第137話「敗者なき戦い」
ウェンドア城から南の浜——
二艘のボートへ駆けて来る集団が見える。
その数、一〇人。
一人は帝国人、九人は変身が解けたネレブリン。
シグたちだ。
「五人ずつに分かれて!」
ボートの水夫たちは身振り手振りで二組に分散するよう指示する。
さすがはシグだった。
事前に打ち合わせていたわけではないが、ボートが二艘あることと、人数を考えて水夫の意図を理解した。
一〇人は走りながら五人ずつ二組に分かれ、それぞれが乗るボートに辿り着いた。
「シグ様、先に乗って下さい!」
「押せぇっ!」
シグが先に乗り、水夫は漕ぎ手の位置に着き、ネレブリンたちがボートを海へ押してから乗り込む。
浜に一人も残さず、二艘は出発した。
ボートが進み始めると、ネレブリンたちもボートの船底にあった予備の櫂を取って一緒に漕ぎ始める。
シグたちにとっても、フォルバレントにとっても、いまが一番無防備なときだ。
ネレブリンたちも波や揺れの中では、精霊を満足に呼び出すことができない。
いま沿岸警備の魔法艦が現れたら抵抗できない。
フォルバレントはボートが帰ってくるのを大人しく待っているしかない。
気が焦り、少しでも速く進もうと手空きの者も自らの手で水を掻く。
シグも手で水を掻きながら、視線は城門南側に釘付けになっていた。
遠目に、エシトスたちは大水門にいなかった。
巣箱へ帰ったとは思わない。
一旦大水門から離れ、援護の用意をしているのだと思うが、周囲には影も形もないので若干不安になる。
攻め寄せていた小火竜の群れがいなくなったことで、守備隊が南のフォルバレントに気付いた。
シグが注視していたのはそのためだ。
大水門から南の城壁へ兵が移動してきている。
モタモタしていると魔力砲の発射準備が整い、フォルバレントや自分たちが城壁から撃たれる!
「漕げ! 全力で漕げっ!」
だがフォルバレントまではまだある。
無情にも、その間に魔力砲の用意が整ってしまった。
「あ……あぁ……」
シグの位置からは残酷なほどよく見える。
こちらを狙う魔力砲の赤光が。
そのときだった。
フォルバレントの船首の前と船尾の後ろを、銀色の風が抜き去った。
風はそのまま城壁南側へ到達し、
ボッ、ボッ、ボゥッ、ボッ、ボォッ!
と、五つの火の玉を放って上方へ吹き抜けていく。
直後、
ドガァッ!
ドゴォォォッ!
ゴガァァァン!
全部で五発。
爆発が連鎖した。
城壁でも障壁は張られていたので、この爆発による死者は出なかったが、怪我人は出た。
魔力砲は無事だったが再装填や狙い直しの作業があり、いますぐの発砲は無理だった。
銀色の風はエシトスたちだった。
大水門から離れた後、南へ大きく旋回しながら溜炎の用意を整えていたのだった。
旋回が大きすぎてフォルバレントの後方にいたため、シグたちのボートからは見えなかったのだった。
火竜隊第二・第三小隊も守備隊の注意を引こうと城壁攻撃に加わる。
障壁を破壊する爆炎がほぼ同時に三箇所から上がった。
大水門の堅い守りに尻尾を巻いて退散したと思われた小火竜が逃げてはいなかった。
その勇敢さには驚いたが、守備隊は動揺してはいなかった。
大水門と城壁南側では、守備隊の立場が大きく違うからだ。
守備隊にとって大水門での戦いは防衛戦だったが、ここ城壁南側の戦いは追い討ちをかける戦いだった。
小竜が砲撃を掻い潜り、距離を詰めてくるから苦戦したのだ。
今度は刻々と離れていってくれる。
離れれば離れるほど、魔力砲の本領を発揮できるというもの。
小竜隊は大水門を破れずに引き揚げたかに見えたが、あの船を守りに戻ってきた。
どうやらあの中型船は小竜隊にとって大事なものらしい。
ならば魔力砲で狙うべきは……
「対空迎撃は銃撃や付与矢で竜騎士を狙え! 魔力砲はあの中型船に集中せよ!」
士官たちがついに気付いてしまった。
攻め寄せてきた帝国軍の弱みに。
対する火竜三個小隊は溜炎を撃ち、手投げ弾を投げる。
少しでも魔力砲の照準をずらそうと必死だ。
彼らの奮闘の甲斐はあった。
何発かは発射を防げなかったが、溜炎に削られた障壁の修復のために魔法兵が誘導することはできなかった。
全弾命中せず。
シグたちは水柱の中を必死に漕ぎ、フォルバレントに到着した。
ところが、トトルとシグに再会を喜ぶ暇はなかった。
高層見張り台から、悲鳴のような報告が伝声筒に届く。
「北から魔法艦!」
賢者たちの息のかかった魔法艦か。
あるいは帝国船を撃沈しに来た沿岸警備隊の艦なのか。
どちらであっても、フォルバレントが魔力砲で撃たれるという結論は変わらない。
火竜隊は城壁への対処で精一杯。
沿岸警備隊へ対処するには手が足りなかった……
魔法艦は誰にも邪魔されずに面舵一杯。
砲口から赤い光を漏らしながら、左舷側をフォルバレントへ向けていく。
赤光が完全に正対したときが、帝国船の息の根が止まるとき。
まだだ。
あと少し……
…………
いまだ!
ボゥンッ!
ヴァンッ、ヴァシィッ!
バチィィィッ!
それは一斉射撃が始まる寸前だった。
突如、天空から降り注いだ四つの青白い光球が赤光を塗りつぶした。
青白い光球は甲板を突き破って艦内で弾け、魔法艦を転移消滅へ追い込んだ。
沿岸警備隊はアレータ海海戦の詳細を知らない。
自艦が何にやられたのかわからなかっただろう。
でもシグとトトルは知っている。
ゆえに空を見上げた。
「レッシバル!」
青白い溜雷を放つ銀色の翼。
レッシバル隊が間に合った。
「ウェンドア港から警備隊が南下を始めている! フォルバレントは一刻も早く戦域から離脱するんだ!」
シグとトトルの伝声筒からラーダの声がする。
でも四騎は急降下で現れた。
あの中にラーダはいない。
ではどこに、と周囲を見渡すが見つからない。
全周見渡して見つからないときは……
上だ!
見上げると五騎目の小雷竜はそこにいた。
「ラーダ!」
彼は高空から魔法艦を感知し、小竜隊に報せるという大事な務めを果たしていた。
「新たに南からも魔法艦二隻!」
「二・三小隊は城壁への攻撃を続行! 一小隊行くぞ!」
北から押し寄せて来る魔法艦にはレッシバル隊が、城壁守備隊と南から来る魔法艦にはエシトス隊が対応した。
その間にフォルバレントは砲弾着水の水柱に挟まれながらも、順風を受けて速度を上げていく。
やがて西の水平線の向こうへ。
残るはソヒアムだが……
すでに離脱済みだ。
レッシバル隊はウェンドアへ直進せず、イスルード西岸を経由していた。
沖へ出ずとも、そこまで近付けば伝声筒で互いの無事を確認できる。
ソヒアムは無事だった。
互いの無事を確かめ合うと、雷竜隊は北へ転針。
ソヒアムはすぐに西へ離脱した。
南から魔法艦が北上してきたのはその後のことだった。
おそらく魔法艦の位置からなら、探知どころか小さく霞むソヒアムの姿を視認することもできたと思う。
それでも撃ってこなかったのは、ウェンドアへ急行せよという緊急命令に縛られていたからだった。
命令を発したのが賢者だったにせよ、王国海軍だったにせよ、従う側にとっては同じことだった。
賢者たちの命令は、帝国の賊共をウェンドアから逃がすなというもの。
王国海軍の命令は、ウェンドアを守るために小竜共を撃ち落とせというもの。
一刻も早くウェンドアへ来いという点は同じだ。
遠くに霞む船が小竜共の母艦なのか、急に始まった戦を避けて遠巻きに待機している交易船なのか。
ウェンドアへ急行しなければならない魔法艦に、確かめている時間的余裕はなかった。
小竜隊からは見えないが、水平線の向こうでは待機していた巣箱三艦にフォルバレントとソヒアムが合流した。
ザルハンスが巻貝で合図を送ってきた。
レッシバルの模神退治成功の合図から始まった、本作戦最後の合図だ。
「全騎、退却っ!」
「退けぇっ!」
もう時間を稼ぐ必要はない。
小竜隊はあっという間に西の海へと飛び去っていった。
「やったぞぉぉぉっ!」
「俺たちは竜に勝ったぞぉっ!」
大水門に続き、城壁南側でも小竜隊を阻止し、街への被害はなかった。
守備隊はウェンドアを守り抜いた英雄だ。
市民たちの拍手と歓声がいつまでも絶えることはなかった。
***
小竜隊を追い払った後、城壁南側で一人の守備兵が何気なく発した「俺たちは竜に勝ったぞ!」という言葉。
俺たち——
これは非常に難しい言葉だ。
〈俺たち〉とは誰のことだろう?
守備隊に決まっているではないか、と突っ込まれそうだがちょっと待ってほしい。
守備隊の内、真面目に小竜隊を迎撃していたのは陸軍だけだ。
海軍は敵を陸軍に任せ、研究所へ駆け付けようとしていた。
魔法艦はウェンドア港へ駆け付けてきたが、小竜を一騎も撃ち落とせなかった。
海軍魔法兵が去った後も大水門を守っていたのは陸軍だ。
小竜を弾幕で弩の前へ誘導する戦法を編み出したのも陸軍だ。
市民たちも見た。
ウェンドアを守ってくれたのは〈海の魔法〉ではなく陸軍の守備隊だった……
よって〈俺たち〉とは陸軍のことであり、〈海の魔法〉が手も足も出なかった小竜を追い払った。
ではリーベル軍が勝利し、レッシバルたちは敗れたのかというとそうでもない。
戦域を離脱し、帰国の途に就く巣箱艦隊に敗残者の悲壮感はない。
退却してきた小竜が着艦する毎に、艦隊を包む喜びの声が増している。
不思議な戦いだ。
敗者がいない。
帝国軍は模神を退治し、リーベル王国に賢者たちの罪を暴露した。
さらに、これから力を盛り返していく宰相と終戦で話がついた。
大勝利だ。
リーベル王国は小竜を撃退することに成功した。
また、賢者たちの謀反にギリギリのところで気付くことができた。
大勝利だ。
……一応、賢者たちが敗北者といえそうだが、研究所は王国の一機関に過ぎない。
王国が勝利したのに、一機関が敗北したというのは奇妙だ。
しかも所長たちはいまや謀反人だ。
リーベル王国の一員ではなくなったのだから、数に入れることはない。
***
小竜隊退却後、研究所——
街の歓声は研究所最上階の所長室まで届いていた。
扉の向こうからも聞こえてくる。
何も知らない研究員たちだ。
純粋にウェンドアの無事を喜んでいる。
「静粛に!」と普段なら黙らせるところだが、いま所長室にいる賢者たちにとっては、もはやどうでも良いことだった。
ついさっきのことだ。
宰相から伝声筒で降伏勧告が届いた。
「模神を失った以上、おまえたちの抵抗は無意味だと知れ」と。
リーベル王国は魔法王国だ。
イナンバーク程度の魔力の持ち主は宮廷だけでなく、市中にも山ほどいる。
模神の名は知らずとも、市民たちも森で大きな〈気〉が動き出し、すぐに消えたことを感知したはずだ。
宰相に知られ、陛下に知られ、市民にも知られてしまった。
いまさら——
「言い逃れることはできん、か……」
窓の下に広がる街並みを見る。
街はそこかしこでお祭り騒ぎだが、こちらに向かってくる集団がいる。
陸軍だ。
一個中隊、いやその後をもう一個中隊が続いている。
合計二個中隊でこちらを逮捕しにやってくる。
所長は窓から振り返ると居並ぶ賢者たちと目が合った。
互いの目を見てわかった。
今後の方針について、思いは一緒だったようだ。
「諸君——」
バァン!
「っ!?」
「所長、大変です! 陸軍がここへやってきます!」
ワールダインが危険を知らせに勢いよく飛び込んできた。
所長室の扉は分厚く、室内の様子がわからなかったのだ。
「知っている。いま今後の方針ついて話し合うところだった」
「そ、そうでしたか。失礼しました」
階段を駆け上ってきたのか、若者は弾む息を整え、出ていく気配がない。
まさか……
我々の話し合いに若輩者が参加する気か?
「君は一階へ戻って時間を稼げ。陸軍が踏み込んでこないようにな」
「は、はい! すぐに」
ギロリと睨まれたワールダインは立場の差を思い出し、慌てて部屋を飛び出していった。
「……まったく」
所長は再び閉じられた扉に施錠をすると、机の引き出しから薬瓶を取り出した。
大きさは酒場でよく見かける一般的な酒瓶ほど。
ここにいる者たちの分しかないのだ。
ワールダインの分はない。
「諸君、我々はイナンバークの戯言に従うつもりはない」
話を続けながら、賢者たちにグラスを渡していく。
「そして奴の飼い犬共に殺されるつもりもない」
トクトクトク……
薬瓶の中身を一人一人に注いでいく。
毒?
イナンバークの飼い犬、陸軍二個中隊に殺される前に自害しようと?
いや、薬瓶のラベルには古代語でこう記されている。
『不死化薬』と。
不死化薬——
文字通り、飲んだ人間を不死に変える死霊魔法の薬。
心臓の鼓動は止まり、〈食生活〉が変わってしまうが、代わりに人間を超越した高い能力を有することができる。
以前、リーベル派の〈老人たち〉から贈られた。
万が一、模神の作成途中で賢者たちの身に危険が及んだときのために。
飲めば賢者たちは不死の化け物になってしまうが……
記憶も思考も生前のままだ。
不死の身体で危機を乗り越えた後は、研究を続けることができる。
模神が完成すれば、始原の魔法で何でも思いのままになるのだ。
生者の血を啜ることに抵抗があるなら、そのとき人間に戻せば良いだろう。
ネイギアスは外法の研究を隠しているつもりのようだが、他国から見れば大っぴらにやっているようなものだ。
リーベルでも不死化薬のような高位外法物は作りにくかったので、大人しく頂いておいた。
正直、杖計画が失敗することはないと思っていたので不要だと思っていたが、まさか必要になるとは。
「では、賢者たちのこれからに!」
酒ではないのだが、薬液が赤いためにワインのようだった。
そのため、乾杯のようになってしまった。
所長がグラスを掲げると皆も続き、一気に飲み干した。
……ゴクンッ。
躊躇いも恐怖もなかった。
元々、人間を超越して神になろうと考えていた者たちだ。
人間から神になる予定だったが、間に不死を少し挟むだけだ。
彼らにとって人間をやめるということは、その程度のことだった……
まもなく身体の中で変化が起き、賢者たちは確かに不死化した。
これで銃や剣で殺されることはないだろう。
だが……
ワールダインを含めた研究員たちを一階で捕縛し、所長室の前に辿り着いた陸軍兵たちは、扉をけたたましく叩く音と唸り声に足が止まってしまった。
ドンドンドンドンドン……!
「アアアァァァッ!」
「ウォアァァァ……」
所長たちはゾンビと化していた。
扉を叩いているのは単純に邪魔だからだ。
外から肉の匂いがするので、施錠された扉を叩き破ろうとしているだけだ。
世界最高の頭脳どころか、もはや解錠する知性もない。
不死化薬は偽物だった。
本当は飲んだ者をゾンビに変える薬だった。
……ゾンビも不死には違いないから、偽物というのは言い過ぎか?
如何にも〈老人たち〉らしい。
〈老人たち〉は失敗した者に厳しい。
模神の作成途中で賢者たちの身に危険が及ぶということは、杖計画が外部に漏れたということだ。
尻尾を掴まれた者を救うはずがないではないか。
賢者たちが逆の立場なら、自分たちに繋がりそうな者はすべて口を封じるだろう?
ならば不死化薬がゾンビ薬だったとしても、お互いに相手の気持ちが理解できるのだから恨みはないはずだ。
それが〈老人たち〉というもの。
いくら困ったからといって、確かめずに飲む賢者たちが愚か者だったのだ。
中隊長は神殿に協力を要請し、神殿魔法兵が揃うのを待ってから扉を破壊した。
扉がなくなったのでゾンビ化した所長たちが通路に飛び出してきたが、そこは神殿魔法兵による〈祈り〉の範囲内だった。
〈祈り〉は葬式で神官が唱えてくれるお祈りではない。
悪しきものへの攻撃を目的とする神聖魔法の一つだ。
悪霊の他、ゾンビと化した者にもよく効く。
「オゴエェェェッ!」
「グウォアァァァッ!」
元所長たちは〈祈り〉に怯え、おぞましい叫び声を上げながら室内に逃げ込む。
しかし〈祈り〉の効果範囲は広い。
声が届く範囲内だ。
つまりゾンビにとって、室内は逃げ場のない地獄だった。
結局この事件は、怯えて動けなくなった元所長たちの首を魔法剣士たちがすべて刎ねたことで終結した。
ゾンビ共を退治後に室内を調べたが、模神に関する資料はすべて処分済みだった。
杖計画を闇に葬ってから、賢者たちも自身を始末したのだろう。
なぜ普通に自決せず、ゾンビになろうとしたのかは不明だが……
ピスカータの悪ガキ共に〈原料〉集めを散々邪魔された挙句、模神をあっけなく破壊され、リーベル派の〈老人たち〉からは見捨てられる。
世界最高の頭脳集団と謳われた研究所所長と側近たちの、何とも惨めな末路だった。
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