が別人であることに。
騎竜に身体の殆どを食いちぎられたのだろう?
荼毘に付さなければならないほど状態が酷かったのだろう?
ならば骨壺の中身はどうして欠損なく、全身が綺麗に揃っているのだ……
正体は現場付近にいた旅人か配達屋だろう。
でも正竜騎士たちから「これが遺骨だ」と提出されたら、遺骨として扱うしかなかった。
レッシバル在籍時より正竜騎士の数が増えているのだ。
団長の権限は弱まっていた。
シグはそれを見抜いて受け取りを断ったのだ。
息子でないものを受け取っても仕方がない。
翌日のことだった。
件の大型竜五頭の内の一頭が、食事を与えようとした正竜騎士を食ってしまった。
先日、覚えたばかりの人間の味が忘れられなかったのだろう。
餌と人間が出てきたから人間を選んだ。
竜にとってはそれだけのことだった。
しかし竜騎士団はそれだけでは済まない。
人間の味を知ってしまった竜は直ちに駆除する。
その日のうちに、竜の骨の欠片と灰を詰めた骨壺を持って団長は出直すことができた。
前回と違い、今回は〈息子〉が混じっている。
シグ一家はようやく葬儀を執り行えたのだった。
舅殿と妻には、あくまでも事故死だとした。
彼女が薦めた陸軍竜騎士団入りが息子を死に追いやったかもしれないなんて、あまりにも辛すぎる。
葬儀中、隣で泣き崩れる妻を宥めていた。
でも一人になった時、シグは空を眺めながら静かに涙した。
息子が幼少の頃から憧れていた空だ。
トライシオスが帝国内の密偵が掴んだ情報を伝えてくれていた。
息子殿が陸軍竜騎士団で異物扱いされている、と。
レッシバル、エシトス、ザルハンスが海軍に転向した方が良いと何度も薦めてくれていた。
なのに「困っていることはないか?」と尋ねることしかできなかった。
息子は心優しい若者だった。
父親に心配をかけまいと「大丈夫!」と微笑んでみせた。
そして、帰ってこなかった。
かつてシグは息子の夢を守るために海を渡り、リーベル派から帝国を守った。
シグたちの尽力がなければ、正竜騎士も貴族も皆〈原料〉にされていたことだろう。
ところが息子を殺害したのは帝国の貴族たちだった。
平民だけでなく貴族たちも〈原料〉化から救ったために、息子は死ぬことになったのだ。
なんという皮肉だ。
模神といえど、神と名が付くものはすべて神であり、神殺しには皮肉な天罰が下るとでもいうのか……
あと彼の血を引く子供は皇太子妃と幼い皇子だけ。
貴族たちは異物の駆除に情け容赦ない。
二人を亡き者にしようと暗殺者を差し向けた。
……幸い、暗殺は皇太子妃に付けておいたネレブリンたちによって阻止された。
だが度重なる心労でシグが倒れた。
平民の大騎士が高熱でうなされる様は、貴族にとってさぞ気味が良かったことだろう。
三日間苦しみ、四日目の朝にようやく熱が引いた。
身体を起こし、窓から青空を眺める顔は迷いが吹っ切れたようだった。
シグは、鬼になった。
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