第133話「孤立無援」
大水門での爆音はウェンドア中に轟いた。
新旧両市街に。
宮殿に。
そして、研究所にも。
賢者たちの一人……研究所所長は衛兵に門を閉じるよう命じた。
研究所は、世界最高の魔法研究機関だ。
新しい魔法艦の図面や魔力砲の製法……
他にも古代の遺物や開発中の呪物等、他国にとって研究所は〈宝の山〉だ。
騒ぎに乗じて〈宝〉を狙う密偵が侵入してくる虞がある。
そのため、研究所は独自の判断ですぐに門を閉じることができた。
最近も門を閉じた。
ネイギアス大使館爆破事件のときに緊急閉門した。
執政の暗殺は予定していたが、爆破は予定外だったからだ。
研究所では様々な資材を必要としており、中には怪しげな資材もある。
そのような資材は白昼堂々というわけにもいかず、夜に搬入されることが多い。
よって基本的に研究所の門は一日中開かれているが、あの日はすぐに閉じた。
だから門を守る衛兵は、朝から緊急閉門を命じられても「なぜ?」とは問わなかった。
大水門から空に轟く爆音を衛兵も聞いている。
あと少し指示が遅れていたら逆に「閉門しないのか?」と問い合わせるところだった。
指示に従い、閉門作業を始める衛兵。
しかし重要なものを守りたいあまり、門扉が大掛かり過ぎてすぐには閉まらない。
厳重すぎるのも考え物だ。
そのせいで閉まり始めたばかりの門を、外国人一〇人組が堂々と入ってきてしまった。
観光客か?
「コラッ、入っちゃいかん!」
衛兵の制止の声に、代表者らしき外国人が答えた。
「君、賢者たちはどの建物にいるんだ?」
「賢者?」
ここにいるのは研究員たちばかりで、賢者などという役職も階級も聞いたことがない。
質問に答えられずにいると、集団は無視して先へ進もうとするので、衛兵は前に回り込んで進路を塞いだ。
「ここは立ち入り禁止だ! いますぐ出て行かないと逮捕するぞ!」
逮捕とは、なかなかに強い警告を発する。
だが、外国人たちには何の脅しにもならなかったようだ。
キョロキョロと敷地内を見回し、一人が最も背の高い建物を指差した。
「シグ卿、あの建物にいるのでは?」
「そうかもしれない。馬鹿者は高い所から人を見下ろすのが好きだからな」
シグ卿……
集団は外国人観光客ではなかった。
シグ率いるネレブリン隊だ。
今朝まで、シグと護衛数名は宮殿へ、残りのネレブリンたちは研究所へと分かれ、それぞれ暴れるつもりだった。
だが朝食を取りながら、全員で研究所襲撃に変更した。
ウェンドア滞在中に密偵から教わった情報によると、賢者たちとは研究所所長と側近の研究者たちのことらしい。
側近たちは研究所に篭りっぱなしかもしれないが、所長は宮殿にいることも少なくないという。
叩くべきは宮殿の所長か?
研究所の側近たちか?
今朝まで悩んだが、研究所に決めた。
理由は所長だ。
密偵は所長の予定を掴んでいたが、その通りに動くかどうかはわからない気まぐれな男らしい。
所長も研究者なのだ。
宮殿へ向かっている途中であっても、現在手掛けている研究について何か思い付けば、即座に研究所へ引き返す。
その身勝手さを咎める者はリーベルに存在しないし、いたとしても気にしない。
たとえ陛下直々の御叱りだとしても。
そこで確実にいる側近たちに決めた。
宰相と話がついているとはいえ、宮殿で暴れたら近衛兵が出て来てしまうかもしれない。
下手をすれば所長を取り逃がした上、こちらが捕らえられてしまう虞がある。
シグは模神退治に来たのだ。
厳密には、賢者たちを討ち取りに来たのではない。
模神起動の指示を出させるのが目的だ。
その指示を発するのが宮殿からであろうと、所長の命を受けた側近からであろうと、どちらでもラーダは術式の〈気〉を感知できる。
衛兵を放置して話が進む一行。
高い建物を目指すと方針が決まり、そのまま置き去りにして通り過ぎようとする。
ついに衛兵は激昂し、
「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」
ホルスターから短銃を抜き、シグに向けた。
脅しか、それとも本気か?
どちらにしても彼の右手が引き金を引くことはできなかった。
文官風の男がシグへ向けられた短銃を指差し、短く何かを呟いた。
その途端、
「ぎゃあああっ! て、手がぁっ⁉」
衛兵の右手首から先が氷に覆われた。
手首から先ということは当然、彼の右人差し指も凍りついている。
もはや引き金を引くことも、短銃を捨てることもできない。
文官風の男はネレブリンだった。
呼び出したのは氷の精霊フラウ。
その氷雪の力を以て短銃と右手を凍らせ、銃撃を防いだ。
フラウは小さい真っ白な少女のような外見をしており、いまはフワフワと召喚者の傍に漂っている。
この世界に召喚されて早々、見事な働きだった。
「何だっ⁉」
建物の窓という窓から、研究員たちが注目する。
悲鳴のせいか、精霊魔法の〈気〉が感知されたのかは不明だが、これで侵入に気付かれた。
でも別に構わない。
敷地内へ隠密に入ることができたとしても、目立ちそうな場所で尋ねるつもりだったから。
賢者にも研究員にも聞こえる大きな声で、
「模神はどこだぁぁぁっ!」
この瞬間、衛兵との騒動に注目していた者たちすべてが〈模神〉の名を耳にした。
とはいえ、殆どの者はそれが何なのかはわからなかった。
「模神って何だ?」
「さあ?」
尋ねる側も尋ねられる側も初耳だった。
けれど、さすがはリーベル王国の頭脳集団だ。
模神が何なのか、その場で意見を出し合い、推測し始めた。
ここは研究所だ。
そこへ乗り込んでくるということは、魔法に関するものだ。
即ち模神とは、リーベルの密偵が帝国領から秘密裏に持ち出したモノ。
古代の遺物や財宝なのではないだろうか?
彼らの古代遺物や財宝という推測は外れているが、帝国領から持ち出したモノという点は合っていた。
尤も、モノは〈物〉ではなく〈者〉なのだが……
***
研究員ワールダインは所長室へ急いでいた。
杖計画と無関係の研究員たちは呑気に推測を述べ合っているが、彼はそれどころではなかった。
まだ〈賢者たち〉には数えられていないが、杖計画の下位構成員だったから。
彼はラーダの学友であり、〈三賢者の霊廟〉へ参拝しに行った一人だ。
学業成績が最も優秀だったワールダインは研究所へ入り、いまは杖計画の一員だった。
だから他の研究員と違い、模神についてもよく知っている。
少しでも甘いところを見せればすぐに反旗を翻す各国。
〈海の魔法〉の力を以てしても平和にならなかった世界。
そんな心休まらない世界を平和にできる最高傑作。
それが模神だ。
模神が完成すれば世界は平和になり、武器が不要になる。
魔法艦さえも。
ゆえに平和を望まない敵から妨害を受けないように、森林地帯で密かに作成中だと聞く。
下位構成員ゆえ、彼は模神を直に見たことはない。
ないが、模神のミスリル部品の製作に携わっていたので、その大きさから巨大なミスリルゴーレムだと推測している。
研究所の英知が詰め込まれた巨大なミスリルゴーレム——模神。
機密保持のため誰にも自慢できないが、内心では計画に参加できていることを誇りに思っていた。
それがまさか……
模神のことを今日、バラされてしまうなんて!
窓の外では衛兵隊が帝国人たちを捕らえに出てきたが、返り討ちにされていた。
一瞬で現れた氷精、火精、雷精等の精霊によって衛兵隊は全滅した。
廊下を走りながら横目で見ていたワールダインは驚いた。
「な、何者だ、あいつら……」
文官と護衛の武官に見えたが、全員手練れの召喚士ではないか。
大変なことになった……
大水門には海から竜騎士団が攻め寄せ、研究所には帝国の召喚士軍団が押し込んできた。
大至急、所長の指示を仰がねば。
廊下を抜け、階段を駆け上がり、息を弾ませて所長室へ辿り着いた。
ノックもそこそこに扉を開く。
「所長、大変です! 帝国人が侵入——」
「イナンバーク、貴様……!」
室内にはすでに側近の〈賢者たち〉である上位研究員たちが集まっており、その中心では所長が伝声筒で会話中だった。
通信の相手は宰相閣下のようだ。
話の様子から、いま起きていることについて話し合っていたらしい。
だが……
「ふざけるな! 我が国にとって重要な……おい! 切るな、待て!」
残念ながらそこで通信を切られてしまった。
伝声筒を掴んでいた右手が力なく垂れ下がる。
今日、所長は研究所で過ごす日だった。
いつもと変わらない一日になるはずだったのに……
始まりは大水門の爆音だった。
先日のネイギアス大使館とは違い、本物の事件だ。
慌てて緊急閉門を命じたが遅かった。
帝国人の叫び声が所長室まで届いた。
その後、眼下の騒ぎを見ながら、海軍魔法兵団に出動要請を出したのだが……
彼らは要請されるまでもなく研究所へ向かおうとしていた。
ところが詰所の門で陸軍と押し問答になっているという。
勅令により——
ウェンドアの兵はすべて大水門防衛に向かわねばならない。
兵団の指揮を実際に執っている副団長によれば、研究所へ立ち寄った後、すぐに大水門へ向かうと伝えても陸軍は聞く耳を持たない。
正門も裏門も塞がれたまま……
これでは身動きが取れない、と。
副団長は陸軍の変貌ぶりや勅令に驚いていたが、それは所長も同じだった。
そこで陸軍派を束ねている宰相イナンバークに連絡を取ったのだった。
ところが、
「勅令の通り、陸海軍のすべての兵は大水門を守らねばならない」
何を言ってもこれを繰り返すだけ。
そこへワールダインが飛び込んできたのだった。
宰相との不毛な会話を終えた所長は、研究所の孤立無援に気付いた。
海軍魔法兵団は詰所に閉じ込められている。
世界最強の魔法兵たちも勅令には弱かった。
当然、陸軍も来ない。
そして衛兵隊も精霊たちにやられた。
研究員たちは魔法使いばかりで、すでに呼び出されている精霊とは戦えない。
魔法剣士隊出身者もいるが、あの手練れたちに敵うかどうか。
「……謀られたか」
所長はポツリと呟いた。
……賢者たちこそ世界を欺き、自国も騙して模神を作ろうとしていたくせに、と突っ込みたくなるが、彼の心情としてはそうなるのだろう。
陛下は陸軍派の謀に加わっている。
だから勅令を発せられた。
おそらく杖計画が露見したのだ。
賢者たちがこのまま帝国の召喚士軍団に殺されればそれで良し。
生き残った場合は、夕方に陸軍が討伐しに来る。
あるいは寝返った海軍魔法兵団が。
……元々リーベル王国の兵なのだから、寝返るというのも妙な表現だが。
所長はすべてを悟った。
残る手段は一つしかないことに。
彼を囲む賢者たちも思いは同じだった。
いまこそ……!
「皆は他の研究員たちと協力して帝国人共を防いでくれ」
尋ねずとも、ワールダインは所長が何をするつもりなのかわかった。
模神を起こすのだ。
作業場に連絡を入れ、起こすための術式を開始させる。
〈原料〉の供給が途絶えたので模神の完成度はまだ六割程だが、攻めてきた帝国人共と竜騎士団を纏めて退治するには十分だ。
残りの四割は、後日完成させれば良い。
また六割の力でも、計画を邪魔しようとした王国に制裁を加えることができるだろう。
いくら世界最強の魔法王国でも始原の魔法には敵うまい。
——今日、世界は変わるのだ。誰にも邪魔はさせない!
ワールダインは防衛態勢を整えている研究員たちに合流すると、急いで詠唱を開始した。
対衝撃、対炎熱、対冷気、対電撃、対……
皆で各種障壁を張り合わせ、小規模だが大水門と同じ多層障壁を展開した。
これで精霊の侵攻を防ぎ、時間を稼ぐのだ。
模神が助けに来てくれるまで。
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